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2006年11月 3日 (金)

落語評論、サッカー評論

 落語評論というものが可能か。見ればわかるものを論じていったいどうなるのだ。そういった議論が、安藤鶴夫が活躍した1960年代までは、それなりになされていた。いまでは、安藤鶴夫のような大物評論家がいないせいか、そうした議論も下火になってしまった。

 この落語評論のように、見ればわかるものを論じてどうなるという疑義のはさみかたは、適応の幅が広い。

 さいきん、感じるのはサッカー評論というものが可能か。ということである。

 日本代表のガーナ戦のあとの監督会見で、守備的だったのではという質問が出た。『SPORTS Yeah!』(151号、2006.10.20-11.2)で、小宮良之が「攻め手が三都主のみで、マンツーマン守備に終始する古典的戦術で攻撃的チームと誇るのは、どうにも無理がある」と述べた。

 同誌で馳星周は「個人個人が考えながら走る。これを90分続けることはもちろん無理だが、できつつある時間帯があったことも確かだ」と述べ、「たとえばCBの水本や今野が攻撃参加したように、リスクを冒す時は迷わず前へ行っていた」と述べる。

 私はテレビ観戦だが(馳星周の記事ではよくわからなかったが、スタジアムに行ったのだろうか。記事まで依頼されて自宅観戦とは、まさかね)、守備的とはおもわなかった。

 将棋と一緒で、サッカーは相手があってなりたつ。自分のやりたいようにできるわけではない。攻めたり守ったりと、相手に対応しながら最善手を尽くすのが、ゲームの基本である。
 無敵の魚鱗の陣、鶴翼の陣があって、それをぶつければ相手に勝つようにはできていない。

 『SPORTS Yeah!』(151号)を読んで思ったのは、偉そうにいろいろ言われなくても、試合は観ればわかりますよ、と。
 紙面で事実を伝えるより、映像を見た方がわかりやすいのは、百聞は一見にしかずの故事をもちだすまでもない。

 じゃあ、スポーツジャーナリズムに必要なこと、私が求めるのはなにか、というとできるだけ多くの情報である。

 スポーツナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)は監督会見の全文を掲載する。選手インタビューの数も、新聞などでは二三選手のひとことふたことであるのに、スポーツナビはたくさんの選手の情報を載せる。
 官邸や官庁が、会見や広報文の全文をHPで開示するようになって、一部のマスコミからメディア軽視と言われているらしいが、マスコミが選択した情報より、できるだけ多くの情報を知ることができて、みな便利になったのは確かだ。
 
 スポーツノンフィクションの一里塚となった山際淳司『江夏の21球』や金子達仁『28年目のハーフタイム』が、ともにインタビューを中心とし、ただ競技場で眺めるだけではわからない事実を明らかにすることを目指しているのは示唆に富む。

 虫明亜呂無のようなスポーツの美しさを純粋に伝える方向へ日本のスポーツジャーナリズムが進んでいかなかったことを、玉木正之はことあるごとに嘆いている。

 だが、そもそも見ればわかるものを対象にすれば、山際や金子の方向にすすむしかないのかもしれない。

補記:『SPORTS Yeah!』(151号)だが、読んだことが時間の無駄。オシム特集にひかれて、ここのところ何冊かスポーツ雑誌を買っていたが、ふたたびスポーツ雑誌からは手を引くつもり。
 金子達仁は「儚い運命を見極めるために」と題して、オシムよりも現在執筆中の本からヒディング論に終始。書けないなら書きなさんな。今回のワールドカップが「チームとして一体感がないほうが負ける」という、金子好みの結論にころがったので、それを書くのは楽しいだろうね。
 

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