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2007年3月31日 (土)

一本指打法

 私はローマ字入力をするが、知り合いの国文学研究者では、かな入力の人も少なくない。タイプはもちろんローマ字入力が早いが、かなで考えるべきところをローマ字にするのに耐えられないという意見が多い。
 また、キーボードをみながら、ゆっくり打鍵する(一本指の人もいる)ぐらいがちょうど思考の速度にあっているという人もいる。
 理系でコンピューターによく携わっている人は、しばしば指先が見えない早さで打鍵する。思考の速度に比べれば、いくら早く打鍵しようと、遅いに決まっているので、そこは問題がないと思う。
 だが、キーボードを使えば簡単に文章ができるために、それを使うと表現が冗漫になりやすい。ゆっくりゆっくり指を運べば、私もひきしまった文章が書けるようになるのかもしれない。
 

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2007年3月30日 (金)

無礼

 『ウルトラマン』第14話「真珠貝防衛指令」(1966年10月16日放送)には、銀座の場面があるが、車のクラクションの音がうるさい。
 生録音ではなく、あとでかぶせたものだろうが、アジアの発展途上国のようである。生にせよかぶせたにせよ、街中はそういうものだと思われていたことが観察として重要である。
 日本ではどのくらいから、車のクラクションをむやみに鳴らさなくなったか興味がある。1980年ごろには、今と変らなくなったのではないか。
 衣食足りて礼節を知る。「三丁目の夕日」の世界の住民が、平均して今よりも礼儀正しかったとはいえまい。むかしは、無礼に対する許容度が高かったので、無礼であっても、無礼でなかったと察している。
 昭和20~30年代の落語の会場録音を聞くと、赤ん坊の泣き声が入っているのがときおりあって驚く。今では、とんでもないことだが、赤ん坊を抱いて会場にはいることが許されていたのだろう。

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2007年3月29日 (木)

凡例の大事

 中野三敏『写楽』(中公新書、2007.2)は、『江戸方角分』の翻字で中野が「写楽斉」としたことに、大沢まことが「写楽斎」と翻字すべきだと反論を述べたことを記す(190頁)。
 昨日、述べたように、号は「斉」ではなく「斎」で翻字すべきである。「伊藤一刀斉」や「宮本無二斉」はおかしい。号が「斉」で書かれていれば、私でも奇異に感じる。
 中野は、『江戸方角分』は原文がそうなっているのだと反論した(192頁)。

 『江戸方角分』翻刻(東京風俗会、昭和52・7)の凡例を確認すると、「翻印に当っては、つとめて原本に忠実になるように心がけた。」とある。なんでも原文どおりという翻刻方針を私は好きではないのだが、そういう選択もたしかにある。凡例で断わってあるなら、「写楽斉」であっても、非難の対象にはあたらない。

 凡例は重要である。調べ物の際は、急いでいるので、読み飛ばしそうになるが、確認しておかないと大変なことになる。

 岩波古典大系『浮世草子集』は、読者の便をはかって、仮名に宛漢字を行い、もとの字は〔〕でふりがなにしている。なお、難しい字には()でふりがながつけてある。
 おかげで読みやすくなったのだが、なにせ昭和41年の出版なので、今ではなおす必要がない字まで漢字になっている。

 「とありける故」の「故〔ゆへ〕」、「此時に至って已に」の「已〔すで〕」など、枚挙にいとまがない。

 かつて、ある浮世草子作者の用字法を調べたことがあった。『浮世草子集』の翻刻方針に気づかずに、資料を引き写し、あとから気づいて、調べ直しとなった。

補記:中野三敏『写楽』のいうとおり、阿波の能役者斎藤十郎兵衛で写楽は決まりでしょう。

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2007年3月28日 (水)

一斉

 大先生(私の先生の先生)から翻字(くずし字を今の字にする)の仕事をいただいたことがある。江戸期のある地方俳人の旅行記なのだが、「一斉」という字が出てきて困った。文脈上、「いちどき」の「いっせい」にも、号の「一斎」にも、どちらにもとれるからである。「斉」と「斎」はほんらい別字である。ならば字の通り「斉」と思うかもしれないが、昔の人も「斎」の略字として「斉」を使った。

