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2009年12月19日 (土)

故郷の山 その二

 関東平野では山はほとんど見えないと書いたが、富士山もみえるし、筑波山も見える。
 江戸には富士信仰があったが、江戸に集まる地方出身者にとっては、どこか見て心の安らぐ山が欲しかったのではないか。
 江戸っ子の条件は「金のしゃちほこをにらみ、上水の水を産湯につかう」のである。富士ではなく、近くの金のしゃちほこを見るところ(江戸城の本丸は早い時期からないが)に、地方出身者との違いを感じる。

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2009年12月18日 (金)

故郷の山 その一

 書いてほったらかしにしていた記事を載せます。

 東京二十三区出身の人には、ピンと来ない話かもしれないが、関東平野のように平地が続いて、山がほとんど見えない地域は日本では少ない。
 たいていは故郷の山というべき山々が見える。
 私は長崎で生まれ育った。長崎は極端に平地の少ないところである。山があって、わずかな平地があって、もう海である。諫早ていどの平地でも、格段にめずらしい。
 大阪で長く過ごした母は、長崎は閉鎖的閉鎖的とつねづね言う。たしかに、山と海に囲まれたわずかな土地が世界のすべてといった生き方をしている人も多い。
 その一方で、世界が狭すぎるために、山の向こうには何かがあるはず、海の向こうには何かがあるはずと、外の世界に目を向けて育った人も多いと思う。かくいう私がそうである。
 
 妻は熊本出身だが、熊本のよくないところは、平地が多くて、海か山で隔てられるところまで、あるていど見通せることである。ちょうど、見えるところまでを手に入れられそうなのである。(よくいえば)独立的な熊本人の気質はそこから生じるような気がする。

 昨年仕事の都合で総武線で千葉方面へ行くことが多かった。
 江戸川を渡るとき、ちょうど和洋女子大学の建物が見えるあたりに、国府台城趾があることを知った。
 国府台城は、歴史上の国府台合戦の城でもあるが、里見八犬伝の対関東管領戦にも登場する城である。
 江戸川を渡るたびに、目の前の景色と、脳内で展開する八犬伝の軍兵らが二重写しになり、心がわき立った。線路が高架なので、目の前は平地に大河である。

 馬琴は深川に生まれ育った。深川からは江戸初期に廃城になった国府台城がよく見えたはずである。八犬伝の対関東管領戦は、三国志を下敷きにすることもあって、日本の小説としては、珍しく壮大な合戦場面が描かれる。馬琴が平地で生まれ育ったからこそ、そういった場面が書けたのだと思う。
 馬琴にとって、見慣れた国府台城とその前の平地や川に、軍隊を展開させることなど、難しくなかったはずである。馬琴が猫の額のような土地に生まれ育ったのであれば、もう少しせせこましい合戦場面になったのではないか。

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2009年12月16日 (水)

奇妙な日記の終焉とウェブの今後

2006年5月から2009年11月末日まで、GREEに日記を書いていました。純粋な個人用でして、閲覧できるのは友人Aひとりでした。もともとmixiに誘われたのですが、いまいちだと感じていたところ、GREEを勧められました。
私は日記をつける習慣がなくて、GREEも最初は「いわでもの記」に書けなかったことを備忘として書いたり、ちょっとした感想をAに語りかける感じで書いていたのですが、一年のうちに純粋な日記に変わっていきました。

一人とはいえ、誰かが読んでいるというバランスがよかったです。おおっぴらには人に言えないことが書けるものの、露悪的なことや泣き言は控えめになり、日々の記録として機能しました。何年前の車検や修理でいくら払ったなどの金銭の出納や、移動の所要時間、あるいは家族が病気した際にその予兆がいつからはじまったのか、など見返して役に立つ記録が蓄積されました。
単純にハードディスクのフォルダに入れておくより、ブラウザで閲覧できるのが便利でして、いわゆるクラウドコンピュータらしい使い方ができました。

ところがGREEは十一月から新しいシステムがはじまり、とうとう十二月には日時指定の日記投稿ができなくなったり、素早い過去日記の閲覧ができなくなりました。
私のような使い方ではアクセス数が増えるわけでもなく、無料で使用する私はむしろGREEにとって有害なわけで、はじき出されるのは当然です。
十二月に入って退会しました。
過去の日記はいちおう保存しましたし、恨む気持ちよりも、今まで無料で使わせてもらったことへの感謝が大きいです。

ただ、ずっと期待していた日記の検索機能がつかなかったことはもとより、退会にコメントを含めたバックアップ機能がなかったことから、GREEという会社の志が知れました。よいしょするわけではないですが、ココログはコメント込みでバックアップがとれますし、データをもって他のブログに引っ越すことができるようになっています。

日記サイトはいくらでもあるのですが、Aだけが見るというシステムは組み込めませんので、日記はやめることにしました。
なんだかんだいって、Aには不快なことも多く書きました。脳科学をつかって人間関係や仕事をうまくすすめる本を薦められたこともあります。Aには感謝です。

さて、ココログに戻って新しい記事をバリバリ書くかというと、そういう気分でもありません。
日記をやめてからストレスが貯まってきたのか、いいたいことはたくさんあるのですが、それこそ「いわでも」のことです。
むしろ「いわでもの記」を消去したい気持ちが七割ほどあります。
しかし、こんなブログでもアクセス数がそれなりにあるのです(過去四ヶ月で平均73)。ほとんどの人は検索サイトをたどってから来た人で、ちらっと見て、「あっ、失敗した」と思ってバックするだけでしょう。アクセス数も本当は定期的にクロールする検索エンジンが増やしているだけなのかもしれません。
でも、コメントのついた記事もありますし、いちおう世間に発表したことを簡単にとりさげるのは、少々やましいのです。

失敗したと思うのは、「いわでもの記」が個人的な感慨を公表するつもりではじめたのに、アクセスがあるのは、スポーツや将棋といった趣味の記事や学問に関する記事だったことです。
ここのところ、実名で学問的なブログを書く人が国文学の世界にも増えました。
個人の過去について述べたブログ、趣味のブログ、実名の学問のブログと分けてやるべきだったのでしょう。
中途半端なものばかり集まってしまいました。

気分としては、全消去に傾いていますが、どうするか、まだ悩むだけ悩むことにします。

それにしても、ブログという道具が出てきて、次はSNSという仕組みが出てきて、ついにはTwitterですか。小説と俳句の関係を考えるとわかりますが、発表の文字数が少なくなればなるほど、参加の人数は増えます。アクセス数を増やすだけなら、文字数を減らすことはよい手だと思います。
ただし、アクセス数が増えて、トラフィックの総数が増えても質が比例するわけではありません。
ざっと見たところ、まさしく「つぶやき」であって、「話しにならない」感じがします。
つぶやきたい気持ちもわかるのですが、常につぶやいている人はあやしい人であって、普通のブログとかけあわさないと、キキメが薄いと思います。

ウェブに関してはデザイン(機能的な意味合いで)の変更に流されるばかり。ながれながれてどこにいくのか。ちっともわかりません。

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