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2006年10月31日 (火)

ハロウィンと日本のお化け

 ハロウィンの習慣がじわじわとだが日本に広がっている。かぼちゃを飾ったり、おばけのおもちゃ、お菓子を売ったりする程度だが、季節ものとして、それなりに認知されるようになってきた。

 いっぽうふるわないのが日本のお化けである。天狗、河童、人魚とか、それを祝う祭がハロウィンの規模であるだろうか。『ゲゲゲの鬼太郎』で日本の妖怪と西洋の妖怪が戦う回があったが、今や劣勢である。日本の場合、怪談は夏が相場。十月三十一日のように寒くなってから、幽霊が欠けていることも日本側不振の原因かもしれない。

  日本でもなにかお化けのお祭りでもやるか。
 上野にある国立科学博物館で「お化けの文化誌展」(http://www.kahaku.go.jp/event/2006/10bakemono/index.html)をやっている。平日なのに、盛況だった。小中学生は只ということで、課外学習で引率された児童や生徒が多かったが、アベック連れも少なくない。まだまだ、挽回は可能である。
 

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2006年10月30日 (月)

一年間で

 快楽亭ブラックは一年間で365本の映画を観るノルマを己に課したらしい。

 蓮實重彦は、映画関係の授業をとった学生に、一年間で50本以上の映画をみなさいと言ったらしい(映画館でという条件付だったか)。

 一年間に50本の映画なら、一週間に一本である。私は90年代前半に池袋に住んでいたこともあって、それなりに映画を観ていた。それでも五十本には及ばなかったのではないか。

 演劇に関わっていたころは、一年間で三十本ほどの芝居を観ていた(劇場バイトで観たものは除く)。学生劇団同士のつきあいで観た、たいしたこともない小劇場芝居も多く含まれているので、そう質的にも金銭的も、すごい行為ではない。
 だが、映画に比べて、芝居を観るのは五割増しで疲れる。

 今でも映画・音楽雑誌に記事を書いている知り合いの演劇人Mさんは、一年間で五十本ほどの芝居を観ていた。Mさんのすごいところは、Mさんが観に行った劇団は、一二年の内にかならず人気が出たことである。これから来る、という嗅覚がすごかったのだ。
 いろんな分野で、この人が読んだ、観たなら、私も読もう、観ようという人がいる。Mさんは、芝居にかんして、私が第一に信用していた人である。

 一年間で何本とか何冊とかいう縛りは不健康なのではないかと最近思う。観たい時に、観たい映画をみて、読みたい時に読みたい本を読む、というのが、感性の錬磨、知識の吸収に向いている気がする。

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2006年10月28日 (土)

渡しそびれた写真

 写真が趣味でそれなりに撮るが、被写体の人たちにはできる限り、撮った写真を渡すようにしている。
 とはいうものの、いろいろと都合があって、渡す機会を失って、手元に残ってしまう写真が出てくる。あまり親しくない人の写真がほとんどである。いつか渡す機会もあるかもしれない、あるいは、撮られた人が覚えていて、あの写真はと聞かれることがあるかもと思って(実際は一度もないが)、捨てることもできない。
 そういった写真は封筒に入ったまま、私の部屋の中で埋没しているが、ふとした機会にでてきて驚く。

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2006年10月27日 (金)

結婚式の余興

 結婚式でつまらない余興がある。素人がすることだから、新郎新婦の友人が寸劇などしても、なかなか面白くならない。
 が、あれは余興として、面白いかどうかは問題ではない。新郎新婦のためにわざわざ骨をおって、いろいろとやってくれる人物が友人にいることが、列席者にわかることが大事なのである。
 明日、余興芸をするので、こう記しておく。

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2006年10月26日 (木)

学食で食べると

 修士一年生のころに、そのころ助手だったSさんから、学食で食べているようでは大成しないと言われた。たしかに、学食はおいしくもないし、わびしいし、食べているうちに、気分が盛りさがってくる。それから長い間、学食では食べないようにしていた。

 専攻する時代が違うのだが、Oさんという先輩がいた。Oさんをよく知っている人が、Oさんには味覚がなかったと感想を述べたことがある。Oさんは、大学の近所に下宿し、朝昼晩三度の食事を学食ですませて、修士、博士の八年間を過ごした。Oさんはきちんとした学力の持主であることもあって、今では立派な大学の先生となった。