 大先生にどちらでしょうかと尋ねると、「その時代に(いっせいにの意味で)「一斉」という用(字)法はありません」と、辞書も見らずにきっぱりとおっしゃった。私は戦慄した。用例があるという証明に比べて、用例がないという証明は数段難しい。容易に言い切れるものではない。

 うちに帰って、辞書をひいたところ、日本国語大辞典第一版は、『西国立志編』を用例にあげる。角川古語大辞典ではそもそも立項しておらず、CD-ROMの全文語句検索にかけると、やっと二例。

「一斉{いちどき}に来てはのびて悪し、又とぎれて箸を休めては食へねえ。順々によく渡らねえでは否{いや}だ」〔古今百馬鹿・下〕

「近世楊弓を好む者、都鄙を界せず、貴賤を論ぜず、一斉に以てこれを翫と為す」〔楊弓射礼蓬矢抄・総序〕

 『楊弓射礼蓬矢抄』は貞享四年刊と前期のもの。後期の三馬の滑稽本『古今百馬鹿』(文化十一)は、使っていても「いちどき」とよませる。
 あることはあるのだが、使われていないという判断はほぼ正しい。もともと『荘子』にも見える言葉だが、明治期に入って、軍隊用語と関連して、「一斉」が普及したのではないかと推測する。
 大先生の件で、博識とはなにか、思い知った。

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2007年3月27日 (火)

重要なSGマーク

 先日、三輪車が3680円で安売りしてあったので、娘のために買った。
 ところが、翌日三輪車に娘を乗せて出かけると、片側の車輪がとれてしまった。

 しらべてみると(タイヤカバーははめているだけなのですぐ外れた)、タイヤは金属のピンで軸に留めているだけの仕組み。途中でカチャカチャ金属音がするようになったのでおかしいと思っていたが、いくら安物でもこれはひどい。その後、金属音がしなくなってから、車輪のまわりが極度に悪くなったがそのときピンが落ちてしまったのだろう。いろいろ作りが悪いことはわかっていたが、やっぱり安物買いの銭失い。売っているもののうち、最低価格の品は避けるという買い物の原則に従うべきだった。
落ちていた木の枝をピンの替わりにして、とりあえず持って帰った。

 夕方、買った店に持って行くと、お金を返してくれた。修繕して使えないこともなかったが、いくらなんでも昨日の今日で壊れるのはひどいと思い、もっといいのに買い直そうとしたから。

 まったく、こんな安物を売るなんていったいどういう会社なのかと思いつつ、あらためて売り場の三輪車を見渡すと、さっきの会社の三輪車でちゃんとした作りのもある。不思議に思って、その会社のカタログを見ると、載っているのはピンからキリまで。問題の自転車は、オープン価格になっている。
 カタログや商品をじっくり見ると、SGマークのついている三輪車や自転車がしっかりしている。

 けっきょく、最初のとは別の会社が売っている、SGマークつきの折りたたみ可能三輪車を買う。9500円。今度のは立派。いままであまり意識したことはなかったが、SGマークは重要だとわかった。

補記:収納に便利かと折りたたみにしたのですが、折りたたみでなくも十分でした。

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2007年3月26日 (月)

中国書籍の値段

 『今古奇観』を版本で読みたくなったのだが、その機会がない。ふと、「日本の古本屋」サイトで検索すると、影印本(版本を写真でとった本ぐらいに思ってください)が出ている。
『全図今古奇観』の掃葉山房1929年版を1988年10月に中国書店が影印にして出した本を買った。
 影印本は12000部を初版で刷っているらしく(本に書いてある)、値段は、はじめ6.0元、上にシールが貼られて6.2元。裏表紙には20元と刷ってあって、その上に$37の値札。そして古本屋から私が買った値段は3150円。

 2007年一月の平均レートで、日本円100円が6.46元である。あまりに安すぎるので、いまではこういった書物には、もっと高い値が元でついているのだろう。

 なお、37$なら、これを書いている2007年3月8日正午で116円13銭なので、4292円。
A5版厚さ三センチほど(総ページ数が書いていない)の影印本への対価として、古本とはいえ3150円は格安である。4300円でもまだ安い。いくら本の作りが、英語のペーパーバックのようであっても、日本ではこうはいくまい。

