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2007年5月24日 (木)

自分こそ正しいという文章

 咄家が書くエッセイとは、いかに自分が正しく立派な人間であるかを宣伝したものになりやすいようだ。立川談四楼『どうせ曲った人生さ―落語家Philosophy』(毎日新聞社、1994.07)や、柳家小三治『落語家論』(新しい芸能研究室、2001.07)がそうである。
 日ごろ人に笑われる商売ながら、そういったことには向いていない人がエッセイを書くと、自分の正しさや立派さを強調したくなるのだろうか。
 正直にいうと、先の二冊はあまり面白くない。とちゅうで辟易してしまう。
 小沢昭一なんかがうまいと思うが、エッセイとは、自分の失敗やいたらないところを、人に嫌な気持ちをもたせないようにしながら披露していくのがよいと思う。
 
 私も当ブログで、いかに自分が立派なのか、正義の人なのか、言い立てたくなるときがある。とはいえ、それはブログに向かないものだと、記事にしないかお蔵入りにしている。
 
 とはいえ、咄家がすべて型破りで、社会的な規範や倫理をやぶる傾向にあれば満足できるというわけでもない。林家木久蔵の弟子で実子のきくおは、マクラで自分の父をバカなんですと言っていたが、聴いていい気がしなかった。
 同じ木久蔵の弟子でも林家彦いちなんかは、自分の師匠がバカだなんて、決してネタにしていなかったと思うが。

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