2007年6月 1日 (金)

棋書の代作

 棋書で不思議なことは、おそらく代筆であろう本がプロ棋士の名前をつけて売ってあることである。
 名前をつけてうるのだから、一度はその棋士も目を通しただろうが、監修に近い立場でありながら、その人の著作として売られる本がほとんどである。
 端的に言えば、実作者の名前では売れないのでプロ棋士が名義貸しをしているのだろう。
 これは戦前までの国文学界に近い。実際には、若手が書いた文章にもかかわらず、「文学博士 ○○△△」という肩書きのある人間が著者名にないと、本は売れなかった。
 国文学ではそういった代作は、今ではかなり少なくなった。名義人のボスが監修のみで、実際の執筆や作業は別人であっても、心得のある人間が見れば、誰が骨を折ったかわかるように、凡例やまえがきなどに、執筆や作業にあたった人物の名前が記されている。
 棋書のように、執筆の協力者がどこにも示されず、代表者以外はどこを探しても名前がない本はかなり珍しい。
 国文学の世界が公平になったというより、世間で学者の肩書きがものを言わなくなった結果、あるいはボスの政治力の低下の結果なのかもしれない。

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2007年5月30日 (水)

手筋問題の著作権

 ここ三月ほど、NHKの将棋講座テキストを購入しており、附録の手筋集を解いている。
 手筋集を解いて思うのだが、手筋問題の著作権はどうなっているのか。
 詰め将棋には著作権がある。誰かが作った詰め将棋を、私が自作のようにみせかけて、ブログにアップしたり、本に載せては、著作権法に違反する。

 私は渡辺竜王のファンなので、渡辺明『将棋・ひと目の手筋―初級の壁を突破する208問』(毎日コミュニケーションズ 、2006.08)を持っている。この本と、今年度の将棋講座附録と、問題の重複がままある。
 詰め将棋集なら、既出のものと重複をできるだけ避けるべきである。だが、手筋集は、局面が頻出するから手筋集なのであって、あまりにも稀な例ばかりでも役に立たない。

 手筋集なら、既刊の手筋集を何冊か使って新しい本が作れそうである。しかし、プロがやっても問題ないが、私が本にすれば訴えられそうな気がありありとする(そもそもアマ三級が監修する本を誰も買わないだろうが)。

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2007年5月18日 (金)

凡人の悲哀

 将棋指しのブログが増えているが、「キラリっ娘のそよ風日記」(http://kics.jugem.jp/)という女流棋士のブログもその一つである。
 里見香奈初段、室田伊緒一級、井道千尋一級によるブログなのだが、棋力でいうと、天才里見、秀才室田、凡人井道となる(女流棋士なのでそれ相当の棋力はあるが)。
 このブログだが、めきめきと頭角を現わす里見と棋力が伸びずに苦しむ井道の差が際だってきている。私も諸事に才能が欠けているので、井道の苦労がよくわかる。
 また、のびのびとしたこだわりのない里見を見ていると、天才とはこういうもんだと感じる。
 なやんではいけないのである。
 何の悩みもなく、自分のしたいことに没頭できることを才能があるという。
 羽生三冠や渡辺竜王は、自分が何故将棋をやっているのか、などまったく疑問に思ったことがないのではないか。
 ハンディキャップつきのお好み対局で、山崎隆之七段(崎は難しい字)を里見女流初段が破った際に、見ていた井道が涙したそうだが、
http://www.kansai-shogi.com/event/07ff-12.html
同じ凡人としてその涙はよくわかる。

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2007年5月12日 (土)

三間飛車

 先日、子ども名人戦に長崎の小学生が出場していたので、てっきり将棋どころ佐世保の小学生だろうと思っていたら、なんと対馬の小学生。
 ネット将棋で腕を磨いたらしい。IT革命、高速道路、驚きである。

 さて、準決勝二つと決勝を見たのだが、定跡をよく知っていると感心する。大人になるまで本当に定跡をほとんど知らずに将棋を指していた。

 そういうわけなので、初めて石田流三間飛車を見たときは驚いた。私が小学校五年生の時、同じ小学校の四年生のNくんに早石田を指されて完敗した。
 棋書もないので自分で駒を並べて研究した。先手7六歩、後手3四歩、先手7五歩とくる石田流に対して、後手はつぎに5四歩を突くのが対抗策になることを、その後の変化も含めて、なんとか「発明」し、再戦で勝利した。

 石田流への対抗策として5四歩を突くのは、今の定跡ではほとんど選ばれない手である。
 だが、平成十九年五月七日八日に行われた名人戦第三局で、先手郷田九段の三手目7五歩に対して、後手森内名人が5四歩と突いたので、その記憶がよみがえった(ちなみに将棋は相振り飛車へ)。 
 今の私にとって、将棋は決まった手筋・定跡を覚えるものであり、何かを発明するものではない。石田流三間飛車への対策を練っていたあのころは、今と違った楽しみがあった。

 平成十九年五月九日の棋聖戦挑戦者決定戦で先手久保九段を後手渡辺竜王が破った。ゴキゲン中飛車の一戦で、途中までは渡辺竜王が講師をつとめるNHK将棋講座のテキストどおりの進行だった。これ以上は、難解で良し悪しがわからないと書いてあるところからの展開だった。
 本人は、その場で考えながら指したような書きぶり(ブログに)だったが、おそらく研究範囲だったのだろう。企業秘密だろうが、本当にどこまで読めていたのか興味がある。
 また、石田流三間飛車への対抗策を考えたついたときの感動を思うと、将棋を誰よりも楽しんでいるのがプロ棋士なのだと感じる。

補記:勝又清和『最新戦法の話』(浅川書房、2007.4)をやっと手に入れました。勝又六段は棋力はトップクラスというわけではないのですが、説明がわかりやすく、『消えた戦法の謎』(毎日コミュニケーション、1995.12。絶版は惜しい)など好著を残しています。
 こういう人がいるうちは、こういう本が出るうちは、将棋界もまだまだやれると思います。

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2007年4月18日 (水)

