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2006年12月 2日 (土)

それが落語や

 岡田斗司夫が落語のことで息巻いている。
http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/12/20_954e.html

 落語の型やきまりごとについて、なまじ知識があるぶん、私はいろいろ気になるほうだが、それでも、話芸は自由でいいんじゃないのと思う。

 それは近世文学の研究者として、三笑亭可楽や朝寝房夢羅久といった落語勃興期(正確には中興期だが)の噺家が行った、素朴な話芸のありかたを知っているからでもある。延広真治『落語はいかにして形成されたか』(平凡社、1986.12)が、そういった人前で話したいという人びとが、いかに情熱をもって、人前まで話し続け(さいしょは不人気で三日で高座をたたんだこともある)、今にいたる落語を形作っていったかを詳細に描いている。

 関西には笑福亭笑瓶のようにほとんど落語をしない落語家もいる(笑瓶の所属プロは東京だが)。笑瓶について、笑福亭鶴瓶が落語はしたくないが、面白い話をしたいんですというやつが入門希望にきているけど、弟子にしていいものかと師匠の六代目笑福亭松鶴に相談したところ、「面白い話をする、それが落語や。鶴瓶とったりぃ」と松鶴は言ったらしい(なにに書いてあったかなぁ)。

 革新的なことをやろうとするので、見ている人の疳にさわるような作りもあるのだろうが、それは落語じゃないと、若い人たちが保守的な感想を残しているので、驚いた。
 むしろ、いつも寄席にきているじいさん連中のほうが、これもありさと、まったく気にしないのではないか。じいさん連中は感性が鈍磨しているのではなく、経験が豊富なので、何を見ても動じないはずである。
 
 人前で話をしたいという人がいて、それが面白ければいいんじゃないの。柳家小三治の長いマクラだって落語のうちである。岡田斗司夫がしているのは、高尚な芸ではないかもしれないが、話芸のうちとして、それもありだと言ってやればいいではないか。
 面白ければ続くし、そうでなければ、止まる。そのうちはっきりするだろう。芸の世界の見えざる手に任せておけばよい。

補記:さいきんの落語ブームにもかかわらず、延広真治『落語はいかにして形成されたか』(平凡社、1986.12)は絶版らしく、惜しい。きっと著者が増補して再版したいと思い、増刷をひかえているのだろう。そうでなければ、ちくま文庫とかが入れてくれないか。
部分的に
http://www.ojw.or.jp/edo/edorakugo/rakugowaikani.html
で読むことができる。

**岡田斗司夫にエールを送ろうとトラックバックを試みるが何度やっても駄目。嫌われている?それともシステムの問題?**

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コメント

エールありがとうございます。
トラックバックの件は僕にもわかりません。
こちらのページからリンク張らせていただきます。

投稿: 岡田斗司夫 | 2006年12月 3日 (日) 19時41分

岡田斗司夫様

 こちらの不都合でトラックバックできないところをわざわざリンクしていただきまして、お手数をおかけしました。
 機会がありましたら、高座を拝見いたしたく存じます。
 今後のご活躍を楽しみにしております。

投稿: Iwademo | 2006年12月 3日 (日) 23時02分

わたくし、延広先生の授業を大学教養の時に受けましたよ。
上方落語。
そんなわけで自宅の書棚にならんでおりまする。

そーですか、絶版ですか。

投稿: masapf | 2006年12月22日 (金) 02時31分

masapfさま

お返事遅くなりました。
上方落語ですか。どんな話をしたのか、知りたいです。

大学の教養課程のころの本は、専門に近いもの以外、ほとんど売り払ってしまいました。
いまだに、そのころの本を大事にしているmasapfさんは、すごいと思います。

投稿: Iwademo | 2006年12月25日 (月) 23時11分

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