2007年5月14日 (月)

人間は醜い

 むかし、大学院の学科旅行で写真を撮っていたとき、人がなるべく写らないように撮っていたら、どうしてそうするの、と源氏物語を専攻する同級生のKくんに質問された。
 人間が写ると醜いから、と答えると、Kくんはそうなのか、人間は醜いのかとやけに感心したようすだった。いやいや、そういう一般論の問題じゃないんだけどね、ととりなしたのだが、Kくんはそうかそうかとうなずいたきりだった。
 Kくんは修士を二年で出て、出身地に戻って高校の先生になった。善人だったので、きっとよい先生になっただろう。

 このようにむかしは観光旅行での写真に人が写っているのがいやで、できるだけ写りこまないようにしていたのだが、さいきんでは、人が写っていないと、なんだか旅行の写真じゃないようで、かまわず撮っている。
 そういう考えになったので、記念写真をとろうとしている人のために、わざわざどいてやろうともしない(さすがに撮る瞬間のカメラの前を横切りはしないが)。人がいる方が、味が出ていいでしょと思っている。

 また、ごくちかごろ、なんと同じ場面の写真を二枚撮ると、写真を合成して、観光客がいないようにできるサイトが海外にできたことを知った(ImpressWatchかITmediaのコラムで)。肖像権にひっかからないように、写真をアップできるようにするためらしい。
 そのサイトをつかえば、どの写真もウジェーヌ・アジェの写真のようになってしまうのか、一度は試してみたくはある(が、URLやサイト名がよくわからなくてできない)。

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2007年5月13日 (日)

つばめ

 私が住んでいた長崎のとある田舎町にも、昔はつばめがよく飛んでおり、街中のK書店の軒などに巣を作っていた。もともとつばめは人家の軒先に巣を作るものだが、その近所の田んぼが減ったせいか、ついぞ見なくなってしまった。

 先日、某温泉に行ったところ、川沿いの廃墟となったホテルのひさしにつばめがたくさん巣を作っていた。朝夕とつばめがとびまわり、ひさしぶりにたくさんのつばめを見た。
 ちなみに、つばめが低く飛ぶと翌日は雨。よく言われていることだが、本当である。

 なお、大都会にもつばめはいる。新宿紀伊國屋書店の裏の搬入口にはつばめの巣があったと思う。興味のある方は御覧あれ。

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2007年2月 1日 (木)

江戸城天守閣の再建を

 江戸東京博物館のバーチャルシアターを見ながら、東京都が観光のために江戸城の天守閣を再現しましょうなどと言い出さないのはいいことだと思った。
 明暦の大火(1657)で天守閣が焼失していらい、江戸時代のほとんど間、天守閣がなかったのだから、なくて当然である。

 しかし、天守閣など全然なかった墨俣城のあとに、三層の天守閣を模してつくった歴史資料館が造られている世の中である。
 天守閣の存在が疑わしいのに天守閣を再現したものを、模擬天守というらしく、ウィキペディア(2007.1.20)には、三十四の模擬天守が紹介されている。
 土木大好きの鈴木俊一都知事とかが、江戸城にも天守閣をと言い出さなかったのは幸運である。宮内庁の管轄なので、江戸城を観光資源にしようという試みがないのだろうが。

 とはいえ、いま、日本橋のうえの高速道路を、おそろしいほどの金額をかけて地面に埋めようとしている。そんな金があれば、江戸城の天守閣が再建できるのではないか。おなじ無駄金なら、江戸城天守閣の再建のほうが、夢があろう。

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2007年1月11日 (木)

日本のワーテルロー

 今年の大河ドラマは山本勘助を主人公にした『風林火山』だという。講談では、山本勘助は第四次川中島合戦で討ち死にしたことになっている。
 第四次川中島合戦は、武田側が軍勢を二手にわけ、一隊に上杉側が立てこもる妻女山に夜襲を掛けさせ、驚いて上杉側が平地に出てきたところを残る一隊で攻撃する計画を立てた「啄木鳥戦法」が有名である。

 上杉側は夜襲を見破り、あらかじめ平地で武田側を待受け、夜明けとともに猛攻をかけた。「啄木鳥戦法」は完全に空回りし、献策した山本勘助は責任をとって、上杉側に突入して戦死する。