NHK将棋テキスト、その他

 三月末のことになるが、2007年度NHK将棋講座テキスト四月号を購入。購入の理由は、渡辺竜王が講座を担当しているから。内容はやや上級者向き。中井女流六段が担当した前期が初級者向けだったので、入れ替わり。
 NHKの講座テキストの購入は、藤井猛九段が担当した藤井システムの講座いらいなので、もう六七年ぶり。
 池袋東武の旭屋に行って驚いたのが、テキストの数。囲碁が平積みで二十冊以上置いてあるのに、将棋は棚に二冊入っているだけ。地元の中型書店でも、囲碁は十冊ほどあるのに、将棋は二冊だけ。
 なんだこれは。将棋テキストが売れて、たまたま在庫がないのだと思いたいが……。囲碁に比べて、将棋は雑誌が多いので、ファンの嗜好が分散していると思いたいが……。
 いや、将棋は危機なのだろう。

 NHKの将棋講座テキストといえば、小学校四年生のときに、将棋部の先輩から、たしか青野現九段の棒銀戦法を借りて、読んだのが思い出。先輩のお宅までうかがい、NHKのテキスト数冊をうやうやしくうけとって、持って帰ったのが、今となっては懐かしい。
 下手の棒銀上手が困るというように、棒銀は強力な戦法だったが、駒の損得より攻撃を重視する将棋観が染みついてしまった点で、最初に覚えた戦法としてはよくなかったかもしれない。

 息子がそろそろ四歳になるのと、私が将棋が趣味なので、将棋の盤と駒を買ってきて、教えたらと、母や妻にいわれるのだが、乗り気がしない。
 自分の趣味は趣味として、息子にすすめたいとは思わない。将棋は好きだが、将棋が好きなせいで、人生は損をしている。損をしてまでやりたいか自分で判断できるころまで、教えなくてよいと思っている。

 女流棋士会の分裂騒動のさいに、棋士会が残留工作につかったアメが、NHK講座などの仕事の紹介だという。
 たしかに、前期の講座は独立派のリーダー中井女流六段が担当し、今期の聞き手の石橋女流四段も独立派。テキストみると、途中脱落したと聞くが、矢内女流名人も当初は独立派である。
 残留派では、斎田倉敷藤花が別冊の担当をしている。観戦記の二人は、独立派、残留派どっち。
 これが、ガラっと残留派で占められてしまうのかと思うと、残留派へのアメはそうとう甘みのあるものだといえよう。

 ちょっと話しはそれるが、今回の独立騒動はいまの女流棋戦のスポンサーが話しをまとめるべきだった。分裂して、女流棋士へのイメージが低下すれば、棋戦の価値も下がって、結果としてスポンサーが損をする。
 落語協会から円生が独立しようとしたときは、席亭が反対したのでダメになった。スポンサーが後押しする。あるいは反対する。そのどちらかで決まったはずである。

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2007年2月16日 (金)

戦場の霧

 将棋は模擬戦争として、戦国武将たちに愛好されたらしいが、将棋が強くなったとしても、現実の戦争に強くなるとは思えない。
 将棋はすべての情報が素通しになっている。現実の戦いでは、敵の戦力や配置、そして行動は不明であることが多い。情報はつねに不確実で、「戦場の霧」=「戦場における不確実性」との戦いが戦争のすべてである。
 軍人将棋は相手の駒がなにかわからない。ボードシミュレーションゲームはさいころが使われる。コンピュータでシミュレーションゲームができるようになって、戦場の霧がより再現できるようになった。
 とはいえ、将棋の敵の駒の正体がなにかわからなくなっていたり、駒同士の戦いをさいころを振って決めるのであれば、将棋はここまで普及しなかっただろう。戦場の霧を排除したことは将棋の欠点ではない。すべてがお見通しになっているからこそ、将棋は純粋な論理ゲームとして美しい。

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2006年11月19日 (日)

アドバンスト将棋

 自宅でネット対戦するプロ棋戦ができるらしい(http://d.hatena.ne.jp/mozuyama/20061118)。
 渡辺竜王はブログで、

基本的には自宅からということでしたが「不正をやろうと思えばできる」環境で指すことが嫌なので誰かに監視してもらったほうが安心してやれます。長手数の詰みで鮮やかに勝ったのに疑われてはたまりませんので。

と、対局中不正ができないような監視するしくみにしてくれと述べている(http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/bc850a62c2a9e66ea4e5bdb627b9b70b)。

 私としては逆転の発想で、友人を集めて検討し放題、パソコン使ってデータベース検索し放題、詰め調べ放題の将棋にしてみたら面白いと思う。

 プロの倫理観とは相容れないのだろうけど、そういったものを使えば、さらにどのくらい強くなれるのか興味がある(プロでは影響が小さく、棋力が低いほど有用なのだろう)。
 コンピューターの補助利用したチェスはアドバンストチェスとして知られているが、将棋でもためしにやってみられないものか(今回の大和証券杯は公式戦なので無理だろうが)。

 通常の対局が試験をうけるようなものなら、そういったアドバンスト将棋は自由研究のようなもの。最善の棋理をもとめるのが、プロ棋士の使命なら、アドバンスト将棋も悪くないのでは。

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2006年11月18日 (土)

ボナンザ対渡辺竜王

 将棋は、来年三月にボナンザと渡辺竜王が対決。竜王は「もちろん負けるとは思っていない」言い切っていた(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061117i212.htm)。

 2006.11.18に開かれたトップアマとボナンザの対局で、アマ側が勝ったように(http://d.hatena.ne.jp/mozuyama/20061118)、渡辺竜王ほどでなくても、まだプロが負けるわけがない。

 なぜ、渡辺竜王なのかという意見が出ていたが(同じく、勝手に将棋トピックス、http://d.hatena.ne.jp/mozuyama/20061118)、根拠はある。

 べつに今負けなくてよいなら、日本将棋連盟の手兵のうち、奨励会員を使ってすむ話である。

 問題は、いずれはコンピューター将棋がプロ棋士を凌駕するということである。
 
 コンピューターがプロ棋士に勝ったとなると、将棋の人気はがた落ちで、日本将棋連盟に与える打撃はかなりのものである。日本将棋連盟にとって、プロ棋士の敗戦はできるだけ先送りしなくてはならない。

