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2006年9月12日 (火)

プロフィールの長さ

 NPOが出している熟年向けの季刊コミュニティ雑誌R(頭文字だけにしておきます)を、まれに母が買ってくる。K市にあるIという高級な鰻屋が広告を出しており、母がその店で食事をするついでにレジ横に積んであるのを買うらしい。

 書き手は高齢の人たちがほとんどで、そういった人生の熟達者から、含蓄の深い言葉を載せて、同じく高齢者を元気づけようといった趣旨のようだ。
 書き手の集め方だが、そうセンスが悪くなく。私が読んでもそれなりに楽しめる。

 が、あるときとても気になることがあった。
 Kという八十過ぎになる高名な歌舞伎研究者へのインタビュー記事があった。記事はA4版で四頁あり(うち一頁は写真)、末尾にK氏のプロフィールがあった。

 それが長いのである。K氏はいろいろな大学の職を経ており、またさまざまな団体の理事をつとめている。著作は八十冊をこえる。だから、その一部分を取り上げてもそうとうの量である。だから、一面三段の紙面のうち、プロフィールがいちばん下の一段の二分の一を占めている。

 思い出したのは知り合いのN先生のことである。N先生は、雑誌から原稿を頼まれると、いつもかなり超過した枚数を書き上げ、編集から苦情が出ることが有名だった。

 老舗の書店が出しているBという雑誌の××周年記念号に、N先生が文章を載せた。他の先生は「私とB」という感じで、それこそ雑誌Bの思い出を書いている。ところが、N先生だけが通常の論文なのである。記念号に花を添える回想を頼まれたはずである。にもかかわらず、まったく関係がないことを書いている。

 私は正直笑ってしまったのだが、私も学術雑誌への投稿が増えるにつれて、N先生の気持ちが少しはわかるようになってきた。言いたいことが言える隙間があれば、言いたいことはたくさんある。
 N先生も毒にも薬にもならない思い出を書くよりは、学問的に何かためになることを、少しでも人の目に付くところに書きたかったのだろう。

 長いプロフィールはもったいない。K氏のプロフィールなど、「歌舞伎研究者」の一行でいい。K氏の言葉をもう少し読んでみたかった。プロフィールを短くすれば、なにかまとまった見解がひとつは入れられたはずである。

 そういったことに気づかず、ありきたりのプロフィールでお茶を濁してしまった編集者は、ある一言が人間の人生を左右するかも知れないといった、言葉の力あるいは怖さを知らないのだろう。
 また、余白があれば、ためになる言葉をもう一言載せるよりも、長いプロフィールで読者をありがたがらせようという姿勢から、Rという雑誌が「終わった」人の雑誌なのだとわかった。

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