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2007年4月25日 (水)

対談の打太刀仕太刀 その二

**前日の続きです**

 私が読んだ対談でもっとも見事な斬られ役を演じたのは、坪内稔典である。
 「芸術新潮」2006.6号は特集「芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」と俳画特集なのだが、この分野でのスター学者雲英末雄の解説が多々ちりばめられ、また雲英文庫の展覧会の案内が記されるように、とにかく雲英末雄格好いいぞ本なのである。

 「芸術新潮」に収められた対談は、雲英末雄と佛教大学教授で俳人の坪内稔典でなされているが、ここでの坪内が悪役の演じ方、そして斬られぶりは、読んでいて爽快である。

まず、坪内が、

俳画で面白いのは蕪村だけという感じで、他の人のは正直言ってあんまりおもしろくない。絵としてもなんてことはないんじゃないかとおもってしまいます。

と口火を切る。こともあろうに、俳画研究の第一人者にむかってである。すぐさま雲英は「いやそれはちょっと違う。立圃にしても樗良にしてもふつうの絵とはちがう、俳趣、俳諧的な味わいというものがあります。」と切り返し、俳画のよさを説明する。
 坪内が愚かなのでは決してない。読者のために、わざと斬られ役となって、雲英の口から解説を引き出している。学者は負けず嫌いな人間が多い。坪内のようにさばけた人間は珍しい。

 そのあとも、雲英による蕪村の俳画の説明があって、坪内は、

なるほど。僕は何も知らないでぱっと見たときは、なにか意外なものが結びついていると考えました。甕から子供が飛び出すのも筧からツバキが流れ落ちるのも意外ですよね。でも、この図柄は司馬温公の故事を知っていなければおもしろくない。蕪村がこの絵俳書を贈った人たちは、この故事を知っているような教養人で、これを見ながら、句と画が呼応する楽しさを味わえる人たちだったということですね。

と、『美味しんぼ』の登場人物でもなかなかできなさそうな、納得ぶりを見せる。坪内自身のまとめもよい。

が、この程度は序の口。圧巻なのは、このあとである。
なんと坪内は、

先生、ちょっと見ていただきたいものがあるんです。知り合いからもらったものなんですが、(引用者、以下略)

と、軸物をとりだすのである。これは見事なまでの贋物で、雲英に一目で「あっ、これはだめです。」と烙印を捺される。坪内もすなおに「ニセモノの特徴を教えてください」と言い、以下贋物の特徴が雲英によって説明される。

 もはや仕組んであるのではないかという展開だが、編集部が軸物を用意したのではないとすれば、坪内自身、本物と思って持ってきたはずはあるまい。すごく茶目っ気があるというか、ここまで斬られ役に徹すると、むしろすがすがしさを感じる。

終わり近くには、坪内が、

今日先生のコレクションを見せて頂いて思ったのは、我々は活字というか、文字、言葉、書物だけに専門化し過ぎているということです。これは俳句に限ったことではないのですが、もっと絵とか美術的なものとの相乗作用を考えてもいいのではないか、そうすることでなにか開けてくる世界があるかもしれないと痛感しました。

と、平身低頭になる。

 さすがに、雲英もなさけをかけたのか、このあと坪内の「(引用者、前略)俳句の表現には根源的なところで、そういう問答という面があるんじゃないかと思うんですよ。」という発言に対して、「それは非常におもしろい視点だとおもいます。(引用者、以下略)」と俳人でもある坪内に手をさしのべて終わりになる。

 打太刀仕太刀のそれぞれの動きが見事にかみ合った、剣道の高段者による日本剣道型をみるような対談だが、ここまで上手にまとまったのも、自分は雲英の引き立て役と坪内が自覚していたためであろう。

補記:2008年10月6日に雲英末雄先生はお亡くなりになられました。私は近世文学の研究者なので、ちょっとだけお話したことがあって、あえば会釈するていどの関係でした。あまりに急にお亡くなりになったので驚いています。それに、学者にとって68歳で亡くなるとは早すぎます。紋切り型ではなく、惜しい人を亡くしたと思っています。

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コメント

本当に残念です!
雲英先生!
涙が出ました!
大学時代にいろいろご指導いただき、その後もアドレスをいただき本当にありがとうございました。
今回、私が図書館のすぐれちゃんという本を真珠書院から出したときも、がんばれ!分野は違うが、人間!一所懸命が一番!お互い忙しいが、また飲もう!
と激励していただきました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿: 増子 勝 | 2008年11月28日 (金) 05時32分

増子勝様

書いていいものか迷ったので、お返事遅くなりましたが、最後の最後まで学生に教えたいとおっしゃっていたそうです。

立派な授業をなさっていたことがうかがえます。

雲英先生がお亡くなりになったことは、考えさせることが多くて、いろいろ言語化できないことが多いです。

Iwademo

投稿: Iwademo | 2008年11月30日 (日) 08時34分

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受信: 2007年5月13日 (日) 17時36分

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