2006年6月21日 (水)

その後のiPod

 以前、言っていたカフェイン断ちですが、ひと月半ほど前にやめました。眠くって眠くって、コーヒーや紅茶を飲まなければやっていけません。睡眠時間がなかなか確保できません。集中力が足りないのでしょう。

 さて、前に欲しかったiPodですが、これもひと月半ほど前に買いました。また、すってんてんです。外で聴くことより、家の中で聴くことが多いです。主に、洗濯物を干すときと、茶碗を洗うときに、聴いています。それぞれ二十から三十分かかるので、落語を聴くには適しています。Podcastの「お台場寄席」と「ぽっどきゃすていんぐ落語」を聴けるのもよいです。若手が積極的に起用されていて、なかにはいまいちの録音もあるのですが、名人芸でない落語の方が、話芸の特徴を教えてくれる場合もあります。
 なにより、軽くて、首にかけても気にならないので重宝しています。買い物として、成功でした。

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2006年3月17日 (金)

iPod買いたい

 2005.10.13の記事で欲しいと書いたPSPやニンテンドーDSは今でも欲しいのだが、物欲の対象としては、iPodにうつってきている。iPodあるいはiPod nanoが欲しいのである。買っても、時間の都合で遊べそうにないPSPやニンテンドーDSにくらべて、iPodは、より実用的である。
 私はたくさんの落語のCDをもっている。2005.12.18の記事にも書いたが、CDラジカセは曲の早送りができない。だが、iPodはそれができる。落語を寝ながら聴く私にとって、かなり便利な品である。
 飲んで帰る際の電車など、活字を追うのももう億劫なので、落語ぐらいきいて暇をつぶしたい。
 いまは、パソコンにiTuneを入れて、それから音楽ならびに落語を聴いている。パソコンに向かっているときは、気が散るので、落語はほとんど聴かない。音楽がもっぱらだが、家族への配慮もあってヘッドホンを使っているので、ちょっと席を外して、というときに、いちいちヘッドホンを外さねばならない。最初からiPodだったら、そのまま移動できる。

 もはやひと月ほど悩んでいるが、まだ買っていない。まず、私はいま通勤時間がないので、それほど携帯音楽機器を持ち歩く機会がない。次に、私は臆病なので、何か耳で音がしたまま、外を歩けない。自動車の音だとか、自転車の音だとか、周りの音を十分に聞きわけられないまま歩くのが怖い。それに、電車の中でよく音漏れさせながら、聴いている人がいるが、ひごろかなり腹を立てているので、自分が音漏れさせずに聴いているかけっこう気になる。また、酔って物をなくすことが多いので、飲む日には大切なものは持ち歩かないことにしているのだが、iPodも飲んだ日に持ち歩くのは危険である。
 それに三万円ほどの金が簡単に調達できない。

 先日ついにiPod nano4Gを買うぞと決意したのだが、その前日、わざわざ売り切れているだろうことを見越して(欲しいがあると困るのです)、目録受領日から時間をおいて注文していた古書店Sの和本が、無事在庫があったらしく、私の手元にとどいた。21000円と8840円の二冊で29840円也。本当にいりようなのは、8840円の本だったが、21000円の本はもともと零本(不揃い本)で、私の手元にある本とあわせて、完全揃いになるので注文してみたのだった。完全揃いになれば、倍以上の価値がでるわけで、大いに得をしているはずだが、手持ちの金がなくなったので、当分、iPodは見送りである。

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2006年1月23日 (月)

でたらめ長唄鑑賞法

 伝統芸能としての邦楽は、ほとんどの日本人にとってすでに縁遠いものだろうが、外国人にとってはさらにどう鑑賞してよいのかわからないものだろう。過日、韓国・台湾からの留学生と一緒に長唄を聴く機会があったが、日本の古典文学を十分に理解する彼らでも、さすがにつらかったとの感想をもらった。彼らが長唄を聴くのは、私が韓国や台湾の昔の民謡を聴くようなものだろう。単に言葉だけでなく、メロディやリズムを込みで理解するのは難しい。
 しょうがないので、その日の演目のうち「黒髪」の歌詞を指し示し、「カーペーターズの『イエスタディ・ワンスモア』みたいなもんですよ」と、「イエスタディ・ワンスモア」の節を付けて歌ってみた。
 なお「黒髪」の歌詞はつぎの通り、

