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2006年11月30日 (木)

木下順二が亡くなった

 今から七八年ほどまえ、私が小屋付のアルバイトをしていたころ、あるお芝居の初日の幕が下りたすぐあとに、猛烈な勢いで楽屋に突っ走っていったお年寄りがいた。見たのは一瞬ながら、もうそんな速度で走っては危ないだろうというお歳のようだった。ひょっとしたら杖もつかっていたかもしれない。
 不審な顔つきをした私に、上司(正社員のおじさん)が、たったいま上演された芝居の脚本を書いた木下順二先生だよと教えてくれた。
 木下順二の名前や、その代表作が夕鶴であることなどは知っていたが、私にとって、もうすっかり過去の人というイメージがあって、思わず、まだ生きていたんですかと口にしてしまった。
 
 十月三十日に木下順二が亡くなった。享年九十二。私が見たのは八十代前半にあたる。
 気にくわなかったのか、感激したのか、それはわからない。しかし、八十を越して、芝居が終わったあとに、楽屋へ突っ走る、その情熱が強く印象に残っている。

 木下順二には『本郷』という生い立ちをつづった随筆がある。木下順二は本郷生まれで、小学校から旧制高校まで熊本で過ごした。本郷界隈は多少知っているのと、妻が熊本出身なのに興味をもって、講談社文芸文庫で四五年前に読んだ。
 熊本の地主階級について、先祖からうけついだ土地を寸分も減らすことなく、次の世代に伝えていくことを無上の使命にしている、といったことが書いてあった(手元にないのでうろおぼえ)。
 私がよく知っている熊本人の特徴がまさにそれである。
 あと、東京で身につけた鼻濁音を、飛行機のプロペラ音の真似でからかわれたことが、『本郷』のなかで、印象に残った部分である。

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