 今回は、ネット棋戦開設の記念対局らしいが、コンピューターとプロ棋士の対局は、こんご何年おきかに、定期的に行われるはずである(実力に差があるうちはいくら戦わせても心配なく、対局料だけ入って、損にならないのだから、連盟は、価値が下がらない程度に、頻繁に対局を組んでもおかしくない)。
 
 そのさい、定点観測の意義から同じ棋士が登用されるだろうから、緒戦でも強い棋士を対戦させておくにこしたことがない。

 それにタイトル保持者を対局させる方が、対局料も多額に設定できる。

 じゃあ、森内名人、羽生三冠、佐藤棋聖のトッププロ三強のうち、だれかでいいだろうと思うかもしれないが、この三人は年齢が、森内(36)、羽生(36)、佐藤(37)なので、棋力は加齢と反比例していく可能性が高い。

 渡辺竜王(22)はこれから伸び盛り。選ばれたのは当然だろう。

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2006年10月 3日 (火)

今さらながらBonanza

 今さらながらBonanzaをインストールしてみた。
 知らない人のために説明するとBonanzaとはフリーの将棋ソフトである。
 http://www.geocities.jp/bonanza_shogi/
のページからダウンロードできる。
 フリーウェアとはいいながら、2006年の第16回世界コンピューター将棋選手権で優勝した実力のあるソフトである。
 少し前のv1.0で将棋クラブ24(ネット道場)で2400のレートをもっていたというが、将棋クラブ24をやったことがないので、どのくらいの強さかわからない。将棋クラブ24のページを少しのぞいたところ、1900でアマ三段ほどあるらしいからアマ五段ぐらいか。

 実際にダウンロードして、指したところ、やっぱり強い。
 今まで十回に一回ぐらいしか勝てなかった東大将棋V5を持ち出して、対戦させてみたが、Bonanzaが四連勝した。
 今までの将棋ソフトは、冒険しない、堅実な手ばかり指していたが、Bonanzaは積極的である。それでいいのかと驚くような手を指して、実際に形勢を良くしてしまう。
 見た目は地味だが、強力なこのソフト。知らない人は一度試してみるとよい。

補記:対戦三局目に、角がわりの将棋で一度だけ勝ちました!。意外と勝てるかと思ったものの、その後はいくらやってもまったく歯が立たない。棋譜残しておけばよかったと後悔しています。

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2006年6月20日 (火)

集中力

 BIGGLOBEストリーム(http://broadband.biglobe.ne.jp/sitemap/index_shougi.html)に将棋ニュースプラスという番組がある。
 五月十九日から始まっており、週一回の割合で、さまざまな内容を流している。みるべきものは「レースクイーンに将棋を教えよう!」(苦笑)でも、「女流棋士リレー紹介」でもなく、「ザ・加藤一二三伝説」に尽きる。
 加藤一二三九段は、華々しい戦績だけでなく、数々の奇行(失礼!)で有名で、Wikipediaに「加藤一二三伝説」が編まれているぐらいである。
 その「加藤一二三伝説」について、その真偽と、どうしてそのような行動をとったかを本人!に取材したのが、「ザ・加藤一二三伝説」である。
 数々の伝説はネット検索にでもかけてもらうとして(加藤一二三伝説とかければ数々出ます)、「ザ・加藤一二三伝説」からひとつ話題をとりあげる。
 五月十九日号の「ザ・加藤一二三伝説」では、加藤九段が対局中に、対局場の旅館で流れている人工の滝をとめさせた話がとりあげられていた。なお、加藤九段によれば羽生善治四冠も二度ほど滝を止めさせたことがあるらしい。
 止めた理由は音が気になるからとまっとうなものである。海辺の旅館などに行くと、最初は潮騒の音で眠れるかと不安になるが、実際にはすぐに慣れてしまう。おそらく滝も天然のものならましだったろうが、人工の滝はどこか耳障りなのだろう。

 そこで思い出したのが、前期(第64期)A級順位戦最終局の三浦弘行八段対佐藤康光棋聖の対局である。三浦九段は勝てば自力残留だったが、もし敗れれば森下卓九段が羽生善治四冠に負けない限り、A級から降格となってしまうのだった。なんと、三浦対佐藤戦と森下対羽生戦は同じ部屋で行われた。私はそれをBS放送で観ていた。
 先に終わったのが森下対羽生戦で、その模様は天井カメラと部屋のカメラから、わかったのだが、三浦九段は森下対羽生戦が終わったにもかかわらず、そちらに一瞥もくれない。ひたすら、自分の局面に集中している。
 普通の人だったら、首を振ってどちらが勝ったか確認ぐらいするだろう。
 三浦九段には、ファンよりアンチファンの方がやや多いようだが、それも見せ方で、だいぶん変わるのではないか。少なくとも、自局に集中しきった三浦九段の姿は、プロ棋士として魅力があったと思う。
 
 三浦九段の件でまっさきに思い出したのは、Kさんのことだった。小学五年生と六年生で同じクラスだったKさんという女の子がいた。Kさんは黒目がおおきくぱっちりした美人で、なおかつ利発だった。私の初恋の相手である。テストをうけているときに、廊下で大きな物音がすると、小学生のことだから、みんな手を止めてそちらを見るのだが、Kさんはまったく気にすることなく、問題用紙だけを見ているのだった。
 小学生のことなので、Kさんの方が私より若干背が高かったが、そういったところも大人っぽくって、Kさんの魅力だった。

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2006年6月 5日 (月)

