2007年9月27日 (木)

大統領制にでも

 参議院選挙に勝った自信からか、だれが首相になろうとも民意をうけた首相ではないと民主党は言うが、違うのではないか。
 民意をうけた国会議員が選んだ総理大臣なのだがら、それでいいのではないか。
 はっきりいって、民主党のその発言は、総理大臣を間接選挙で選ぶという現在の政治体制の否定である。
 民主党は、一院制でも、大統領制でも提案すればよい。

 それはともかく、大統領制に日本もすればと思う。そうすれば、大統領選挙候補者の間で、年金の財源は今後どうするのか、外交はどういった政策をとるのか、膨大な額になった国債はどうするのか、消費税はどうなるのか、といった重大にもかかわらずなぜかだれも議論しない政策が、きちんと話し合われるかもしれないと思うからである。

 先日、自民党の総裁選挙があって、福田、麻生の両氏が消費税や福祉財源の問題をとりあげたので、上記の考えを強くした。

 なお、ねじれ国会が問題になるなら、一院制がいいのではないか。現在の衆議院選挙は比例区もあるし、参議院はいらないのでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月10日 (土)

官僚制と腐敗

 中国の多くの王朝にとって、官僚制の腐敗が滅亡の大きな要因となっている。歴史書を読めば、一目瞭然である。官僚制とは、統治に必要だが、間違いなく腐敗する。
 日本が将来衰退したならば、官僚制の腐敗によって衰退したと、歴史教科書に記されるはずである。山川の教科書なら太字である。
 中国の歴史と比べると、現代ではさらに政治家の汚職が加わった。民主的な選挙で選ばれる政治家が、中国の王朝史になかっただけで、もしあれば、政治家の汚職もかならず記されたであろう。
 毀誉褒貶はいろいろあるだろうが、小泉政権が政治汚職と無縁だったので、長期政権を保てたことは、留意されていいはずである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月16日 (土)

総額表示

 近所に、ちゃんとした酒屋があって、何か記念の時には、そこで日本酒を買ったりシャンパンを買ったりする。かつてはよく行って、焼酎を買っていたが、ここ一年ほど飲んでいる場合ではなくなったので、ほとんど行っていない。
 先日、誕生日の記念にヴーヴクリコのホワイトラベル360mlを買った。2900円と値付けされていたが、レジに持って行くと、3045円。この店、いまだに外税表示だよ。表示形式があらたまったときに、現在移行中ですと断り書きがあったのだけど、あれから二年経っても総額表示になっていない。
 総額表示は税の負担感がわからなくなって、増税されやすいと言われているけれども、総額がいくらなのかパッと計算しやすいのは確か。
 この店、消費税分安く思わせておいて、消費者をあざむいているんじゃないの、と勘ぐっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月30日 (日)

Sの霊芝

 小学校の塾から中高一貫の学校まで同級だったSとは仲がよくて、Sのうちには中学生のころからたびたび遊びに行った。Sのうちは、眼鏡橋に近い中島川沿いのマンションだった。今では、長崎もマンションだらけだが、二十年ほど前の長崎ではマンションは比較的珍しかった。
 Sの親は中学校の理科教師をしていた。そのせいか、家で霊芝を栽培していて、家中がプンとキノコ臭かった。
 高校卒業後、そうたたないうちに、Sとは連絡が取れなくなってしまった。引っ越してしまったらしい。黙って引っ越されてしまったのだが、大学一年の頃、まだ高校の同級生たちがよく集まったが、そのときすでにSの行方がみなわからなくなっていた。
 その後、かなり時間が経って、カール・シファキス『詐欺とペテンの大百科』(青土社、1996.3の旧版)を読んで、栽培の道具を売りつけて、それをお金にするという栽培商法を知った。ひょっとしたら、Sの親は霊芝の栽培商法にひっかかっていたのではないかと思い、心配である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月29日 (土)

くたばれ悪徳商法

 世にある悪徳商法。どうしてひっかかってしまうのか、私にはよくわからないのだが、先日、妻の友人のご兄弟がマルチ商法にひっかかって、そのご家族はたいへんなことになった。
 マルチ商法ってなに?、というような、詐欺耐性に低い人には次の本を薦めておく。
 少なくとも、その本に書いてある程度の知識を持っていなければ、現代社会は生きていけない。

