2008年9月12日 (金)

Dahon Metro購入記

<もともとたった一人しか「友だち」のいないSNSの日記用に書いていたのですが、長くなったのと、購入の参考にする人がいるのではないかと思って、ブログに載せることにしました。文体がふらふらしているのはそのせいです>

先日、量販店やホームセンターではなくて、きちんとしたサイクルショップへ。

折りたたみの自転車を探していることを告げるとDAHONの自転車を勧められる。
まあ、このあたりは予想済みというか、外から見えるように飾ってあるし、DAHONの取扱店の一つに上げられていたので、そうなるだろうと。

Mu P8ぐらい買おう、もっと高いの勧められたら考えちゃうぞ(場合によっては買う)と気合いを入れてお金をおろしてきたのだが、店主が勧めるのは一番下のランクのMetro。まあそうだろう。自転車ほぼ素人の中年男が幼稚園年中組の息子(16インチタイヤ)とサイクリングにたまの週末に行くだけなら、いい自転車はいらない。埼玉に点在するサイクリングコースを走る予定だし、そもそもスピードを出す必要がない。

Mu P8とMetroの違いは、

Mu P8がハンドル回しの八段変速に対し、Metroは六段でレバーとボタン。

Mu P8のほうがチェーンリング(こぐとこの輪っか)が大きめ。

Mu P8が厚みのあるグリップに対し、Metroは普通のグリップ(ただし、Metroも同じようなグリップに取り替え可能だと言われた)。

Mu P8にはMetroにある泥よけがない(追加は可能らしい)。

Mu P8だけの特徴といえば、たたんだときに最後に磁石でくっつく。サドルがちょっと高級そう。ハンドル角度が簡単にいじれる。胴体折りたたみ部分のヒンジにカバーがついている。ボトルケースがつけやすくなっている。前輪がクイックリリース。シートポストが空気入れになっている。

定価(税抜き)はMetroが三万二千五百円。Mu P8が八万五千円。五万二千五百円の差でそうなる。

Mu P8は、マウンテンバイクかロードバイクをすでに持っていて、自転車について素人ではない人向けという感じ。クイックリリース、シートポンプがあるということは、少なくともパンクぐらい自分でほいほい直せますよという人向けの仕様。
これから勉強するし、長持ちするように上級版を買えばいいかなというのは、私が若かったころの発想。とりあえずの用途にかなうもののうち、いちばんリーズナブルなものを選ぶというのが家庭人の選択。

カメラとかパソコンとかもそうだが、素人客にハイスペックなものを売りつけようとしないお店は信用がいく。
素直にMetroにしておく。
店主は、そういった使い方だと家族全員が(折りたたみ)自転車を持つことになるというし、そこまで自転車の趣味が続くなら私が上等なのに乗り換えて、Metroを妻に譲ればいいかと。

迷ったのは色。他の車種はほぼ選べない(MuP8の現品は白かぎりだった)が最下位のMetroは(最大七色)選べる。暗い系をまず選択から外し(なお、黒はホコリが目立つらしい)、赤はあまりにありきたりだからやめ、意外と見栄えのするクラウドホワイトと、店主おすすめのマンゴーオレンジで迷う(店主は白の方が、靴底のゴム跡がつきやすいといったけど、それは変わらんのではないか。ついたときに目立つかどうかの差だろうし、白とオレンジならどっちも目立つだろう)。なお、ポリッシュは在庫がなかった。

マンゴーオレンジはけっこういい色。キラキラ光っているので濃いめのゴールドといってもいいかも。ちょっと派手で恥ずかしいかもと思ったのだが、オレンジのほうが事故に遭いにくいかもしれないと思ってそれにする。
本当に遭いにくいかは知らない。祈ろう。まあ、物事を決めるには理由付が必要ということで。
値引きがあって、税込みで三万二千円弱ほど。

必需品だけど高かったのが、付属品。ライトに三千六百円。鍵二つに三千円弱。ヘルメットに一万円超。全部、店主お薦めの品にした。

そんなにスピードが出る車種でもないし、サイクリングロードでの使用を想定しているので、ヘルメットがなくてもよかったのだが、息子に示しがつかないし、将来的に普通の車道も走りたいし、そもそも私は埼玉の自動車運転手というのをまったく信用していない(見た感じ一時停止を守る確率が三割ほどだし)ので、買った(なくてもよくないじゃん)。