 川中島合戦は史料が少なくて、歴史学者に言わせればわからないことばかりだそうである。

 私はそもそも「啄木鳥戦法」は成り立つのか疑問に思っている。上杉側は山に陣地を組んでいるのだから、攻撃された場合に、陣地に踏みとどまって戦うのがあたりまえだろう。山から平地に下りる場合に、隊伍をみださず降りられるとは思えないので、平地に降りる時点で負け戦である。必死に踏みとどまって戦うだろうし、防御側が有利だろうから、武田の妻女山攻撃隊12000人と上杉側13000人が戦えば、陣地にいたまま撃退できるはずである。

 朝になって、山の上から武田側が二手になっていることがわかれば、陣地から出て手前にいる武田側の攻撃隊の撃滅にかかったはずである。

 全兵力でも攻略不可能としか思えない上杉側陣地への攻撃を、兵力を分けてしかも夜に武田側が行っていることが信じられないのである。

 話はかわるが、第四次川中島合戦を日本のワーテルローと説明している人があって、感心した。

 ワーテルロー会戦は、エルバ島を脱出したナポレオン率いるフランス軍と、連合軍(イギリス・オランダ軍とプロイセン軍)との一大決戦のことである。

 戦いの前半はフランス軍がイギリス・オランダ軍を攻撃し、イギリス・オランダ軍がひたすら耐える展開が続く。イギリス・オランダ軍がもはやもちこたえられないか、といった時点で、フランス軍の別働隊をふりきったプロイセン軍がフランス軍の右側面にあらわれて、フランス軍は崩壊する。

 イギリス・オランダ軍が、武田信玄の率いる武田軍本隊、プロイセン軍が妻女山攻撃を行っていた武田軍別働隊、そしてフランス軍が上杉軍である。武田別働隊は上杉軍の右側面から現れる。
 チームカラー?が、武田とイギリスが赤で表現されやすいのも似ている。
 
 ワーテルローではフランス軍は壊滅的な打撃をうけてしまった。第四次川中島合戦が史実だとしたら、上杉側が兵をうまくまとめて戦場から撤退できたことが凄いと思う。

**血液検査でわかったのは肝機能が低下しているということ。抗生物質もやめて様子をみましょうということになりました。脂肪肝でこんな目に会うとは、今の世の極楽も考えものですね。**

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2006年12月17日 (日)

乗車あれこれ その二

もうひとつお話し。

ひとつのグループ(三人×N列)がある電車乗ると、となりで待っていた次のグループが移動して、次の電車を待つ(『大阪学』で、そんな整然と電車を待てるとは大阪では信じられないと書かれていた)。

そのとき、

ABC
DEF
GHI
J…

と並ぶとする。

あるとき列の最後尾にいた私が、座れそうにないのでつぎの電車に乗ることにして、そのまま歩いてBの位置に入ったところ、となりで並んでいたのだろう。ある男性に、私はその位置でとなりで待っていたんですといわれた。男性の言うことはもっともであるし、別に、空いていることだし、すんなりとCの位置に私は移った。
私にとって、Bは待っている間にAとCに圧迫されるので、AやCよりもよくない場所という感覚があったので少し驚いた。

実際に電車が来て、なぜ男性がBの位置にいたかったか、わかった。電車は中央から両開きなので、Bの位置が最初に乗れる。件の男性は、扉が開くやいなや電車に飛び乗った。

最前列に立っていれば、AだろうがCだろうが確実に座れる。また座席選択もほぼ自由である。にもかかわらず、Bじゃないと嫌だ、というのはこだわりである。

とはいえ、男性の気持ちも少しはわかる。AやCが早く乗ってくれないと、当然その後列のDやFは乗れない。AやCがおばさんとか老人の場合は、自分は乗れるという安心感からか、非常にゆったりと乗る場合がある。

DやFの位置にいて、EやHよりも遅く中に入ることになると悲しい。またAやCがすぐ入り口の席にゆったりと座って、奥に行くのがEやHよりも遅れることも悲しい。
いちばん早く乗れば、誰にも影響されずに座ることができる。