大山真人『悪徳商法 -あなたもすでに騙されている』(文春新書、2003.6)
西田公昭『まさか自分が…そんな人ほど騙される -詐欺、悪徳商法、マインド・コントロールの心理学』(日本文芸社、2005.12)

 前者は商法の手口紹介に重きがあり、後者は、つけこまれる人の心理の解説に重きを置いている。

 『くらしの豆知識』(国民生活センター編集・発行。出版は毎年)

 安いし(2006年度版で450円)、多岐に及んでいるし、便利な本。惜しむらくは、政府刊行物常備書店(大型書店はたいていこれに該当する)を除いて書店売りしていないこと。
 政府刊行物サービス・センター又は政府刊行物サービス・ステーション、政府刊行物常備書店で買うか、(社)全国消費生活相談員協会(販売委託先)の窓口で直接購入する。か、(社)全国消費生活相談員協会(販売委託先)に電話・FAXまたはハガキで注文するかしなければならない。(下記のホームページに連絡先が載っている)

ホームページでは、

国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/ncac_index.html

が、消費や生活のトラブルへの対策を示しており、

悪徳商法マニアックス
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/

が、代表的な悪徳商法とその手口を紹介している。
参考になる。

また、
カール・シファキスの新装版『詐欺とペテンの大百科』(鶴田文訳、青土社、2001.9)が、古典的な詐欺術を網羅している。現代ではより巧妙な手口が広まっているが、詐欺の基本原理は単純なものが多く、『詐欺とペテンの大百科』が紹介する手口を知っておけば、かなりの数の詐欺に対処できるはずである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

矯正可能かどうかなど

 昨年十一月に不法入国ペルー人に小学生の女の子が強姦のうえ殺害された事件で、広島地裁は、犯行は計画的でないので、矯正の余地があると無期懲役。遺族は無念。私も心が痛む。
 矯正可能かどうかなど、どうでもいいのじゃないか。罪に対して相応の罰を受けるかが、裁判に期待されていることではないのか。
 矯正うんぬんを大事にするなら、今後すべての犯罪者は自動的に懲役刑。矯正が成った時点で放免とすればよい。裁判官は一人もいらない。
 裁判員制度が始まれば、私の感覚が多数派か少数派か、わかるだろう。開始が待ち遠しい。

補記:そもそも有罪か無罪か決めねばならないので、裁判官や裁判員はなくならないのは確かだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 8日 (木)

路上駐車

 さいきん、大阪に興味をもっている。ちょうど、大谷晃一『大阪学』(新潮文庫、1997.1。初出は経営書院、1994.1)という本があったので、手にとった。手元にある本は、2003年で29刷を数えているので、よく売れている部類だろう。
 全十二章のうち、冒頭の一章が「不法駐車」である。大谷は駐車違反は善悪ではなく、罰金との損得の問題とする。15頁で、駐車違反の摘発を商業化するしかないと大谷は述べるが、それに対してみないい案だと感心するが、実現の可能性があるという人はひとりもいないとする。
 ところが、今年の六月一日から、不法駐車取り締まりが民間委託されて、大谷の案が現実のものとなった。もっとも、英国や韓国など海外で民間委託がされているのに、習ったのだろうが、画期的である。
 私は公務員の家に育ったせいか、法を守ることと罰金を天秤にかけるような真似には我慢できない。「悪法も法なり」である。大阪経済の地盤沈下は、長期にわたって続いているが、あんな路上駐車をしている連中のいるところが発展するわけがないと思っていた。
 とはいえ、今回の道路交通法の改正が、郵政公社の車両を除く、貨物運搬用の車両も同様の規制なので、やや厳しいとは思う。だが、抜け穴がでないようにやるとそうなるのだろう。
 そのうち、お目こぼしもあるようになって、商業活動に支障がない程度の取り締まりになるのではないかと思っている。
 なお、私の今住んでいるところは田舎だが、駅に近いので、民間監視員の取り締まり重点地域に入っている。民間監視員がまわっているのを一度だけ見たことがあるが、ちゃんと仕事をしているのか、六月一日より路上駐車が激減している。私にとっては、気持ちのいい出来事である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月12日 (水)