とりあえず、自転車で駐車場(近所のスーパー)まで戻って、ヘルメット類をおいて、周辺をサイクリング。

やっぱり自転車っていいね。昔から好きだよ。車の百倍好きだ。自由に止まれるのがいい。自分で動かしているなってのもいい。加速していく感じがたまらない。知人のスポーツカーに同乗させて貰ったときに車でも加速感のよさがあると知ったけど、スポーツカーなどに乗らなくてもいいのがいい。
天気もいいので小一時間ほどそとを流す。

操縦性は軽快。見た目はやや不安定だけどふらついたりしない。以前持っていた、16インチで壱万円しない折りたたみ自転車は乗りにくかった。
最高速度はいまちょっと早く走っているなあという程度。三変速ママチャリの一番重いギアでめいっぱいこぐほうが早いだろう(もちろん同じ人間がこぐとして)。
タイヤ径がちいさいせいか段差はけっこうくる。
レバーを引くと、ギアが軽くなり、ボタンを押すと重くなるというのが、直感(というかギアつきママチャリでの経験)と逆で、ちょっととまどう。ギア表示番号が大きい方が重いギアで、小さいほうが軽いギアというのも、なんか逆のような気がするけどなあ。

たたむのは簡単。ハンドルを下に倒すのに力がいるが(店主は楽々動かしていたのでコツがあるのだろう)、ネットで調べたところどうやら個体差があるらしい。私のは固いのだということ。

スタンドが車体中央左にあって使いやすい。後輪片側式に比べて安定が違う。ただ、たたむときにあげるのを忘れがち(慣れていないから)

ステーションワゴンに平積みするとけっこう面積をとる。息子の自転車と乗せる時は一工夫がいりそう。DAHONだけで積むなら、たたんで立てておけば横並びで三つはいけそう。

夜になって、たたみ方のマニュアルをあらためて見ていると、ペダルがたためないことに気づく。たためるペダルが標準装備なはずなのに、まさか安いの取り付けられたの?、あの誠実そうな店主がねえ、電話した方がいいのかなと思いつつ、ネットで調べていると、最近のDAHONはたためないのになったらしい。

理由ははっきりしないが、どうやら消費者センターで、折りたたみ自転車のペダルの脆弱性が問題になったためのようだ。そういやMetroには前面ハンドルに反射板がついていたが、これも本来はないはずで、折りたたみ式自転車の反射板の少なさへの業界の対策らしい。

輪行とかするならたためないペダルはおもいっきり邪魔だけど、車積みならまだ問題なさそう。折りたたみ式は力の伝わり具合や耐久性がともに頼りないようなので、しっかりしたペダルをつけてもらって、結果的によかったはず(これって酸っぱいブドウ?)。
輪行のときにはペダルレンチを買って持って行くか、そのとき折りたたみ式ペダルに変えるかすればいいと思うことにした。

自転車に詳しい人からすれば、Metroなんて安物買いの銭失いと思うのかもしれないけれど、とりあえずは満足。家の中に保管しているので、長く使えそうだし、愛用することにします。

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2007年10月 3日 (水)

すべてが商業的なサッカー

サッカーアジアカップ2007の成果をあげろ、と言われたら、オシム・ジャパンでも視聴率がとれることがわかったこと、と答える。

協会にとって、また広告代理店にとって、視聴率は何より優先する。オシムが監督では視聴率がとれないという、根拠のない噂が払拭できたことが、最大の成果である。

協会はアジアカップに全く力を入れておらず、日程的な無理からいえば、九月の三大陸トーナメントの方に力を入れていた。

三大陸トーナメントで、なぜオーストリアの三都主やスイスの中田浩二が呼ばれないのかと、いう意見があった。答えは簡単で、彼らが出るリーグは日本で放送しないし、チームもCLに出ないからである。

中村俊輔がスコットランドリーグのセルティックスでプレーするのは、

チームの中心選手になれる。
チームがリーグの中で強くて、見ている人が満足しやすい。
CLへの出場権を得る可能性が高い。

以上が理由である。
地上波、衛星、などテレビ局のためにセルティックスに中村はいる。

松井が呼ばれるのは、フランスリーグはスカパー!で放送するから。もちろん、前提として代表入りしておかしくない実力があるからだが、三都主らとの違いはそこにある。三大陸トーナメントでの松井は、気力あふれるプレーで「効いて」はいたが、アジアカップ直後にスポナビのファンブログの多くで期待されたような、救世主がかった活躍をしたわけではない。いいプレーもしたし、今後も呼ばれる可能性が高いという程度である。

