2008年9月12日 (金)

Dahon Metro購入記

<もともとたった一人しか「友だち」のいないSNSの日記用に書いていたのですが、長くなったのと、購入の参考にする人がいるのではないかと思って、ブログに載せることにしました。文体がふらふらしているのはそのせいです>

先日、量販店やホームセンターではなくて、きちんとしたサイクルショップへ。

折りたたみの自転車を探していることを告げるとDAHONの自転車を勧められる。
まあ、このあたりは予想済みというか、外から見えるように飾ってあるし、DAHONの取扱店の一つに上げられていたので、そうなるだろうと。

Mu P8ぐらい買おう、もっと高いの勧められたら考えちゃうぞ(場合によっては買う)と気合いを入れてお金をおろしてきたのだが、店主が勧めるのは一番下のランクのMetro。まあそうだろう。自転車ほぼ素人の中年男が幼稚園年中組の息子(16インチタイヤ)とサイクリングにたまの週末に行くだけなら、いい自転車はいらない。埼玉に点在するサイクリングコースを走る予定だし、そもそもスピードを出す必要がない。

Mu P8とMetroの違いは、

Mu P8がハンドル回しの八段変速に対し、Metroは六段でレバーとボタン。

Mu P8のほうがチェーンリング(こぐとこの輪っか)が大きめ。

Mu P8が厚みのあるグリップに対し、Metroは普通のグリップ(ただし、Metroも同じようなグリップに取り替え可能だと言われた)。

Mu P8にはMetroにある泥よけがない(追加は可能らしい)。

Mu P8だけの特徴といえば、たたんだときに最後に磁石でくっつく。サドルがちょっと高級そう。ハンドル角度が簡単にいじれる。胴体折りたたみ部分のヒンジにカバーがついている。ボトルケースがつけやすくなっている。前輪がクイックリリース。シートポストが空気入れになっている。

定価(税抜き)はMetroが三万二千五百円。Mu P8が八万五千円。五万二千五百円の差でそうなる。

Mu P8は、マウンテンバイクかロードバイクをすでに持っていて、自転車について素人ではない人向けという感じ。クイックリリース、シートポンプがあるということは、少なくともパンクぐらい自分でほいほい直せますよという人向けの仕様。
これから勉強するし、長持ちするように上級版を買えばいいかなというのは、私が若かったころの発想。とりあえずの用途にかなうもののうち、いちばんリーズナブルなものを選ぶというのが家庭人の選択。

カメラとかパソコンとかもそうだが、素人客にハイスペックなものを売りつけようとしないお店は信用がいく。
素直にMetroにしておく。
店主は、そういった使い方だと家族全員が(折りたたみ)自転車を持つことになるというし、そこまで自転車の趣味が続くなら私が上等なのに乗り換えて、Metroを妻に譲ればいいかと。

迷ったのは色。他の車種はほぼ選べない(MuP8の現品は白かぎりだった)が最下位のMetroは(最大七色)選べる。暗い系をまず選択から外し(なお、黒はホコリが目立つらしい)、赤はあまりにありきたりだからやめ、意外と見栄えのするクラウドホワイトと、店主おすすめのマンゴーオレンジで迷う(店主は白の方が、靴底のゴム跡がつきやすいといったけど、それは変わらんのではないか。ついたときに目立つかどうかの差だろうし、白とオレンジならどっちも目立つだろう)。なお、ポリッシュは在庫がなかった。

マンゴーオレンジはけっこういい色。キラキラ光っているので濃いめのゴールドといってもいいかも。ちょっと派手で恥ずかしいかもと思ったのだが、オレンジのほうが事故に遭いにくいかもしれないと思ってそれにする。
本当に遭いにくいかは知らない。祈ろう。まあ、物事を決めるには理由付が必要ということで。
値引きがあって、税込みで三万二千円弱ほど。

必需品だけど高かったのが、付属品。ライトに三千六百円。鍵二つに三千円弱。ヘルメットに一万円超。全部、店主お薦めの品にした。

そんなにスピードが出る車種でもないし、サイクリングロードでの使用を想定しているので、ヘルメットがなくてもよかったのだが、息子に示しがつかないし、将来的に普通の車道も走りたいし、そもそも私は埼玉の自動車運転手というのをまったく信用していない(見た感じ一時停止を守る確率が三割ほどだし)ので、買った(なくてもよくないじゃん)。

とりあえず、自転車で駐車場(近所のスーパー)まで戻って、ヘルメット類をおいて、周辺をサイクリング。

やっぱり自転車っていいね。昔から好きだよ。車の百倍好きだ。自由に止まれるのがいい。自分で動かしているなってのもいい。加速していく感じがたまらない。知人のスポーツカーに同乗させて貰ったときに車でも加速感のよさがあると知ったけど、スポーツカーなどに乗らなくてもいいのがいい。
天気もいいので小一時間ほどそとを流す。

操縦性は軽快。見た目はやや不安定だけどふらついたりしない。以前持っていた、16インチで壱万円しない折りたたみ自転車は乗りにくかった。
最高速度はいまちょっと早く走っているなあという程度。三変速ママチャリの一番重いギアでめいっぱいこぐほうが早いだろう(もちろん同じ人間がこぐとして)。
タイヤ径がちいさいせいか段差はけっこうくる。
レバーを引くと、ギアが軽くなり、ボタンを押すと重くなるというのが、直感(というかギアつきママチャリでの経験)と逆で、ちょっととまどう。ギア表示番号が大きい方が重いギアで、小さいほうが軽いギアというのも、なんか逆のような気がするけどなあ。

たたむのは簡単。ハンドルを下に倒すのに力がいるが(店主は楽々動かしていたのでコツがあるのだろう)、ネットで調べたところどうやら個体差があるらしい。私のは固いのだということ。

スタンドが車体中央左にあって使いやすい。後輪片側式に比べて安定が違う。ただ、たたむときにあげるのを忘れがち(慣れていないから)

ステーションワゴンに平積みするとけっこう面積をとる。息子の自転車と乗せる時は一工夫がいりそう。DAHONだけで積むなら、たたんで立てておけば横並びで三つはいけそう。

夜になって、たたみ方のマニュアルをあらためて見ていると、ペダルがたためないことに気づく。たためるペダルが標準装備なはずなのに、まさか安いの取り付けられたの?、あの誠実そうな店主がねえ、電話した方がいいのかなと思いつつ、ネットで調べていると、最近のDAHONはたためないのになったらしい。

理由ははっきりしないが、どうやら消費者センターで、折りたたみ自転車のペダルの脆弱性が問題になったためのようだ。そういやMetroには前面ハンドルに反射板がついていたが、これも本来はないはずで、折りたたみ式自転車の反射板の少なさへの業界の対策らしい。

輪行とかするならたためないペダルはおもいっきり邪魔だけど、車積みならまだ問題なさそう。折りたたみ式は力の伝わり具合や耐久性がともに頼りないようなので、しっかりしたペダルをつけてもらって、結果的によかったはず(これって酸っぱいブドウ?)。
輪行のときにはペダルレンチを買って持って行くか、そのとき折りたたみ式ペダルに変えるかすればいいと思うことにした。

自転車に詳しい人からすれば、Metroなんて安物買いの銭失いと思うのかもしれないけれど、とりあえずは満足。家の中に保管しているので、長く使えそうだし、愛用することにします。

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2007年10月 3日 (水)

すべてが商業的なサッカー

サッカーアジアカップ2007の成果をあげろ、と言われたら、オシム・ジャパンでも視聴率がとれることがわかったこと、と答える。

協会にとって、また広告代理店にとって、視聴率は何より優先する。オシムが監督では視聴率がとれないという、根拠のない噂が払拭できたことが、最大の成果である。

協会はアジアカップに全く力を入れておらず、日程的な無理からいえば、九月の三大陸トーナメントの方に力を入れていた。

三大陸トーナメントで、なぜオーストリアの三都主やスイスの中田浩二が呼ばれないのかと、いう意見があった。答えは簡単で、彼らが出るリーグは日本で放送しないし、チームもCLに出ないからである。

中村俊輔がスコットランドリーグのセルティックスでプレーするのは、

チームの中心選手になれる。
チームがリーグの中で強くて、見ている人が満足しやすい。
CLへの出場権を得る可能性が高い。

以上が理由である。
地上波、衛星、などテレビ局のためにセルティックスに中村はいる。

松井が呼ばれるのは、フランスリーグはスカパー!で放送するから。もちろん、前提として代表入りしておかしくない実力があるからだが、三都主らとの違いはそこにある。三大陸トーナメントでの松井は、気力あふれるプレーで「効いて」はいたが、アジアカップ直後にスポナビのファンブログの多くで期待されたような、救世主がかった活躍をしたわけではない。いいプレーもしたし、今後も呼ばれる可能性が高いという程度である。

さて、松井に関しては、海外サッカーの事実上の広報機関誌である『Number』では大絶賛のはずである。フランスリーグの試合を売るためには、当然である。ドリブルよかったときもあったけど、失敗していたときも多かったよ(サポートの問題もあって本人だけのせいではないが)、なんて記事は絶対に載らない。

日本人選手の海外移籍には、なにかのバックアップ(裏からの手)があるのは当然である。昨年まで有名球団がB落ちしていたセリエAや、権利関係のもめごとのため、放送できるか不安定なリーガ・エスパニョーラには、送る選手を減らし、CL関係へ集中するという戦略は、なかなかのものだった。

今回のヨーロッパ遠征が、日頃代理人の目につきにくい日本人選手の展示会になっていたのも確かである。日本代表がそれなりの結果を残したので、今回の遠征に行ったうちの何人かは、来季は移籍するはずである。

サッカーがきわめて商業的であることを忘れてはならないし、海外サッカーが好きな人は、その意欲が何から与えられ、いつ生じたのか、胸に手を当てて考えてみるとよいだろう。

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2007年10月 2日 (火)

退屈なサッカー

スポーツ記事はネットのスポナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)を利用して手に入れている。

一般読者が書くファンブログ(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/)もヘッドラインが出るので、ときおりのぞくのだが、内容は玉石混淆。というか、こういったもののお定まりで、とくにブログの書き手の多いサッカーに関しては、よいブログが少ない。いいブログはキリタニブログ(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/kiritanishin/)など、ごく少数である。

だいたいのブログが、日本代表チームが勝てないと、ワーワーと悲憤慷慨。あいつをはずせ、こいつを入れろ、この戦術をとれ、交代策がなっていない、今後のストライカー養成のためにはどうすればいいのか、監督を代えろ、と喧々囂々(侃々諤々というより)である。

選手選考からはじまって、点が入らないこと、したがって勝てないことに関して、退屈、退屈、ああ退屈と文句をつけるブログも多い。
嫌みでなく、そんなに退屈なら見るのをやめたらと思う。私の場合、ジーコ・ジャパンのときは、退屈だったので、ほとんど見ていなかった。今のオシムジャパンになって、おもしろいと思うので、深夜の試合も見ている。もちろん、オシムがやっているサッカーを退屈と思う人もいるはずだが、無理をせず見るのをやめたほうが、健康によい。

サッカーで点が入らないのが退屈なら、じゃあサッカー見るのをやめたらとも思う。

サッカーは基本的に点が入らない球技である。サッカーは「場内で2つのチームが入り乱れてボールを奪い合い、相手のゴールエリアにボールを入れることによって得点を競う種目」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%83%E6%8A%80)に入る。サッカーはその仲間の球技である「バスケットボール、ラグビー、アメリカンフットボール、ハンドボール、水球、ホッケー」と比べて、平均スコアがもっとも低いはずである。サッカーは三得点あれば、今日はいっぱい入ったなという感じだろうが、得点によるカタルシスをうる機会は他の球技に比べて、なかなか得られない。

