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2007年1月31日 (水)

江戸城展

 過日、両国の江戸東京博物館でやっている江戸城展に行ってみた。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/(博物館のHP)
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0102/200701.html(江戸城展のHP)

 変な感想だが、私には高度すぎる展示。
 図面や遺物をうまく解釈して、江戸城とそこでの生活を再現する能力が私にはないのだ。

 いちばん面白かったのが、最後にやっていたバーチャルシアター。ここまで、はっきりやってくれるとわかりやすい。
 いやぁ、私は歴史史料(字以外のものも含む)が全然「読めない」(字は読めるが)なぁと、嘆き節。

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2007年1月30日 (火)

ATM

 先日、千葉の某所に出かける。
 お金をおろす必要があって、ATMに行くと、全然綺麗に並んでいない。N字、W字に並ぶように地面に線が引っ張ってあるのだが、見事なまでに”/”形になっている。
 四台ATMがあるのだが、私が並んでいる内につぎつぎと三台故障。使っていた三人はカードや通帳を飲み込まれて、私の用事が終わって帰るときもまだ釘付け。大丈夫か、MTUFJ銀行よ(イニシャルにしてやったつもりが……)。
 面白いのは、列が長いのをみると、並ばず帰ってしまう人、あるいは機械の故障のため列が進まなくなると、途中で列を抜ける人が出ること。
 お金をおろしたり、振り込んだりというのは、絶対やらねばならないので、我慢して並ぶかと思っていたが、駅前で銀行のATMがほかにもあるので、それを使って済ませるつもりだったのかもしれない。
 複数の銀行に口座をもって、場合によって使い分ける人が多いのだろうか。あまりお金のない私には関係のない話である。

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2007年1月27日 (土)

喪中なのに

 喪中につき喪中葉書を出していたのだが、年賀状をもらってしまった。この場合どうすればいいのか。
 年賀状を出してくれた人は、当然喪中葉書をもらったことを忘れている。だから、なにも返さないと不義理なやつと思われてしまう。
 そこで、「実は喪中でして新年の挨拶を欠礼しておりました」と葉書を返すことになる。その葉書に「喪中葉書を送りましたよ」「喪中葉書が届いていませんでしたか」と書いて、送ったことを知らせるのは、相手の非をとがめるようで、いやみたらしい。
 だが、なにも書かないでおくと、あいつはオレに喪中葉書もよこさなかったのかと、恨みに思われかねない。
 さてどうすればいいのか。
 こういったことへのQ&Aがないか探したのだが、やはりない。
 マニュアルを作る人にとって、うっかりミスでおきる事態はもとより頭にないのだろう。
 だが、人生とはうっかりミスでひきおこされることの集積であり、今回の件もその一例である。

補記:関係ありませんが、来年の年賀状は宛て名を手書きで書くぞ。そう思っています。

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2007年1月26日 (金)

三冊目のモールスキン

 一月から新しいモールスキンの手帳を使っている。これで三冊目。一冊目はプレインで、二冊目は格子入り。三冊目はプレインに戻した。
 これが今までのに比べて妙に使いづらい。
 まず表紙が以前のものよりつるつるする。滑りそう。
 モールスキンは開いて、平に置いても、自動的には閉じないような作りになっているのが売りなのだが、これは手帳のノドの作りがいまいちらしく、うまく開かない。
 紙質は前よりもやや白くなった。以前のはクリームに近かった。
 前の二冊がしっくりしていただけに、残念。人気が出たので、増産体制をとったら質が落ちたか。
 さっさと使い倒したいところだが、使いづらいので、書き込みが進まないのも困る。

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2007年1月25日 (木)

最終巻その二 お言葉ですが……

 高島俊男『お言葉ですが……』の第十一巻が出ていた。
 第十巻で終わりと以前書いてあったので驚いた。第十巻までの文藝春秋社ではなく、連合出版を版元にして、2006.11.23第一刷と奥付にある。
 あとがきに、

