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2007年2月27日 (火)

歌舞伎のたて

 日ごろ、他人の映画評・劇評は読まない。ひとつは、他人がある芝居をみてどう思うかなど、どうでもいいから(他人が食べたものの味がいちいち気になりますか)。二つめは、自分の意見と合致することがないから(違う意見を見るのが楽しみという人もいるが)。

 が、二月の歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言はゆえあって、ネットを巡って、劇評をいくつか読んだ。

 十一段目にひややかな人が多くて驚いた。渡辺保にいたっては、チャンバラ扱いである(http://homepage1.nifty.com/tamotu/review/2007.2-1.htm)。

 歌舞伎のたての場面が、評価されないのは文学性と無縁だからと、どこかで郡司正勝が書いていたのを読んだが(郡司正勝・坂東八重之助編『歌舞伎のタテ』だと思っていたが、見つからない)、そうなのだろう。
 七段目で十分なカタルシスを得られるはずで、安っぽい仇討劇で復讐が達成されるところまで見なくては満足できないのでは、人間として低く見られるということか。

 歌舞伎のたては様式がきちんとあり(詳しくは先述の『歌舞伎のタテ』をどうぞ)、美しい。見ればだれでもわかるので、軽く扱われているのかもしれないが、それだけにごまかしがきかない。中村勘三郎のニューヨーク公演では、最後に延々とたてがくりひろげられたが、勘三郎は芝居というものがわかっているなと思った(わぁ、偉そう)。

 私は歌舞伎のたてが大好きである。剣道をやっていたせいもある。「特権的な肉体」という言葉がこびりついた小劇場上がりというのもある。たてをくりひろげる役者の躍動感が好きなのだ。
 
 だが、歌舞伎のたてが好きなのは、歌舞伎が好きな人の中では少数派だろう。

 映画俳優ではジェット・リーが好きである。リー・リンチェイと名乗っていたころから好きだ。もちろん、これは映画通ぶった人には言わない。どう反応されるか、わかっているからである。

 だから、日ごろ、他人の映画評・劇評は読まない。おわかりか。

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