新聞宅配制度

 永田寿康衆議院議員のお詫び広告が載るので、この前代未聞の珍事を確認したく、去る三月十五日はコンビニまで行き産経新聞を買った。広告はさておき、新聞の特殊指定見直しに、新聞が反対しているのが目にとまった。
 新聞の販売拡張員がとても嫌いなので、私は新聞を定期購読していない。新聞など、ないならないで困りはしない。時間が余っている人ならともかく、私は時間がかつかつなので、ときおり新聞を買うと、読むのがもどかしい。
 山本夏彦『最後の波の音』(新潮文庫、2006.3)の「老人語」(「諸君!」平成12・5初出)をこう締めくくっている。

新聞には前途がない。宅配するからとっているだけである。三千何百円は金じゃない。宅配を死守するのはこんなわけで、読者のためでなく自分のためである。その宅配が近くできなくなる、そのとき新聞は誰も読んでないことに気がつく、倒産した大会社の社員がつぶれる日まで知らないで、寝耳に水だと狼狽していると新聞は常に書くが、今度は自分が言う番である。

 三月十五日付の産経新聞二十八面では、

日本新聞協会が昨年六月に行った調査では、宅配制度について、「ぜひ続けてほしい」と答えた人が72.6%、「できれば続けてほしい」と答えた人が14.2%で、宅配制度に対する国民の支持は圧倒的といってよい。

と宅配制度が支持されているとする。何%が無回答かは書いていないが、裏を返せば、13%の人は、宅配便制度がなければ惰性で新聞を読むのをやめると言っている。「できれば続けてほしい」は、なくなったらそれでかまわないのだから、潜在的に、三割の人は新聞がいらない。
 実際に宅配制度がなくなった場合に、反対していたけれど、なくても平気だったということも十分ありうる。こういった事前アンケートが現実の結果に必ずしも則さないことは、統計学では常識なのに、新聞がそれをふりかざしているのは欺瞞である。
 新聞が活字文化をささえてきた、新聞が日本人の教養を高めているという自負はあるのだろうが、それは傲慢である。もっとためになる本は世の中にいっぱいある。ニュースなら共同通信社配信だけで、困らない。今の新聞について、少なくとも、嘘を書くのをやめたらと思う。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年1月 8日 (日)

裁判員制度

 平成21年5月28日までに裁判員制度がはじまる。人を殺したり、女性に暴行したり凶悪の限りを尽したにもかかわらず、無期懲役で済んで、軽いもんだねとニュースを聞きながら思っていると、被告は上告しているとアナウンサーが続けて読んで、すごく腹が立つことが最近多い。裁判をオレにやらせろ、必ず死刑にしてやると、この裁判員制度に私はやる気満々である。
 ただ、殺人事件などは簡単に審理できそうだが、今回の耐震偽造事件などでは、責任の所在が難しく、どう判決を下せばよいのか、頼まれもしないのに裁判員になったつもりで、早くも頭を悩ましていた。
 今回の記事を書くにあたって裁判員制度に関するホームページを見たのだが、対象となる刑事事件は、
http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/event.html
によると、凶悪犯罪ばかりである。その頁の下位分類の「罪名別の事件数」でも凶悪犯罪ばかり。そうか、難しいことは考えずにすむのだなと、ひと安心し、よしやるぞと気合いを入れ直す。
 その一方で、裁判員制度とは、凶悪犯罪への懲罰を重くし、かつ判決が早く出るようにしたいのだけど、自分たち裁判官はやりきれないので、「民意」にまかせましょという制度の気がしないでもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月14日 (水)

東京新聞だから?