当然まだまだ続くもの、と筆者勝手に楽観していたら、突然中止の通告を受けた。(中略)「なんでやめさせられたんだろう?」と以後考えつづけている。

とある。
 『お言葉ですが……』は、さいきんでは巻を重ねるたびにじわじわと内容が劣化していたので、あとがきから読んだ私は、何の強がりを、と苦笑したのだが、この最終巻は最後のきらめきなのか、今までの巻よりも魅力的な内容で感動した。
 まえによかったと教えてくれた人がいるが、たしかに「預言者」や「井真成」の解説はすごみがある。高島俊男これにあり、という文章である。
 とはいえ、誤用だとか嘘話だと一刀両断すればよいところを、何回もひっぱっるのはくどいかもしれない。ここらへんは趣味の問題だが。

 なにはともあれ、通巻索引つきで2200円。安い。文藝春秋社から出ていないので知らない人も多いのではないか。買うべし。

補記:私は若輩の身で言いたいことも思うように言えない。ああ畜生、言いたいいいたい、言ってやりたい。そういったことがたくさんある。高島俊男のように思うぞんぶん、腹の中のものを出せたら気持ちいいだろうなと嘆息。

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2007年1月24日 (水)

最終巻その一 ローマ人の物語

 塩野七生「ローマ人の物語」も第十五巻『ローマ世界の終焉』(新潮社、2006.12)で終巻。正直に言うと、ここのところ「ローマ人の物語」は低調だった。塩野七生のせいではない。歴史として退屈なのである。
 ハンニバル、カエサル、アウグストゥスといった英雄たちの時代はすぎ、五賢帝の時代も終わり、長期低落の時代に入ったからである。
 しかし、最後の巻は輝きを取り戻す。「最後のローマ人」スティリコの活躍はまず目を引く。一般的に教わる傭兵隊長オドアケルによる西ローマ帝国の滅亡だけではなく、その後のローマ世界の行く末を長期間にわたって描いているのもよい。
 題名が『ローマ世界の終焉』であるのももっともである。
 これをよみはじめたころ、私は高校生だった。
 この本に影響されてイタリア語学科に進んだ高校時代の友人もいた。いまは何をしているのやら。
 さいきんの巻は買っても読み返すことがなかったが、この巻は読み返すことがあると思う。

 「ローマ人の物語」の魅力は、塩野七生が数々くりだす警句にあった。それがまとまって一冊の本にならないかと思っている。ま、安易なビジネス啓蒙書みたいで本人が嫌がっているのかもしれないが。

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2007年1月23日 (火)

コレクション

 どんなものでも、集めていれば価値がある。芝居の知り合いで、情報誌のぴあをもう何年も集めているものがいた。芝居にかかわっていたこともあって、私もぴあは毎週買っていたが、場所ふさぎなのですぐに捨てていた。いまとなっては、十年以上前の小劇場の状況など、ぴあを逐一追っていかねばわからないことが多い。
 図書館から借り出して読むにはかなりの手間がいるだろうし、古本屋がまとめてとりひきすることも少ないだろうから、貴重なコレクションといえる。

 私の友人にAVのコレクターがいた。AVなんて普通借りてくるものだと思うが、彼が言うには返しにいくという行為がいやだったらしい。
 学生のころから、つい何年か前に結婚するまで十年間買い続けたので相当の数である。彼は手書きの所蔵ビデオリストを作っていて、酔うと鞄からとりだして、見せてくれるのだが、年々長くなるので驚いた。
 結局、二百五十本以上になっていたはずだが、どうやって保管していたのだろう。

 先に述べたとおり、彼は結婚したのだが、そのとき愛蔵の品々がどうなるのか、聞くに聞けず、結婚式の二次会、友人どうしでその処置を忖度した。噂によれば、捨てたそうである。
 どんなものでも数は力である。普通捨てられそうなものが、集まっていると、ことさら価値がある。じゃあ、私が引き取りますとかなんとか当然言えないものだが、しかるべき筋?にわたって、後世での有益な活用を待つことはできなかったかと残念である。

 彼にビデオを貸してもらおうと思ったことが一度もない。彼から借りれば安上がりだったはずだが、下手に貸してなどと声をかけさせないのが真のコレクターなのかもしれない。

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2007年1月21日 (日)