 Sさんの言うことも一理あるが、私に持つべきはOさんのタフさ、こだわりのなさと最近では思っている。
 ここ一二年、大学に寄ったさいには、わだかまりなく学食で食べている。

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2006年10月25日 (水)

快楽亭ブラックの映画評

 快楽亭ブラックが雑誌にもっていた映画欄が次々に打ちきりになっている。『TV Taro』の映画欄が楽しみで、真っ先に読んでいたので残念である。
 
 快楽亭はブログ(http://kairakuteiblack.blog19.fc2.com/)で、

何よりショックなのは、もうあっしの映画評が望まれていないということだ。
(2006.9.20)

と述べる。
 たしかに、辛口だし、趣味が名画系(古い邦画)に偏っている。一般的な映画の観客とは趣味が違うのは事実である。

 が、打ち切りの理由は別のところにあるのではないかと疑っている。

 快楽亭ブラックは『放送禁止落語大全』(洋泉社、2006.4)を上梓しているように、非常に攻撃的な、普通のメディアでは尻込みするような題材を高座にかけている。

 以前は、快楽亭ブラックが何をやっているのかよくわからないまま、映画に詳しい人としてライターに採用されていた。それが、快楽亭ブラックが借金騒動以降、積極的に本やCDを出すに及んで、落語家としての実態が依頼主側にわかってしまったのだろう。

 快楽亭ブラックの高座は右翼の恫喝の的になりかねない。快楽亭ブラックを脅してもお金は出てこないだろう。だが、記事の依頼主はそうではない。あんなやつを雇ってどういう了簡だと因縁をつけられかねない。
 借金を返そうと、積極的に打って出たのが裏目に出た。臭いものには蓋の尻尾切りにあったのではないか。

 原稿収入が減って、快楽亭ブラックは今後ますます苦しい生活を送らねばならない。
 私に出来ることは、高座を聴きに行くかCDを買うぐらいだが、前者は田舎暮らしと育児で厳しい。せめてものことと、新宿のテイトムセンに寄るときは、CDがないか確認することにしよう。

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2006年10月24日 (火)

CD-ROM版の寿命

 国文学もIT全盛であって、CD-ROM版(さいきんはDVD版も増えた)の出版物が少なからずある。CD-ROM版は高額で数万はざら、中には何十万とするものがある。
 にもかかわらず、発売時に主流だった古いOSにしか対応しておらず、今のXPでは簡単に閲覧できない場合が多い。
 たった何年かで見られなくなってはたまったものではない。
 出版元が閲覧のためのプログラムを公開して対応すべきだろう。だが、角川書店のような大出版社ならともかく、まだ続いているかも既に怪しい零細出版社のものもある。
 どうやっても見られるデータ(生のjpegやtxtファイル)にもとからしておくのがいいのだろうが、採算の面であわないのか。
 映像の場合、著作権侵害はともかく、できるだけ多く見られることが、制作者にとってハッピーなのだという意見を読んだことがある。
 つかえないCD-ROMは、あはれというもおろかである。

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2006年10月23日 (月)

野球のエース その二

**前日の続き**

 江本孟紀だが、「ベンチがアホ事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9C%AC%E5%AD%9F%E7%B4%80)という首脳陣批判をして、引退においこまれた。
 その後、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』の大ヒットで、江本は息をふきかえした。
 『プロ野球を10倍楽しく見る方法』は投手賛歌の本である。
 野球は投手が投げなければはじまらないとする。また、ヒーローインタビューはどうして、みないい子になってしまうのか。「バックが守ってくれたから」「打線が援護してくれたから」といった内容(手元にないので記憶にではそう)をしゃべるのかと疑問を呈している。

 江本、江夏、両者に感じるのは、投手というのは野球選手のなかでも、プライドが高くて、他とは違うのだということである。

 今回、金村曉の事件だが、防御率四点台後半の選手が、ピンチを招けば、交代しない監督の方がおかしい。
 ましてや優勝がかかって厳しい戦いをしているさなかである。個人成績うんぬんを言っている場合ではない。この事件を知って、多くの人が憤慨したし、私も鈍器で殴られたような具合の悪さを感じた。