 すでに記したが、12000部という部数も、驚きである。白話小説だから現代人が読めるのかもしれないが、繁体字なので中国本土の人は読むのに苦労するはずである。市場が十倍なのかもしれないが、日本ならこの種の本は千部刷っても冒険だろう。

 戦後しばらくの時期は、日本の印刷費が安いからという理由で米国の雑誌が日本で刷られていた。中国で印刷すれば、学術書ももっと安く印刷できるのだろうか。さて。

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2007年3月23日 (金)

紙ガム布ガム

 紙のガムテープと布のガムテープが置いてあって、紙のガムテープを買う人間はまちがいなく素人である。芝居関係者ではない。
 芝居に携わった人間は絶対に「紙ガム」を買わない。必ず「布ガム」を買う。
 私は紙のガムテープを憎んですらいる。
 いつも家人に口が酸っぱくなるほど、布ガムを買うように言っているのに、安いからと、紙ガムを買ってくるときがある。
 そんなときは、不愉快である。便利性の問題だけではなく、精神性の問題である。

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2007年3月22日 (木)

手ぬぐい

 かつては、ハンカチとティッシュをいつもポケットにいれた半ズボンの小僧だった。今はハンカチをほとんど使わず手ぬぐいになっている。
 手ぬぐいのいいところは、ハンカチよりもたくさん拭けること。「かまわぬ」や「よきこときく」などが染めてある。六七年前から使っているのだが、最近になってブームのようで、手ぬぐいを使っている人をけっこう見る。
 例のハンカチ王子が手ぬぐいを使っていれば、もっとブームになっただろうに残念である。もっとも手ぬぐいだったら、王子ではないか。
 扇子と手ぬぐいは咄家のもちものだが、八代目桂文楽は、舞台ばえがするからという理由で、白ハンカチを使っていた。文楽の高座の映像はいくつか見たことがある。煙管に見立ててたばこをすうのが上手いので、扇子は強く印象に残った。だが、ハンカチの記憶はあまりない。白黒映像のせいかもしれない。

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2007年3月21日 (水)

論文のコピー

 「年を取ったと思うのは、家に帰ってから、今日コピーした資料を読む気力がなくなったことですよ」とは、四年ほど前に、団塊世代の某先生がもらした述懐である。
 若いときには、今日コピーした資料をうちに持って帰って読むのが楽しみだった。それが、まあ明日でいいかなと思うようになったというのである。
 私と言えば、論文や資料をコピーしただけで安心し、読むのはずっと先ということがほとんどで、某先生の言葉に深く反省した。
 ここ二年ほど、コピーする前に論文や資料を読むことにしている。理由のひとつは、家に帰ってからのほうが、読む時間がないから。もうひとつは、自分の気持ちができるだけ対象にむいているときに、内容を頭に入れたいからである。
 論文のコピーだが、以前は内容別に封筒に入れていた。今では、ある程度まとまったものをジャンルに関係なく、綴じることにした。簡易製本できるときは、してしまう。そのほうが、散佚しにくい。論文コピーの困るところは、どこにいったかわからなくなることである。しょうがないので、もう一度コピーする羽目におちいりやすい。
 時期ごとに綴じて大きな束にしておくと、自分がそのテーマに関心を持っていた時期さえわかれば、簡単に見つかる。時系列を重視した整理法の応用である。

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2007年3月20日 (火)

お酒も飲めないのに

 酒飲みにとって、お酒が飲めないのに酒の場に出てきて、遠慮なくお酒を勧めてくれて、酔っ払いのたわごとにもにこにことつきあってくれる人というのは、まことにありがたい。「あの人はお酒も飲めないのにつきあってくれて」というのは褒め言葉である。

 私は酒好きである。いや、だった。年末年始と病気にかかったので、元旦に屠蘇に挑戦してから、これを記入する今日まで二ヶ月半ほど、酒を飲んでいない。酒を断っているというより、酒を飲む機会も時間もなければ、飲みたいという気も起こらないので、飲んでいない。

