« 個人的な意見ですが | トップページ | 一流は趣味と実益を その二 »

2006年10月12日 (木)

一流は趣味と実益を その一

 文学研究は小説を読むのでしょうが、私にとって小説は趣味で読むものです、と同僚の法学部の教授に言われたことがあると、知り合いのある先生がおっしゃっていた。七十歳ほどの先生である。
 小説は書く方も、男子一生の仕事ではないと言われた時代があった。小説なぞ研究して、というのも漱石のころからあった(近世では、文学研究は職になっていないので、措いておく)。
 文学研究者には文学研究を職にすることに後ろめたさを感じている人が、今でも少なからずいるのではないだろうか。

 だいぶん前だが中島誠之介『ニセモノ師たち』(講談社文庫、2005.07。初出は講談社、2001.10)を読んだ。解説をなぎら健壱が担当している。
 なぎらは次の部分を引用し、

よく世の中の人から「中島さんは趣味と実益をかねていていいですね」といわれます。私は差し障りなく「ええ、おかげさまで」といちおうは返事しますが、じつはそれはとんだお門違い。趣味と実益の二者は全然別物で、それをかねてやっている人はアマチュアの域も出ていない人、強いていえばアルバイト、セミプロと呼ばれる種族になります。(文庫版、47頁)

それに対して、

実はわたし(引用者注、なぎら健壱)も同じようなことをよく言われる。そんなとき自分は「冗談じゃない、趣味を仕事に選んだらどんなに辛いか。仕事が辛かったら、趣味で息抜きすることが出来ないんだぞ。逃げ場がないんだぞ」と答える。

と述べている。
 中島誠之介やなぎら健壱に共感する人も多いのではないか。実をいえば、かつて私も似たような感想をもっていた。

 しかし、最近になって、趣味と実益を兼ねないのは二流、一流の人物は趣味と実益を兼ねているのではないかと思うようになった。たとえば、イチローのような一流のスポーツ選手は、野球をするのが楽しくて楽しくて仕方がないのではないか。もちろん、厳しい練習をするのはたいへんだろうが、好きだからこそやっているという面が多いのではないか。などと考えるようになった。

 実を言うと、今年の六月頃、このような考えをまとめて、本ブログに載せようと思ったのだが、ある文章を読んで思いとどまった。
 それは中田英寿の「引退メッセージ」での、

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

であった。
このあとに、

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

がくることはくる。しかし、サッカーの一流選手が趣味と実益を兼ねないという意識でやってきたのだから、私の予想は崩れたことになる。
 反論するためには、私が趣味と実益をかねつつある分野で一流になる必要がある。
 そういうわけで、封印されていた。

**明日に続きます**

|

« 個人的な意見ですが | トップページ | 一流は趣味と実益を その二 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/103175/12260338

この記事へのトラックバック一覧です: 一流は趣味と実益を その一:

» 俊輔 [俊輔がハットトリック]
ハットトリック [続きを読む]

受信: 2006年10月15日 (日) 10時20分

« 個人的な意見ですが | トップページ | 一流は趣味と実益を その二 »