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2006年12月15日 (金)

乗車あれこれ その一

一列 四人+七人+四人の座席で、入り口が二つある電車があるとする。
一人分を○で示すと、次のようになる。

○○○○  ○○○○○○○  ○○○○
○○○○  ○○○○○○○  ○○○○

座れる人の合計は、 8+14+8=30人
だから、
ひとつの入り口に横一列三人で並ぶと五列目の人まで座れることになる。(車両の片側しか乗車できないとする)

東武東上線の場合、実際の電車は乗り口が四つ(総座席も、より多い)だが、基本的にひとつの入り口に十五人ていどという目安はかわらない。(車いす用の場所があって、座席がない入り口では、三列と二人まで乗れる。)

補記:万大『通勤電車で座る技術!』(かんき出版、2005.3)という本があるらしいが未読。上記の内容は、いちおう自分で考えた。
とはいえ、アマゾンによれば先の本は191頁もあるらしく、また70ものアイデアが出ているらしいので、おそらくこのていどの内容は書いてあると思うのだが。

   **明日も電車の話**

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2006年12月10日 (日)

七人掛け

 冬になると着ぶくれして、電車の座席七人掛けに七人で座るのが苦しくなる。下手すると、となりからの圧力をうけて、立っているよりも疲れる。山手線なり東上線なり、新型車両が七人がけを三と四にわけるように棒をもうけているのはありがたい。

 小谷野敦『新編 軟弱者の言い分』(ちくま文庫、2006.11)「俵万智は電車に乗らない」(226頁)では、俵万智が「七人が七人掛けに腰掛けるそんな窮屈な世の中を生きる」という短歌の選評として「ちょっと詰め合って八人が掛けるということはない。合理的だが、ぬくもりに欠ける風景だ」と誤読したことについて、「金持ちの有名人だから最近は電車を使わないからだろう。」と皮肉が述べてある。

 私は貧乏だから電車を使うが、金持ちになったら真っ先に、電車の代わりに車(できれば運転手付)を使いたい。道路公団がハイヤーをかかえて理事らに優先的に使わせていたことが、無駄遣いとしてテレビで報道されていた。
 が、都会の通勤族にとって、自家用車通勤というのは、将来達成したいひとつの夢ではないか。

 私の高校の英語の先生は、地方大学を卒業して、東京で新卒サラリーマンをはじめたものの、通勤電車が耐えきれず、辞めてしまった。その先生は、学校にタクシーを使って通っていた。

 先の俵万智の評に戻るが、「ちょっと詰め合って八人が掛ける」には、やっぱり苦笑してしまう。とてもじゃないが、八人座れるとは思えないからである。

 小劇場芝居に「よいしょ」という習慣がある。スズナリのように、桟敷(あるいは長椅子)の芝居小屋で、観客を詰め込むために、「せーの、よいしょ」のかけ声ですでに座っている観客に詰めてもらうのである。
 やっている側としては、たくさん詰まっている客席のほうが、芝居がもりあがるのでよろこんでやっていた。精神的に充実感のある行為である。
 座っている観客にとって、迷惑このうえないはずだが、ある種、小劇場の名物であって、自分が「よいしょ」されて、窮屈な状態で芝居を観ることがあっても不快に感じたことはなかった。若かったからだろうか。

 小谷野敦は先の文章で、七人掛けに七人で座ることをいやがる者に不快感を示している。私もとても同感である。

 七人掛けに六人ですわっているところ、かりに人をアルファベットで示して、
 ABCDEF
としよう。
 それのCとDの間に誰か座ってくるさいに、AやFがちっともつめるそぶりをしないとCやDは苦痛である。現実として、AやFが協力的につめてくれる場合の方が少ない。私は、冬場寒いのが嫌なので、扉側(AやF)には座らないようにしている。そのため、CやDの立場によくなる。

 また、せっかく入れてやった人が、詰めてもらった恩を忘れて(まあ、七人で座るのが当然なので感じる必要がない。むしろ、いままで六人で座りよってからにと思っているんでしょうね)、ぐいぐいとプレスをかけてくるのも勘弁である(これもほんとうによくある)。

 そういうわけで、七人掛けに六人で座っているところに、誰か座ってくるとき、すでに掛けているすべての乗客がきちんと詰めるように、「せーの、よいしょ」と言いたくなる。
 

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2006年11月29日 (水)

東京ドーム何個分?