なくなった将棋道場

 さいきん、将棋についてブログに書くことがあったので、それにまつわることを検索していると、むかし通っていた将棋道場がなくなっていることがわかった。
 私が通っていたのが1998~2000年ごろだが、2003年に閉まったようである。席主のEさんには、しょっちゅう飲みに誘われたがとうとう一度も行かなかった。私はお酒は大好きだが、Eさんたちが行くような飲み屋に行くほどの金がなかったことが理由である。また将棋以外のことはほうっておいてもらいたかったためでもある。しかし、いま思えば、一度ぐらいは飲んでみればよかったかもしれない。
 将棋道場にくる人々は、どちらかといえばつきあいにくい人たちだった。知らない人たちが入りにくい雰囲気がある。そういう人たちと将棋をするのはややもすれば苦痛だった。実業団の猛者で、三十代独身で将棋にうちこんでいるKさんは、私にしょっちゅう嫌みを言っていた。ほとんどの場合、きちんと読み切ってから指すように、といった至極まっとうな意見だったが、実際は読み切れていないのではなくて、読み損なっていたので、往生した。
 埼玉に移る一年ほどまえから、将棋道場には行かなくなったのだが、埼玉に移ってからしばらくたって、Kさんに会うのがいやだから、将棋道場に行かなくなったのだと、おのれの潜在意識を推測した。
 いまは、インターネットをつかえば、自宅でいつでも無料で将棋が指せる。しかし、一度もインターネットで将棋を指したことがない。かちゃかちゃキーボードを叩いて会話をしながら将棋をするのが、面と向かって指すよりも、私にとっては億劫なのである。
 私にとって将棋は、他人が指したのを鑑賞する。あるいは「次の一手」を考える遊びである。
 将棋道場にはいろんな人がたまっていた。悪く言えばよどんでいた。あの将棋道場がなくなって、みんなはどこに行ったのだろうか。

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2006年6月 4日 (日)

先崎学八段 その二

 週刊文春『浮いたり沈んだり』の連載がはじまったころ、佐藤康光棋聖の泣く話をたまたま最初に読んで、いい気がしなかった。そのため、「浮いたり沈んだり」を読める機会があっても、目を通すことがなかった。もう連載もかなりつづいて、文庫本(文春文庫、2004.10)があるので、前日の記事にかこつけて読んだところ、それなりに面白い。
 余勢を駆って『先崎学の実況!盤外戦』(講談社文庫、2006.5)も読む。週刊連載の『浮いたり沈んだり』が、回によって出来不出来の差が大きいのに比べて、書き下ろしだけあって粒がそろっている。
 こういった書き下ろしのエッセイを出すのは、エッセイストとして食っていきたいという願望があるのかもしれない。だが、それは将棋の戦績次第である。
 書店に行って、エッセイの棚を覗いてみればよくわかるが、エッセイとは、有名人が書いたものしか売れない。逆に言えば、有名だったら、内容に関係なく売れる。有名な人がなにを考えているか、どう感じているかを知りたいから読むのである。
 今期のB2は、渡辺明竜王と山崎隆之六段がいて、たいへんだろうが、好局を期待している。

補記:渡辺竜王をより応援しているので、勝てとは書けなかったのですが、私と年も近いですし、老け込むにはまだ早い思っています。

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2006年6月 3日 (土)

先崎学八段 その一

 先崎学八段は、連載をもっていないときの方が戦績がよいので、「浮いたり沈んだり」をはじめたときに、心配していた。前期、B2に陥落し、悪い予感が当って、がっかりしている。
 誰かが(河口俊彦か)、先崎八段は無頼派としてその記事を売っているので、生活を荒らしてタネを作っているのがよくないと指摘していた。
 「将棋ビジネス」考察ノート(http://blog.livedoor.jp/sbc2005com/)の2006.05.09「続・将棋のイメージ」に、「団塊世代の女性の持っている将棋へのイメージ」が「博打」だとあった。ノートのいうとおり、団塊世代の女性が、将棋道場での親の真剣将棋(賭将棋)を見ているのか、私はよくわからない。
 文才はもとより、先崎八段に『小博打のススメ』(新潮新書、2003.10)の著書があるように、世間的な将棋指しのイメージに先崎八段が合致するので、好かれているのは確かである。
 だが、幅広く将棋ファンを増やすためには、先崎八段のような無頼派型の棋士だけでなく、別の魅力を持った棋士も文才を発揮することが必要だと感じる。

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2006年4月30日 (日)

坂口安吾の将棋随筆 その二

 将棋関係者で安吾の『散る日本』に言及する人はまったくいない。坂口安吾の『勝負師』が、将棋界の人間にはふれて欲しくない将棋史の暗黒面を描いているからだろう。安吾の将棋随筆など、将棋界の人間はなかったことにして欲しいのである。
 『散る日本』(昭和22)では

将棋界ではヒロポンが全然知られていないらしい。疲労見るのも無慙だから、こんな時ヒロポンのむのが、ヒロポンの最大の使い場所というところで、私は二人に教えてやろうかと思ったが、塚田八段は虚弱な体質で、私がすすめたばかりにヒロポンで命をちぢめたなどとなってはネザメが悪いと思ったから、やめた。

となっているが、これがほぼ二年後の『勝負師』(昭和24)になると、

 当年四十五才(引用者注、数え)の木村は、夜になると、疲れがひどい。午前二時の丑ミツ時が木村の魔の時刻と云はれて、十二分の勝ち将棋を、ダラシなく悪手で自滅してしまふのである。(中略)かうなると、肉体力は勝負の大きな要素である。
 私は一年半ほど前に、木村にゼドリン(引用者注、覚醒剤の銘柄。当時はまだ市販されていた)を飲ませて、勝たせたことがあつたのである。例の名古屋に於ける木村升田三番勝負である。木村の疲れが痛々しいので、夕食後にゼドリンを服用させた。そして、木村はこの対局に勝った。

と、安吾は木村にゼドリンを飲ませている。そして、大山(康晴、のちの十五世名人)にも、ゼドリンを見せて説明している。

「この薬はね。もう薬屋では販売できなくなつたから、お医者さんから貰ひなさい。名人戦だの、挑戦者決定戦だのと、大切な対局だけに使ふ限り害もなく、まるでその為にあるやうな薬だから」
 と、私は大山に智恵をつけておいた。

その後、大山が覚醒剤を使ったかどうかは不明だが、今から見ると安吾はとんでもないことを勧めている。
木村に対して、

私は彼に寄りそつて、
「この前、名古屋でのんだ薬、のみますか」
と、きくと、彼は急にニヤリとして、
「えゝ、ありがと。実はね。ボク、お医者から、クスリをもらつてきたんです」
さう答へて会釈して行き過ぎたが、ふりむいて、又、ニコニコ笑ひ顔をした。
「たぶん、坂口さんのと、同じクスリぢやないかしら」
 云はれてみると、階段を登つて道場へ去る彼の足どりはシッカリしてゐた。又、私に笑ひかけた彼の目は澄んでをり、たしかに彼の顔には疲労が現れてゐなかつた。