ずいぶん昔にネットで読んだサッカー批判に、「それ、行け行け行け行け、あー、駄目だー!」というのを九十分間通して、ほぼくりかえすスポーツのどこがおもしろいのだ、というのがあって笑ってしまった。年寄りの野球ファンがするサッカー批判のようだが、当たっているのは確かである。

サッカー観戦とは退屈や落胆とつきあうことである。うまくいかない恋愛に似ている。そういったものとのおつきあいが嫌なら、さっさと別のものを探せばいい。それだけだと思う。

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2007年5月11日 (金)

うらやましくない世界標準

 サッカーのACLだが、今年はそれなりに順当に勝ちを収めているようで、念願の世界クラブ選手権への出場権も夢でないようである。

 ACLといえば、中国や韓国などが当りが強く、またそれらの国のリーグはあまり笛を吹かないものだから、そのギャップに苦しむのがお決まりだった。Jリーグは世界的に見て、選手がよく保護されているようで、プレミアリーグなどを引き合いに、審判の基準をもっと世界標準にという話しはブログにそれなりにある。

 なんでも世界標準になっていなければ満足できない人もいるのだろうが、私にとってはうらやましくない世界標準である。ラフプレーが多くなって、結果として選手の怪我が増えてもそれでいいのだろうか。優れた選手が削られるのは、サッカーの本質とは別だし、妙味を感じるところではない。

 当りの強いサッカーを見たい人は、いっそのこと、サッカーではなくてラグビーを見ると満たされるのではないか。皮肉ではない。肉弾戦という観点では、ラグビーはサッカーより格段に面白い。自分の嗜好にあったスポーツを見た方が満たされるだろう。

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2007年1月 9日 (火)

国見のいない正月

 長崎人にとって、
「国見は、一回戦、二回戦は観らんちゃよか」
というのは一度は聞いたことがある文句ではないか。
 指している試合はサッカーの高校選手権のことであり、あたりまえだが、県予選でなく本大会の一回戦、二回戦である。
 スポーツにとりたててみるところのない長崎県では、サッカーの強い国見高校は県民の誇りだった。
 国見の試合は楽しみなのだが、それでも観なくても大丈夫だというのが自慢なのである。
 2006年度の第八十四回大会で、国見は千葉の八千代高校に負けて、出場21年目で初の一回戦負けとなった。二回戦負けもほとんどないはずである。
 正月になっても、国見がいまどこまで勝ち上がっているのか、次にいつ試合があるのかを、つねに気に留めて過ごしていた。2007年はその必要がなくなったので、2006年のうちから気が抜けてしまった。

補記:体調が悪くてパソコンに向かえないままうだうだとしていたら、大会も盛岡商の優勝で幕を閉じてしまいました。完全に遅れた内容ですが、載せておきます。体調不良の原因は血液検査の結果が明日わかるので、はっきりするはずです。

期せずして、小嶺総監督の政界出馬。これでほんとうに終わりのような気がします。(2007.1.11)

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2006年11月 3日 (金)

落語評論、サッカー評論

 落語評論というものが可能か。見ればわかるものを論じていったいどうなるのだ。そういった議論が、安藤鶴夫が活躍した1960年代までは、それなりになされていた。いまでは、安藤鶴夫のような大物評論家がいないせいか、そうした議論も下火になってしまった。

 この落語評論のように、見ればわかるものを論じてどうなるという疑義のはさみかたは、適応の幅が広い。

 さいきん、感じるのはサッカー評論というものが可能か。ということである。

 日本代表のガーナ戦のあとの監督会見で、守備的だったのではという質問が出た。『SPORTS Yeah!』(151号、2006.10.20-11.2)で、小宮良之が「攻め手が三都主のみで、マンツーマン守備に終始する古典的戦術で攻撃的チームと誇るのは、どうにも無理がある」と述べた。

 同誌で馳星周は「個人個人が考えながら走る。これを90分続けることはもちろん無理だが、できつつある時間帯があったことも確かだ」と述べ、「たとえばCBの水本や今野が攻撃参加したように、リスクを冒す時は迷わず前へ行っていた」と述べる。

 私はテレビ観戦だが(馳星周の記事ではよくわからなかったが、スタジアムに行ったのだろうか。記事まで依頼されて自宅観戦とは、まさかね)、守備的とはおもわなかった。

 将棋と一緒で、サッカーは相手があってなりたつ。自分のやりたいようにできるわけではない。攻めたり守ったりと、相手に対応しながら最善手を尽くすのが、ゲームの基本である。
 無敵の魚鱗の陣、鶴翼の陣があって、それをぶつければ相手に勝つようにはできていない。

 『SPORTS Yeah!』(151号)を読んで思ったのは、偉そうにいろいろ言われなくても、試合は観ればわかりますよ、と。
 紙面で事実を伝えるより、映像を見た方がわかりやすいのは、百聞は一見にしかずの故事をもちだすまでもない。

 じゃあ、スポーツジャーナリズムに必要なこと、私が求めるのはなにか、というとできるだけ多くの情報である。

 スポーツナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)は監督会見の全文を掲載する。選手インタビューの数も、新聞などでは二三選手のひとことふたことであるのに、スポーツナビはたくさんの選手の情報を載せる。
 官邸や官庁が、会見や広報文の全文をHPで開示するようになって、一部のマスコミからメディア軽視と言われているらしいが、マスコミが選択した情報より、できるだけ多くの情報を知ることができて、みな便利になったのは確かだ。
 
 スポーツノンフィクションの一里塚となった山際淳司『江夏の21球』や金子達仁『28年目のハーフタイム』が、ともにインタビューを中心とし、ただ競技場で眺めるだけではわからない事実を明らかにすることを目指しているのは示唆に富む。

 虫明亜呂無のようなスポーツの美しさを純粋に伝える方向へ日本のスポーツジャーナリズムが進んでいかなかったことを、玉木正之はことあるごとに嘆いている。

 だが、そもそも見ればわかるものを対象にすれば、山際や金子の方向にすすむしかないのかもしれない。

補記:『SPORTS Yeah!』(151号)だが、読んだことが時間の無駄。オシム特集にひかれて、ここのところ何冊かスポーツ雑誌を買っていたが、ふたたびスポーツ雑誌からは手を引くつもり。
 金子達仁は「儚い運命を見極めるために」と題して、オシムよりも現在執筆中の本からヒディング論に終始。書けないなら書きなさんな。今回のワールドカップが「チームとして一体感がないほうが負ける」という、金子好みの結論にころがったので、それを書くのは楽しいだろうね。
 

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2006年10月23日 (月)

野球のエース その二

**前日の続き**

 江本孟紀だが、「ベンチがアホ事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9C%AC%E5%AD%9F%E7%B4%80)という首脳陣批判をして、引退においこまれた。
 その後、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』の大ヒットで、江本は息をふきかえした。
 『プロ野球を10倍楽しく見る方法』は投手賛歌の本である。
 野球は投手が投げなければはじまらないとする。また、ヒーローインタビューはどうして、みないい子になってしまうのか。「バックが守ってくれたから」「打線が援護してくれたから」といった内容(手元にないので記憶にではそう)をしゃべるのかと疑問を呈している。

 江本、江夏、両者に感じるのは、投手というのは野球選手のなかでも、プライドが高くて、他とは違うのだということである。

 今回、金村曉の事件だが、防御率四点台後半の選手が、ピンチを招けば、交代しない監督の方がおかしい。
 ましてや優勝がかかって厳しい戦いをしているさなかである。個人成績うんぬんを言っている場合ではない。この事件を知って、多くの人が憤慨したし、私も鈍器で殴られたような具合の悪さを感じた。

 少数意見ながら、野球の投手とは特別なんだ。江夏のような気概がないとやっていけないんだ、という擁護意見があった。

 その擁護意見がいうように、野球の投手は、エゴイストでないと成功しないのだろう。それは事実であろう。

 それが事実ゆえに、野球という競技は投手が特別な地位をしめているにもかかわらず、そうではないように見せかけなければならず、それを破ることは大きな禁忌であることがわかった。
 江川が作新学院時代に他の選手から疎まれていたというのも、江川が特別特殊な選手だと他の選手が感じていたからである。

 その禁忌をやぶることがどれだけの罪なのか。私は、団体競技を真剣にやりこんだことがないので、正確なことがわからない。ただ、その深淵をのぞきこんで、恐れるだけである。

 だいたいこの禁忌に触れた選手は、その球団に残ることが出来ない。金村曉は日本シリーズに登板できるとの話しもある。来年も金村曉がファイターズでプレーできるとすれば、それは外国人であるヒルマン監督のおかげだろう。
 土曜日より日本シリーズがはじまった。はたして金村曉の登板はあるのか、成り行きを見守っている。
 

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2006年10月22日 (日)

野球のエース  その一

 2006年9月24日の北海道日本ハムファイターズ対千葉ロッテ戦のあと、金村曉が首脳陣批判をして問題となった。
 
Wikipedia(2006.10.17)は「金村曉」項目に「2.1舌禍事件」として、事件の顛末を載せている。
 長いが
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89
より全文を引用する。

2006年9月24日の千葉ロッテ戦では上記の通り5年連続2ケタ勝利の記録がかかっていたが、立ち上がりから投球が安定せず、4-1で日本ハムの3点リードで迎えた5回裏に二死満塁のピンチを迎えるとトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。ちなみに交代した押本健彦は、このあとロッテ・今江敏晃に走者一掃となるタイムリーツーベースを放たれ、4-4の同点となった(結局試合は4-8で敗戦)。が、金村は勝ち投手の権利を得るには1アウト足りない4回2/3で降板したため、どちらにせよ降板の時点で金村には白星はつかず、また今季の登板予定も無いことで、今季は9勝6敗という成績が確定した。

そしてこの試合後、マスコミ各社は『金村が「絶対に許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」と監督批判を繰り広げた』と報道した。

この発言が原因で、球団は「出場選手登録抹消」「翌25日に行われるチーム練習への参加禁止」を即日決定した。また、25日には罰金200万円と、プレーオフ終了までの出場停止という厳しい処分を下された。その後、レギュラーシーズン終了後に選手・首脳陣などに謝罪し、ひとまず事態は収拾された。日本シリーズでの復帰も検討されている。

 この事件を聞いて、思い出したことが二件。ひとつは、山際淳司の名ノンフィクション『江夏豊の21球』(初出は文芸春秋社、『Sports Graphic Number』創刊号、1980.4)と、江本孟紀のベストセラー『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ、1982.5)である。

 前者の詳細は(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89)で知ることが出来る。
 1979年11月4日、広島対近鉄の日本シリーズ第七戦九回裏。一点リード、ノーアウトの場面から、広島のリリーフエース江夏が登板し、無死満塁のピンチを招くが零点に抑えるというのが経過である。
 その途中に、
Wikipediaから引用すると、

 江夏がアーノルドに四球を与えたときに(引用者注、無死一、三塁となる)、広島の古葉監督はブルペンに北別府学を派遣した。ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。これを見て江夏は「自分のことを信用しないのか」と憤り、マウンドに内野手が集まったとき、「自分を信用しないのならば辞めてやる」と言い放った。
 後で一塁を守っていた衣笠祥雄が一人で江夏のもとに向かい、「(信用されなければ辞めるという)おまえの気持ちと自分も一緒だ、気にするな」と声をかけた。これで江夏は吹っ切れた。

 という事件がおきた。
 山際淳司による古葉監督にインタビューでは、同点となり延長になったことを古葉監督は考えていたという。山際淳司はこの判断を妥当としながらも、その合理的な判断がエースの気持ちを傷づけたと評している。