 少数意見ながら、野球の投手とは特別なんだ。江夏のような気概がないとやっていけないんだ、という擁護意見があった。

 その擁護意見がいうように、野球の投手は、エゴイストでないと成功しないのだろう。それは事実であろう。

 それが事実ゆえに、野球という競技は投手が特別な地位をしめているにもかかわらず、そうではないように見せかけなければならず、それを破ることは大きな禁忌であることがわかった。
 江川が作新学院時代に他の選手から疎まれていたというのも、江川が特別特殊な選手だと他の選手が感じていたからである。

 その禁忌をやぶることがどれだけの罪なのか。私は、団体競技を真剣にやりこんだことがないので、正確なことがわからない。ただ、その深淵をのぞきこんで、恐れるだけである。

 だいたいこの禁忌に触れた選手は、その球団に残ることが出来ない。金村曉は日本シリーズに登板できるとの話しもある。来年も金村曉がファイターズでプレーできるとすれば、それは外国人であるヒルマン監督のおかげだろう。
 土曜日より日本シリーズがはじまった。はたして金村曉の登板はあるのか、成り行きを見守っている。
 

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2006年10月22日 (日)

野球のエース  その一

 2006年9月24日の北海道日本ハムファイターズ対千葉ロッテ戦のあと、金村曉が首脳陣批判をして問題となった。
 
Wikipedia(2006.10.17)は「金村曉」項目に「2.1舌禍事件」として、事件の顛末を載せている。
 長いが
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89
より全文を引用する。

2006年9月24日の千葉ロッテ戦では上記の通り5年連続2ケタ勝利の記録がかかっていたが、立ち上がりから投球が安定せず、4-1で日本ハムの3点リードで迎えた5回裏に二死満塁のピンチを迎えるとトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。ちなみに交代した押本健彦は、このあとロッテ・今江敏晃に走者一掃となるタイムリーツーベースを放たれ、4-4の同点となった(結局試合は4-8で敗戦)。が、金村は勝ち投手の権利を得るには1アウト足りない4回2/3で降板したため、どちらにせよ降板の時点で金村には白星はつかず、また今季の登板予定も無いことで、今季は9勝6敗という成績が確定した。

そしてこの試合後、マスコミ各社は『金村が「絶対に許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」と監督批判を繰り広げた』と報道した。

この発言が原因で、球団は「出場選手登録抹消」「翌25日に行われるチーム練習への参加禁止」を即日決定した。また、25日には罰金200万円と、プレーオフ終了までの出場停止という厳しい処分を下された。その後、レギュラーシーズン終了後に選手・首脳陣などに謝罪し、ひとまず事態は収拾された。日本シリーズでの復帰も検討されている。

 この事件を聞いて、思い出したことが二件。ひとつは、山際淳司の名ノンフィクション『江夏豊の21球』(初出は文芸春秋社、『Sports Graphic Number』創刊号、1980.4)と、江本孟紀のベストセラー『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ、1982.5)である。

 前者の詳細は(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9D%91%E6%9B%89)で知ることが出来る。
 1979年11月4日、広島対近鉄の日本シリーズ第七戦九回裏。一点リード、ノーアウトの場面から、広島のリリーフエース江夏が登板し、無死満塁のピンチを招くが零点に抑えるというのが経過である。
 その途中に、
Wikipediaから引用すると、

 江夏がアーノルドに四球を与えたときに(引用者注、無死一、三塁となる)、広島の古葉監督はブルペンに北別府学を派遣した。ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。これを見て江夏は「自分のことを信用しないのか」と憤り、マウンドに内野手が集まったとき、「自分を信用しないのならば辞めてやる」と言い放った。
 後で一塁を守っていた衣笠祥雄が一人で江夏のもとに向かい、「(信用されなければ辞めるという)おまえの気持ちと自分も一緒だ、気にするな」と声をかけた。これで江夏は吹っ切れた。

 という事件がおきた。
 山際淳司による古葉監督にインタビューでは、同点となり延長になったことを古葉監督は考えていたという。山際淳司はこの判断を妥当としながらも、その合理的な判断がエースの気持ちを傷づけたと評している。

 「江夏の21球」について、江夏自身が、自分で招いたピンチだからねと、のちに『Number』で語っていたと思う。
 客観的に見れば、古葉監督がブルペンに投手を送るのは当然であり、文句を言うのは間違っている。