 九月十二日の記事の中で、私が買ってきた新聞は東京新聞(埼玉版11版朝刊)である。新聞の内容を紹介せずに、インテリというのは、と決めつけるのも不公平なので、記事をいくつか紹介しておく。

 まず、「筆洗」(朝日の天声人語にあたる)の抜粋(途中から末尾まで)、

間宮陽介京大大学院教授は、ニートと呼ばれる無業の若者が増えたように、私的領域に閉じこもり、脱政治化していた人々が、メディアを介して「強い首相」と結ばれ、特異な形で過度に政治化する可能性を指摘していた。まるで扇形に配置された独房と、要の位置にいる監視人の関係のように(『世界』十月号)▼今回、小泉支持に向かった都市の無党派層は、首相に郵政以外にも現状を打破する「毅然(きぜん)とした強い指導者」を求めていくのだろうか。そこに独裁政治の危険をみるのは考え過ぎか。

末尾が私の嫌いな反語文で終る、典型的な天声人語調の文章である。間宮陽介の独房と監視人の比喩は、フーコーのパノプティコンからの発想だろう。もってまわった言い回しだが、小泉支持の無党派層は、ニート同様で監視人に見張られている囚人で、そういった連中によって独裁政治が起きそうですよと言いたいようだ。

社説の抜粋だが

■衆愚政治に陥る危うさ
 私たちはこの選挙戦を通じて、争点は郵政のみではなく、社会保障や少子化、危機にひんする財政の立て直し、八方ふさがりの日本外交、イラクの自衛隊や、小泉氏ご執心の靖国参拝問題も、論じられてしかるべきだ、と再三強調した。
 郵政一本の選挙では任期四年の国民代表を選ぶにふさわしくない。郵政民営化法が近々成立することになれば、残る課題の処理が政権与党に白紙委任された形になってしまう、と考えるからである。
 野党も、民主党が年金と子育て、共産党や社民党は大増税反対、憲法を争点に提起した。政治に責任を負う政党なら当然のことだろう。
 首相はそうした批判に耳を貸さなかった。ひたすら「(郵政法案を廃案にした)国会の結論を国民の声で変えたいと思って、衆院の解散に踏み切った」と言い張るだけで。
 民営化に賛成か、反対か、それだけを問う選挙戦術の背後に、長々と説明を要する政策論は、どうせ国民が嫌う、わかりやすければいい、という思い上がりがあったなら、それは衆愚政治の批判を免れない。
 重ねて強調しておく。今回総選挙で小泉自民党を勝たせた有権者は、内政・外交のすべてを白紙委任したわけではけっしてない。くれぐれも誤解しないでもらいたい。
 首相は下旬に召集の特別国会に郵政民営化法案を再提出し、示された民意を力に成立させるという。
 首相の言を信じれば残る党総裁任期は一年である。その間に何をするか、明らかにする義務がある。勝手に突っ走られては迷惑だ。
 郵政に陰に陽に利害の絡む団体は、首相の言う通り、政界に一定の影響力を持ってきた。
 が、圧力団体は郵政だけではない。農林水産、建設、金融機関…。政治を自分たちに都合よく振り回してきたといえば、この国の官僚機構こそ筆頭だろう。首相に問う。この改革は、後継総裁にお任せなのか。

 と、どこかの水戸黄門、有権者を代表して釘を刺してくださっしゃる。
 小泉支持層は馬鹿だとか、乃公こそ世間のご意見番といった姿勢が見え隠れするので、インテリというのはやっぱりそうかと、苦笑してしまうが、「筆洗」と社説の内容は、きつい言い回しとはいえ、ひとつの見識を述べていると思う。私は何も批判をするなと言っているわけではない。

オモロいのは、十四面にある「有識者」らのコメントで、

「精神科医の野田正彰さんの話」は「社会が思考停止に」という題で、

社会、政治などのシステムが閉塞する中、自らも閉塞感を抱えた市民が二者択一の分かりやすい問いかけに応えた。バブル経済がはじけた後、経済に特化して頑張ってきた社会は思考停止に陥っている。無力感を抱く市民の思考停止と、アジアと新しい関係を築くことなく米国について行こうとする思考停止の小泉流が共鳴したのだろう。一島国に限定された歌舞伎の花道で小泉首相が見えを切り、国民が掛け声を掛けたような閉塞した選挙だ。