 「江夏の21球」について、江夏自身が、自分で招いたピンチだからねと、のちに『Number』で語っていたと思う。
 客観的に見れば、古葉監督がブルペンに投手を送るのは当然であり、文句を言うのは間違っている。

**中途半端ですが、明日に続きます**

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2006年10月20日 (金)

スポーツ中継とカメラ サッカー編

 サッカーはテレビ中継に向いていないスポーツである。
 区切れがないので、CMが入れられないとか商業的な面はまず措き、競技を純粋に映しやすいかを論じよう。

 ハイビジョンでない映像では、画面に映らない選手が多い。サッカーの醍醐味として、後ろの選手の攻撃参加がある。長い距離を走って、突然画面に登場するのだが、その長い距離を走っている行程は当然写らない。

 まだ、日本代表の試合のチケットが簡単に手に入ったころ、左サイドバックの相馬直樹が長い距離を走って攻撃に参加するのを見て、感動した。

 日本代表もオシム体制になって、テレビで映しにくくなった。
 ジーコ監督時代に比べて、足下でボール保持をする時間は少ないので、ワンタッチツータッチで次の選手に出してしまう。一人の選手をじっくり撮る機会が少なくなった。
 前線に素早く送るので、カメラの振る速度が間に合わないことがある(パンして対応するようになった気がする)。
 選手はめまぐるしく動いて、アナウンサーが実況で追えない場合も多い(ジーコ時代でもおえていないアナウンサーはいましたが)。
 フリーキックもリスタートが早い。ジーコ時代は中村俊輔がFKを蹴る場面など、野球的な盛り上がりのある絵が作れた。
 こういったことを考えると、ジーコ監督時代のサッカーがいかにも「電通好み」だったとわかる。

 ハイビジョン化(16:9)による画面構成が主流になることで、映る選手は増え、現在の問題はあるていど解消する。
 それより、思い切ってカメラを高い位置にもっていって、斜め上空からグラウンド全体を俯瞰する映像は作れないか。
 今のテレビ映像は、各選手のボールさばきをじっくり見られるが、選手全体の動きだけをおっておきたいというフォーメーション好きも少なくないはずである。
 
 まあ、私みたいに引きの絵が好きな人は、競技場に観戦に行くべきなんでしょうがね。

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2006年10月18日 (水)

スポーツ中継とカメラ 野球編

 今、野球中継のカメラ視点は、バックスクリーンからのものが中心になっている。
 そうではなくて、バックネット上部から野手全員が見えるかたちのカメラ視点があればいいのにと思っていた。
 野球は投手と打者の対決が中心になっている。だが、打球が飛んだ場合や、走者が出た場合、野手や走者はさまざまな動きをする。フォーメーションプレーやバックアッププレーの妙は、球場全体を撮ってもらわないとわからない。

 王・長島が村山と天覧試合を戦っていたころの映像は、バックネットやや一塁よりからみた、斜めから撮ったものである。
 カメラ位置がバックスクリーンに移行したのは、カメラの性能の向上による。
 斜め上からとった昔の映像のほうが、野手が写っているわけで、若干私の希望を満たす。
 とはいえ、昔から野球中継を見ていた人に聞くと、打者の後ろ斜めからの視点は退屈だったよとのこと。

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2006年9月13日 (水)

オシムブームの真実

 八月下旬より、スポーツ雑誌はオシムブームである。『サッカーマガジン』や『サッカーダイジェスト』のような専門誌が扱うのはともかく、『Number』や『Sportiva』や『Yeah!』までオシム特集を組んだのには驚いた。
 これはセリエAの開幕が遅れて、欧州特集が組めなかっただけではない。ある構造の転換が隠されている。

 W杯ドイツ大会までは、いわゆる海外組を重視するジーコが日本代表の指揮をとっていた。これは、外国のリーグや欧州CLを売り物にするメディアと広告代理店が糸を引いている。
 どんなときでも海外組をジーコが使うことは、Jリーグに対して、海外のリーグが優越することを伝える格好の材料である。また、使われない国内組に、海外移籍を決意させる要素となる。
 ジーコが代表選手を固定したことも、メディアや広告代理店には有利である。その選手を露出させて、スターに祭り上げることは、海外リーグの放送のためだけでなく、CM契約などにも有利である。

 しかし、この体制は転換を強いられていた。ひとつは、海外リーグで活躍した選手が少ないためである。海外で活躍したもっとも著名な選手である中田英寿にしても、1998・1999年のペルージャ、2000・2001年のローマまでは調子がよかったが、その後パルマではいまひとつ活躍できず。2003年のボローニャ期限つき移籍以降、フィオレンティーナ、ボルトンと徐々に居場所を失っていった。
 稲本、中村、柳沢、高原、ここ三年のうちだれが十分な活躍ができたのだろうか。レギュラーをとれた選手のリーグは今ひとつマイナーである。中村はスコットランドリーグ。中田浩二はスイス。松井大輔のみフランスリーグと大国だが、おととしは二部、昨年やっと一部でプレーしている。
 BSでヤンキースの松井を観る。マリナーズのイチローを観る。といった状況にほど遠い。
 スカパー!、WOWOWなどが、「WorldSoccerこそすばらしい」とここ十年の間、売り込んだ結果、日本人選手がいようがいまいが、バルセロナやアーセナルの試合を楽しみにする、海外サッカー専のサッカーファンが、日本にある程度根付いたのはたしかである。
 しかし、海外リーグの試合の視聴率が今後伸びていく保証はなく、先に述べた状況を考えると、見通しは暗い。
 2006年のW杯で、日本代表が一次リーグ敗退したことも逆風を吹かせている。

 だが、W杯の前から、すでにメディアはその後の戦略を立てていた。
 W杯後のメディアの戦略をひと言でいうと「Jリーグ重視」である。

 2005年4月より、スカパー!はもっているサッカーコラムの執筆者に木村元彦を入れている。木村元彦は『オシムの言葉』(集英社インターナショナル、2005.12)の執筆者であり、もともと木村はオシムと親しい。

 いや、『オシムの言葉』もメディアが戦略として、木村元彦に書かせたものであり、コラムの執筆者への抱え込みもその一環であろう。(逆に、『世界サッカー紀行』の著書がある海外通でありながら、浦和の外国人は五人発言などでJサポに嫌われている後藤健生の「蹴り捨て御免」にかわって、海江田哲朗のコラムがはじまったこととも平仄が合う)。
 もともとオシムの発言は「語録」の名称で知られている。『オシムの言葉』は『毛沢東語録』のような教典の役割を果たす目的で生まれた。そして、現在に至るまで、『オシムの言葉』はその効果をあげている。

 言うまでもなくオシムはJリーグのジェフ千葉の監督であった。Jリーグにいる世界的な名将を使わない手はない。使えばJリーグに国民の目がいく。

 オシム自身も極端なまでに国内組重視の代表選手起用である。そして、起用選手はW杯ドイツ大会ジーコと大きく異なる。

 国内組を重視しながら、さらに今まで違う選手を選考するのは、国民の目をJリーグにもっとむけさせるためである。新しいスターを増やそうとしているのだ。オシムのJ重視は、メディアの方針にあっている。

 メディアの方針がはっきりしたのはJリーグの放送権のゆくえである。

サッカーのJリーグは15日、理事会を開き、CSのスカイパーフェクTV(スカパー)と、J1、J2全試合を生中継する権利を与える放映権契約を結ぶことを決めた。

 契約期間は2007年から5年間。これにより、Jリーグ放映の軸が、これまでのNHKからスカパーへと移行することになる。地上波、放送衛星(BS)はNHKとTBSが引き続き放映権を持ち、スカパーと合わせた放映権料は年間約50億円となる。
(2006.08.15。読売新聞)

 五年契約とは先物取引である。Jリーグに人気が出れば(そして契約者数が増えれば)、安い買いものだったことになる。スカパー!は、CLと海外リーグ、そしてJリーグの三本の柱を立てようとしている。スカパー!にとってはなにがなんでも、Jリーグが注目される必要がある。

 代表とJリーグを結びつけることで、代表人気をJリーグ人気に転換させるために、オシムは適任であり、メディアもオシムを大いに持ち上げているのである。

 では、”独裁者”川渕三郎は、どうしているのか。さすがの”独裁者”とはいえ、この方向転換にいいなりになるしかないのである。
 週刊ポストの徹底追究によれば(http://kawabuchi-kikaku.com/ を見てください)

 日本サッカー協会から講演料として1講演100万円を川渕三郎の秘書(日本サッカー協会所属)を通じて、川渕企画に振り込ませていた事実に対して文部科学省が捜査の手をいれる。

 3000万円の講演の金銭授授に関して、やはり、文部科学省が調査をしている。

などと、文部科学省がプレッシャーをかけている。
 一見、文部科学省など関係なさそうだが、実は大ありである。
 文部科学省は、toto(スポーツ振興くじ)の勧進元である(独立行政法人日本スポーツ振興センターがtotoを実施しているが、これは文部科学省の所管である)。
 totoが凋落傾向にあるのは有名なことで、
 Wikipedia(2006.9.5)では、

こういった努力にもかかわらず、2005年度の売り上げが過去最低を更新し約149億円と採算ラインの421億円を大幅に割り込んでおり、累積赤字も2005年度末に約224億円と2004年度末の約154億円から増えている。

とされている。文部科学省はtotoをなんとかしたい。そのためにはJリーグにもっと目を向けさせたい。日本代表を利用して、Jリーグを活性化させる、それが文部科学省の狙いである。

 川渕三郎はのど元に短刀を押しつけられている。今後、オシム体制の日本代表がうまくいかず、Jリーグに光が当らず、totoへのてこ入れがきかなければ、文部科学省は川渕三郎をやめさせ、その後釜に天下り官僚を据えようとするかもしれない。

 川渕三郎は『オシムの言葉』の著者木村元彦との対談を拒んでいる(スカパー!コラム「地球を一蹴」第29・30・31に詳細。http://mobile-emu.goo.ne.jp/cgi-bin/imode2.cgi?SY=2&MD=2&FM=1&TP=http%3A%2F%2Fmobile.skyperfectv.co.jp%2Fimode%2Fsport%2Fsoccer%2Fcolumn%2Findex.html)。
 『オシムの言葉』に感動したのなら、木村に会うはずである。本当はオシムが嫌いなのだろう。例の「失言」も技術委員会をはじめ、圧力の元となっているもろもろへの嫌がらせである。
 もっとも、代表が勝つことは、川渕にもそれ以外の者にも、すべてよい結果をもたらす。その点で利害は一致している。2010年W杯のために、川渕は呉越同舟をいとわない。

補記:裏づけのなーんにもない戯文です。私の記事の「五輪サッカーの放送」(2005.7.18)、「西野朗の名誉回復」(2005.12.27)と同様のメディア陰謀説です。こういう妄想を書くのは楽しいもんです。
 個人的には、海外リーグよりJの方が好きでしたのでいい傾向です。ケーブルテレビに入っているので、今後も視聴は安泰です。
 メディアにのせられているわけではないですが、オシム監督になって、日本代表の試合をとても熱心に見ています。雑誌も買っています。
 ただ、前々から応援していたジェフのホーム六連敗はガックリ。臨海のころは臨海不敗神話とか呼ばれていたのに……。
 

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2006年9月 5日 (火)