**中途半端ですが、明日に続きます**

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2006年10月21日 (土)

あまりもの係

 子どもたちを連れて、同世代の子どもがいるHさん一家と食事したときである、食事の終わりかけに「あら、Yさんの家ではお父さんが余りもの係なのね」と言われた。
 余りもの係とは、食事の際に余ったものを最後に平らげる人のことらしい。
 Hさんとは一年ぶりにお会いして、会うなり太ったわねと言われた。
 Hさんがいうには、余りもの係は太るらしい。
 残せばいいのだが、なんとなく食べてしまう。

 ここ一年ほど、めっきり外で飲まなくなって、ひと月に一度ぐらいの割合になった。
 先日、居酒屋で旧友たちと飲んだときに、あることに気がついた。
 肴が少々残ったまま放置されていると、自分の皿にとりわけて、肴の入った皿を店員にさげてもらうのが、習性になっている。
 それだけでなく、私が食べるペースが早い。

 年を追うごとにズボンのベルトがきつくなってくる。なんとかしないとね。
 

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2006年10月20日 (金)

スポーツ中継とカメラ サッカー編

 サッカーはテレビ中継に向いていないスポーツである。
 区切れがないので、CMが入れられないとか商業的な面はまず措き、競技を純粋に映しやすいかを論じよう。

 ハイビジョンでない映像では、画面に映らない選手が多い。サッカーの醍醐味として、後ろの選手の攻撃参加がある。長い距離を走って、突然画面に登場するのだが、その長い距離を走っている行程は当然写らない。

 まだ、日本代表の試合のチケットが簡単に手に入ったころ、左サイドバックの相馬直樹が長い距離を走って攻撃に参加するのを見て、感動した。

 日本代表もオシム体制になって、テレビで映しにくくなった。
 ジーコ監督時代に比べて、足下でボール保持をする時間は少ないので、ワンタッチツータッチで次の選手に出してしまう。一人の選手をじっくり撮る機会が少なくなった。
 前線に素早く送るので、カメラの振る速度が間に合わないことがある(パンして対応するようになった気がする)。
 選手はめまぐるしく動いて、アナウンサーが実況で追えない場合も多い(ジーコ時代でもおえていないアナウンサーはいましたが)。
 フリーキックもリスタートが早い。ジーコ時代は中村俊輔がFKを蹴る場面など、野球的な盛り上がりのある絵が作れた。
 こういったことを考えると、ジーコ監督時代のサッカーがいかにも「電通好み」だったとわかる。

 ハイビジョン化(16:9)による画面構成が主流になることで、映る選手は増え、現在の問題はあるていど解消する。
 それより、思い切ってカメラを高い位置にもっていって、斜め上空からグラウンド全体を俯瞰する映像は作れないか。
 今のテレビ映像は、各選手のボールさばきをじっくり見られるが、選手全体の動きだけをおっておきたいというフォーメーション好きも少なくないはずである。
 
 まあ、私みたいに引きの絵が好きな人は、競技場に観戦に行くべきなんでしょうがね。

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2006年10月18日 (水)

スポーツ中継とカメラ 野球編

 今、野球中継のカメラ視点は、バックスクリーンからのものが中心になっている。
 そうではなくて、バックネット上部から野手全員が見えるかたちのカメラ視点があればいいのにと思っていた。
 野球は投手と打者の対決が中心になっている。だが、打球が飛んだ場合や、走者が出た場合、野手や走者はさまざまな動きをする。フォーメーションプレーやバックアッププレーの妙は、球場全体を撮ってもらわないとわからない。

 王・長島が村山と天覧試合を戦っていたころの映像は、バックネットやや一塁よりからみた、斜めから撮ったものである。
 カメラ位置がバックスクリーンに移行したのは、カメラの性能の向上による。
 斜め上からとった昔の映像のほうが、野手が写っているわけで、若干私の希望を満たす。
 とはいえ、昔から野球中継を見ていた人に聞くと、打者の後ろ斜めからの視点は退屈だったよとのこと。

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2006年10月17日 (火)

スライド作り

 ここ二日、友人の結婚式のためのスライド作りに凝っています。
 誰に頼まれたわけでもなく、上映の当てもないのに、「こんな○○はいやだ」という鉄拳風のスライドを作っています。素材は、とりあえず友人夫妻からもらいましたが、自分のアルバムを漁ってみる必要がありそうです。昔のものはどこにいったやら。
 