さて、松井に関しては、海外サッカーの事実上の広報機関誌である『Number』では大絶賛のはずである。フランスリーグの試合を売るためには、当然である。ドリブルよかったときもあったけど、失敗していたときも多かったよ(サポートの問題もあって本人だけのせいではないが)、なんて記事は絶対に載らない。

日本人選手の海外移籍には、なにかのバックアップ(裏からの手)があるのは当然である。昨年まで有名球団がB落ちしていたセリエAや、権利関係のもめごとのため、放送できるか不安定なリーガ・エスパニョーラには、送る選手を減らし、CL関係へ集中するという戦略は、なかなかのものだった。

今回のヨーロッパ遠征が、日頃代理人の目につきにくい日本人選手の展示会になっていたのも確かである。日本代表がそれなりの結果を残したので、今回の遠征に行ったうちの何人かは、来季は移籍するはずである。

サッカーがきわめて商業的であることを忘れてはならないし、海外サッカーが好きな人は、その意欲が何から与えられ、いつ生じたのか、胸に手を当てて考えてみるとよいだろう。

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2007年10月 2日 (火)

退屈なサッカー

スポーツ記事はネットのスポナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)を利用して手に入れている。

一般読者が書くファンブログ(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/)もヘッドラインが出るので、ときおりのぞくのだが、内容は玉石混淆。というか、こういったもののお定まりで、とくにブログの書き手の多いサッカーに関しては、よいブログが少ない。いいブログはキリタニブログ(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/kiritanishin/)など、ごく少数である。

だいたいのブログが、日本代表チームが勝てないと、ワーワーと悲憤慷慨。あいつをはずせ、こいつを入れろ、この戦術をとれ、交代策がなっていない、今後のストライカー養成のためにはどうすればいいのか、監督を代えろ、と喧々囂々(侃々諤々というより)である。

選手選考からはじまって、点が入らないこと、したがって勝てないことに関して、退屈、退屈、ああ退屈と文句をつけるブログも多い。
嫌みでなく、そんなに退屈なら見るのをやめたらと思う。私の場合、ジーコ・ジャパンのときは、退屈だったので、ほとんど見ていなかった。今のオシムジャパンになって、おもしろいと思うので、深夜の試合も見ている。もちろん、オシムがやっているサッカーを退屈と思う人もいるはずだが、無理をせず見るのをやめたほうが、健康によい。

サッカーで点が入らないのが退屈なら、じゃあサッカー見るのをやめたらとも思う。

サッカーは基本的に点が入らない球技である。サッカーは「場内で2つのチームが入り乱れてボールを奪い合い、相手のゴールエリアにボールを入れることによって得点を競う種目」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%83%E6%8A%80)に入る。サッカーはその仲間の球技である「バスケットボール、ラグビー、アメリカンフットボール、ハンドボール、水球、ホッケー」と比べて、平均スコアがもっとも低いはずである。サッカーは三得点あれば、今日はいっぱい入ったなという感じだろうが、得点によるカタルシスをうる機会は他の球技に比べて、なかなか得られない。

ずいぶん昔にネットで読んだサッカー批判に、「それ、行け行け行け行け、あー、駄目だー!」というのを九十分間通して、ほぼくりかえすスポーツのどこがおもしろいのだ、というのがあって笑ってしまった。年寄りの野球ファンがするサッカー批判のようだが、当たっているのは確かである。

サッカー観戦とは退屈や落胆とつきあうことである。うまくいかない恋愛に似ている。そういったものとのおつきあいが嫌なら、さっさと別のものを探せばいい。それだけだと思う。

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2007年5月11日 (金)

うらやましくない世界標準

 サッカーのACLだが、今年はそれなりに順当に勝ちを収めているようで、念願の世界クラブ選手権への出場権も夢でないようである。

 ACLといえば、中国や韓国などが当りが強く、またそれらの国のリーグはあまり笛を吹かないものだから、そのギャップに苦しむのがお決まりだった。Jリーグは世界的に見て、選手がよく保護されているようで、プレミアリーグなどを引き合いに、審判の基準をもっと世界標準にという話しはブログにそれなりにある。

 なんでも世界標準になっていなければ満足できない人もいるのだろうが、私にとってはうらやましくない世界標準である。ラフプレーが多くなって、結果として選手の怪我が増えてもそれでいいのだろうか。優れた選手が削られるのは、サッカーの本質とは別だし、妙味を感じるところではない。

 当りの強いサッカーを見たい人は、いっそのこと、サッカーではなくてラグビーを見ると満たされるのではないか。皮肉ではない。肉弾戦という観点では、ラグビーはサッカーより格段に面白い。自分の嗜好にあったスポーツを見た方が満たされるだろう。