とやりとりをしている。この勝負は木村が塚田を破って名人に復位することとなる。
覚醒剤取締法は昭和26年の施行で、それまでは覚醒剤を合法に使うことができた。だから、木村を批判するにはあたらないかもしれない。
 その後、木村は大山に敗れて、名人を失う。昭和27年のことである。木村が「よき後継者を得た」と答えたら、引退のコメントととられて、引退に追い込まれたらしい。木村は引退の時点でまだ満四十七才だから、今からみればまだまだ指せると思うが、覚醒剤に頼って戦っていたことを考えるともう引退である。
 筋肉増強剤を使った選手によって、ホームラン記録が塗り替えられた、大リーグのように、見せ物として、おもしろければ、あるいは勝負として迫力があれば、その当時の薬物禁止ルールに違反していないこともあり、特に問題はないのかもしれない。だが、将棋の頂点に立つ棋士が、覚醒剤を使いながら将棋を指していたことは、将棋界は絶対にふれて欲しくない史実に間違いない。
 『勝負師』は、木村義雄が執念のすえ、名人に復位する話である。実質なく木村名人が敗れた『散る日本』と傾向が異なるが、勝負にかける木村の姿を描いた『勝負師』は、それはそれで、できのよい随筆である。
 しかし、先の状況で、もったいなくも、安吾の将棋随筆は、将棋界から黙殺されている。

補記:『勝負師』の引用は『坂口安吾全集』(筑摩書房、1998-2000)による。だから旧かな。
ゼドリンやヒロポンなどについて知りたい人は、ウィキペディアで「覚醒剤」を検索にかけてください。

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2006年4月29日 (土)

坂口安吾の将棋随筆 その一

 将棋小説・将棋随筆を読むのに凝っていた時期がある。囲碁には川端康成の『名人』という傑作小説がある。それに拮抗するほどの傑作小説、傑作随筆が将棋にはないのか、探し回り、ついに坂口安吾『散る日本』にたどりついた。
 坂口安吾の『散る日本』は、将棋界に長年君臨し、絶対的な地位を保っていた木村義雄名人が、塚田正夫八段に敗れて名人位を失う、その一戦を描いた随筆である。
 坂口安吾には木村義雄の名人復位に取材した『勝負師』など将棋随筆がいくつかある。私が読んだのはもう五六年まえのため、木村名人の失冠と復位までを描いたのが、『散る日本』だと思っていた。
 ここにきて読み返すと、以前とはだいぶん印象が違う。まず、文章がずいぶん荒い。ちゃんと字引をつかって、推敲しながら書いたのではない。ゼドリン(覚醒剤)を飲みながら書いた、やっつけ仕事だとすぐわかる。坂口安吾は、囲碁はかなりの打ち手である。しかし、将棋はさほど詳しくない。だから、将棋の観戦記として、成り立っているかもあやしい。
 『散る日本』は次のように結ばれる。

 亡ぶべきものが亡びる時代だ。形式が亡び、実質のみが、その実質の故に正しく評価されるために。新しい、まことの日本が生まれるために。
 実質だけが全部なのだ。

けっきょく、安吾の中で、戦後の日本に対するこの実感が先にあって、それと合致する例、それこそ「散る日本」を探し求めて将棋にいきついただけなのである。形を変えた『堕落論』が、『散る日本』である。

 かといって、『散る日本』がダメかというと、そうではない。かつて、うちによく飲みに来ていた悪友Nと、梶井基次郎『桜の樹の下には』と坂口安吾『桜の森の満開の下』を、ある夜私の家で、読み比べたことがある。よっぱらった頭で安吾全然ダメだね、散漫だ、とお互い最初は安吾をけなしていたのだが、「それは桜の森でした。」という一行をきっかけに、安吾なかなかいいじゃないかと評価が転じていった。
 『散る日本』には、

名人タバコをすてて、大アクビ、左手をうしろに突いて、ぐったりもたれてしまう。

とか、

名人の姿態がぐらりとゆれて右に傾いた。骨のない軟骨だけのからだのようにグニャグニャとゆれて、
「それまで」
 グニャグニャのまま、コマをつかんでパラリと落した。

といった木村名人の苦悶の姿が執拗なまでに描かれる。読むのも息苦しいが、

転落の王者が、運命の悪魔との争い、勝つべくもないムダな争い、凄惨見るに堪えざるものであった。私は近親の臨終を見るよりも苦しかったのだ。

という安吾の実感を反映しているので当然である。
 将棋観戦記は、手の説明と棋士の描写という、相反するものを天秤にかけながら書かれている。棋理の追究をあえて措き、棋士の描写を徹底した、『散る日本』は、ありきたりの将棋観戦記ではない、まぎれもない安吾印の傑作である。

補記:『散る日本』の引用は『定本坂口安吾全集』(冬樹社、1967-1971)による。だから新かな。『坂口安吾全集』(筑摩書房、1998-2000)の収録巻は、将棋連盟の騒動のせいか、貸し出し中で読めず。
 この話、明日も続きます。将棋史の暗黒面へ話が行きます。

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2006年4月28日 (金)

将棋界の構造

 もし、学会のなかで、トップの実力をもつ研究者二十人ほどが、交代しながら、新聞に文章を連日載せる代わりに、学会に所属する他の研究者は、研究に専念して、年に何回か(ほとんど誰も読まない)紀要に発表するだけでよい、教育業に従事しなくてよいとなると、どう思うか。
 将棋界はこれであって、棋戦で一握りのトッププロの棋譜が新聞に掲載されるかわりに、他のプロは普及などややこしいことを考えずに、将棋に専念できる。ぎりぎりの生活費でよければ、月に三、四回の将棋を指して、だれが読むかわからない棋譜を残すだけでよい。
 今回の、名人戦移籍騒動の原因となった連盟の赤字に関連して、棋士ももっと普及につとめろという意見が大型掲示板には少なからず見られた。
 とはいえ、真理を追究するという立場からすれば、将棋界の構造はまったくうらやましいもので、国文学界でもそうならないかと思うだけである。
 国文学のプロの研究者というのは、大学の職につき、授業を学生に教えながら、その片手間に研究をやっている。教育の仕事が免除されれば、さぞかし学問は進展するだろう。
 将棋界が、ここまで普及を棋士の仕事とさせずに、食わせていられたのは、棋理の追求を第一とする立場からすれば、立派なものだといえよう。すぐれた新手はトッププロだけが生むわけではない。むしろ、名もない棋譜(研究)の下積みから、わずかな花がひらくことが多い。これは学問の世界と似ている。下支えの研究が数々あって、その上にトップの研究がある。
 某棋士は、まったく普及活動をしない。NHKの感想戦でもぼそぼそしゃべってファンサービスを全然考えていないという批判は大型掲示板でありがちなものである。しかし、給金体系が将棋に勝つことだけに依存している以上、イヤなやつと言われる棋士ほど勝つことに執着し、普及やファンサービスにそっぽを向いて当然なのである。今の将棋界の体系では、勝つことにしか、棋士の存在価値はないのだから。
 今の将棋界は、真理を追究する者からみると、一つの楽園である。この楽園がいつまで続くものか、現在その状況を見守っている。