黒髪の、結ぼほれたる思ひをば、(合いの手)解けて寝た夜の枕こそ、独り寝る夜の仇枕、(合いの手)袖は片敷く夫(つま)ぢゃというて、
(合いの手)
愚痴な女の心を知らんで、しんと更けたる鐘の声、(合いの手)昨夜の夢の今朝覚めて、ゆかし懐かし遣瀬(やるせ)なさ、積もると知らで、積もる白雪。

 長唄だと三味線にあわせて歌って六分ほどかかる。「イエスタディ・ワンスモア」だとあっという間。節は三味線と「イエスタディ・ワンスモア」では全然異なるが、それを生み出した心情は案外似ているのではないかと思っている。
 もっとも、さらに不可解な顔をされて終ったんですけどね。

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2005年12月19日 (月)

BGM

 なにか作業をしているときにBGM(バックグラウンドミュージック)があるのとないのとどちらがよいかというと、なにも音がしない方が集中できる。きわめて創造的な作業、たとえばアイデア出しのときには、音楽はかけない。
 しかし、原稿書きにうつると、音楽をかけるようになる。集中力がおちるのはたしかだが、かけておかないと、筆が止まったときにほかのことに関心がいってしまう。音楽をかけることで、最上ではないがある程度の集中力が一定時間保たれる。
 原稿書きでも、ブログのように、簡単に書きあげられる場合には、BGMはいらない。
 私にとって、BGMとして最適なのはピアノ曲である。誰でもいいのだが、モーツァルトをよく聴いている。それ以外では、坂本龍一の曲が多いだろうか。
 交響曲は音が豊かだが、かえって集中力を妨げるので、BGMとしては不向きである。昔はいろいろ聴いていたが、最近ではMP3化したチャイコフスキーだけになっている。
 歌詞があると、それに聴き入ってしまうのでよくないのだが、ある回数を過ぎると気にならなくなってくる。そういうわけで鬼束ちひろや椎名林檎をBGMとしてよく聴く。椎名林檎は、頭は大して使わないがやらなくてはいけない仕事を眠いときにむかえた場合に聴く。何十回も聴いているはずだが、歌詞は耳を素通りしているので、「丸の内サディスティック」の話が出たときに、歌詞がまったく出てこなかった。
 昔のCDはまだ持っているのだが、聴くとそのころの心情・状態まで思い出されてしまうので、今となっては聴く気がしない曲がある。聴きすぎてきけなくなってしまった曲である。
 

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2005年12月18日 (日)

欲しいオーディオ機器

 欲しいオーディオ機器は、途中再生できるCD再生機である。
 日頃、CDは、パソコンに取り込んだMPファイルを含めて、パソコンから再生しているので、曲の途中から再生することが可能である。
 ところが、普通のCD再生機だと、曲の途中から再生できない。なぜパソコンにできて、CD再生機にできないのか、理屈はよくわからない。
 しかし、これは私にとって大変不便である。
 私は落語のCDを聴きながら寝るのだが、幾晩かたつと、マクラのあたりは何度も聞いているのに、オチは一度として聴いていないという事態が生じる。聴いたところまでは飛ばしたいのに、一曲でCDに焼かれているとそれはできない。
 
 もうひとつは、パソコンなしでHDDがジュークボックスのように音楽をためてくれるコンポである。それから、携帯音楽再生機にデータを移せるなら、欲しいと思っていた。
 最近になって、パナソニックからD-DockというHDDとSDカードで運用する、ミニコンポが出たことがわかった。
 http://d-dock.jp/
 世の中には同じことを考える人がいるもので、よかった。
 とはいえ、金欠はもとより、買ってもうちにおくところもなく、いま音楽はすべてヘッドホンで聴いているようなありさまなので、購入は見送りである。とても残念。

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2005年12月 4日 (日)