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2007年1月 9日 (火)

国見のいない正月

 長崎人にとって、
「国見は、一回戦、二回戦は観らんちゃよか」
というのは一度は聞いたことがある文句ではないか。
 指している試合はサッカーの高校選手権のことであり、あたりまえだが、県予選でなく本大会の一回戦、二回戦である。
 スポーツにとりたててみるところのない長崎県では、サッカーの強い国見高校は県民の誇りだった。
 国見の試合は楽しみなのだが、それでも観なくても大丈夫だというのが自慢なのである。
 2006年度の第八十四回大会で、国見は千葉の八千代高校に負けて、出場21年目で初の一回戦負けとなった。二回戦負けもほとんどないはずである。
 正月になっても、国見がいまどこまで勝ち上がっているのか、次にいつ試合があるのかを、つねに気に留めて過ごしていた。2007年はその必要がなくなったので、2006年のうちから気が抜けてしまった。

補記:体調が悪くてパソコンに向かえないままうだうだとしていたら、大会も盛岡商の優勝で幕を閉じてしまいました。完全に遅れた内容ですが、載せておきます。体調不良の原因は血液検査の結果が明日わかるので、はっきりするはずです。

期せずして、小嶺総監督の政界出馬。これでほんとうに終わりのような気がします。(2007.1.11)

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2006年11月 3日 (金)

落語評論、サッカー評論

 落語評論というものが可能か。見ればわかるものを論じていったいどうなるのだ。そういった議論が、安藤鶴夫が活躍した1960年代までは、それなりになされていた。いまでは、安藤鶴夫のような大物評論家がいないせいか、そうした議論も下火になってしまった。

 この落語評論のように、見ればわかるものを論じてどうなるという疑義のはさみかたは、適応の幅が広い。

 さいきん、感じるのはサッカー評論というものが可能か。ということである。

 日本代表のガーナ戦のあとの監督会見で、守備的だったのではという質問が出た。『SPORTS Yeah!』(151号、2006.10.20-11.2)で、小宮良之が「攻め手が三都主のみで、マンツーマン守備に終始する古典的戦術で攻撃的チームと誇るのは、どうにも無理がある」と述べた。

 同誌で馳星周は「個人個人が考えながら走る。これを90分続けることはもちろん無理だが、できつつある時間帯があったことも確かだ」と述べ、「たとえばCBの水本や今野が攻撃参加したように、リスクを冒す時は迷わず前へ行っていた」と述べる。

 私はテレビ観戦だが(馳星周の記事ではよくわからなかったが、スタジアムに行ったのだろうか。記事まで依頼されて自宅観戦とは、まさかね)、守備的とはおもわなかった。

 将棋と一緒で、サッカーは相手があってなりたつ。自分のやりたいようにできるわけではない。攻めたり守ったりと、相手に対応しながら最善手を尽くすのが、ゲームの基本である。
 無敵の魚鱗の陣、鶴翼の陣があって、それをぶつければ相手に勝つようにはできていない。

 『SPORTS Yeah!』(151号)を読んで思ったのは、偉そうにいろいろ言われなくても、試合は観ればわかりますよ、と。
 紙面で事実を伝えるより、映像を見た方がわかりやすいのは、百聞は一見にしかずの故事をもちだすまでもない。

 じゃあ、スポーツジャーナリズムに必要なこと、私が求めるのはなにか、というとできるだけ多くの情報である。

 スポーツナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)は監督会見の全文を掲載する。選手インタビューの数も、新聞などでは二三選手のひとことふたことであるのに、スポーツナビはたくさんの選手の情報を載せる。
 官邸や官庁が、会見や広報文の全文をHPで開示するようになって、一部のマスコミからメディア軽視と言われているらしいが、マスコミが選択した情報より、できるだけ多くの情報を知ることができて、みな便利になったのは確かだ。
 
 スポーツノンフィクションの一里塚となった山際淳司『江夏の21球』や金子達仁『28年目のハーフタイム』が、ともにインタビューを中心とし、ただ競技場で眺めるだけではわからない事実を明らかにすることを目指しているのは示唆に富む。