 先日、埼玉の森林公園の園内バスに乗っていると、東京ドーム何個分云々(何個なのかよく聞き取れなかった)のアナウンスがあった。

 よくビールの年間消費量を東京ドーム何個分かで説明している。これについて、よくわかんないよ、実感がわかないよ、といった文句の文章を読んだことがある。同感。

 体積ではなくて、面積が森林公園の場合、使われているのだろう。

 しかし、円形はならべるとどうしても隙間ができる。八個分とか、二行四列でならべると当然隙間があく。面積を説明するのに東京ドーム何個分というのは、感覚的にわかりづらいのではないか。

 もちろん、東京ドームの面積を計算して、森林公園の面積を割ったのが、東京ドームの数なのだろうが、それなら何平米かで言ってもらった方がましではないか。

 サッカーコート何面分とかどうだろう。
 

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2006年10月14日 (土)

町の読み

「○○町」の「町」をどう読むか。

 私は長崎県の出身なので、市内はすべて「まち」、郡部の町は「ちょう」が染みついている。
 だが、全国的に見れば、この法則は通用しない。県-郡-町の単位で「町」が「まち」になっているところもあれば、どちらも使っている県もある。

 東京都二十三区でも「町」はどちらもある。
 武家に関係があるのが、「ちょう」(百人町とか)。町屋は「まち」というのは有力な法則だが、前者には「御徒町」(おかちまち)という例外もあって、絶対ではない。

 たしか嵐山光三郎がエッセイで、田舎者がかならずひっかかるのが「神田小川町」だと書いていた気がする。私も長いこと、「かんだおがわちょう」だと思っていた。
 正解は「かんだおがわまち」。

 ちなみに、埼玉には、「小川町」がある。東武東上線の終点になっており、電車の行き先として表示されるので、行ったことはなくても知っている人は多いかもしれない。
 これは「おがわちょう」。
 この「埼玉の小川町」を以前「おがわまち」だと思っていた。
 「神田小川町」と「埼玉の小川町」、読みをまったく逆に記憶していたのである。

 かつて、「『おがわまち』あたりに住んだら便利だろうね」と言われ、「あんな遠くでですか」と驚いた。相手が神田小川町のことを差しているとわかって、笑い話となった。「神田小川町」の正しい読みを覚えた最初である。

追記:書きながら、混乱していました。
 「武家に関係があるのが、『ちょう』。町屋は『まち』」というのは知り合いの先生から教えてもらった法則です。
 今、ネットでちょこっと調べると、逆に書いてある例もある。
 よくわからないもんですね。

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2006年9月27日 (水)

優勝旗のリボン

 ここのところ、廃墟ブームとやらで端島(軍艦島)が注目を浴びている。
 私は長崎出身だが、1973年の生まれなので、端島に行ったことはない(1974年1月15日の閉島なのだが、もし行ったとしても記憶に残っておるまい)。1981年に公共広告機構が行った資源問題キャンペーンのCMは強く印象に残っている。だが、実物は高島から眺めたことがあるぐらいである。まだ高島炭坑が閉山する前(1986.11以前)だったと思う。
 NHKのドラマ『深く潜れ~八犬伝2001~』で、ロケ地に使われたのは知っているが、ドラマ自体がいまひとつ私の趣味に合わなかったので、ほとんど記憶にない。

 私は西彼杵郡の中学校に通っていた。長崎の中体連は郡大会をまず勝ち抜かねばならない。
 中体連剣道の郡の優勝旗をみたときに、端島中学のリボンがかかっていた。昭和三十年代のものだったと思う。
 いま端島は長崎市に所属しているが(2005年より)、かつては西彼杵郡に所属していた。九州は剣道どころであって、どんな大会にせよ簡単に勝ち抜くことはできない。
 郡部の大会で勝ち抜けるだけの人材が集まっていたことに、往事の隆盛がしのばれた。私の端島の思い出は島そのものではなく、優勝旗にかかっていた色あせたリボンである。

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