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2007年6月 6日 (水)

靴底

 中学時代に剣道部でありながら陸上部に借り出されていた経験もあるし、歩き方には自信があった。歩くのが速いが、足音はうるさくなく、靴底の減り方は均等である。
 ところが、ここ一年半ほど使った靴の底を見ると、右足かかとの外側がものすごく減っている。車を運転すると、そこが下にあたるので、そのせいで減った可能性がまずある。
 つぎに、子どもを抱っこして歩き回ることが多いので、子どもを抱えている右側に余分な荷重がかかっているためかもしれない。

 靴底がたいへんすり減った靴を使うのは、腰への負担が増えるはずで、早めに買いかえるにこしたことはない。
 とはいえ、本ならお金は惜しまないが、衣料品にはお金をかけないので(十年以上着ている服がたくさんある)、思い切った買い換えができない。他に履く靴がある(これもボロボロだが)のも原因かもしれない。

 なお、これも十年ほどまえだが、秋葉原で靴底が斜めになるまですり減った人を見た。秋葉系というべき、とても太った男性だった。普通の人なら立っているのも不可能と思われるほど、急なすりへりかただった。不均等にすり減った靴底というと、それを真っ先に思い出す。

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2007年6月 1日 (金)

棋書の代作

 棋書で不思議なことは、おそらく代筆であろう本がプロ棋士の名前をつけて売ってあることである。
 名前をつけてうるのだから、一度はその棋士も目を通しただろうが、監修に近い立場でありながら、その人の著作として売られる本がほとんどである。
 端的に言えば、実作者の名前では売れないのでプロ棋士が名義貸しをしているのだろう。
 これは戦前までの国文学界に近い。実際には、若手が書いた文章にもかかわらず、「文学博士 ○○△△」という肩書きのある人間が著者名にないと、本は売れなかった。
 国文学ではそういった代作は、今ではかなり少なくなった。名義人のボスが監修のみで、実際の執筆や作業は別人であっても、心得のある人間が見れば、誰が骨を折ったかわかるように、凡例やまえがきなどに、執筆や作業にあたった人物の名前が記されている。
 棋書のように、執筆の協力者がどこにも示されず、代表者以外はどこを探しても名前がない本はかなり珍しい。
 国文学の世界が公平になったというより、世間で学者の肩書きがものを言わなくなった結果、あるいはボスの政治力の低下の結果なのかもしれない。

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