 虫明亜呂無のようなスポーツの美しさを純粋に伝える方向へ日本のスポーツジャーナリズムが進んでいかなかったことを、玉木正之はことあるごとに嘆いている。

 だが、そもそも見ればわかるものを対象にすれば、山際や金子の方向にすすむしかないのかもしれない。

補記:『SPORTS Yeah!』(151号)だが、読んだことが時間の無駄。オシム特集にひかれて、ここのところ何冊かスポーツ雑誌を買っていたが、ふたたびスポーツ雑誌からは手を引くつもり。
 金子達仁は「儚い運命を見極めるために」と題して、オシムよりも現在執筆中の本からヒディング論に終始。書けないなら書きなさんな。今回のワールドカップが「チームとして一体感がないほうが負ける」という、金子好みの結論にころがったので、それを書くのは楽しいだろうね。
 

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2006年10月23日 (月)

野球のエース その二

**前日の続き**

 江本孟紀だが、「ベンチがアホ事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9C%AC%E5%AD%9F%E7%B4%80)という首脳陣批判をして、引退においこまれた。
 その後、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』の大ヒットで、江本は息をふきかえした。
 『プロ野球を10倍楽しく見る方法』は投手賛歌の本である。
 野球は投手が投げなければはじまらないとする。また、ヒーローインタビューはどうして、みないい子になってしまうのか。「バックが守ってくれたから」「打線が援護してくれたから」といった内容(手元にないので記憶にではそう)をしゃべるのかと疑問を呈している。

 江本、江夏、両者に感じるのは、投手というのは野球選手のなかでも、プライドが高くて、他とは違うのだということである。

 今回、金村曉の事件だが、防御率四点台後半の選手が、ピンチを招けば、交代しない監督の方がおかしい。
 ましてや優勝がかかって厳しい戦いをしているさなかである。個人成績うんぬんを言っている場合ではない。この事件を知って、多くの人が憤慨したし、私も鈍器で殴られたような具合の悪さを感じた。

 少数意見ながら、野球の投手とは特別なんだ。江夏のような気概がないとやっていけないんだ、という擁護意見があった。

 その擁護意見がいうように、野球の投手は、エゴイストでないと成功しないのだろう。それは事実であろう。

 それが事実ゆえに、野球という競技は投手が特別な地位をしめているにもかかわらず、そうではないように見せかけなければならず、それを破ることは大きな禁忌であることがわかった。
 江川が作新学院時代に他の選手から疎まれていたというのも、江川が特別特殊な選手だと他の選手が感じていたからである。

 その禁忌をやぶることがどれだけの罪なのか。私は、団体競技を真剣にやりこんだことがないので、正確なことがわからない。ただ、その深淵をのぞきこんで、恐れるだけである。

 だいたいこの禁忌に触れた選手は、その球団に残ることが出来ない。金村曉は日本シリーズに登板できるとの話しもある。来年も金村曉がファイターズでプレーできるとすれば、それは外国人であるヒルマン監督のおかげだろう。
 土曜日より日本シリーズがはじまった。はたして金村曉の登板はあるのか、成り行きを見守っている。
 

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2006年10月22日 (日)

野球のエース  その一

 2006年9月24日の北海道日本ハムファイターズ対千葉ロッテ戦のあと、金村曉が首脳陣批判をして問題となった。
 
Wikipedia(2006.10.17)は「金村曉」項目に「2.1舌禍事件」として、事件の顛末を載せている。
 長いが
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89
より全文を引用する。

2006年9月24日の千葉ロッテ戦では上記の通り5年連続2ケタ勝利の記録がかかっていたが、立ち上がりから投球が安定せず、4-1で日本ハムの3点リードで迎えた5回裏に二死満塁のピンチを迎えるとトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。ちなみに交代した押本健彦は、このあとロッテ・今江敏晃に走者一掃となるタイムリーツーベースを放たれ、4-4の同点となった(結局試合は4-8で敗戦)。が、金村は勝ち投手の権利を得るには1アウト足りない4回2/3で降板したため、どちらにせよ降板の時点で金村には白星はつかず、また今季の登板予定も無いことで、今季は9勝6敗という成績が確定した。

そしてこの試合後、マスコミ各社は『金村が「絶対に許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」と監督批判を繰り広げた』と報道した。

この発言が原因で、球団は「出場選手登録抹消」「翌25日に行われるチーム練習への参加禁止」を即日決定した。また、25日には罰金200万円と、プレーオフ終了までの出場停止という厳しい処分を下された。その後、レギュラーシーズン終了後に選手・首脳陣などに謝罪し、ひとまず事態は収拾された。日本シリーズでの復帰も検討されている。

 この事件を聞いて、思い出したことが二件。ひとつは、山際淳司の名ノンフィクション『江夏豊の21球』(初出は文芸春秋社、『Sports Graphic Number』創刊号、1980.4)と、江本孟紀のベストセラー『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ、1982.5)である。