 子どものスライドショーを作っている友人に触発されて、ユーリードのVideoStudioを半年ほどまえに購入していました。しかし、ものぐさで、写真なんてそのまま見ればいいやぐらいの態度だったので、せっかくのソフトは放置されていました。

 今回、ソフトを使ってみて、自分の映像作成技術はともかく、映像がどう作られているか、より高次の視点が得られたのが収穫です。
 ストーリーボードが大切だとか、それぞれのコマの長さが印象を変えてしまうとか。テロップはどういれれば効果的だとか、参考になりました。
 
 ただ、こういった映像を作るのは、いくら手直ししてもきりがないのであって、論文書きと同じように、最後は苦しくなりました。
 ブログもつぎの書きための時期に来ているのですが、滞っています。なにごともハマリすぎはよくないですね。

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2006年10月16日 (月)

Vサイン

 ここのところ、また写真を撮る機会が増えている。
 撮る側として、被写体に決してやって欲しくないのがVサイン。美男美女、聡明英知の人たちでも、写真を撮られる際に、Vサインを出すことがある。撮る側としては脱力。

 Vサインについて知りたい人は、Wikipediaのピースサイン、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3
が、参考になる。
 

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2006年10月15日 (日)

リレー競走の作戦

 小学校六年生の担任だったK先生(女性)は、運動会のクラス対抗リレーで作戦を立てた。今となってみれば、教員向けの雑誌に書いてありそうな作戦なのだが、聞いた時には斬新に思えた。

 クラスには、たいていひとりかふたり足の遅い子がいる。だいたい、足の遅い子が、文字通り足を引っ張って、リレーの結果を決めてしまうことが多い。
 試験のクラス別平均点が、優等生の点よりも、劣等生の点に左右されやすいのと似ている。
 当然、足の遅い子は責任を感じるわけで、運動会がつまらない要素のひとつになる。

 K先生が立てた作戦は、足の遅い児童と足の速い児童を組み合わせることだった。
 リレーにはバトンタッチゾーンがある。普通なら、一人トラック半周のうけもちである。児童Aはバトンタッチの際にバトンタッチゾーンめいっぱいのところで児童Bにバトンを渡す。児童Bは半周きっかりのところで児童Cにバトンを渡す。
 児童Aは「半周 プラス バトンタッチゾーン」を走り、児童Bは「半周 マイナス バトンタッチゾーン」を走ることになる。
 児童Aが足の速い子になるようにし、児童Bが足の遅い子になるように順番を決める。
 
 当日の運動会の結果だが、K先生の作戦があたって、うちのクラスが圧勝した。
 なにごとも、作戦なのだと痛感した。

 昨日、息子の幼稚園の運動会だった。このことを思い出したので、しるしておく。

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2006年10月14日 (土)

町の読み

「○○町」の「町」をどう読むか。

 私は長崎県の出身なので、市内はすべて「まち」、郡部の町は「ちょう」が染みついている。
 だが、全国的に見れば、この法則は通用しない。県-郡-町の単位で「町」が「まち」になっているところもあれば、どちらも使っている県もある。

 東京都二十三区でも「町」はどちらもある。
 武家に関係があるのが、「ちょう」(百人町とか)。町屋は「まち」というのは有力な法則だが、前者には「御徒町」(おかちまち)という例外もあって、絶対ではない。

 たしか嵐山光三郎がエッセイで、田舎者がかならずひっかかるのが「神田小川町」だと書いていた気がする。私も長いこと、「かんだおがわちょう」だと思っていた。
 正解は「かんだおがわまち」。

 ちなみに、埼玉には、「小川町」がある。東武東上線の終点になっており、電車の行き先として表示されるので、行ったことはなくても知っている人は多いかもしれない。
 これは「おがわちょう」。
 この「埼玉の小川町」を以前「おがわまち」だと思っていた。
 「神田小川町」と「埼玉の小川町」、読みをまったく逆に記憶していたのである。

 かつて、「『おがわまち』あたりに住んだら便利だろうね」と言われ、「あんな遠くでですか」と驚いた。相手が神田小川町のことを差しているとわかって、笑い話となった。「神田小川町」の正しい読みを覚えた最初である。