 たいへんだった仕事もひとやま越えて、いつもならしこたま飲んで頭の中を一度カラにするのだが、今回はそうでもない。

 酒を飲まないと、体を害さない。お金がかからない。酔っていた時間が別に使えるといいことずくめである。飛車先不突き矢倉の飛車先や後手一手損角換りの△8五歩のようなもので(わからない人はわからなくていいです)、どうして酒を飲んでいたかわからない。
 これから送別会、新年会とどんどんくるが、飲まないで過ごすつもりである。
 「あの人はお酒も飲めないのにつきあってくれて」と言われてみたい。

 ま、私を知っている人は、魚屋宗五郎のようになるのがオチかと思うかもしれないが。

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2007年3月19日 (月)

WhyHow補足2

 2007.3.16「Why思考とHow思考」の補足その二です。

 Why思考、というかWhy志向の学者といえば茂木健一郎だろう。茂木健一郎がとりあつかう脳におけるクオリアの問題は、今の研究水準ではどうやっても解決しようがない。どうやったら解決できるのかわからないまま問題提起するところが、もはや心の領域と、うさんくさがられるゆえんなのだろう。
 Howが具体的に見えてこないと、科学とは認知されにくい。

 その一方で、設問しなければ、その問題が解ける可能性はないのであって、未来の解決を見込んで、問題にとりあげることは、理に適っている。

 茂木健一郎は、NHKの番組「プロフェッショナル ー仕事の流儀」の「キャスター」(公式番組紹介HPにあった名称)である。番組内で、茂木はゲストの意見に相づちをうち、わかりやすく解釈しなおしたものを、一般視聴者の代表であろう女性アシスタントに聞かせる。茂木の立場が「キャスター」であるのはそのためである。

 だが、この番組こそ、茂木のためにある。Why思考の学者である茂木が、おのれに欠けているHowを探し求める、「茂木健一郎の自分探し」が「プロフェッショナル」の本当のテーマである。

補記:いちおう書いておくと、これも戯文です。「自分探し」という言葉が嫌いで、そもそも「自分探し」で見つかる「自分」なんてあるもんか、というのが私の基本的な態度です。
にもかかわらず、それは自分探しなのだと書いたのが、私にとってのお遊びです。見つかるものか、という皮肉があるかどうかは、もはや読み手に任せます。
Wikipedia(2007.3.19)だと、茂木健一郎と住吉美紀の扱いはともに「パーソナリティー」。住吉は、取材、ディレクターも兼ねるようです。NHKは人の育て方が上手ですね。

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2007年3月18日 (日)

WhyHow補足1

 2007.3.16「Why思考とHow思考」で国文学の研究と英米文学の研究を比較した。
 そこでいう国文学は、私が専門とする近世文学が念頭にある。
 近代文学の研究者は、英米文学と同様に、なぜ研究するかに気を遣う。テクスト論、記号論でいくのか、カルスタかポスコロか、それともフェミなのか、ある研究手法をなぜ選んだか、自覚していないと、やっていけない。

 誤解のないように書いておくが、研究が社会と無関係であることは、必ずしも悪いことではない。優れた漱石研究者だった小森陽一は、さいきんではすっかり政治に関心を移してしまった。これは、小森個人の資質の問題ではなく、「誠実」に文学研究をやっていると、文学から離れて、そういった方向にむかってしまう危険性があることを示す。
 社会のことにまじめに向き合えば向き合うほど、のんびり「文学する」ことから離れていく。文学は、政治学や社会学の下僕ではないはずであるが。

 十年ほど前、定年間際だった近代文学のN先生が、いまの日本では文学を研究するさいに政治のことを考えなくていいが、そういったことは、時代的にも地域的にもめずらしいことなんだぞ、と学生に教え諭したことを思い出す。

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2007年3月17日 (土)

スキーウェア

 いまさらの初雪にちなんで、お蔵入り記事から雪に関する話題をひとつ。

 冬のいい外套をもたなかったので、スキーウェアを着ていた時期がある。
 1992年に買ったものだが、当時流行の極彩色のものではなくて、緑のごく地味なもので、ぎりぎりのところで、日常で着られない服ではなかった(着るなと言われたこともあるが)。
 野外での大道具作成のときにも着たので、ペンキがところどころついた。にもかかわらず、その後数年のあいだ、スキーにはそれを持って行った。
 面白いのは、それがスノーボード用のスキーウェアだったこと。足回りが太くなっているのが特徴である。1992年にはスノーボードはまったく流行っていなかった。私が買ったのは、売れないで安くなっていた品である。その後の、スノーボード用ウェアとはまったくちがうデザインである。
 もう捨ててしまったが、スキーウェア史のなかでは珍品だったかもしれない。

