2008年6月27日 (金)

いまさらながらNHK朝ドラ「ちりとてん」

 いまさらながらNHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の話。朝ドラは普段見ないのだが、咄家が主人公になるというので、HDDレコーダーを駆使しつつ、全話見た。
 正直なところをいうと、最初の一ヶ月が特にそうだったが、見るのをやめようかと思うことが何度かあった。

 主人公の女の子に魅力がないのである。主人公の女の子は自分勝手にやりたいようにやって、親兄弟に友人(とくにこのふたつ)、師匠、兄弟子ら周りの人間に多大な迷惑をかけているにもかかわらず、自分のことしか頭に回らず、しかも自分こそがいつも被害者という態度で反省のへったくれもないのである。

 主演の貫地谷しほりが最初のころ、トリックとかの仲間由紀恵のコピーっぽい演技をよくしていたのもうんざりだった。とはいえ、主演の貫地谷しほりは当初慣れない関西弁の演技に苦労していたという。演技は本人より演出家の責任が重いし、美人がギャグ風の演技をすると、みんな似た感じになってしまうのかもしれない。

 主役の女の子が、高校の先生が勧める地元の短大の日本文学科への進学を断り、「(良妻賢母の道を歩んだ)おかあちゃんみたいになりたくないんや」と啖呵を切って、大阪に出たのには笑った。地方短大の国文科がどう思われているか、はっきり描かれているからである。

 一番うんざりだったのは、そのダメダメな主人公の性格がけっこう自分にも当てはまったことである。私もそういや、人をねたんだりうらやんだり、人に迷惑をかけてもちっとも気づかなかったりするなあと、身につまされた。
 

 なんとか最後まで見通したのは、落語を下敷きにした筋立てが巧みだったこと。徒然亭草若の四人の弟子をはじめ、落語的な登場人物たちに魅力があったこと。渡瀬恒彦、和久井映美、松重豊、江波杏子、米倉斉加年ら、役者がすべて実力者ぞろいで、その演技で充分楽しむことができたからである。
 視聴率は十五%程度で、朝ドラとしては低視聴率だったらしいが、ずっと見ていた人はけっこう満足したのではないだろうか。

 ダメダメだった主人公も最後の三週ほどで、妙に物わかりがよくなり(人間的な成長があったということなのだが)、今まで友人に迷惑をかけていたことを悟り、母親にもきちんと謝りと、見ている人にカタルシスを与えるような展開になった。いらついて、途中で見るのをやめてなくてよかったと思ったが、少々ひっぱりすぎだったかもしれない。

 それにしても、一日十五分とはいえ、月曜から土曜まで、一週間で一時間半。ドラマを見る人は気長だなと感心。

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2007年4月20日 (金)

許し合える世界

 子どものいいところは、いやなことがあってもすぐに忘れることである。喧嘩をしてもすぐに仲直りをする。

 大人の世界はそうではない。『史記』を読めばよくわかるが、人はうけた侮りや屈辱を決して忘れず、おもてには出さなくても、仇をかえす機会をひそかに狙っているのが普通である。

 アニメは子どもの世界観を反映するので、登場人物同士が喧嘩をしてもすぐに仲直りするようになっていた。

 NHKが放送した『アニメ三銃士』の大ボスのリシュリー卿は「うらぎり者は二度うらぎる」が口癖で、うらぎり者を許さなかったが、これが大人の論理である。

 『戦闘メカ ザブングル』では、中心人物のひとりであるラグ・ウラロは、主人公のジロン・アモスへの嫉妬から敵にまわって、元の仲間たちを窮地におとしいれる。大人の世界なら、裏切りはぜったい許さんということになるのだが、のちにラグの改心は受け入れられ、また仲間に戻ることができる。

 ザブングルはそういった点でリアルではない、ユルいという批判もあるが、そもそも絶対的な悪人を作らないことを含めて、ザブングルの許し合える世界は、気持ちがよい。ザブングルの終わりの歌「乾いた大地」は「もしも友と呼べるなら 許してほしいあやまちを」で始まるが、ザブングルの許し合える世界をよくあらわした好曲である。

