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2008年7月12日 (土)

キャパシティの問題

 学生時代に、Hというコント劇団とつきあいがあった。
 H劇団は若い女性に人気があって、けっこうな動員力があった。一回の公演で、千人は行かなかったと思うが、六、七百人ぐらいは集めたのではないだろうか。
 しかし、H劇団はほぼ100~120人の劇場しかつかわず、観客はつねにぎゅうぎゅう詰めで見ていた。
 不自然な体勢でみるのは、つらく、観客にとってありがたいことではない。
 だが、H劇団がこの混み混みの状態をわざと作っていたのは間違いない。

 鴻上尚史は、地方のホールが一千、二千人収容の大ホールしかないことを嘆き、二百人ぐらいの小ホールを作ればいいのにと、述べた。
 地元の劇団が二百人の劇場をいっぱいにすれば大成功だが、二千人のホールに二百人しか集められなければ大失敗だからという理屈である。

 近所で老人を集めて健康器具を売っているセミナーの教室をそとから見ると、空き席がないようにしている。空き席があると、聴衆の気が散漫になって、「催眠」にかけにくいと思っているのではないか。

 Hという劇団も聴衆を混み混みの状態におくことで、聴衆の気持ちを昂揚させやすくしたのだろう。

 このように芝居をうつものにとって、劇場の収容数は大きな意味を持つが、それは教員にとっての授業もあてはまる。

 受講者が二十人だとして、それが百人入る教室でやっているのか、二十五人入る教室でやっているのかで、やりやすさは大きく違う。
 大学の授業は、たいていの場合、広い教室をつかいすぎである。
 収容できない場合を想定して広い教室を使うのだろうが、だだっぴろい教室で、学生がうしろを中心にバラバラ座っているようではやりにくい。

 授業の内容を決めるのに匹敵するほど、教室選びは重要だと私は思う。
 にもかかわらず、選択権がまったくないのが普通である。

 先日、とてもいい講義を聴講させていただいたが、ちょっと教室が広すぎではないか思ったので、ここに記す。

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2008年7月11日 (金)

覚えさせる派

 まわりをうかがってみると、高校の古典の教員は、昔の和歌や文章を暗記させる派と、とくに覚えなくてよいとする派にわかれるらしい。
 覚えさせる派が多いようだが、私も覚えさせる派である。
 高校の国語の授業など、たとえば一年経てば、授業で何を読んだかなど、ほぼ忘れてしまう(とくに現代国語)。高校を卒業して一年経てば、教員の名前すら覚えていない可能性が高い。
 しかし、十代の記憶力旺盛な若者に、古典の和歌や文章を暗記させれば、それは一生覚えていられる。
 いろいろなものが朽ち果てても、それが残るのである。
 それこそ、当人にとっての宝石である。

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