補記:明日明後日と、坂口安吾の将棋随筆について載せます。将棋特集はそれが最後です。

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2006年4月27日 (木)

米長邦雄・内藤國雄『勝負師』 

 敵を知り己を知らば、というわけでもないが、渦中の米長邦雄現日本将棋連盟会長と関西将棋界の重鎮内藤國雄の対談集『勝負師』(朝日新書、2004.8)を読んでみる。内容は将棋関連の本のなかでは中の上ぐらい。
 勝負師というより学究肌の内藤國雄が、桂米朝のような上方文化の上品なところを代表してする、深みのある話がまずいろいろと考えさせる。その内藤の話をズブトクてちょっと下品な米長邦雄が横にずらしていくところがおもしろい。
 最近の米長邦雄は、怪文書まがいの文章を自分のホームページに掲載するなど、行動がおかしくなって、いよいよ梅毒でも脳にまわったかと思えるほどだが、本書はずいぶんまともである。
 それとも、現在の会長という地位が重荷になって、変なペルソナを演じているのだろうか。

 小見出し「名人位へのこだわり」で、米長邦雄は、

 晩年、癌でもって余命いくばくもない大山先生とお会いしたときに、先生は弱々しい手でぼくの手を握ってね、「米長さん、名人戦を頼む」と言われたんです。
 大山康晴が、俺にこんなことを頼むのか、と信じられない気持ちでね。でも、こんなふうに「お願い」されたら、その願いは守るしかない。(125・126頁)

と述べている。守ろうという意気込みはよいが、守り方を間違えている。大山康晴十五世名人の手の感触でも、思い出して欲しい。

 意外ながら、冷静に考えれば、もっともなのは、内藤國雄の名人位軽視で、米長の話に対して、

 その話(引用者注、米長大山の話のこと)にぼくは大きな感動を覚えるのと同時に「ぼくが名人になれなかったのもやむをえないなあ」とも思うんです。
 大山・升田両巨匠は、名人戦にものすごいこだわりを持っていた。主催紙を朝日にするか、毎日にするかで両巨匠のあいだには大きな対立があったんです。
 実は、ぼくは脇で聞いていて、言葉は悪いが「なんでこんなことにこだわるのか」という気がした。名人戦だってビッグタイトルの一つにすぎないじゃないか、と。(126頁)

と答えている。

もう一つ、注目しておきたいのは、内藤の次の発言。

 (師匠の藤内先生の言葉の影響もあって)だからいくら棋士の名前が新聞に出ても、どうも「スター」という意識がないんです。将棋ファンと接して生活する、というのが本来の棋士の姿であるという意識が強い。
 それなのに、いまは、空いた時間にみんな研究将棋をやっている。しかしこのままじゃ見通しが暗い。ファンは減るばかりだ、と思うんです。(中略)将棋を楽しんでもらうためには、ルールを覚えてもらって、その楽しさをわかってもらわないといかんわけです。
 ぼくは、将来的には、棋界はトーナメントプロを減らしてもよい、その代わりにレッスンプロを増やすべきではないか、という考えを持っています。(中略)
 だから、トーナメントプロはいまの三分の一でもよろしい。それよりも、一般の人に楽しんでもらうための普及が大切なんじゃないかと。(198・199頁)

将棋界の改革案で、大型掲示板にあったものに、囲碁のようにプロを初段からにして、間口を広げる代わりに、勝ち上がらないとお金がほとんど手に入らないようにすべきというものがあった。
 内藤國雄の提案がどこかで受け入れられる日がくるのだろうか。

補記:昨日で名人戦第二局終了。森内名人連勝。谷川九段がゴキゲン中飛車を採用し、△5五歩を選ぶことを森内名人は読み切っていた観がある。明日は将棋界の構造について書きます。

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2006年4月26日 (水)

棋士とおやつ

 毎日インタラクティブが行っている、名人戦、ときには順位戦の中継では、対局者の摂る食事やおやつが、写真付きで詳細に報告される。名人戦が有料中継になったころ、応援掲示板で、「おやつなんてどうでもいいから、将棋の内容についてもっと詳しく説明してください」という投稿があったが、おやつの内容を知りたいという圧倒的な他の投稿にかき消されてしまった。
 棋理を追求するだけの将棋ファンにとっては、対局者のおやつなどどうでもいいだろう。しかし、将棋は人間がするのである。サバランの『美味礼賛』の巻頭言をもちだすまでもなく、食は人を教えてくれる。棋士の人柄、体調、精神状態を少しでも知りたいという気持ちがあれば、食事やおやつに関心がむくのは当然である。
 割合は少ないが、着物に関心が持たれるのも自然である。棋士の食事や服装に関心をもつ人を、米長邦雄は『勝負師』(朝日選書、2004.8)の中で、棋士のファンと呼んでいる。
 ゲームとしての将棋はプロ棋士がいようがいまいが指せるのであり、棋士のファンがいなくなることが、将棋界の危機であろう。

補足:今日で名人戦は二日目。これからしばらく将棋特集がつづきます。『勝負師』については、明日なかみを紹介します。

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2006年4月15日 (土)

将棋の未来

 将棋の名人戦について、日本将棋連盟は毎日新聞との契約を打ち切り、朝日新聞へ乗り換える予定のようだ。理由は、契約金の多寡による。毎日よりも、朝日が多額のお金を出すので、長年の関係を断ち切ることに決めたらしい。