ビデオあれこれ

 ビデオがない時代には、子ども向きの番組で細かくストーリーがつながっていくものは作れなかったはずである。
 戦隊ものなら、最初と真ん中(必殺技が効かなくなる。誰かが死ぬなど)と最後、以外は敵が出てきてそれを倒すというワンパターンである。
 子どもも忙しくいつもテレビの前に座れるとは限らないのだから当然である。
 Zガンダムのように、細かいストーリーがあって、しかも途中で敵味方が入れ替わったりしていると、見ない回が何度かあればあっという間にわけがわからなくなってしまう。
 そのころに比べると、テレビを見る方もなんとか録画媒体を使って見るだろうからと、作る方も凝ったことができるようになったのではないか。

 HDDレコーダーのように、どんな長さの番組でもきれいに録画しておいてくれる機械ができたのはありがたい。何時にどのテレビを見なくてはと、テレビにしばられる生活は不健康である。

 ちなみに私が最初にビデオデッキを購入したのは1993年になってから。質流れの中古家電を購入した。さっそくレンタルビデオ屋にいってビデオを借りた。AVは当然(?)借りたが、誰のを借りたのか記憶がない。AVといっしょにアラモを借りた。これははっきりと覚えている。同じ金額で借りるなら、長いビデオじゃないと損だと思ったからである。

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2007年1月20日 (土)

偉い人の立場

 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全 2』(洋泉社、2006.12)のなかに、水道局が主催するアイランドホールで、水道にシャブを流す咄をしたら、たまたま聴いていた水道局の幹部が激怒して、快楽亭ブラックは出入り差し止めになったと書いてある。
 こういったシャレのわからない態度について、かつては、嫌だね、これだから役人は、などとも思っていたものだが、そうしないのが筋なのではないかと思うようになった。
 たとえば、私が盆栽作りが趣味の老人だったとする。そこに野球をしていた子どものボールが飛んできて、盆栽を壊す。
 そのときに、「まあ、今の子は元気がないのに感心感心、次は注意して遊びなよ」とナデナデしてやるより、ステッキをふりあげて、「コラァ、誰だ」と叫んで表に出る方がいいのではないかと思うのである。
 役人はあくまで役人として、官僚的な態度で、民を圧迫すべきである。ここでまあまあ咄が面白いからいいでしょう。そんなのシャレだって、私もわかっていますよ。などと物わかりのいいことを言っていると、芸人の経歴に「箔」がつかない。出入り禁止という、「箔」をつけてやることが、偉い人の立場ではないかと思ったりした。

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2007年1月19日 (金)

またやってしまった

 快楽亭ブラックの『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全 2』(洋泉社、2006.12)が出た。私も正月に近所の本屋で買って、風邪ため熱のあるのもかまわず読み、熱に浮かされながら附録のCDを聴いた。
 第一巻もそうだったが、内容だけで十分面白いので、逆に高座にかかってもそれ以上には面白くはならないのではないかと思っていた。だが、CD『借金男』をいくつか買ってきて、活字だけでなく、音声でも楽しめるようになると、活字だけより音声化されているほうがとても面白いことがわかった。たとえば、『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全 2』に収録されており、『借金男』#5に口演が入っている、「カラオケ寄席」は、聴いてみないと歌の部分など、その面白さが十分にわからないはずである。

 さて、本屋でこの本を買った。家で読むのでカバーはいらなかったのだが、四六判のカバーがうちになかったので、もらっておこうと思いカバーを頼んだ。四六判になれていなかったのか、女の店員さんは一度紙をあてたが、それを外して、次の紙を慎重にあてた。
 そのとき、店員さんが裏表紙にかかっている帯の文字に目をとめたことがわかった。
 裏表紙には「国営売春店・オマン公社というのはどうでしょうかね?」と書いてあった。
 口元もなんにもうごかなかったが、目が笑ったのがわかった。
 いかんなぁと思いつつ、私は下をむきながら、本をうけとってかえった。