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2007年3月16日 (金)

Why思考とHow思考

 アメリカではなにをするにしても「Why?」(なぜそれをやるのだ)と聞かれた。日本では、「Why?」をとばして、「How?」にすぐいってしまう。とは、ここ二年ほどアメリカの研究所にいて、さいきん日本に帰ってきた友人の弁である。

 アメリカにいるうちに、Why思考に染まってしまったため、日本での、Whyはいいから、どうやるのかそれをはっきりさせてよ(How?)、という要求についていけず、戸惑っているらしい。

 さいきん英米文学の学術誌を読む機会があった。考証にきびしい国文学と比べると、ざっくりした研究だなと思う反面、どのような立場でどの手法で研究するかにとても気をつかっていると感じた。まず、立脚点はどこのなのかを問われる英米での文学研究は、それだけ社会と密接な関係にあるといえる。

 国文学だと、研究手法や対象はさまざまだが、なんでそんな研究しているのというご挨拶はない。もちろん、文学史で軽く見られているものより、重く見られているものを研究するほうが、評価される。だが、なぜそれを扱ったかなど、口をはさむのは、よけいなことと思われている。ただ、学問として科学的検証・論証がなされているかが問題にされる。ひたすら学問的な精緻さ(よくいえば。悪く言えば、些末なこと)を巧みに追究すること、すなわちHowが評価の対象である。

 英米文学はWhyも視野に入れておかねばならないので、英米文学は政治的な言説の荒波をうけやすい。国文学は社会状況と関わりが少ないので、やりたいことに専念できるという点はよい。そのかわり、社会からおいてけぼりをくって、見向きもされない危険性がある(そして、その危険はほぼ現実のものとなった)。

 国文学では、指導教員がじぶんのうけもちの学生の研究対象を一方的に決めてしまうことはない。何をやっても学生の勝手とされる。

 さいきん、アメリカ出身の国文学者が、自分の指導する学生の研究対象を、自分の専門分野に近いものに変えてしまうことを知った。その学者の学問的な名声やすぐれた人柄はよく知っているので、国文学的な「美徳」に反する、そのぞっとする行為との矛盾を不思議に思っていた。

 How?を重視すれば、対象はなんでもいいはずである。How?よりさきにWhy?がくる学問を教えているなら、学生の専門分野を変えてしまっても、当然のことかとなっとくした。

 さて、友人の話をふりだしに、我が身の研究にひきつけて、あらあら現状を分析したのだが、Why思考とHow思考のハザマカンイチとなって煩悶している友人に対して適切な助言ができずに困っている。

 会社組織はチームワークが大事、郷に入っては郷に従えと、How思考に戻すか、アメリカで身につけた思考法が無駄にならないようにと、Whyがわかってもらえるまで説得し続けるか、そのどちらかだろう。

 自分のやりたいようにやるしかないだろう、と言うしかないのだが、これもWhyを自分の好き嫌いにまかせてきた、Why思考を軽視している人間の返事なのかもしれない。

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2007年3月15日 (木)

学力別クラス編成

昨日の続きです。

 山本直樹『極めてかもしだ』は学力別クラス編成への反抗が、後半の主題になる。読んでいたころは、かもしだたちの反抗にあまり疑問も抱かなかったが、いま読むと、それほど目の敵にすることか、と思う。現在の予備校など、ふた昔まえの変速自転車のような、過剰なまでの段階別クラス編成をうたっているところばかりである。

 私の出た高校では、数学や英語は進度に合わせてクラス分けをしていた。私は数学の出来が悪かったので、進度の遅いクラスに行って、ずいぶんと助かった。
 高校の非常勤をしたこともあるが、中高一貫校のせいか、上と下とおそろしく差がある学校で教えるのにとても苦労した。