 前に述べたように、私は新聞を取らない。そのため、新聞の主催する棋戦が収入源という、今の将棋連盟の経営手法には、以前も以後も貢献しない。とはいえ、毎日の有料番組の「名人戦速報」には入っており、また実家が私が幼少時より毎日新聞だったため、毎日でなくなってしまうことには、かなり感傷的である。

 連盟が赤字のため、収入増を計る必要があるわけだが、通常なら支出を抑える方向に行く。棋士全体の給金を減額し、年寄りの棋士を引退させ、職員の数も減らすのが、普通の企業の態度であろう。

 だが、将棋連盟は社団法人であって、通常の会社ではない。ひどい見方をすれば、棋士が職業となる過程で、将棋の普及を名目に作られた親睦団体である。だから、既得権益が非常に保護される。とにかく改革のしにくい団体である。極端な話、今いる棋士の人数整理よりも、もはや一人のプロ棋士も増やさないという選択が起こり得る。棋士を職業にできるよう、日本将棋連盟は長年の努力をしてきたのである。若手は先人の開いた道を歩いているにすぎない。思いしれと。

 私が将棋連盟の職員なら、朝日への乗り換えは有力な選択肢と考える。現在の将棋連盟の体制・体系を変えないまま増収がはかれるなら万々歳である。とりあえずは、痛みを知らずに済む。

 最悪の可能性は、毎日が棋戦および棋書の出版から撤退し、朝日へは裁判を起こし、空白の一年が繰り返されることである。しかし、その可能性は低いだろう。毎日は将棋記者を育成してきた。単に棋戦をやめれば、その者たちも行き場を失う。名人戦が奪われたら、新たな棋戦を創設するか、他の新聞から棋戦を譲り受ける(スポニチと共催している王将戦を単独開催の可能性が大)だろう。将棋へ愛がある毎日だからこそ、腹いせに一社だけ棋戦から撤退するとは考えにくい。もっとも、裁判だけは起こすだろうが。

 そしてダメならダメで、そこで将棋連盟の改革に乗り出せばよい。増収の手段がないと全棋士が思いしれば、減棒を含めた改革を進めやすい。むしろ、これが若手理事らの狙いなのではと勘ぐっている。

 長い目で見れば、新聞棋戦を主な収入源とする経営体制は、大幅な支出減を行わない限り、いずれ破綻すると思われる。新聞棋戦は全体から見てほんのわずかな対局を細切れにして載せることしかできない。もはや、将棋ファンに訴えかける内容を持っていない。

 日本の社会は、百年かけて明治に戻るのだと、私は考えている。百年後も将棋はなくならないだろう。しかし、百年後も将棋がいまほど普及しているか、今ほどの数のプロ棋士がいるかはかなり怪しい。将棋もいずれ関根・阪田の時代に戻る。そしてこの問題は、新聞同士を競争させ、契約金をつりあげるだけでは、解決しない。

 将棋の分水嶺は、将棋の名人がコンピューターに勝てなくなるときだろう。名人戦のネット中継を眺めつつ、同時にコンピューターを走らせ、おやおや名人悪手を指しましたねと言われるようになっては、将棋が訴えかけるものは少ない。この恐ろしい可能性について論じたのは、保坂和志『羽生 21世紀の将棋』(朝日出版社、1997.5)だったか。

 そのとき、ただ強いだけのコンピューター将棋にはない、人間同士が生み出す将棋の魅力が、将棋愛好者にとって残る宝物である。それを不義理・不人情な行為で損ねていることからすれば、今回の将棋連盟のとった行為は悪手かもしれない。将棋は、指した手が悪手になる可能性が高いゲームであるとは、どの棋士が言ったか忘れた(羽生だったか)が含蓄の深い言葉といえよう。

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2005年12月 2日 (金)

瀬川晶司氏のプロ編入

 瀬川晶司氏が将棋の四段の、すなわちプロへの編入試験に合格した。この編入試験に関しては、奨励会員(プロ予備軍)からは批判が多かったときく。
 その心情はよくわかる。私も大学院の博士課程を出ているが、大学院などの教育とは全く無関係に大学教員になれるとすれば、教員養成が役目の博士課程の存在意義が問われるからである。
 とはいえ、私自身、大学院と関係なく、大学教員になる人がいておかしくないと考える。むしろ、それ以外の出身者はなれないとすれば、制度硬直だと思う。
 奨励会員が腹を立てているのは、瀬川氏が奨励会とは別の経路でプロになったということではなく(瀬川氏は年齢制限で奨励会を退会している)、自分たちが現在いるプロよりも強いのにプロになれないということだろう。三段リーグは年間わずか四人しか上に行けないので、ロートルのプロ棋士よりもはるかに強くても、プロになれない可能性がある。いや、奨励会の三段ほどになれば、たいていの場合、それより強いのである。
 公平を考えれば、四段からプロだとしても、三段との入れ替えが行われなければならないだろう(しかも大人数が)。ついでに言うが、大学教員の地位にも入替え戦が欲しいと思っている。
 では、前述の制度を導入するとまるく収まるかというと、それも難しい。将棋棋士は頭を使うので、年を取れば当然弱くなっていく。弱くなったからといって、簡単に職が失われてしまうようでは、棋士は職業ではなくなる。そうなると、棋士を目指す若者(というより少年だが)の数が減り、将棋界じたいが縮小していくことになる。
 ここらへんは不平のないように、また将棋界が発展していくように制度改革されていくことを切に望む。

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2005年12月 1日 (木)

渡辺明竜王

 渡辺明竜王がブログを開設している。更新は、二日制対局の日などを除くとほぼ毎日なされる。トラックバックは元よりコメントも受けつけており、ちょくちょくコメントに返事をしている。 

 これは極めて異例のことである。将棋の位で竜王といっても大多数の人にはピンとこないだろうが、実は名人位よりも竜王位の方が上位にある。これは、毎日新聞より読売新聞が賞金を多く出しているためで、歴史から見ると将棋における名人の重みは減じていない。しかし、竜王こそがいま将棋の最高の位であることは、意識しておかねばならないだろう。