つばぜりあい

 息子が生まれてからもう三年ほど、剣道の稽古をしてない。
 先日、HDDレコーダーに録画していた、剣道の高校総体を見てみた。かなりひさしぶりに剣道を見て、剣道はつばぜりあいが見苦しいと感じた。
 十代の頃は、引き技は嫌いでなかったし、つばぜりあいで相手の体力を奪いつつ、自分が休むのを得意としていた。二十代半ばになると、もうつばぜりあいはどうでもよくなり、前に出て面が決まるかどうかしか関心がなくなった。
 稽古でつばぜりあいになると、すぐ切って離れてしまう。これは試合のことを考えると稽古としてよくないのだが、試合に出ることもないので、勝手である。
 実際に刀を持って戦うとしたら、古武術ではないけれども、近くに寄ってしまったら、相手に組み付いて倒し、脇差しを抜いて首を掻くはずである。つばぜりあいは起きない。
 まあ、そこはスポーツであって、ボクシングが相手をつかまないように、剣道もつばぜりあいでいいことになっているのだろう。でも、だったら、つばぜりあいでなくて、すぐ離れるようにできないかとも思う。
 高校総体だったせいもあるが、つばぜりあいは見ていて面白くない。

 なお、北海道を旅行したとき、テレビの少年剣道大会の宣伝CMの最後に、栄花直輝さんが出ていて、さすが北海道ととても感心。

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2006年6月28日 (水)

オシム代表監督就任の方向へ

 友人Aからオシムが代表監督になるよし、2006.06.24に連絡をうける。この時期に代表監督発表がなされるとは早すぎて、信じられなかったのだが、しばらくして、川渕三郎キャプテンが会見時に失言したためとわかった。それで嘘でないことはわかった。翌日夜になって、どうやら本当にオシムが依頼を受けそうだとわかった。
 そのあと二日ほど、やや気持ちが落ち着かなかった。喜びと不安が混じっていたからである。
 喜びは、オシムが代表監督になって、オシムのサッカーを全日本の選手で見られることである。それに強くなるのは間違いない。成績の面ではバラ色である。
 また、羽生や阿部といったオシムのサッカーが実践できる選手が代表に選ばれそうなのも楽しみである。
 不安は、オシムのことがよくわかっていない人に、私が尊敬しているオシムが筋の通らない批判をうけるだろうことである。代表好きは国民すべてといってよいので、それこそピンからキリまでである。自分の感情のおもむくままにしか、判断できない人は少なからずいる。
 オシム自身が高齢で、気候の悪いところも多い、代表の試合に耐えられるか、と考えると心配である。
 ジェフのゆくすえの不安もある。ここ三年ほどジェフを応援している。オシムがいなくなってしまえば、ジェフのリーグ戦制覇を見る機会はかなり少なくなるだろう。それどころか、また入れ替え戦の常連に戻ってしまうのではないか、不安である。
 このように、喜びと不安が入り交じって、今はなんともいえない複雑な気持ちである。
 選ばれし者は、そういった恍惚と不安をかかえて生きていくのであり、オシムにとってそれはユーゴで経験済みだろうが、見ている方はただの人なので、ハラハラする。

補記:川渕三郎の失言は、代表敗退の事実からマスコミの目をそらすためわざとだったという見方もある。私としては、あまりに間抜けすぎて、意図的に失言を作り出したとは思っていない。

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2006年6月23日 (金)

正々堂々の敗戦

 剣道が柔道よりもサッカーに似ているのは、守勢をとりながら試合をすすめてよい点である。柔道は教育的指導があるので常に攻勢をとらねばならないが、剣道はとりあえず一本取られないよう試合運びをしてかまわない。

 相手から一本取っていかなければ勝てないのは絶対だが、作戦として相手が動いたところを狙う(カウンター狙い)のが可能なのである。また、団体戦なら、相手と自分の実力差、それまでの勝ち負けと本数の数を考慮して、引き分けも含めて、次につなげていく戦いができる。

 剣士も、身長の高さを生かす人、速さを持ち味とする人、機先をできるだけ制して積極的に打突を仕掛ける人、出鼻を狙っている人とその持ち味はそれぞれである。

 理想としては、特定の試合運びをあらかじめ念頭におくこともなく、自然体で相手と向かいあい、きれいなでまっすぐな剣道をして、相手に勝つことが望ましい。

 ボクシングの上位者のスタイルが様々なのに対して、剣道の場合、全日本選手権に出場する選手となると、みなきれいな剣道である。

 さて、前置きが長くなった。今朝、日本がブラジルに一対四で大敗した。それを観ていて、ああ正々堂々の敗戦と感じた。まともにやっては、ブラジルに勝てるわけがない。にもかかわらず、正面からやりあって負けた。

 剣道なら、相面(面を打つであろう相手に面で勝負する)で勝てないような相手に、相面を挑んで、一本は取ったものの、立て続けに四本取られたような具合である。

 ジーコという世界屈指の選手が監督となって教えてくれたのは、正々堂々戦う方法だった。剣道で言えば、きれいな剣道。王者のやりかたである。王者の様式がとれるかが重要であって、その結果は問題ではない。

 今大会は、日本の試合を除けば開幕戦のドイツ対コスタリカしか観ていない。コスタリカは引いて引いて守って、FWワンチョペのカウンター一本のチームだったが、もしコスタリカの戦術を日本がとっていたら、いくらなんでも嫌だと思った。

 SAMURAI BLUEが今回の代表の愛称だったらしい。勝ち負けよりも美学に殉じたこと、規律・訓練・戦術に支えられた近代的な兵士ではないという点で、今回の代表はたしかにSAMURAIだった。

余滴:
途中出場の高原の負傷はお気の毒。高原が負傷しなければ、その後、中村俊輔にかえて、遠藤が入っていたかもしれない。中村がかなりへたばっていたのは間違いないが、それより全選手に出場の機会を作ってやろうとジーコがしたかもしれないと思うからである。

午前一時半に寝て、午前三時五十五分に起きて、ものすごく眠かったものの巻のスタメンで目が覚めた。巻はよくやっていたけれども、その持ち味が生きる展開ではなかった。

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2006年6月14日 (水)

ジーコ采配の謎

 火曜日に妻が職場に行くと、サッカーの話題がもちきりで、なぜ小野を投入したのかといろいろ意見が出たらしいが、もっともである。

 守備的にやるのなら、スピードのある玉田か大黒を入れて、オーストラリアのDFに前線からプレッシャーをかけさせロングボールを蹴らせないようにするか、ボランチの選手(遠藤か中田浩二)を引き気味に入れて4-5-1っぽく守らせるのが、普通だろう。

 ジーコは試合後の会見で小野投入の理由を問われると「小野に関しては中村、中田英と中盤でトライアングルを作ることを期待して投入した」(引用元記事はスポナビによる)と答えている。結局、中盤の支配はあまり関係がなかった。端的な采配ミスである。

 だが、小野の交代はそもそも戦術的な交代とはいえない。アジアカップやワールドカップ予選を観てきて思うのだが、ジーコは戦術的な選手交代をまったくしない。私は「ジーコ監督の評価」(2005.07.20)で、ジーコは選手の才能を重視していて、体調が悪かろうが、怪我していようが、疲れようが、控えの選手よりもともとの才能が優れた選手を使い続けると見た。

 だから、アジアカップと同じようにやるなら、リードしている局面で小野と柳沢をかえることはなかったはずである。

 小野の投入は、小野という才能のある選手をワールドカップの舞台でプレーさせたかった、あるいは状況の如何に関わらず、ひかえでいちばん才能のある小野がもっとも事態を有利に進めさせると思ったからであろう。

 状況を見て、それに適した能力の選手の働きに賭けるよりも、サッカーが純粋に上手い選手を無条件に信頼したのだとしか思えない。

 理にかなった戦術的な交代でないのだから、常識のもとでは理解不能である。妻の職場で、素人でもわかるような采配をなぜジーコはできないのかと言われていたらしいが、発想の原点が違うのである。

 オーストラリア戦の敗北の後でも、私はジーコを支持している。それは、ジーコがその能力でなにかを成し遂げてくれるという期待のためではまったくなく、ジーコというかつての名選手(嗚呼、名監督ならず!)が代表監督をひきうけている以上、どんな結果にも甘んじる覚悟ができているからである。

 もっとも、そういった覚悟は今大会だけにさせてほしい。次の監督はワールドカップで結果を残した名将にして欲しい。オーストラリア戦の日本代表と同様にハイボールや3トップ戦術によくさらされるジェフの試合を思い出すと、少なくとも、オシムが監督をしていればなぁと、ため息が出る。

補記:「巻が残った」(2006.05.26)で、ジーコは巻のがんばりを認めたのだと思っていた。しかし、巻が残った一番の理由は、紅白戦要員ではなかったか(われながらいやな想像だが)。センターに立って、ビドゥカの役をする選手として呼ばれたのではないか。オシムも、背の高い選手のいるチームと対戦する前は、巻に仮想敵の役割を紅白戦でさせることもある。だが、練習は練習で、いくらやっても相手(バレーだった気がする)をつれてくるわけにはいかないと、オシムは述べていたと思う。宮本や中澤のがんばりは認めるものの、練習は練習だったということか。

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2006年6月 6日 (火)

サッカー雑誌は買わない

 ワールドカップのためのサッカー雑誌の増刊号・特集号が書店の平棚をしめているが、買いたいという気はほとんどしない。フランス大会、日韓大会ではけっこう買っていたのだが、買ってもむだだと悟った。
 当日の朝刊を読めばじゅうぶんである。試合を観ながら情報を仕入れていっても、そうそう困らない。
 試合のレポートで楽しみにしているのはスポーツナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)の宇都宮徹壱の記事。前回大会のレポートが、雑誌の記事に比べて速報性があり、かつ公正かつ冷静で、一番楽しめたからである。

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2006年5月26日 (金)

巻が残った

 Jリーグではジェフを応援しており、細切れながらも、BSやケーブルでジェフの試合は観るようにしているので、巻誠一郎選手がどんなサッカー選手なのかは、それなりに知っていた。
 精力的で献身的な巻選手は好きだったが、代表には選ばれないものと思っていた。ジーコ監督が選手の才能を重視していることを私はかつてブログに書いたことがある(2005.07.20)。調子を落していても、久保選手の才能は折り紙付きである。フォワードの選手としてかならず残るものと思っていた。
 選考の段階で、どの選手が何試合にでて何得点したかがテレビなどでよく引き合いに出されたが、それはさほど重要なことではない。
 現代国語の教師を引き合いにだせば、最初の期末試験が終わる頃には、だいたいの生徒の学力が把握できてくる。生徒の学力を知るのに一番良いのは、文章を書かせることである。
 試験は水物だからよかったりわるかったりである。学力以上にばたぐるって点をあげている生徒がいたり、きわめて優秀な文章を書くものの全体的なテストの成績はとびぬけてよいわけではない生徒もいる。
 もし私が、ひと学年から生徒を選抜してさらに何かの試験に臨ませるとしたら、過去の試験の結果だけで決めない。目の前の試験の結果よりも、本来の学力(素質・能力)を重視する。
 だから、巻選手が選ばれたのは驚きだった。
 とはいえ、才能はあるけれども学習を怠りがちな生徒と、素質はいまいちだが一生懸命やってきて成績を着実にあげてきた生徒と、どちらが可愛いかと言われれば、当然後者である。努力家を教師は好くのである。
 ほとんど望みがないと言われているにもかかわらず、全力でプレーした巻選手のことをジーコ監督が認めたのは、それはそれでわかる。
 オシム監督は、代表の試合から帰ってきた巻選手を翌日のナビスコカップですぐに使った。
 最初は、オシム監督は巻が代表に選ばれないと思っているのだなと考えた。ところが、巻選手が選ばれてみると、そこがオシム監督の深謀だったと気づいた。
 状態が不良の久保選手に比べて、巻選手が頑強であることは取り柄として主張できるところである。骨折から復帰した柳沢選手も選ばれるとなると、フォワードの選手の怪我が心配である。
 巻のよさをアピールするために、オシム監督はあえて巻選手を強行して使ったのであろう。