追記:書きながら、混乱していました。
 「武家に関係があるのが、『ちょう』。町屋は『まち』」というのは知り合いの先生から教えてもらった法則です。
 今、ネットでちょこっと調べると、逆に書いてある例もある。
 よくわからないもんですね。

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2006年10月13日 (金)

一流は趣味と実益を その二

**前日の続きです**

 さいきん、五味太郎『絵本を作る』(ブロンズ新社、2005.01)を読んだ。五味太郎を知らない人も多いかもしれないが、絵本作家としてきわめて有名であり、実際に面白い絵本をたくさん作っている。1945年生まれで、巻末の著者紹介によれば、著作は350冊を超えるという。うちもは、五味太郎の本が数冊ある。図書館で借りて読んだ五味太郎本の数は五十冊以上になる。
 五味太郎は、一流の絵本作家なのである。

 『絵本を作る』は次の文章から始まっている。

絵本を作るのってかんたんさ。
なにしろ絵本なんだから、当然絵は描けるし文字も使えるし、なにしろ絵本は本なんだから、紙もけっこう使っていいしね。楽しいよ。
 楽しくやっているとだいたいうまくゆく。いい絵本が出来上がるよ。うん、楽しくやっているとだいたいうまくゆく、ってのが基本だな。楽しくやるってことは楽にやるということさ。生まれつき得意なことをやるのが楽なので、それが楽しいということね。「楽」と「楽しい」をいっしょの字で表した最初のやつは偉いね。わかってるね。(8頁)

 好きなことが仕事になってしまうことへの苦しみはどこにもない。本全体を読んでも、絵本を作ることを職業にしていることの後ろめたさはどこにもない。
 もちろん、仕事に手を抜いているわけではない。

 ぼくはそう頑張って絵本作らないし(作るプロセスではいろいろ相当頑張るけど)、人生そのものもそう頑張らないよ。(172頁)

括弧内に注目して欲しい。手抜きはしないのである。

 好きだからとことんやるという姿勢。これを私も真似したい。そのほうが、うまくいくと考えている。

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2006年10月12日 (木)

一流は趣味と実益を その一

 文学研究は小説を読むのでしょうが、私にとって小説は趣味で読むものです、と同僚の法学部の教授に言われたことがあると、知り合いのある先生がおっしゃっていた。七十歳ほどの先生である。
 小説は書く方も、男子一生の仕事ではないと言われた時代があった。小説なぞ研究して、というのも漱石のころからあった(近世では、文学研究は職になっていないので、措いておく)。
 文学研究者には文学研究を職にすることに後ろめたさを感じている人が、今でも少なからずいるのではないだろうか。

 だいぶん前だが中島誠之介『ニセモノ師たち』(講談社文庫、2005.07。初出は講談社、2001.10)を読んだ。解説をなぎら健壱が担当している。
 なぎらは次の部分を引用し、

よく世の中の人から「中島さんは趣味と実益をかねていていいですね」といわれます。私は差し障りなく「ええ、おかげさまで」といちおうは返事しますが、じつはそれはとんだお門違い。趣味と実益の二者は全然別物で、それをかねてやっている人はアマチュアの域も出ていない人、強いていえばアルバイト、セミプロと呼ばれる種族になります。(文庫版、47頁)

それに対して、

実はわたし(引用者注、なぎら健壱)も同じようなことをよく言われる。そんなとき自分は「冗談じゃない、趣味を仕事に選んだらどんなに辛いか。仕事が辛かったら、趣味で息抜きすることが出来ないんだぞ。逃げ場がないんだぞ」と答える。

と述べている。
 中島誠之介やなぎら健壱に共感する人も多いのではないか。実をいえば、かつて私も似たような感想をもっていた。

 しかし、最近になって、趣味と実益を兼ねないのは二流、一流の人物は趣味と実益を兼ねているのではないかと思うようになった。たとえば、イチローのような一流のスポーツ選手は、野球をするのが楽しくて楽しくて仕方がないのではないか。もちろん、厳しい練習をするのはたいへんだろうが、好きだからこそやっているという面が多いのではないか。などと考えるようになった。

 実を言うと、今年の六月頃、このような考えをまとめて、本ブログに載せようと思ったのだが、ある文章を読んで思いとどまった。
 それは中田英寿の「引退メッセージ」での、