 渡辺明竜王は、前期に森内俊之現名人から竜王を奪取して現竜王になった。さいきんは最初の防衛戦を木村一基七段と行っており、昨日四連勝で見事に防衛を果たした。インターネットで棋譜を追っていたが、第一戦では相手の研究手をはねかえし、第四戦では受けの木村と呼ばれる挑戦者を攻め潰しと、渡辺竜王の強さが目立った。

 渡辺明竜王は、中学生でプロ棋士になっている。この中学生棋士というのは過去に加藤一二三、谷川浩司、羽生善治しかおらず、しかもいずれも名人になっている。なお、全棋士に竜王位につく機会がある竜王戦と違って、名人戦は順位戦といわれるグレード別のリーグ戦を抜けていかねばならず、その年最強の棋士でも、A級に属していないと名人位へ挑戦できない。渡辺明竜王はC1なので、それを抜けて、さらにB2、B1を突破してA級に属さないと名人位の可能性はない。

 くどくなったが、将棋界における大変偉い人がブログを開いているということを言いたいのである。 

 自戦記もブログに公開してあるのだが、差し手の疑問がコメントにつけられると、なんといちいち応答している。竜王戦に関しては、新聞や雑誌の兼ね合いもあるので、それが出そろったところで、載っていない手については解説しますと第一戦のあとに告知していた。ところが、それにもかかわらず、第三戦のあとに手の質問をするフウケ者が現れ、竜王はなんとコメントするか気になったのだが、こともなげに答えてやっている。

 渡辺明竜王は、某大手掲示板でのあだ名が「魔太郎」である(今は竜王とかけて「魔王」もある)。藤子不二雄Aの『魔太郎が来る!』の「魔太郎」に似ているからだろう。実を言うと、ブログを読むまでは、渡辺明竜王とは、非常に酷薄で、マントにワイングラスなんかを持って、「羽生世代ももう終りですよ。フッフッフ」なんて言っているのではないかと思っていた。

 実際は、私より一世代若い二十二歳にもかかわらず、一歳三ヶ月になる男の子を持つ家庭人である。私も、二歳六ヶ月と六ヶ月の子どもを持つので、渡辺明竜王には親近感を持っている。よく知っている方を応援したくなるのは世の常で、私は渡辺明竜王を応援している。最初はちょっと怖かった顔も、最近は恰好よいと感じている(妻はコボちゃんとか言っていたが)。

 『将棋「次の一手」読本』(宝島社、平成17・8)でのインタビューを読んでもわかるのだが、将棋を今後広めるために渡辺明竜王がいろいろと気をつかっていることがわかる。ブログもその一環なのだろう。

 渡辺明竜王のブログはRSSリーダーに入れて更新があるといつも見ているのだが、気になることが一つある。私も将棋ファンなのでわかるのだが、将棋ファンとは屈折した人間が多い。嘘だと思う人は、将棋道場に行ってみるとよい。ブログへのコメントにも、たまには変なのがまじっていて、そういったものへの対応で渡辺明竜王が疲弊してしまうのではないかと心配している。

 渡辺明竜王ぐらい偉くなれば、トラックバックだけでも十分だと思うのだが、その一方で竜王のコメントも見たい。 複数の棋戦を制するようになって、その防衛などに忙しくなれば、更新もむずかしくなるだろうし、ブログがどう続いていくのか、興味がある。

補記、「タイトル」という語を使わないでみたが、書きづらかった。竜王のブログにトラックバックをしてみました。少しドキドキ。

補記、2008年9月8日をもって、渡辺竜王のブログはコメントを停止。ID制になってから、落ち着いたかと思っていたがそうでもなかった様子。私自身、竜王のブログは毎日読んでいたものの、コメント欄はまったく見なくなっていました。竜王の過去の日記のコメントを読み返してみました。不遜・不敬ななコメントは削除されて、普通のコメントばかり残っていたせいもあるのですが、手の意味を聞く質問やここでああすればという意見が多かったです。それにきちんと対応していたのが、負担だったような印象をうけました。

なにはともあれ、名人戦騒動の荒らしもとい嵐も乗り越え、この記事を書いてから二年半以上、竜王よく頑張ったよと思います。まだ、渡辺「竜王」って書けるのもファンとしてはいいですね。いろいろ重しがとれたと思うので竜王にはこれからも健筆を期待します。(2008.10.03)

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2005年5月13日 (金)

将棋の思い出

 小学四年生だったか五年生だったか、新聞社主催の将棋大会に出たことがある。私の小学校の将棋部の主将が毎年優勝しており、私の腕前はその人たちと比べて遜色なかったので、よくはわからないが優勝できるものと考えていた。
 準々決勝を相手の見落としで勝ったぐらいで、私の実力はかなり危ないことを思い知らされていたのだが、準決勝の対戦相手が決まる将棋を見たところ、勝者はとても強くて、私は相手になりそうもない。準決勝の対戦相手であるA君は、佐世保から来た、奨励会を目指している実力者だった。私がとても勝てそうにないよと本人に告げたところ、どう聞き間違えたのか決して負けないと理解したらしく、なにっと目を剥いた。初めから、弱音を吐くような相手など想定外だったのだろう。実際の勝負だが、序盤はなぜか私が優位に指すことが出来た。ところが、そうまぐれが続くはずもなく、中盤が終る頃には逆転されてしまって、あとは手もなくやられてしまった。その後、A君は決勝も鮮やかに勝って優勝を決めた。
 A君はライバルと思ってくれたのか来年も絶対来いよと私に言ってくれたが、私はその後将棋にほとんど身が入らなくなってしまった。その後、二十五六七の頃に将棋に再び凝っていたのだが、もはや将棋の学習能力などなかったのか、棋力は全くといって良い程伸びず、某所にあった将棋道場では四級から二級になった程度だった(そこの三級が新宿の初段ぐらいか)。
 あるとき将棋道場に置いてある将棋新聞を見たところ、A君が福岡のアマチュアの大会に出ていることを知った。プロの夢は叶わなかったのだろう。その後、ちょっとネットで検索してみたところ、A君の兄弟子が同じく佐世保出身の深浦康一八段ということがわかった。深浦八段は、昨期は4勝5敗の成績ながらA級から降級となってしまった。深浦八段もA君も私は蔭ながら応援している。
 本日、名人戦第三局二日目なので記す。
 

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