補記:ずいぶん前になりましたが、W杯選手選考をとりあげます。スポーツニュースはすぐに載せないと鮮度が落ちますね。試験の結果が学力という考え方もあるわけで、たとえ話としてわかりにくかったかもしれません。

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2006年3月24日 (金)

WBC雑考

 日本が世界一になって、これで野球も人気回復とテレビ関係者は胸をなでおろしているらしいが早計である。だが、サッカーの日本代表の人気は抜群で視聴率も高いが、Jリーグの平均視聴率は5%未満である。むしろ、代表チームが注目されるようになれば、一チームだけ強ければいいという商売は成り立たなくなる。試合そのものをおもしろくしていかなければ、視聴率はあがらない。

 日本が二次リーグで韓国との対戦を控えた頃に、新聞社の記者がネットに配信した文章に「雪辱をはらす」という表現があった(何に書いてあったか覚えていないのは痛恨)。「雪辱」は「辱を雪ぐ(そそぐ)」のであって、はらすをつける必要はない。「雪辱する」でよい。それとも「雪辱をはたす」か「屈辱をはらす」と混同したか。気が立っていたので、角川源義の「角川文庫発刊に際して」の冒頭「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であつた以上に、私たちの若い文化力の敗退であつた。」を思い出してしまった。

 日本対米国は疑惑の判定があったわけだが、実際の勝利と引き替えに、米国には士気の低下をもたらしたのではないか。主催者側が自国に有利なルールを決め、現場では買収されたといわれてもいたしかたのない審判があきらかに嘘の判定をくだす。ハリウッド映画なら、間違いなく悪役である。米国がメキシコ戦にまさかの敗北を喫したのも、初回の疑惑の判定が米国チームのやる気を削いだと推測している。

補足:トリノオリンピックのときは、書いた文章を寝かせておいたら、似たような記事をたくさん見るようになり、使えなくなってしまったので、今回はさっさと載せておく、

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2006年3月23日 (木)

この一戦

 戦いが天下分け目の決戦であることが、当事者にとって理解されている場合とそうでない場合がある。戦国時代の合戦にたとえるなら、前者が関ヶ原の合戦であり、後者が小牧長久手の合戦である。徳川氏が興廃をかけた一戦として小牧長久手の戦いをとらえていたのは当然だが、この戦いの結果、徳川を軍事力によって滅ぼすことができないことが諸大名にはっきりし、それが関ヶ原までつながっていくことを考えると、豊臣家にとっても興廃を決した一戦だった。それがより豊臣家に自覚されていれば、小牧長久手の戦いも別の様相を示しただろう。

 スポーツでも、興廃のかかった一戦がある。ラグビーでは、1995年に145対17でニュージーランドに大敗した試合がそれである。技術面のみならず、カジノ浸りや二日酔いなど不真面目な姿勢での敗戦であることは伝わっていないようで、みな知っている。以後ラグビーはやりたい人だけやれば、といったスポーツになった。バレーは五輪出場権が命綱である。男子はぷっつりと切れ、女子は切れたようで切れていないようだが油断はならない。

 さて先日、日本が優勝したWBCだが、韓国に二敗を喫したままで終える、あるいは三度破れることがあれば、それが野球凋落のはじまりとして記憶されるようになったはずである。当初は、WBCの重要性を日本の球界あるいは日本人はよく理解していなかったのではないか。すべてプロ選手で構成された日本代表の試合はアテネ五輪でもやって、決勝進出がならなかった。だから、WBCで真の日本代表が敗北しても、それもありだと思っていた。

 だが、格下と思われていた韓国に連敗したことは、多くの人々に衝撃を与えた。今年はサッカーのワールドカップである。2002年には、サッカーのあおりをくって、野球の視聴率は上がらなかった。もし、WBC韓国に敗戦したまま終わっていれば、多くの人が野球に見切りをつけたはずである。

 すべての選手をみれば、層は日本の方が厚い。しかし、戦争の基本は戦力集中である。韓国は大リーグをはじめ、できるだけ良い選手を集めた。しかも、アテネオリンピック不出場の屈辱を晴らす気に満ち、また兵役免除のニンジンがぶらさがっているので、士気が高い。小牧長久手の戦いのように国力(ここでは野球の)で劣っている側はこれが生き残りにつながっているとわかっているだけに、はじめから必死である。

 日本はWBCの試合が進むにつれて、事前に囁かれていた打力不足が白日の下にさらされた。大リーグには、松井秀喜がいる、井口がいる、城島がいる、日本にもセパの主力打者が残っていると言ってももう遅い。負けは負けとして記憶されるのみである。準決勝は、日本野球にとって、「興廃この一戦にあり」の試合だった。

 結果は日本の勝ちで面目は保たれた。日本に二回勝って三度目に敗れた韓国にとってはさぞ無念だろうが、項羽と劉邦の垓下の戦いみたいなもので、最後に勝った方が勝ちなのである。

 さて、三度目の韓国戦だが、日本の勝利は不思議ではない。
 まず、投球制限が準決勝で緩和されるので、日本にとって楽になった。WBCでは、投球数は、最大で1次リーグが65球、2次リーグが80球、準決勝と決勝が95球までとなっている。日本の最大の武器は投手力(特に先発の)である。野球は江夏的に見れば、投手と打者の一対一の対決であり、投手が一対一の勝負に勝っていけば当然試合も負けないのであって、この大会に有力選手が招集できたかは問題でなくなる。

 準決勝で先発した、日本球界の至宝、上原はきわめて制球力のある投手で、少ない球数で長い回を投げ抜くことができる。それまでの試合日本代表の継投はかならずしもうまくいっていたわけではなく、七回まで無失点で投げ抜き、継投の危険性を減らせたのは大きい。

 過去二度の対戦で、韓国選手の情報が手に入っていたのも勝利の要因だった。野球の場合、初顔合わせなら、投手力によって、番狂わせが起こりうる。アテネ五輪で日本がオーストラリアに負けたのもそうであり、WBCで米国がメキシコの八人の継投の前に敗れたのも、よく知らない相手と戦ったからである。

 加えて、雪辱に燃える日本に対し、兵役免除のカードを使い切ってしまった韓国とで、士気が逆転してしまった。

 王監督は、神算鬼謀の智将ではない。采配よりも代表選手をまとめられる人徳を買われて監督になった人である。今回、継投も打線の組み方もうまかったわけではない。福留のホームランで帳消しになってしまったが、その直前の打者の五番多村に七回表無死二塁、走者松中で、送りバントを命じたのは、巨人時代の悪い采配のようでげんなりしてしまった。長距離打者に送りバントを命じてもうまくいかない。アメリカ戦でも多村はバントを失敗している。結果、スリーバント失敗である。

 守備のこともあるが、ここが勝負どころとみて、送りバントをさせるなら、宮本を出すべきだった。とはいえ、三塁に行っても、足の悪い(怪我していたらしい)松中を確実に犠牲フライで返せる選手は控えていない。

 王監督が復調を認めていた福留が代打で結果を出したからよかったものの、采配については王さん相変わらずだなぁと思わせるものだった。

 しかし、韓国はそれ以上に采配に迷いがあって、二番手下手投げのキム・ビョンヒョンはひっぱりすぎ、三番手のボン・チュングンと四番手のソン・ミンハンは交代が早すぎである。寒いところでの小刻みな継投は危険である。

 結果さえみれば、日本がやっと順当に勝っただけなのだが、韓国チームは恐るべき相手であった。野球において、韓国が今後決して侮れないことを肝に銘じなければなるまい。

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2006年3月12日 (日)

五輪信じない

 五輪の成績予想は、新聞が事前にいかに宣伝しようといっさい信じないことにしている。私が夏季・冬季あわせて五輪に注目しだしたのが、サラエボ五輪である。スピードスケート500メートルの黒岩彰が期待されていたが、結局10位に終わり、ほとんど注目されていなかった北沢欣浩が銀メダルを獲得した五輪である。黒岩彰はアウトスタートだから負けたうんぬんの議論はあったが、新聞などであれだけ下馬評の高かった黒岩が惨敗したことに、黒岩がてっきり金メダルをとると信じきっていた10歳の私はかなりの衝撃を受けた。以後、私にとってマスコミの五輪予想は大本営発表のようなものになり、どんなことが書いてあっても真に受けず、日本人選手に過剰な期待をしないようにしている。新聞を信じなくなったはじめとしては、よい経験だったかもしれない。
 
 サラエボ五輪では、私の通っていた長崎の小学校では、クロイワー!と叫びながら、ワックスのきいた廊下をスケート風にすべることが流行った。今の子どもたちは、のけぞりながらイナバウアー!と叫んでいるらしい。さもあらん。

補足:荒川の金メダルの翌日に書いたのですが、似たような新聞記事などを見るようになったので、後半を削ってのせました。

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2006年3月 1日 (水)

あまりにマンガ的な

 事実は小説よりも奇なりというが、トリノ五輪でのフィギュアスケートは、マンガ以上にマンガらしかった。キャラがそろっているのである。

 これはマンガだなぁと思ったのは国内予選で中野友加里が台頭してきてからである。フィギュアスケートの状況を、安藤美姫を主人公にしたマンガと解釈するとおもしろい。
 2006年の全日本選手権までの「ここまでのあらすじ(Our Story Thus Far)」を書いてみると、

 スケートが好きな少女安藤美姫は、幼くして父親を交通事故で失う。その後、家族や周囲の人たちの助けもあって、安藤は才能を開花させ、日本そして世界のジュニア選手権で優勝する。女子の公式競技会で、史上初という四回転サルコウをきめた安藤にとって、トリノの道は確約されたものだった。
 しかし、マスコミへの露出が増え、プライバシーが犯されるようになると、安藤は調子を落としていく。精神的な不安をかかえたまま、安藤は全日本選手権を迎えるのだった。

ということになる。

 ここでの中野友加里の役割は主人公のライバルの小ボスなのである。『エースを狙え』だとか『ガラスの仮面』でもいいのだが、(スポーツ)マンガには「主人公よりも能力はやや劣る。しかし、気力が十分で主人公をおびやかす」というキャラがよく出てくる。中野友加里をみたときに、わぁマンガにいるなぁと思ったのである。

 実を言うと、フィギュアスケート選手の中では中野友加里を応援していた。得意技の高速ドーナツスピンは、私にもわかりやすい技だし、何より低い点がついたときの「えっ、何で」という表情がよい。これがマンガだったら、中野友加里は負けることになるのだけど、全日本選手権の直接対決に勝って、切符を手にすることを期待していた。もし出場すれば、不調だった安藤よりもよい成績を残したのではないかと思う。

 じゃあ、その他の選手はというと、荒川静香が大ボス(外国人選手がもっと強かったら中ボス)である。浦沢直樹の『YAWARA!』だったらテレシコワである。『HAPPY!』でもなんでもいいのだが、荒川静香は浦沢直樹マンガのボスキャラの雰囲気がある。一度苦難を乗り越えてきているというのも、キャラとして深みがある。子どもっぽい雰囲気の選手が多いフィギュアスケートの中では、クールな女王としてキャラが立っている。「トゥーランドット」を演技の曲に使っているのも、「氷の」といったイメージを増幅させる。本人のHPやインタビューを見聞きする限り、実際の荒川は、もっと柔らかみのある性格のようだが、マンガだったらそういった扱いである。

 村主章枝や恩田美栄に、マンガだったらどういった位置が待っているかというと、主人公の友人である。癒し系と、『とくダネ!』で分類されていた村主章枝は、『YAWARA!』ならジュディである。明るい年長者として、主人公を励ますのが役割である。実際のところ、安藤と村主に交友関係があるわけでなく、頂点を目指す競技選手なので、現実には単なるお人好しではないとは思うのだが、村主と荒川は仲がよくないらしいし(中つり情報だが)、マンガだったらそういう立場である。