 子ども同士の許し合えるザブングルの世界に比べて、Zガンダムは許し合えない世界を描いて苛烈である。Zガンダムのレコア・ロンドは、仲間から満たされないので、なんとなくそれまでの味方から離れて、敵側についてしまう。これは、ザブングルのラグと変わらないふるまいだが、ラグが戻ることができるのにレコアは戻ることはない。また、気分にもとづいたあやふやなうらぎりのせいで、レコアは、「欲求不満女」と、Zガンダムできわめて評価が低い。

 子どものラグと大人のレコアという差はあって、まあ大人だからね、と結論づけることもできるのだが、ザブングルだったらねぇと、レコアの不幸を不憫に思うのである。

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2007年2月12日 (月)

テレビの向き不向き

 テレビは、情報を伝えるのに向き不向きがある。いちいち、ニュースを見るよりも、新聞(などの活字情報)を読んだ方が早い。同じ時間なら、音声で伝えられる情報量よりも、字を読んで手に入れられる情報量のほうが多い。

 テレビが活字よりも優れているのは、絵を出せること。百聞は一見にしかずというが、見なければわからないことは、テレビでないと伝えられない。

 テレビで現在人気があるのは、役に立つ情報を伝える番組がそうだ。『伊東家の食卓』もそうだし、『ためしてガッテン』、最近問題になった『発掘あるある大事典』などがそれにあたる。

 正直、テレビで教養・知識を得ようとは思わない。テレビが伝えることを鵜呑みにすることは、ネットで検索した情報をそのまま信じる以上に愚かなことである。何にせよ、詳しく知りたいことがあれば、図書館に行って数冊の本を借りる方がましである。
 『世界不思議発見』は、何回見ようがその国について詳しくならないのではないか。

 インチキダイエット番組より、害があると私が思っているのは、歴史番組。時代劇は稗史であり、良識のある人なら、しょせん作り事だとわかってくれる(だろう。たとえおしんが可哀想だからとNHKに米を送る人がいても)。嘘ばかりの歴史啓蒙番組は、そのタイトルを聞くだけでぞっとする。にせのダイエット情報を流す番組は打ち切りになる。だが、どうみても無茶な内容の歴史を伝える番組を制作しても、何のお咎めもないのだからいい気なものである。
 

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2007年2月 5日 (月)

ローマ物の映画

 年始に民放の深夜放送で『ジュリアスシーザー』と『スパルタカス』が流れた。ローマ人の物語に関心を持っていたので、録画して、早送りで見る。字幕なのはありがたい。

 思うに、シーザーの遭難とは、西欧人にとってなにか特殊な感慨がある場面なのだろう。日本人にとっての本能寺の変のようなものかと思うが、シーザー暗殺は、共和制か独裁か、その狭間における共和制主義者のテロリズムを扱っているので、イデオロギー闘争の面が強い。スターウォーズにも、ローマ史の影響はありありと出ている。

 『スパルタカス』がキューブリックなのは初めて知った。アメリカの奴隷制とその解放が反映された映画になっている。
 歴史を語ることは、政治観を語ることであって、映画もそれから免れえないのか。

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2007年1月21日 (日)

ビデオあれこれ

 ビデオがない時代には、子ども向きの番組で細かくストーリーがつながっていくものは作れなかったはずである。
 戦隊ものなら、最初と真ん中(必殺技が効かなくなる。誰かが死ぬなど)と最後、以外は敵が出てきてそれを倒すというワンパターンである。
 子どもも忙しくいつもテレビの前に座れるとは限らないのだから当然である。
 Zガンダムのように、細かいストーリーがあって、しかも途中で敵味方が入れ替わったりしていると、見ない回が何度かあればあっという間にわけがわからなくなってしまう。
 そのころに比べると、テレビを見る方もなんとか録画媒体を使って見るだろうからと、作る方も凝ったことができるようになったのではないか。

 HDDレコーダーのように、どんな長さの番組でもきれいに録画しておいてくれる機械ができたのはありがたい。何時にどのテレビを見なくてはと、テレビにしばられる生活は不健康である。