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

であった。
このあとに、

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

がくることはくる。しかし、サッカーの一流選手が趣味と実益を兼ねないという意識でやってきたのだから、私の予想は崩れたことになる。
 反論するためには、私が趣味と実益をかねつつある分野で一流になる必要がある。
 そういうわけで、封印されていた。

**明日に続きます**

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2006年10月 6日 (金)

個人的な意見ですが

 すべての意見は主観をまぬがれない。だから、「個人的な意見ですが」と冒頭につけて話すのは意味がない。
 もし、「個人的な意見ですが」という場面があるなら、発話者が公人であり、発言が当然拠るべき公的な立場から離れた内容を述べるときである。

 だが、最近になってその判断が十分でないことがわかった。
 『ユリイカ』2006.9号は「理想の教科書」特集である。特集の筆頭は石原千秋と斎藤美奈子の対談であり、とても面白い。
 そのなかで、石原が「個人的な意見ですが」について、見解を述べている。

石原 もうひとつは、大学一年生あたりが演習で発表したり議論で意見を言う時によく口にするフレイズですが、「これは私の考えなんですけど」という前置きをして意見を言うということに表れている問題です。
斎藤 「個人的な意見ですが」と断るとか、大人もよく言いますね。
石原 そうそう。僕は最初はこのフレイズの意味がわからなくて「他の人じゃなくて君の意見が聞きたいから質問したんじゃないか」なんて言っていたのですが、それは僕の大きな勘違いでした。つまり、大学一年生は高校までの国語教育で「教室では先生の気に入る答えをしなければいけない」と教え込まれているんですよ。だから彼らが言うのは「先生が気に入る答えじゃないかもしれないけど、言ってもいいですか?」というエクスキューズだったわけです。このことがごく最近になってわかったわけです。
斎藤 ああ。そこには「私個人の意見ですから無視していいです」という卑屈なメッセージが含まれている。(48頁)

私はかつて自分の教室で、「これは私の考えなんですけど」あるいは「個人的な意見ですが」といった弁明ではじまる文句を聞いたことがない。
 これは私の教室が、教師の顔色を窺わなくてよい、自由な発言が可能な場だったためであろう。

……というのは、たぶん妄想で、「個人的な意見」すら言えない圧迫感のある場だからではないか、と危惧している。

  **都合により、明日から十一日まで更新を停止します。**

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2006年10月 5日 (木)

メロンの皮

 バナナが高級品でたまらないご馳走だったという世代がある。昭和四十八年生まれの私にとって、バナナはご馳走でも何でもない。
 私にとってご馳走な果物は、メロンに極まる。
 ここ何年かで、メロンはだいぶん安くなった。お見舞いなど贈答用品の定番から、今日はメロンでも食べてみましょうかしら、というところまで身近になった。
 だが、メロンはステーキとならんで、ドラえもんならスネ夫の家でしか食べられない高級品なのである。メロンのありがたみを忘れている人は、ドラえもんでも読んで、感覚を呼び覚まして欲しい。
 メロンこそ果物の王者という感覚なので、メロンが非常にもったいない。メロンが供された際に、食べやすいように下に切れ込みが入っている場合がある。私としては、その下にあるメロンまで食べたい。皮をこそいで、ぎりぎりまで食べたいのだ。
 
 そこでルナールの『にんじん』の出番である。有名な話だが、あらためてメロンに関する部分を要約すると、

親に疎まれているにんじん(あだ名です)は、メロンをろくに食べさせてもらえない。食べ残しの皮を飼っているうさぎにやってくるように言われる。にんじんは、うさぎにやる前にメロンの皮をこそいで、残っているわずかな果肉を食べる。

 にんじんを思えば、メロンを粗末にできませんと言いつつ、皮がヒラヒラになるまでかじる。何度もやっているが、これはとても不評である。あまり同情を買わないのは、メロンが好きだという気持ちをにんじんのせいにしているためか、それとも単にしぐさがみっともないせいか。

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2006年10月 4日 (水)

スパゲティの食べ方

 伊丹十三の『たんぽぽ』に、岡田茉莉子扮するマナー講師がスパゲティの食べ方を講習する場面がでてくる。最初は、上品に食べていた生徒たちだが、となりでずるずると音を立てながらスパゲティをすすりこむ外国人の男性に引きずられて、最後は岡田茉莉子を含めて、ずるずるとスパゲティをすすりこむようになってしまう。