ベスト版

 最近解散することになったあるバンドのベスト版を買うことにした。そのバンドのアルバムもシングルも一枚も持っていないが、この際だから買おうと思ったのである。
 アマゾンの販売ページに行くと、売りだしてもいないのに評価が低い(アマゾンの評価は売出す前からつけられる。つけるほうもどうかしていると思うが)。見たところ、そのバンドの曲は全てがいいものだし、ベスト版の選曲がよくなくて抜け落ちているものが多いという意見があった。
 ファン心理で、そのバンドのすべての曲がよいと思うのも無理はあるまい。しかし、そのバンドと他のバンドを比べればすべて優れているといえるのかもしれないが、あるバンドのすべての曲を相互に比較すれば、曲同士にはやはり優劣がある。
 これは、音楽に限らず、小説もそうで、山田風太郎の忍法帖はいずれも優れた本だが、山田風太郎自身がランク付しているように、『魔界転生』や『甲賀忍法帖』などとその他の忍法帖では質が違う。
 文学の世界で全集を買うのは、本当にその作家が好きな人である。あたりまえと思うなかれ。全集を買うことは、その作家の書いたものなら、どんなつまらないものでも読みたい、断簡零墨にいたるまで目を通したいという意志のあらわれである。その作家のつまらなさを受け入れることが全集を買うことである。
 このことは結婚に似ている。相手の良いところだけ見たいのなら、恋人同士の方がよいし、二人で過ごす時間も特別な輝きに満ちているだろう。ところが、結婚すれば相手の細かいアラも見えてくる。いやそうでもいいのだ、一緒にいたいのだという気持ちがなければ結婚できない。
 そういうわけで、ファン心理としてベスト版は邪道だ、すべてのアルバムを買えというのはわかるとしても、他に強要すべきではないと思う。
 映画版Zガンダム第一篇のDVDが売出されたときに、同じくアマゾンの購入者評価で、テレビ版を見ろという意見が少なくなかった。これも、あの暗いZガンダムを50話も見るのがしんどい人が多いから、要約版が作られていることを考慮していない。また、映画版は映画版で、独立した作品として評価する視点を失っている。
 もっとも、クラッシックの抜粋ベスト版のようなものになってくると、判断が難しい。交響曲は、第一楽章から順にその盛り上がりを楽しむべきで、一連の流れの中で聴くのではなく、一部を切り取って聴くのでは、十分に楽しめないという意見は一理ある。
 とはいえ、これも退屈な楽章は除いて、美味しいところだけ味わいたいという心理も十分に理解できる。短いなら楽しめないというのなら、俳句も第二文芸の誹りを免れない。
 そういえば、歌舞伎も近代では通し狂言から見取に上演形態が変わっているわけで、楽をしていいところだけ見たい・聴きたいというのは、普遍的な人間心理といえる。むしろ、全集愛好者、全アルバム収集者よりも自然な心理かもしれない。

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2005年9月25日 (日)

音楽と著作権

 平原綾香のジュピターを初めて聴いたときに、よし買おうとアマゾンのページを開いた。ちょうど、ラグビーW杯が終った直後で、大会のテーマ曲のカバー曲だと思ったからである。すると、カスタマーレビューにこの曲がもともとホルストの「惑星」をもとにしていて、さらにはラグビーW杯に使われた「ワールド・イン・ユニオン」とは別曲という説明があった。また、ホルストは抜粋演奏と編曲の禁止を遺言としたとあっては、なんとなく釈然としない。
 音楽の世界は歌詞の著作権には非常にうるさい癖に、曲内容については、類似をとがめることがほとんどない。ジュピターに限らず、カバー曲が出たのかと思っていたら、いわゆる「パクリ」だったということがよくある。曲の類似についていえば、江戸時代の小説レベルの著作権意識である(つまり、ほとんどないということ)。音符の組み合わせには限界があるので、どうしても似た曲が出てくるというのはしかたないのかもしれないが、私にはそのあたりの感覚がよく理解できない。
 曲同士が似ていることを気にするのは馬鹿らしいのかも知れないが、他人の文章の無断流用は禁止という世界にいちおうは生きているので、残念ながらジュピターは見送りにした。気がつくと妻が携帯の着信音にしている。知らぬが仏である。
 なお、本記事を書くために、アマゾンを調べ直したところ、最初に見た頃は十ぐらいしかなかった、カスタマーレビューが百三十七件になっている。喧々囂々の主張が入り乱れていて、怖いぐらいだ。意見の一つにあったが、法に触れていないのだから、聴きたい人は聴けばよいし、こだわりのある人は聴かなければよいと、私も思う。

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