 ちなみに私が最初にビデオデッキを購入したのは1993年になってから。質流れの中古家電を購入した。さっそくレンタルビデオ屋にいってビデオを借りた。AVは当然(?)借りたが、誰のを借りたのか記憶がない。AVといっしょにアラモを借りた。これははっきりと覚えている。同じ金額で借りるなら、長いビデオじゃないと損だと思ったからである。

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2006年11月 8日 (水)

CMバックボタン

 パナソニックのHDDレコーダー(DMR-EH73V)をここ一年ほど愛用している。HDD録画の再生はVHSに比べて劣化しないのがよい。

 正午と午後七時のNHKニュースはいつも録画していて、暇なときに早廻しで見ている。クローズアップ現代も録画していて、興味がある回を1.3倍再生で見る。

 NHK『日本の話芸』や『日曜美術館』『NHK杯将棋トーナメント』は毎週予約になっている。

 唯一、なんとかならないのかと思うのは、本体正面右よりにある、簡単ダビングボタン(正式名称は知らん)をぐるりととりかこんでいる青いランプ。まぶしすぎる。マジックで黒く塗りつぶしてやろうかといくどとなく思った。

 HDDレコーダーを使うと、CMは見る機会がない。CMスキップボタンがリモコンについているので、すっとばしてしまう。

 冒頭の一瞬で面白そうだなと思うCMもあるわけだが、惰性で押しているので、あとの祭りである。戻ってみるためには巻き戻しをせねばならず面倒である。

 そこで、CMバックボタンがあればと思う。ついていれば、面白そうなCMだけでも見てもらえるはずである。

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2006年11月 4日 (土)

PSPで動画

 「携帯動画変換君」を使ってもよかったのだが、ユーリードのVideoStudio9が使いやすかったので3500円ほどの、VideoToolBox2forMemorystickをダウンロード購入。Uの結婚式の動画をMPEG4に変換して、PSPで見られるようにいろいろと試す。

 ファイルが認識されず、ファームウェアのVer.を上げたりいろいろしてみるがダメ。ネットで調べてみると、私が買ってきた雑誌に誤りがあったようで、ネットの情報通りにファイルネームをつけてみると読み込む。
 これだけでかなりの時間がかかった。

 VideoToolBox2forMemorystickのいいところは、まず、複数のWMVファイルやJPEGファイルを合体させて、MPEG4ファイルにできるところ。でも、あまり使うことがないかな。
 もうひとつは、DVDから読み込んでそのままMPEG4ファイルにできるところ。リッピング用のソフトをかませなくてよい(プロテクトのかかっていないものに限るが)。

 ためしに、NHK「日本の話芸」から三遊亭楽太郎の「紀州」30分をMPEG4ファイルに変換してみるが、おそろしく時間がかかる(30分ほどか)。

 で、これからが大事なことだが、動画と音声とがほんのこころもちずれている。しゃべる口と言葉があっていないのだ。先日、Uの結婚式のためにスライドをDVD-Video形式で作ったのだが、これも再生機では微妙にずれていた。それの音はBGMだけだからたいして気にならなかったが、落語だとかなり気持ち悪い。

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2006年10月30日 (月)

一年間で

 快楽亭ブラックは一年間で365本の映画を観るノルマを己に課したらしい。

 蓮實重彦は、映画関係の授業をとった学生に、一年間で50本以上の映画をみなさいと言ったらしい(映画館でという条件付だったか)。

 一年間に50本の映画なら、一週間に一本である。私は90年代前半に池袋に住んでいたこともあって、それなりに映画を観ていた。それでも五十本には及ばなかったのではないか。

 演劇に関わっていたころは、一年間で三十本ほどの芝居を観ていた(劇場バイトで観たものは除く)。学生劇団同士のつきあいで観た、たいしたこともない小劇場芝居も多く含まれているので、そう質的にも金銭的も、すごい行為ではない。
 だが、映画に比べて、芝居を観るのは五割増しで疲れる。

 今でも映画・音楽雑誌に記事を書いている知り合いの演劇人Mさんは、一年間で五十本ほどの芝居を観ていた。Mさんのすごいところは、Mさんが観に行った劇団は、一二年の内にかならず人気が出たことである。これから来る、という嗅覚がすごかったのだ。
 いろんな分野で、この人が読んだ、観たなら、私も読もう、観ようという人がいる。Mさんは、芝居にかんして、私が第一に信用していた人である。