 知り合いの演劇人から聞いた話では、スパゲティをすすりこんで食べている男性は、実はイタリアで有名なグルメ評論家らしい。日本で言えば、服部幸應のようなものか。外国人がひらく日本料理の食べ方講座のとなりで、服部幸應がそばを高らかな音をたててたぐっていると考えれば、元の場面の意味も想像がつく。

 上記の話は、私がスパゲティを食べるときにときおりする話である。皿の角をつかってスパゲティを適度な大きさにフォークに巻くことが、私は苦手である。
 それで、スパゲティが食べにくいなと思うときに、この話をして、相手が感心したならしめたもの。フォークでスパゲティをすくって、ずるずる食べてしまう。

追記:さいきんはパスタというのが普通だが、『たんぽぽ』の話をするときは、スパゲティと言わないと雰囲気がでない。
 伊丹十三のエッセイにスパティの食べ方を講釈したものがあります。なにの本に入っていたかは失念。

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2006年10月 3日 (火)

今さらながらBonanza

 今さらながらBonanzaをインストールしてみた。
 知らない人のために説明するとBonanzaとはフリーの将棋ソフトである。
 http://www.geocities.jp/bonanza_shogi/
のページからダウンロードできる。
 フリーウェアとはいいながら、2006年の第16回世界コンピューター将棋選手権で優勝した実力のあるソフトである。
 少し前のv1.0で将棋クラブ24(ネット道場)で2400のレートをもっていたというが、将棋クラブ24をやったことがないので、どのくらいの強さかわからない。将棋クラブ24のページを少しのぞいたところ、1900でアマ三段ほどあるらしいからアマ五段ぐらいか。

 実際にダウンロードして、指したところ、やっぱり強い。
 今まで十回に一回ぐらいしか勝てなかった東大将棋V5を持ち出して、対戦させてみたが、Bonanzaが四連勝した。
 今までの将棋ソフトは、冒険しない、堅実な手ばかり指していたが、Bonanzaは積極的である。それでいいのかと驚くような手を指して、実際に形勢を良くしてしまう。
 見た目は地味だが、強力なこのソフト。知らない人は一度試してみるとよい。

補記:対戦三局目に、角がわりの将棋で一度だけ勝ちました!。意外と勝てるかと思ったものの、その後はいくらやってもまったく歯が立たない。棋譜残しておけばよかったと後悔しています。

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2006年10月 2日 (月)

脳トレ

 七月中旬にPSPを買って、脳トレをしていたのだが、一週間ぐらいで飽きて、というより、下旬に北海道旅行に出て、PSPそのものに触らなくなってから、すっかりその存在を忘れていた。
 ここのところ、季節の変わり目で、寒くなってきた。過ごしやすくなったのはいいのだが、例年この時期は能率がいまひとつ上がらない。ああだこうだと言っている場合ではないので、とにかくやるだけだが、疲れる。
 そういや、脳トレしていた間、割と調子が良かったなと思い出して、ある日三時間ほどひたすら脳トレをして寝る。
 翌朝快調。日ごろ変化に乏しい生活を送っているので、よい刺激になったのかもしれない。しばらく続けてみる予定。

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2006年10月 1日 (日)

吉田玉男が亡くなった

 九月二十四日に文楽の人間国宝吉田玉男が亡くなった。享年八十七。
 私が最後に観たのはもう五六年前の国立劇場小劇場。そのころ文楽は詳しくなかったので、吉田玉男はとくに気にしていなかった。今月の文楽を観たと人に言ったら、吉田玉男が出ていてよかったね。いつまで、出られるかわからないよ、と言われた。
 晩年は、老人ホームから通って人形を遣っていたと聞いた。
 人形浄瑠璃は伝統芸能だから、ずっと昔からおなじことをやってきたようだが、それは違う。近松門左衛門の時代など、人形はすべて一人遣いである。
 技術的にも、構成も、いまの文楽のほうが洗練されている。
 人形浄瑠璃史上、屈指の名人というのが毎日新聞の評だったが、嘘ではない。
 『人形は口ほどにものを言い』(小学館、2003.12)で吉田玉男を絶賛していた、赤川次郎が、どんな追悼の言葉を述べたか知りたい。

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