補記:「ブラック本」(2006.7.17)にその一を買ったときの記録があります。

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2007年1月18日 (木)

だったから

 テレビが壊れて、テレビがないまま過ごしていた時期が三年ある。なければないで、とくに困りもしないものである。
 とはいえ、サッカーのW杯フランス大会の予選。イランとのジョホールバルでの一戦はどうしても観たくて、近所の中華料理屋に行って観た。
 お店に着いて、店員に頼んでテレビをサッカーにしてもらった。

 なぜ、頼まねばならなかったのか。普通なら客寄せのためにでも、サッカーにしていそうなものである。
 答えは、池袋のその中華料理屋は店員が全員中国人だったから。

 さいきん、ワザオギのDVDの昔昔亭桃太郎の高座で似たようなのを聞いたので、実話もあるのだと記しておく。
 

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2007年1月16日 (火)

お産

 妻は二度とも早産だった。
 一度は、陣痛室で苦しんでいるうちに生まれてしまった。段階がよくわからずに、私は片手で妻の背中をさすりつつ、片手でお産の本を読んでいた。妻は爪でかべをがりがりやっていた。ベテランの看護婦がやってきて、若手の看護婦をまあこんなになるまでしてとしかりとばして、陣痛室でお産の準備をして、先生がきてとりあげた。
 生まれた赤子は、さいしょは、うんともすんともいわなかったが、陣痛室から、手術室へ看護婦が連れて行くと、手術室から産声が聞こえてほっとした。
 二回目は同じ病院だったが、まだまだ時間がかかりますからねと言われて、昼食にラーメンを食べに行くと、戻ったときには生まれていた。
 二度とも立ち会えなかったが、血に弱いので、その点ではありがたかった。

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2007年1月13日 (土)

眉間は急所

 学生のころ、喧嘩して酔って知り合いに殴られた。顔を殴られたのだが、幸い眉間で、目立つ外傷はまったくない。
 ほうっておいたのだが、何日たってもズキズキするので、下町の小さな病院に行った。いろいろな科がある病院だったのだが、小さな病院(多分、正式には医院かクリニックなのだろう)なので、奥に通されて診察台に寝かされると、それが出産に使う台(分娩台ですな)でおどろいた。もちろん、足のせに足は載せないが、すぐそこに銀のそれが見えている。
 古ぼけた手術室をみて、こんな殺伐としたところで、子どもを生むのは嫌だなと思った。
 年寄りの医者に眉間を殴られたというと、眉間は人間の急所だよ、と言われて妙に感心した。
 今なら、MRIがあるような病院に行くのだろうが、全然そんなことも考えずに行ったので、レントゲンも撮られずに終わった。薬をもらったかもしれないが、二度目は行っていない。治ったからではなく、面倒だったからである。

 ちなみに殴られた相手とは、仲直りしてそれなりに普通にやっていた。もっと怒った方がよかったのかもしれないが。
 

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2007年1月12日 (金)

投薬実験のアルバイト

 投薬実験のアルバイトを引き受けたことがある。
 金の困っている私を見かねて、芝居の知り合いのSさんが紹介してくれた。血圧を調節する薬らしかった。ときおり血を抜かれねばならなかったが、危険でなさそうなのでよろこんで応じた。二日ほどとまりっきりになるのだが、拘束されている時間ごとにお金が入るのでずいぶんな金になる。
 もともと、Sさんもさらに知り合いのYさんなる人物の紹介だそうで、聞かれたときにはYさんの名前を出すように言われていた。採血のさいに看護婦に、Yさんとどういうお知り合いと聞かれたさいに、いろいろありましてと答えると、フフと看護婦が笑った。
 健康かどうか調べる検診がなぜか産婦人科のクリニックであって、投薬実験に参加するもの一同でぞろぞろ産婦人科の待合いに入っていったのがおかしかった。待合いには見るからにやくざもんがわけありという感じの女を連れてきていたのだが、さすがに驚いただろう。
 肝心の投薬実験なのだが、私は受けていない。血液検査の結果、私の白血球の数に異常があるそうで、受けられなかったのである。Sさんには、お酒を飲み過ぎる人にはたまにそういう人がいるので気にしなくていいよと言われた。
 それでも、検査だけでも5000円はもらえたのではないだろうか。
 お金をもらった駅のすぐとなりの駅に、同じ学生劇団の女の子Tが住んでいたので(私の勘違いで実はとなり駅ではなかった)、呼び出して、一緒に駅前のそば屋でそばを食べた。
 「お品書きにあるそばがきってなんだろう。頼んでみようか」といったら、
 「知らないならやめときなよ、あんた」といわれた。
そばがきも知らなかった若い日の思い出である。