 天才少女浅田真央は、通常のスポーツマンガの公式から、はみ出すキャラなのだが、安藤にとって「そのすがたは何もしらぬ、以前までの私」(異邦人)、というこのキャラが、松本大洋の『ピンポン』風に、作品世界に深みを与えることは間違いなく、こういったキャラの登場も、ある意味マンガだと感じる。

 (ここまでは、全日本選手権の直後に書いた文章に手を加えたもの)。

 さて、トリノ五輪には安藤・村主・荒川が出場し、安藤が十五位、村主が四位、荒川が金メダルとなった。

 安藤の十五位は、実力から言えば不本意なものだったろう。私としては、無難にまとめて入賞を目指すよりは、四回転ジャンプに挑戦して悔いの残らないようにやってよかったと思っている。

 さて、この安藤の成績をマンガ的にみると、なんと大正解なのである。『はじめの一歩』の幕之内一歩が簡単に世界チャンピオンになっては、話が簡単に終わりすぎて困るように、ここで安藤が金メダルをとってしまっては、マンガの連載が終わってしまう。安藤は一敗地にまみれて、今後もかくやといったほどがマンガとしてはちょうどよい。

 次は四位に終わった村主である。現実の村主に関して、素人の意見ながら四位でももっと点差は三位と小さい四位ではなかったのか、スルツカヤやコーエンよりも村主がよい点を取るはずがないという審査員の先入観があったとみるのはひが目か。

 村主は、マンガ的にはどの順番でもかまわない。けがで低い順に終わる。あとちょっとでメダルを逃す。ライバル荒川を押さえて見事金メダルをとる。どれでもよい。とはいえ、安藤が低い順位で終わるのがすでにマンガ的だとすると、現実の四位というのが、一番(悲)劇的でマンガらしい終わり方なのである。

 荒川だが、国内選考での大ボスなので、マンガ的には五輪でもよい成績を収めた方がよい。強いキャラが次の強いキャラに簡単にスイープされて、次のキャラの強さを際だたせる手法も有力だが(すでに浅田にはこのメにあっているのだが)、五輪はなにしろひっぱれないので、『はじめの一歩』の伊達のように、主人公よりも強いキャラとして、トリノではある程度の成績を収めたほうが読者にとってはよい。また、一度挫折しそこからはい上がってきた荒川は、日本代表のトップとして十分に絵になるキャラである。

 金でも他のメダルでもよかったのだが、荒川が金の場合は、ライバルキャラとしてスルツカヤやコーエンはバンクーバーには登場できず、その二人のうちどちらかあるいは両方が荒川を破れば、勝った者が次の五輪のライバルとして残ることになる。

 年齢のことがあるので、いずれにしても、荒川と村主がここで引退して「トリノ五輪篇」を終え、安藤に浅田に中野が中心となり、それにけがに泣かされている太田由希奈、未知の新選手などを加えたのが、「バンクーバー五輪篇」になる。

 トリノ五輪金メダルの荒川に二連勝している浅田がいるので、少なくとも安藤を主役にしたマンガでは、ライバルに困らない。

 誰の目にもわかるように安藤の弱さは精神力であり、そういった弱さを支える男性が出てきて、ロマンスが起こるのがマンガなのだが、そこらへんが現実にどうなるかどうか。安藤の受けた重圧は私には想像もつかないほど大変なものだろうが、まずはスヌーピーの出てくる『PEANUT』がいかにブラックなユーモアを含むか知るところから、精神面を鍛えていってはどうだろうか。

 今回のフィギュアスケートの持つドラマ性はかなりのもので、もしトリノ五輪を知らない人にフィギュアスケートの話をしたら、お話すぎると言われるのではないか。深田恭子を主人公にしてフィギュアスケートを題材にドラマが作られるようだが、なまはんかなものでは現実はこえられない。

 なにはともあれ、荒川静香の金メダルはとてもよかった。五輪になると「感動をありがとう」という文句が飛び交う(実はまったく好きな言葉ではない)。ふつうの五輪では努力して勝利を得た姿が感動の対象であるのに対し、荒川の金メダルは通常の感動に加えて、荒川の技術・演技が作り出す美が感動の対象になっている。

 全日本選手権前後から、週刊誌でのフィギュアスケートに関する記事は、読んでいてぞっとするような書き手の嫉妬や揶揄の含まれたものが増えたが、そういった記事を書いた人たちは、見識をあらためて欲しい。とはいえ、もう週刊誌は荒川の醜聞を集める(でっち上げる)のに必死のはずである。とはいえ、私のこの記事も、当の選手がみたら(特に中野選手とか)、なにいってんのよと怒りだすような内容なのではあるが。

補足:差別語特集の真っ最中でしたが、荒川が金メダルを取った翌日に、途中割り込みして、これを載せようかかなり迷いました。差別語特集はまだつづきますが、もう我慢できませんでした。

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2006年2月 9日 (木)

たいこ合気道

 大学一年の頃、語学のクラスで一緒だった女の子Sさんは、合気道のサークルに入って楽しくやっていたようだった。体格が良かったことがあるのかもしれないが、合気道の技を覚えて、ポンポン人を投げていることを、楽しげに語ってくれていた。
 夏休みを目前としたあるとき、ちょっと技をかけてあげるから、腕を貸してと、右腕を前に出さされた。Sさんは私の手首をつかんで、その出っ張った骨のあたりをうんうんと折るように力を込めた。私は正直痛かったのだが、痛い痛いとうったえるのもみっともないので、やせがまんしていた。Sさんは、おかしいなおかしいなと、私の手首を何度か持ちかえて、力を込めなおしたあとに、「エッ、痛くないの」と聞いた。そのときになって、私はものすごく痛いよと文句を言った。
 恐ろしいのはそれからで、半月ほどは冷房の効いたところに行くと、つかまれた手首に鈍痛が走った。今でもひと夏に一度は、冷房の効いたところに行くと、つかまれた手首の痛みを思い出す。

補説:念のために書いておきますが、記事名は落語のもじりです。

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2005年12月27日 (火)

西野朗の名誉回復

はじめに:補記にも記したように、この文章は「週刊アカシックレコードのような陰謀説を書いてみたいと思ってものした戯文」です。妄想を書いてみたいと思ったので、書きました。おしまいまで読めばはっきりと戯文とわかると思いますが、なんてでたらめなことを、と途中で怒りだす人がいるかもしれないので、冒頭に書いておくことにしました。(2008.07.13)

 2005年度のJリーグは、最終節にガンバ大阪が優勝を決めた。前に書いたように、私はジェフ市原千葉を応援しているが、ガンバ大阪の優勝には惜しみなく賞賛を送りたい。2000年度前期のシーズンで、セレッソ大阪が延長で敗れ、横浜Fマリノスの優勝が決まるのを、マリノスの試合が終った後の、国立競技場オーロラビジョンで見たことがある。今回最終節はは、テレビでセレッソ大阪の試合を観戦していたが、サッカーとは本当に下駄を履くまでわからない(古めかしい表現だが興行だしこれを使いたい)。

 さて、ガンバ大阪の西野朗監督は、これで憑きものがおちただろうか。憑きものとは、もう十年ほど前になる1996年のアトランタオリンピックを取材した金子達仁『28年目のハーフタイム』(文藝春秋、1997・9)によって着せられた汚名である。

 この本によって、アトランタオリンピックでブラジルから金星をあげ、予選リーグ突破寸前までの戦果を上げた名将という栄誉は失われ、ブラジル戦の前に大敗の悪夢をみる小心な人間、また才能溢れる若い選手たちを統率できない凡将であることが、あまねく宣伝されたのである。

 では、西野朗の実力はその後どう発揮されたかというと、柏レイソルの監督時(1998~2001)には、1999年、同クラブにナビスコカップをもたらした。2000年には年間最多勝ち点をあげ、総合3位となり、Jリーグ最優秀監督賞を受賞している。

 2001年の途中で解任されるが、2002年より監督を引き受けたガンバ大阪では2002・2004年に年間3位の成績を上げ、そして2005年に年間優勝を果たした。

 以上のように西野朗は決して無能な監督ではなかったが、『28年目のハーフタイム』が中田との不和を報じてしまったため、中田が代表を引退するまで、代表監督にはなれないといわれている。

 西野朗は善人で、どこの馬の骨とも知らないスポーツライターに、聞かれるがままを答えて、相手に都合よく利用されてしまった。のちに電波ライターの名を馳せる金子達仁にとって、西野朗の指導や采配によって勝ったということには絶対にさせない記事を書くことが目的であったにもかかわらず。

 日本の映像市場へ海外サッカーの試合番組(今ならコンテンツとかいうんでしょうが)を売り込む先兵の役割を、電波ライターたちは果たしていたからである(以前書いたが、電波ライターにはちゃんと電波の送り元があり、おかしな発言をするのは頭の問題ではない)。海外サッカーの番組が日本で放送され、日本の雑誌などで海外サッカーへの関心が高まることは、自らの仕事を増やすためにまず有益である。それ以外に、番組放送をもくろむ広告会社などが蔭で糸を引いていたのではないかと推測している。

 海外のサッカー番組が日本でもてはやされる為には、海外のリーグで、日本人選手の活躍が是非とも必要であった。中田たち以前に、カズがジェノアでセリエAに挑戦している。これについて、ヒモつき(資金つき)と金子達仁が批判しているのは、資金を出したのがフジテレビであり、海外サッカー番組を日本に売り込もうとしている会社とは別物だったためだろう。

 「実力」で移籍した日本人サッカー選手の存在が、番組を売り込むためには、不可欠であり、金子達仁ら電波ライターにとって、有望なオリンピック代表選手にとりいり、海外志向を植えつけることは重要な使命であった。

 なお、中田英寿は、カズとは違って、直接の資金援助なしで、セリエAのペルージャに移籍したと言われるが、実際のところはわからない。私は、直接の資金援助はなかったと思っているが、日本でレプリカユニホームを売る算段をペルージャがしていたことを考えると、ジャパンマネーの影響が皆無だったとはいえまい。

 中田英寿はかなりのマスコミ嫌いで知られる。日本のマスコミの低水準にあきれているからと思われているが、中田は決して高水準とも思えないイタリア現地のマスコミにはこころよく取材に応じている。セリエAを放送するチャンネルを持っているマスコミ(日本では新聞・雑誌とテレビの関係が密である)以外は、セリエAに視聴者が関心を持つことは好ましくない。結果として、それら日本のマスコミにとって、中田の取材の目的は、短期的にはその場の視聴率、長期的には中田をおとしめることにある。中田は、英明なのでそれに気がついたのかみしれないが、電波ライターたちが中田にそれをほのめかし、取材源として囲い込もうとしたのが正解ではないか。

 電波ライターの主な活躍の場であった「NUMBER」誌(文藝春秋)は、スカパー!のような衛星放送との事実上の提携誌に早くよりなっている。プロ野球ではわずかに阪神が特集されるだけだが、これも関西以外の阪神ファンは衛星放送を利用しないと阪神戦をすべては見られないためである。今後、巨人が独走態勢になる年があったとしても、巨人を特集する可能性はきわめて低いと思われる。

 閑話休題。金子達仁にとって、幸運だったのは中田英寿が、日本サッカー史上屈指の才能を持ち、環境の異なる異国の地で目覚ましい活躍を果たしたことだろう。金子達仁は、しだいに現場での取材を怠り、有名選手との関係をメシの種にする「おともだち」ライターに堕していったとはよくいわれる批判である。だが、金子達仁は苦労して、自分の駄文を売る市場を開拓したのである。栄華の夢にひたって、駄文でお金を稼いでも、それは年金をもらうようなもので、批判するのは酷であろう。

