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2007年2月13日 (火)

点と網

 国文学も進化して、辞書も充実し、分野によっては索引も備わり、公開されたテキストデータも多くなった。それらをつかえば、碩学と変わらない、あるいはそれ以上に、簡単に用例を見つけることができるかもしれない。

 その反面、索引やテキストデータの検索では碩学には追いつけない。便利な品々を使えば使うほどそう思う。

 検索が得意とするのは、浜の真砂から色のかわった一粒をとりだす行為である。色の変わったものがたくさんあれば、それぞれもらさず見つけられる。しかし、それは点をみつけるだけである。

 碩学は点ではなく、網で覚えている。蜘蛛の巣状に知識をもっている。単発の用例ではなく、話の筋にしたがって覚えている。知っているそれぞれの単語が相関性をもってたくわえられている。

 ことばもむやみやたらに用例を選べばいいものではない。ある言葉に関連して、和歌ならこの歌、俳諧ならこの句というのが決まっている。小説にも、この場面というものがあって、それで覚えているひとも多い。

 網で覚えていると知識の運用にむだがない。だからこそ、一語一語の注釈が学問の基礎を支えている。点を探して事足れりとしていると、毎回それきりである。

 今のやり方を続けて、身につけた注釈技術が、論文を形づくるために役立つかと問われても、到底自信が持てない。

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