 一年間で何本とか何冊とかいう縛りは不健康なのではないかと最近思う。観たい時に、観たい映画をみて、読みたい時に読みたい本を読む、というのが、感性の錬磨、知識の吸収に向いている気がする。

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2006年10月25日 (水)

快楽亭ブラックの映画評

 快楽亭ブラックが雑誌にもっていた映画欄が次々に打ちきりになっている。『TV Taro』の映画欄が楽しみで、真っ先に読んでいたので残念である。
 
 快楽亭はブログ(http://kairakuteiblack.blog19.fc2.com/)で、

何よりショックなのは、もうあっしの映画評が望まれていないということだ。
(2006.9.20)

と述べる。
 たしかに、辛口だし、趣味が名画系(古い邦画)に偏っている。一般的な映画の観客とは趣味が違うのは事実である。

 が、打ち切りの理由は別のところにあるのではないかと疑っている。

 快楽亭ブラックは『放送禁止落語大全』(洋泉社、2006.4)を上梓しているように、非常に攻撃的な、普通のメディアでは尻込みするような題材を高座にかけている。

 以前は、快楽亭ブラックが何をやっているのかよくわからないまま、映画に詳しい人としてライターに採用されていた。それが、快楽亭ブラックが借金騒動以降、積極的に本やCDを出すに及んで、落語家としての実態が依頼主側にわかってしまったのだろう。

 快楽亭ブラックの高座は右翼の恫喝の的になりかねない。快楽亭ブラックを脅してもお金は出てこないだろう。だが、記事の依頼主はそうではない。あんなやつを雇ってどういう了簡だと因縁をつけられかねない。
 借金を返そうと、積極的に打って出たのが裏目に出た。臭いものには蓋の尻尾切りにあったのではないか。

 原稿収入が減って、快楽亭ブラックは今後ますます苦しい生活を送らねばならない。
 私に出来ることは、高座を聴きに行くかCDを買うぐらいだが、前者は田舎暮らしと育児で厳しい。せめてものことと、新宿のテイトムセンに寄るときは、CDがないか確認することにしよう。

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2006年5月13日 (土)

鈴木敏夫 プロフェッショナル その二

 前日の続き。

 二点目は、企画がはじまる最初に、自分の考えを紙に書いてしまっておく。人と意見をまじえて、いろいろと迷ったときに、その紙を取り出して見るという点である。それに対して、女性キャスターが最初から答えが決まっているということですか、と言った。ちなみに、韓国からの留学生で日本のアニメや漫画が好きな人にこの話をしたところ、同じ反応をされた。
 違うのである。最初に自分が何を考えたか、何をやろうと思ったか、というのは、実際に仕事を進めていくと、わからなくなってくる。そのときに、最初に書いた紙を見れば、自分が何のつもりでその仕事を始めたのか思い出せる。
 論文をはじめ、少し長めの文章を書くときには、あらかじめ要約を作るように私はしている。論文のミニチュアを作って、それを大きくして肉付けする。そうすれば、書きやすい。資料を操作したり、新たに資料を読み進めるなどして、こまごまとした細部を書いていると、自分がいったい何をやりたいのか、何をやろうとしているのかを忘れてしまう。そこで、要約の出番である。
 もちろん、完成した論文は、要約を単に引き延ばしただけのものでない場合がほとんどである。何か付け足したり、修正したりしている。さらに、投稿のため、要約を付さねばならない場合、最初に作った要約はまったく使えず、新たに書き下ろさねばならない。論文完成後の要約は、まんべんなく内容をかいつまんでいるが、最初の要約は、重要なところだけが書かれているからである。
 鈴木敏夫がやろうとしていることは、かなり納得のいくことだった。

 余勢を駆って、鈴木敏夫の『映画道楽』を買う。第二部映画製作編が、『水滸伝』のようにおもしろい。その他、さらに感じるところもあったのだが、それはまた別の機会に。

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