 金子達仁にとって、大事だったのは、海外賛美と日本批判であり、西野朗の次は、加茂周へと批判の矛先をむけた。金子にとって、さらに幸運なことに加茂周は優秀な監督でなかったために、批判が正鵠を得たのであるが、金子の立場上日本人なら誰でも批判したはずである。

 結局、金子はサッカーそのものへの尊敬の念を失い、日本サッカーへの自虐的な発言を何も考えずに行う習慣を身につけたため、2002年ワールドカップの日本初戦の試合を、不用意にポルノに喩えて、すでに減りつつあった声望を一気に失う。なお、金子ら「電波ライター」を多数起用した「NUMBER」は、ワールドカップ特集では「SPORTS Yeah!」(角川書店・サンケイスポーツ)に大きく市場を奪われる。電波ライターは海外サッカー番組を売り込むことが至上の使命であり、「海外リーグ>ワールドカップ」の評価なので、よい記事が書けるわけがないのである。

 山本昌邦は、2002年ワールドカップで日本代表コーチを務めたあとは、暴露本『山本昌邦備忘録』(講談社、2002・12)を出して、トルシエの名誉を奪い、手柄をおのれに帰した。監督をしたアテネオリンピックは、不十分な成績であったにもかかわらず(あるいは、あったため)、『山本昌邦指南録』(講談社、2005・1)で、自分の指導力を誇示している。

 これについて、西野朗が悲惨な目にあったため、日本サッカー協会が率先して手を講じたのか、山本昌邦が小心な策士なためかはわからないが、誰が書くにせよ、「ノンフィックション」で書かれたことを鵜呑みにしてはならないという教訓だと私は受けとめている。

 2006年ワールドカップのジーコ監督の後釜に、アーセナルのベンゲル監督の名が上がっているが、虚報だと推測している。協会としては、このあたりで日本人監督を登用したいのではないか。だとしたら、山本昌邦よりも西野朗が適任だと考えている。

補記:「週刊アカシックレコード」のような陰謀説を書いてみたいと思ってものした戯文です。次の代表監督ですが、イビチャ・オシムがジェフの監督を来年は引き受けないのなら(引き受けて欲しいのですが)、年齢が厳しいことは十分承知の上で、やって欲しいと思っています。

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2005年11月24日 (木)

オシムサッカー

 Jリーグではジェフユナイテッド市原千葉を応援している。オシムサッカーが魅力的だからだ。攻撃の際は、どんどん人数が上がって数的優位を作り出す。画面の外でどう動いているのかわからないが、テレビで観戦していると、いつの間にかジェフの人数が多くなっている場合が多い。失点も多いが得点も多く、観ていて楽しいサッカーである。
 また、試合終了後のインタビューでオシム監督が何をしゃべるかも楽しみである。試合終了後には、ジェフのHPを開けて、インタビューを見るようにしている。含蓄に富んだその内容の一部は、オシム語録として抜粋されてもいる。
 予算や観客動員の規模ではJ2に落ちてもおかしくないジェフが毎期優勝争いにからみ、今年はナビスコカップを制したのは、監督の力が大きい。
 代表と高校サッカーも含めて、ここ何年かサッカーを観に行く機会がないが、もし余裕があればジェフの試合を是非観たい。

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2005年10月27日 (木)

うろおぼえで

 一昨日、千葉ロッテマリーンズと阪神タイガースの日本シリーズ対戦成績が三対〇になったとき、高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社、昭和63)から二つのエピソードを引用しようと思っていた。
 一つめは、タイガースルールといって、弱いタイガース(優勝した年以外の八十年代のことですよ)のために、外野フライでもヒットになるとか、などの救済ルールのこと。
 二つめは、大洋ホエールズの選手田代富雄(オバQだね)が、野球の神様に、「ロッテオリオンズ」「川崎球場を本拠地とするチーム」「水上善雄がいるチーム」に移ることを選べと言われること。
 さて、タイガースは一昨年(平成15)、そして今年(平成17)のセリーグの覇者である。
 九十年に水上善雄は広島へ移籍し、九十一年にロッテは千葉マリンスタジアムに移り、九十二年にチーム名が「マリーンズ」になった。
 この隔世の感から、先の引用を考えたのである。
 ところが、大学院の同級生だった巨人ファンMから四年ほど前にもらった河出文庫版『優雅で感傷的な日本野球』を読み直すと、そんな場面はどこにもないのである。うーん、高橋源一郎でも『ペンギン村に日は落ちて』(集英社、平成1)だったか、『さようなら、ギャングたち』(講談社、昭和57)だったか……。
 最近、論文を書いていて、複写は手元にないものの、「**は~~ということを言っている」として他者の本から言説を引用したのだが、注をつける段になって調べなおしたところ、私が記憶していたような内容は、その本には全くなかった。しょうがないので、言説の引用そのものを省いてしまった。
 このようなこともあって、うろおぼえが多いものだと、呆れている。

補記1、水上善雄さんは現在マスターリーグで活躍中のようです。さすがに現役時代の髪型ではないようです。なんと、ブログも書いていらっしゃって、少し読んだのですが、かなりいいことが書いてあります。

補記2、「マリーンズ」というのは、九十一年に週刊マガジンで連載が始まった「名門!第三野球部 飛翔篇」(要するにプロ篇です)の千葉の弱小球団「千葉マリンズ」(セリーグという設定でしたが)と、同じで(名称はロッテがあと決め)高校の同級生たちとおおいに受けたもんです。

補記3、昨日マリーンズがタイガースを破って日本一になりました。マリーンズおめでとう。ロッテファンで、もう十年以上も会っていない高校時代の同級生Eも喜んでいるでしょう。マリーンズの選手が三勝目の勝利インタビューで「阪神は近鉄より弱い」とか言っておけば、最終戦までもつれたかもしれません。

補記4、上記に関して。近鉄バファローズはもちろん平成十六年が最後です。「阪神は近鉄より弱い」は、平成元年の日本シリーズで、第三戦までに近鉄が三連勝した際、加藤哲郎投手が勝利インタビューで言った「巨人はロッテより弱い」(ロッテはその年パリーグ最下位でした)の洒落です。今、ネット検索にかけると加藤哲郎投手は、実際のところ、そのような発言をしておらず、インタビューを過激に意訳した新聞の見出しがそうだったため、暴言を吐いたと思われたそうです。いやぁマスコミって怖い。
 平成元年のシリーズをビデオに録って見ていた高校の同級生によれば(当時の日本シリーズは昼興行だったし、貧乏なうちにはビデオがなかった)、日本テレビのアナウンサーが加藤哲郎投手に無礼な質問をしたので、腹を立てた加藤投手がそういったとのこと。アンチ巨人ファンの同級生どうし、加藤投手の発言(とされたもの)には溜飲を下げたのですが……。

補記5、日本シリーズが昼興行だったころは、携帯ラジオをクラスのうちだれかが持ってきて、授業中こっそり経過を報告するのが(日本中?)当たり前だった。意気な先生がいて、授業をやめにして日本シリーズを一緒に聴いたこともあるが、今なら問題になるんだろうなぁ。

補記6、ケーブルテレビに加入しているので、プレーオフは第一戦から観てました。さすがに時間がないので、要所要所でテレビをつけて確認という形でしたが、ライオンズ戦、ホークス戦ともに熱戦ばかりで、久しぶりにプロ野球を堪能しました。埼玉に住んでいるのでライオンズを、長崎出身なのでホークスを応援していましたが、マリーンズの頑張りがまさったようです。
 日本シリーズは大差がついた試合もあったものの、有識者の解説によればちょっとしたことで、流れが変わってしまったことが何度もあったようです。点差は開いた試合でも、内容は接戦だったということでしょう。
 何にせよ、いいファンのいるチームが勝つことはいいことだと思います。

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2005年10月12日 (水)

使い続けることに

 もともと人に教えるのは苦手だった。塾でいきなり高校三年生を任されたのだが、下手だったので、最初の頃はずいぶんと私のクラスから生徒が転出した。最初の年は、けっきょく生徒に助けられる感じで最後までやりとげた。今でも、あのクラスの生徒は全員思い出せる(少なくなったしなぁ)。
 最初の年で馘首かと思ったが、聞くところによれば社長は「Yはよく頑張っている」と言っていたそうで、なんとか翌年度以降も雇ってもらえた。自分でまずまずと思えるようになったのは、四年目が終ってからである。
 「頑張っている」といえばよい評価のようだが、つきあいで観に行ったがつまらない芝居だったときに、相手にかける言葉が「頑張っているね」である。どんなにひどくても、頑張らないでできる芝居はないからだ。逆を言えば頑張ってもひどくなることがあるので怖いのだが。
 九十七敗した楽天の田尾監督が解任された。九十七敗とは、評論家が百敗するとした予想に近く、楽天の戦力から言うと妥当な結果である。一概に田尾に責任があるとは言えまい。野球やサッカーでは複数年契約しておきながら、途中解任されることが多いが、あれはなんなのだろう。福岡ダイエー・ホークスが1989年に出来てから、初優勝まで十年かかった。1995年に就任した王監督だって、巨人からダイエーに移ってきたとき、名監督というふれこみできたのではなかった。
 すぐに結果を出したい気持ちはわかるが使い続けることに意義ある。東北「楽天」ゴールデンイーグルスは意外と早くなくなるのではないかと思っている。

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2005年8月 9日 (火)

映画『800』のことなど

 『800』という八百メートル走を題材にした映画が平成六年に作られている。私は平成七年ごろにレンタルビデオでみている。川島誠の小説が原作なのだが、もとがマガジンハウスから出版されていたこともあり、今年の六月に角川文庫に収められるまで、原作があることに気づいていなかった。小説は八月現在も近所の書店に平積みされており、買う予定はないが、気になってはいる。
 私は剣道部に所属していたものの、足を見込まれ、中体連の八百メートル走の選手に学校代表として選ばれた経験がある。八百メートル走は陸上の中でそれほど人気のある種目とは思えないので、それが映画になったとは驚きであった。
 映画では、がむしゃらな肉体派と頭脳派と二人の男子高校生の走者が主人公であり、同じく陸上選手の女の子や亡くなった男の先輩などと、三角・四角関係が描かれている。映画そのものはだいたいよく出来ていたと思う。
 ただ、二人が高校総体の県大会の場で雌雄を決する最後の場面がいただけなかった。高校総体の県大会なので、よい競技場が使われているのだが、エキストラを集める予算がなかったのか、観客席がガラガラである。
 そのくらいはまあ目をつぶるとして、致命傷だったのは、二人の役者に八百メートルをそのまま走らせてしまったことである。力走しているのだが、いかんせん遅いのだ。二人だけで走らせるわけにはいかないので、おそらく大学の陸上部から人を呼んできて、エキストラとしてうしろを走らせているのだが、これがあきらかに流しているとわかる走り方なのである。意地の悪い私は、ビデオを巻き戻して、いったいどのくらいで走っているのか、ストップウォッチで計ってみた。昔のことなので記憶が曖昧だが、二分半を優にこえていたと思う。私の最高記録が二分二十一秒だった(気がする。これはかなりうろおぼえ)こともあって、すっかり興ざめしてしまった。
 八百メートルを全部走らせるのを流しで撮るのではなくて、四百メートル走ぐらいの迫力で走らせてそれを編集すればよかったのである。それに比べると映画『ピンポン』は、編集に特殊効果を重ねることで、うまく卓球の場面を描いて、卓球好きも満足できたのではないかと思う。
 なお、八百メートル走のことを「走る格闘技」と、ビデオの箱および小説裏表紙解説は紹介している。百メートルの選手が、腕が当るというので、私とトラックを走るのをかなり嫌がっていたことを思い出した。私自身、剣道をしていたこともあって、少しも格闘技とは思っていなかったが。
 