なお、Sさんとはいろいろ事情があって喧嘩別れしたのだが、投薬実験の会社?からは二度ほどお誘いがあった。金銭的な面で心引かれたが、Sさんとのこともあるので、下手なものを飲まされてはたまらないとひきうけなかった。

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2007年1月11日 (木)

日本のワーテルロー

 今年の大河ドラマは山本勘助を主人公にした『風林火山』だという。講談では、山本勘助は第四次川中島合戦で討ち死にしたことになっている。
 第四次川中島合戦は、武田側が軍勢を二手にわけ、一隊に上杉側が立てこもる妻女山に夜襲を掛けさせ、驚いて上杉側が平地に出てきたところを残る一隊で攻撃する計画を立てた「啄木鳥戦法」が有名である。

 上杉側は夜襲を見破り、あらかじめ平地で武田側を待受け、夜明けとともに猛攻をかけた。「啄木鳥戦法」は完全に空回りし、献策した山本勘助は責任をとって、上杉側に突入して戦死する。

 川中島合戦は史料が少なくて、歴史学者に言わせればわからないことばかりだそうである。

 私はそもそも「啄木鳥戦法」は成り立つのか疑問に思っている。上杉側は山に陣地を組んでいるのだから、攻撃された場合に、陣地に踏みとどまって戦うのがあたりまえだろう。山から平地に下りる場合に、隊伍をみださず降りられるとは思えないので、平地に降りる時点で負け戦である。必死に踏みとどまって戦うだろうし、防御側が有利だろうから、武田の妻女山攻撃隊12000人と上杉側13000人が戦えば、陣地にいたまま撃退できるはずである。

 朝になって、山の上から武田側が二手になっていることがわかれば、陣地から出て手前にいる武田側の攻撃隊の撃滅にかかったはずである。

 全兵力でも攻略不可能としか思えない上杉側陣地への攻撃を、兵力を分けてしかも夜に武田側が行っていることが信じられないのである。

 話はかわるが、第四次川中島合戦を日本のワーテルローと説明している人があって、感心した。

 ワーテルロー会戦は、エルバ島を脱出したナポレオン率いるフランス軍と、連合軍(イギリス・オランダ軍とプロイセン軍)との一大決戦のことである。

 戦いの前半はフランス軍がイギリス・オランダ軍を攻撃し、イギリス・オランダ軍がひたすら耐える展開が続く。イギリス・オランダ軍がもはやもちこたえられないか、といった時点で、フランス軍の別働隊をふりきったプロイセン軍がフランス軍の右側面にあらわれて、フランス軍は崩壊する。

 イギリス・オランダ軍が、武田信玄の率いる武田軍本隊、プロイセン軍が妻女山攻撃を行っていた武田軍別働隊、そしてフランス軍が上杉軍である。武田別働隊は上杉軍の右側面から現れる。
 チームカラー?が、武田とイギリスが赤で表現されやすいのも似ている。
 
 ワーテルローではフランス軍は壊滅的な打撃をうけてしまった。第四次川中島合戦が史実だとしたら、上杉側が兵をうまくまとめて戦場から撤退できたことが凄いと思う。

**血液検査でわかったのは肝機能が低下しているということ。抗生物質もやめて様子をみましょうということになりました。脂肪肝でこんな目に会うとは、今の世の極楽も考えものですね。**

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2007年1月 9日 (火)