 前者の詳細は(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89)で知ることが出来る。
 1979年11月4日、広島対近鉄の日本シリーズ第七戦九回裏。一点リード、ノーアウトの場面から、広島のリリーフエース江夏が登板し、無死満塁のピンチを招くが零点に抑えるというのが経過である。
 その途中に、
Wikipediaから引用すると、

 江夏がアーノルドに四球を与えたときに(引用者注、無死一、三塁となる)、広島の古葉監督はブルペンに北別府学を派遣した。ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。これを見て江夏は「自分のことを信用しないのか」と憤り、マウンドに内野手が集まったとき、「自分を信用しないのならば辞めてやる」と言い放った。
 後で一塁を守っていた衣笠祥雄が一人で江夏のもとに向かい、「(信用されなければ辞めるという)おまえの気持ちと自分も一緒だ、気にするな」と声をかけた。これで江夏は吹っ切れた。

 という事件がおきた。
 山際淳司による古葉監督にインタビューでは、同点となり延長になったことを古葉監督は考えていたという。山際淳司はこの判断を妥当としながらも、その合理的な判断がエースの気持ちを傷づけたと評している。

 「江夏の21球」について、江夏自身が、自分で招いたピンチだからねと、のちに『Number』で語っていたと思う。
 客観的に見れば、古葉監督がブルペンに投手を送るのは当然であり、文句を言うのは間違っている。

**中途半端ですが、明日に続きます**

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2006年10月20日 (金)

スポーツ中継とカメラ サッカー編

 サッカーはテレビ中継に向いていないスポーツである。
 区切れがないので、CMが入れられないとか商業的な面はまず措き、競技を純粋に映しやすいかを論じよう。

 ハイビジョンでない映像では、画面に映らない選手が多い。サッカーの醍醐味として、後ろの選手の攻撃参加がある。長い距離を走って、突然画面に登場するのだが、その長い距離を走っている行程は当然写らない。

 まだ、日本代表の試合のチケットが簡単に手に入ったころ、左サイドバックの相馬直樹が長い距離を走って攻撃に参加するのを見て、感動した。

 日本代表もオシム体制になって、テレビで映しにくくなった。
 ジーコ監督時代に比べて、足下でボール保持をする時間は少ないので、ワンタッチツータッチで次の選手に出してしまう。一人の選手をじっくり撮る機会が少なくなった。
 前線に素早く送るので、カメラの振る速度が間に合わないことがある(パンして対応するようになった気がする)。
 選手はめまぐるしく動いて、アナウンサーが実況で追えない場合も多い(ジーコ時代でもおえていないアナウンサーはいましたが)。
 フリーキックもリスタートが早い。ジーコ時代は中村俊輔がFKを蹴る場面など、野球的な盛り上がりのある絵が作れた。
 こういったことを考えると、ジーコ監督時代のサッカーがいかにも「電通好み」だったとわかる。

 ハイビジョン化(16:9)による画面構成が主流になることで、映る選手は増え、現在の問題はあるていど解消する。
 それより、思い切ってカメラを高い位置にもっていって、斜め上空からグラウンド全体を俯瞰する映像は作れないか。
 今のテレビ映像は、各選手のボールさばきをじっくり見られるが、選手全体の動きだけをおっておきたいというフォーメーション好きも少なくないはずである。
 
 まあ、私みたいに引きの絵が好きな人は、競技場に観戦に行くべきなんでしょうがね。

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2006年10月18日 (水)

スポーツ中継とカメラ 野球編

 今、野球中継のカメラ視点は、バックスクリーンからのものが中心になっている。
 そうではなくて、バックネット上部から野手全員が見えるかたちのカメラ視点があればいいのにと思っていた。
 野球は投手と打者の対決が中心になっている。だが、打球が飛んだ場合や、走者が出た場合、野手や走者はさまざまな動きをする。フォーメーションプレーやバックアッププレーの妙は、球場全体を撮ってもらわないとわからない。

 王・長島が村山と天覧試合を戦っていたころの映像は、バックネットやや一塁よりからみた、斜めから撮ったものである。
 カメラ位置がバックスクリーンに移行したのは、カメラの性能の向上による。
 斜め上からとった昔の映像のほうが、野手が写っているわけで、若干私の希望を満たす。
 とはいえ、昔から野球中継を見ていた人に聞くと、打者の後ろ斜めからの視点は退屈だったよとのこと。

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