 いやあ、この先生は仕事が忙しくて寝不足なのか、選挙のことは忘れて日曜だからゴルフに行って酒飲んで帰ってきたら、コメント急に受けて、変なこといっちゃったよといった事態なのだろう。市民は思考停止と言い切れる野田先生。日頃、病院に来る人だけを見て、「市民」とは思考能力に障害を抱えているとお思いなんでしょう。ご苦労さま。
 ふるっているのは、歌舞伎の話で、「見え」じゃなくて「見得」というのはまあよいとして、「一島国に限定された」とはなぜ文章に書く必要があるのか。まさか、一国でしかなされない演劇は無価値と思っているわけではあるまい。複数の国で演じられるかどうかは、その芝居に価値があるかとかならずしも一致しない。それになぜ花道。本舞台での見得をする(もともと、するが正しい。切るがいまでは優勢だが)方がはるかに多い。
 歌舞伎役者が見得をして、それに見物が掛け声を掛けることがなぜ閉塞のたとえになるのか。歌舞伎を観たことがあるのだろうか。何をおっしゃるいつも一等で観ています、というのならかえって哀れだが。

「作家吉武輝子さんの話」は「若者がついて行き」で

郵政民営化に反対する政治家に「刺客」を立て、反対意見は一切認めないという小泉首相のファシズム的な手法が認められたことは、言論統制への第一歩だ。刺客に何の批判もしなかったメディアの論調が、アナウンス効果に乗りやすい若い層に影響を与えた結果だと思う。行きつく先が「崖」かもしれないのに、若者は先行きが見えず、笛吹きがうまい人に黙って付いていく雰囲気がある。平和憲法改正への動きが進むのではないか。

 と、良くも悪くも作家の文章。ケレンたっぷり。
 「ファシズム的な手法が認められたことは、言論統制への第一歩だ。」は、「ファシズム的な手法を有権者が許容するなら、政府だって言論統制できるようになりますよ」ということなのだろうが、すごい飛躍。そもそも対立候補を立てるのが「ファシズム的な手法」だとは恐れ入った。
 若い層は馬鹿で、メディアに乗せられているというのも、短絡的すぎ。私が投票所に行ったら、お年寄りばかりだった。投票所の映像もお年寄りが中心だったが、吉武は本当に投票に行っているのか。吉武は得票総数に占める、二十代の票(三十代前半まで含めたとしても)の割合を過大評価しすぎである。
 笛吹きがうまい人のたとえは、ハーメルンの笛吹男からだろうが、もともとあれは子どもが連れて行かれたお話である。それは、若者に当てはめてしまうのは、吉武が若者を子ども並に思っている証しである。こういう人は、若者が選挙に行かなければ行かなかったで、政治的アパシーとか批難するのだろうが。
 とどめは、「平和憲法改正への動きが進むのではないか。」でここまでくると、もうご勝手にとしか言いようがない。

 野田正彰と吉武輝子にせよ、「市民」「若者」の判断力を疑っており、正しい政治判断があるのに、ある有権者は愚かなのでそれが選択できないと考えているわけである。九月四日記事にも書いたが、政治は正しいか正しくないかではなく、利益になるかならないかで決まると、私は考えているので、野田や吉武の意見はインテリの傲慢としか感じない。

 東京新聞は駅売店で百円と安いので買ったのだが、今後は買うのをやめる。東京に出て、買物のコツは、もっとも安い値段の品は買わないことと覚えたのだが、新聞にもあてはまるようだ。
 もっとも、新聞とは読者の読みたい内容を書くものである。朝日新聞は朝日新聞らしい内容を楽しみにする読者のためにあり、産経新聞は産経新聞らしい言説を楽しみにする読者のためにある。東京新聞がどういった新聞か知らなかったが、社説を読む限り、私に心地よいことが書いている新聞ではなさそうである。

補記1:書いたあとに読み返して、こんな文章を書いたことを後悔したのですが、結局載せることにしました。今後つまらない言説にうてあわない(長崎の方言でかまわない)ように、反省の材料としておきます。見ていて自己嫌悪に陥るようなら、削除するかも知れません。あしからず。
 政治ネタもこのくらいにしましょうかね。

補記2:九月十二日記事と関連します。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