国見のいない正月

 長崎人にとって、
「国見は、一回戦、二回戦は観らんちゃよか」
というのは一度は聞いたことがある文句ではないか。
 指している試合はサッカーの高校選手権のことであり、あたりまえだが、県予選でなく本大会の一回戦、二回戦である。
 スポーツにとりたててみるところのない長崎県では、サッカーの強い国見高校は県民の誇りだった。
 国見の試合は楽しみなのだが、それでも観なくても大丈夫だというのが自慢なのである。
 2006年度の第八十四回大会で、国見は千葉の八千代高校に負けて、出場21年目で初の一回戦負けとなった。二回戦負けもほとんどないはずである。
 正月になっても、国見がいまどこまで勝ち上がっているのか、次にいつ試合があるのかを、つねに気に留めて過ごしていた。2007年はその必要がなくなったので、2006年のうちから気が抜けてしまった。

補記:体調が悪くてパソコンに向かえないままうだうだとしていたら、大会も盛岡商の優勝で幕を閉じてしまいました。完全に遅れた内容ですが、載せておきます。体調不良の原因は血液検査の結果が明日わかるので、はっきりするはずです。

期せずして、小嶺総監督の政界出馬。これでほんとうに終わりのような気がします。(2007.1.11)

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2007年1月 8日 (月)

「新年明けましておめでとうございます」

 「新年明けましておめでとうございます。」が、言葉遣いとして正しいのかそうではないのか、意識したことはなかったのだが、何年か前に高校生を教えていたときに、生徒から漢字テストの余白で正しいのでしょうかと質問されて、考え込んだ。
 たしかに、新年が明けたら、もう翌年になってしまう。
 ネットで調べてみたところ、「明ける」が「旧年が終わる」ことなので、「新年明けまして」は重言であるとみなす場合がほとんどである。
 印刷会社の注文年賀葉書見本をみてみると、さすがに商売だけあって、「新年明けましておめでとうございます」はひとつもない。
 その年、来た年賀状を調べてみると、七十近くのとある先生からの年賀状だけ「新年明けましておめでとうございます」になっていた。印刷だった。
 
 さて、質問した生徒には、重言になることは説明した上で、

「湯を沸かす」という表現もあります。それは結果目的語と説明されているのですが、「新年明けましておめでとうございます」もなにか特別な説明がついて、それでいいのだと言われるようになるかも知れません。
 自分としては使わないと決めておけばよいでしょうが、せっかくの正月の挨拶ですし、目くじらをたてる必要もないかと思います。

と書いておいた。

**風邪ですが、そう簡単に治るものでなかったらしく昨晩再発。三十七度代でたいした熱ではないはずですが、体温計の表示以上に苦しみました。抗生物質はしっかり飲んでいたんですがね。今朝になって、熱も下がって回復。まだだるいです。そんなに働いていないのですが、明日以降、仕事に影響がないことを切に望みます**

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2007年1月 6日 (土)

細菌性

 昨年の十二月下旬からずっと体調が悪くて、昼夜問わずに、37~38度半ばの熱が出ていた。すぐよくなるのだが、ぶりかえしも早くて、夜はほとんど熱を出していた。さらにその間に片頭痛が出て、苦しい日々を送っていた。
 市販の風邪薬を飲んで、その場をしのいでいたのだが、どうも駄目なので、昨日病院に行くと、細菌性の感染でしょうと抗生物質を出してくれた。
 これがまあよく効いて、朝起きるとひさかたぶりにすっきりした体調である。しばらく片頭痛がしていたのだが、これもいまはおさまった。
 薬一つでここまで簡単に治ってしまうと、屠蘇ひとつ飲めなかった私の年末年始はなんだったんだと、非常に損した気持ちである。
 妻には、ずっと一緒にいた幼児(一歳七ヶ月と三歳七ヶ月)があんたから病気をもらっていないのだから、よほど抵抗力が落ちているんじゃないのと馬鹿にされた。
 なにはともあれ、風邪が治ってうれしい。昔ならこじらせて、どうなっていたかわからない。物質面でいえば、今の世こそ極楽なのは間違いない。

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