 私は学力別クラス編成は悪いと思わない。一番下に進度をあわせるわけにはいかないから、どうしても中ぐらいよりちょっと上に授業の水準をあわせる。そうすると、一番下は「死んで」しまう。そういった生徒を見るのは忍びない。補講をするなり、特別クラスにして、今までの遅れを取り戻してやれないかと思う。

 もちろん、学力別クラス編成を悪いと思う人もいる。おたがいの学力をあらわにして、それでクラスをわけてしまうと、自分は下のクラスなのだと思って、努力しなくなってしまうと言われる。学力という明確な基準によって、人を分ける点が、「差別」として教育者このみでないのもある。

 偏見を含めていえば、学力別クラス編成が嫌いな教育者は、グループ学習が好きな気がする。たしかに、学力に差があるものどうしで、一クラスを作った場合に、もっとも有効なのがその仕組かもしれない。だが、グループ学習は教師の負担を優秀な生徒に転嫁するようで、どうしても好きになれない。

 十人程度のクラスであれば、国語力のとても劣っている生徒をかなりよくする技法を私は持っている。最近は、教育欲がないのでこんな挑発をいうのもなんだが、学力別クラス編成が嫌いな人は、分けたあとにどういう授業をすればいいのか、よくわかっていないのだろう。

 というのが、『極めてかもしだ』の感想かと、読み返して苦笑い。

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2007年3月14日 (水)

オキツカナメ

 山本直樹に『極めてかもしだ』という漫画がある。雑誌連載時代に不定期で読んでいた。1986年に有害図書指定をうけている。私が読んだのは十代のころなので、かなり性描写が過激な印象があった。最近、手にする機会があったが、それほど過激に感じなかった。漫画全体の性描写が次第にきわどいものになってきたのもあるし、私自身が大人になったせいもある。
 性描写よりも、なによりも、再読して驚いたのが、ヒロインの名前が沖津要(オキツカナメ)であること。
 オキツカナメといえば、落語ファンや国文学研究者は間違いなく、早稲田大学の教授で落語の著書のある、「興津要」と漢字変換するはずである。
 これは偶然ではない。山本直樹は早稲田大学教育学部国語国文科を出ている。ずばり興津要は、山本のいた学科の先生だったのである。興津要は1924年生まれで1999年に没した。1960年生まれの山本直樹が在学していたころ、興津は五十代後半である。
 書き忘れていたが、興津要は男である。ヒロインの名前に恩師(なんでしょうね)の名前を使おうとした理由が、『極めてかもしだ』最大の謎である。

『極めてかもしだ』の話、明日に続きます。

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2007年3月13日 (火)

正しいブログのやめ方

 忙しいのは三月五日までで、あとは家の雑用などをしておりました。
 ひとさまのブログにコメントを書いたりしたので、逆にたどってきた人は、いったいこいつはなぜブログを休んでいるのか、仮仕事(?)かと思ったかもしれません。しかし、決して暇ではなかったのは確かです。
 私はブログ記事を書きためてから小出しに載せるので、まとまった時間のとれる日でないと、次の準備ができないのです。

 休んでいる間に、うまい具合にネタも集まったので、それを書きためて、ブログをこの通り再開しました。

 休みのあいだ、考えたのですが、ブログはどうやって終わりにすればよいのでしょうか。

1、突然全てのデータを消して、つながらなくしてしまう。
2、データ消去の予告をして、そして消す。
3、更新停止の報告をし、コメント・トラックバックの禁止措置をしたうえで、ブログを放置する。
4、予告なしに、ブログの更新をやめて、そのままにしておき、コメントがついた場合のみ対応する。

 どれがいいのでしょうか。
 ようしブログをやめるぞ、と気合いを入れてやめる人も少ないようで、忙しいから更新が滞っているうちに、なんとなくさびれてしまったというブログが多い気がします。

 やめるときは、すっぱりと全データを消してやめたいのですが、見えるところのトラックバックだけではなく、リンクで自分の記事に引用している人もいるでしょうから(ちなみに私のブログはリンクはどこにでもご自由にどうぞ)、消すのも悪い気がします。

 とりあえず、今度の五月で約二年になりますが、もう一年ぐらいは続けてみようかと思っています。

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