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2005年8月 6日 (土)

高校野球改革案

 高校野球の改革案を述べる。現在は甲子園ですべての試合が行われる。それを、会場を分散させ、日程も間隔をあけて行うことにする。なにも甲子園だけではなくても、グリーンスタジアム神戸や大阪ドームなど立派な球場が関西にはある(岡山マスカットスタジアムも候補にできよう)。過密スケジュールが緩和されれば選手にはよいはずである。あこがれの甲子園がと思うのかも知れないが、サッカーだって開会式直後の一試合を除けば、サッカーの聖地国立競技場は準決勝からである。死のロードを強いられる阪神の負担を減らせるので、トラキチにも朗報ではないか。
 とはいうものの、たかだが高校総体の一競技にもかかわらず、高野連は観客の増減にかなり神経質であり、後援の新聞社は高校野球を販売促進の材料としているので、こういった観客を減らしたり視聴率の低下(ひいては野球人気の低下)につながる案が実現しないことは、よくわかっている。
 しかし、無理とはわかっていても、時折そういったことを言いたく気持ちもわかってもらえるだろうか。ちょっと歳をとったので、炎天下高校生を連投させて当然とは思えなくなってきたのである。

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2005年7月21日 (木)

マキシシングル

 マキシシングルという言葉を初めて聞いたのが、五六年ほど前だろうか。最初はなんのことだがよくわからなかった。言葉からは、近鉄バファローズのユーティリティーブレーヤー(いくつもの場所を守れる選手ということです)真喜志康永がシングルヒットを打っているという連想がちらつく。
 ええ、ただそれだけです。

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2005年7月20日 (水)

バレーボールの応援

 バレーボール中継に、応援として出演していた未成年タレントが飲酒騒動で無期謹慎となった。嘆かわしいことに、フジテレビの女性アナウンサーがわざわざ呼出しての飲酒らしい。女子バレーの視聴層として、二十代未満の女性を想定しており、選手の宝塚的な魅力と、ジャニーズタレントの人気を使って、番組を見させようという発想はよくわかる。電車の中で、サッカーのチャンピオンズリーグの話をしているのは男子大学生あたりだが、女子バレーの話をしているのは女子高生あたりだからである。
 とはいえ、バレーの応援、いいかげんに形を変えないか。今回の件で、放送局ならびにそこに応援のため出演している人々、すなわち選手とチームのスタッフを除いた面々は、実のところ選手と一緒に戦っていなかったことがはっきりした。地方を巡れば地産のものを食べたくなるだろうし、少しぐらいはアルコールで口をしめらせたい気持ちもあっても構わないだろう。しかし、翌日にまたバレーの応援という仕事があるのに前後不覚になるまで飲むとはどういうことか。一番呆れているのは選手だろう。
 観客席のよいところに陣取ってうちわを叩いているだけのタレント。そんなものを写している時間があったら、もっと選手を写せないのか。タレントも選手の荷物を持ったり、ボールボーイをしたり、選手をタオルであおいでやったりすればよい。私がタレントだったら、お飾りのようにぼうっとテレビに映っているのは耐えられないが。
 お飾りのタレントは外して選手だけを写してほしい。アナウンサーももっとバレーに詳しく興味のある人を登用してほしい。タレントが座っていた席には、もっとバレーが好きな人たちを座らせてやればいい。
 現方式が続く限り、私は決してバレー中継を観ない。

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ジーコ監督の評価

 ジーコ・ジャパンを応援している。監督としてジーコが好きになったのは、様々な困難があったアジアカップで毅然とした態度をとっていたからである。インタビューに対してジーコが答える内容は、スポーツマンシップに充ちていた。ヨルダンとのPK戦の際に、ヨルダンの選手がPKをきめたあと、日本選手を挑発するような態度をとったことについて、そのような態度を見たことがないと批難したのは恰好よかった。最近では、鈴木隆行が記者に笑われたことに腹を立て、記者会見を以後拒否したのも好ましい。かつての名選手であり、また高潔高邁な人格の持ち主であるジーコが日本代表の監督であることを誇らしく思う。
 ちょっと能力に欠点はあっても、人格的に魅力のある人物を頭目にしたがるのが、日本人の特徴である。山川草木轉荒涼、乃木大将のように実際の戦争で大損害を出すのなら能力第一主義といきたいところだが、ここはたかだがサッカーのこと(敢えて言おう)。ジーコと心中で私は悪くない。
 ジーコの選手起用の発想は、ジーコがキャプテンを務める上手い選手だったことが大きく影響していると感じる。サッカー選手の能力(才能)の優劣に対する信頼である。才能のある選手は、疲れていようが、怪我をしていようが、もともと才能で劣る選手よりいい働きをすると思っている。これは選手の発想である。ジーコ自身、疲れていようが、ちょっと怪我していようが、他の選手よりいい仕事ができると、現役時代思っていたので、そのように選手を起用するのだと思う。草サッカーのガキ大将がそのまま大きくなったように感じるのである。

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2005年7月18日 (月)

五輪サッカーの放送

 五輪のサッカー中継も日本では行われるが、シドニー大会あたりより、文藝春秋社のナンバー誌では、オリンピックのサッカーに熱を上げているのは日本ぐらいといった言説がそのつど散見する。
 私は人生の中で一番時間をかけたスポーツが剣道なので(このさい、剣道は武道でスポーツではないとかいう見方はおいておく)、テレビ中継が、全日本選手権のほかは、きまぐれで国体が映る程度のもので非常に稀であることは寂しい。もっとテレビで放送されていれば、それを見て剣道を始める機会が増えるだろう。野球はもとより、テレビ中継の多いサッカーは、非常に羨ましい。五輪のサッカーがテレビ中継されるからといって、それに水をさすのはおかしなものだと感じていた。
 が、歳月を経てようやく全体のからくりがわかってきた。
 ナンバー誌は、WOWOWやスカパー!などの衛星放送が広告を出しているのだが、WOWOWやスカパー!が売っているのは欧州選手権をはじめ、欧州各国のサッカーの試合である。要するに、五輪は程度が低いというのは、裏を返せば、WOWOWやスカパー!の売っている番組はレベルが高いので見ろということである。
 かつて総合的なスポーツ雑誌であったナンバー誌は、現在にいたって、ほぼ隔号ごとに欧州サッカーを伝える雑誌となってしまったが、それはスポンサーの意向だろう。ナンバー誌の読者のうち、私のように欧州サッカーばかりの紙面についていけなくなって定期的に読むのをやめてしまった人も少なくないだろうが、けっこうな数の人がこれから流行りは欧州サッカーと知らず知らずのうちに誘導されて、WOWOWに入ったりCSアンテナをつけたりしたのではないだろうか。WOWOWやスカパー!がどのくらい広告料を出しているか知らないが、宣伝効果はWOWOWやスカパー!の広告頁だけでなく、ナンバー誌そのものが欧州サッカーの宣伝誌とある時期からなっていたのである。
 欧州サッカーへの宣伝効果さえ保てるのなら、「電波ライター」であっても干されることはなく、どんなにサッカーの本質から遠くても、見る人のとっつきになるという点で、システム論は語られ続けられる。「電波ライター」は衛星からの電波を受信しているのである。また、欧州サッカーの視聴層は、暇かつお金に余裕がある独身男性の世代が中心となる。こういった世代が、サッカー番組をみて、新たにサッカーを始める可能性は低い。監督論やシステム論を戦わせるのが関の山である。欧州サッカーの太鼓持ちにとって、五輪のサッカー放映が今後の振興につながるかなど、どうでもいいのは当たり前の話なのである。ある読者層に目を付けて、それを全体的に誘導しようという試みとして、WOWOWやスカパー!といった衛星放送とナンバー誌の関係は興味深い

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2005年6月21日 (火)

同級生のプロ野球選手

 私の小学校の同級生でプロ野球に進んだのが一人いる。ここではM選手としておくが、当時、常にリーグの上位にいた球団にドラフト四位で投手として指名されたのだった。小学校の六年間でM選手と私は一度も同じクラスになることはなかったが、M選手は運動神経の優れたスポーツマンとして、学年で知らぬ者がない存在だった。高校野球では怪我に泣かされ、地方予選を勝ち抜くことができなかったが、将来性を買われてドラフトにかかったのだろう。
 それから毎年選手名鑑で名前を探したのだが、とうとう一軍に上がることなく八年の選手生活を終えた。選手名鑑というのは面白いもので、好きな歌手を答える欄があるが、M選手は常に高校の母校先輩である大物演歌歌手Mの名前を上げていた。それは入団から退団の年まで変わることがなかったと思う。大物演歌歌手Mは哀愁のあるヒット曲がいくつもあり、高校を卒業したのち、故郷を離れて試煉の道を選んだM選手にとって心にしみたのはおかしくないのかもしれない。
 だが、M選手が母校の先輩であるという理由で演歌歌手Mをあげていたことは無理をしていたのではないかと思っている。かの球団には、投手として入団しながら、野手に転向し、そののちメジャーで活躍している選手もいる。プロの球団では、高校時代に投手でありながらプロに入団した後は野手として育てることを前提としてドラフトにかけることもあるという。M選手も野手として球団が期待していながらも、投手として選ばれた自分をあきらめきれなかったのではないか。そういった保守的な気質が、好きな歌手は演歌歌手Mという答えに反映されている気がする。
 あくまで、わずか一行のプロフィールにもとづく勝手読みである。バカバカしいと思うかもしれないが、それだけM選手の活躍を私が見たかったのだと思って欲しい。

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2005年5月15日 (日)

長崎でのヤクルトの試合

 プロ野球にはフランチャイズという興行権が各地域に設定されているが、長崎ではヤクルト・スワローズがフランチャイズを持っていた。ヤクルト・スワローズのオーナーだった松薗氏が五島出身だったためらしい。松薗氏が、巨人が優勝してヤクルト・スワローズは二位でよいという主張をしていたこともあってか、80年代後半のヤクルト・スワローズは大変弱かった。
 また、長崎にあった大橋球場は、温水シャワーすらないという選手にとって人気のない球場だった。また非常に狭かったため、ホーナーが一試合三本のホームランを打ち、「センターフライがホームランになる」などとコメントしていたと思う。今ではビックNという立派なスタジアムが出来て、隔世の感がある。そんなこともあってか、長崎には、巨人は決して来ず、広島との試合が多かった気がする。
 また、試合があるのも、ちょうど五月の中間テストのあたりと決まっていて、中高生にはほとんど観に行く機会がもてないものだった。
 私は土橋監督時代からのヤクルト・スワローズファンだが、関根監督時代が一番面白かったと思う。池山・広沢・外国人のクリーンナップに、若松・杉浦・八重樫・角といったベテランがおり、栗山・苫篠・荒井といった若手が控え、一茂だって花を添えていた。弱投のチームだったが、尾花・高野などが力投していた。確か、最高成績は三位止まりだったと思うが、観ていて楽しい野球だった。
 野村監督になって、ID野球となり強くなったのは嬉しかったが、贅沢ながら面白みはやや薄れたと思う。92年に東京に出て、ヤクルト・スワローズの試合を観られるようになったのはよかったのだが、球場で観る試合は、投手交代の間が長くて眠ってしまうことが多く、またチケットもそう安くないこともあって、足が遠のいてしまった。終りの時間が決まっていないスポーツは観に行きにくいのも確かである。
 ここのところ交流試合が行われている。昨年まで、今時分に交流試合が行われることはおとぎ話だった。ヤクルト・スワローズが90年代を代表する強豪チームになることも、松薗オーナーの時代には夢のまた夢であった。感慨を込めて記す。
 

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