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2006年8月14日 (月)

古典の力

 masapfさんに「素人によくわかる?」の題で、「素人発想 玄人実行」(2006.08.11)の記事にトラックバックをいただいたので、それの返事といってはなんですが、最近思っていることを書きます。
 
 文学研究は、間口が広いようで、実はそうでもない。学術誌に載る論文一本の本当の価値と内容を理解できるのは、せいぜい十人程度である。文学研究の論文は、高度で緻密で繊細なものとなっている。博士論文を一般の人が読んでもまったくわからないだろう。

 文学研究が精緻巧妙で高度なものになる一方で、一般人におきているのは活字離れで、なかんずく古典文学はますます相手にされなくなっている。私の先生が書いた、近世の分野ではかなり著名な作家に関する文庫本は、五千部を売り切れずに絶版となったそうである。
 さいきん、一般読者もかなり考慮に入れた、かなりできのよい近世文学研究の季刊誌が発行されたのだが、それも二千八百部しか刷っておらず、それも売り切れるかかなり至難の業らしい。
 なにか、古典への糸口を設けて、潜在的にはまだあるはずの、古典に関心のある読者をひきつける工夫がいっそうなされなければならないのが現状である。

 その一方で、敷居は高くても、それを乗り越えて、古典文学に挑んで欲しいという気持ちもある。いきなり原文のみは厳しいとしても、岩波の新日本古典文学大系や小学館の新日本古典文学全集などを注釈のついた本を手にしてもらえないものか。八犬伝や浮世風呂など文章そのものの名調子を味わって欲しいと思うのである。

 こういったジレンマは、最近揉めていた将棋界での普及と専門棋士のありかたの問題に似ていて、悩ましいものがある。
 いちばんの解決策は、はやりのオシム流ではないけれども、「自分で考えさせる」すなわち「読者に関心を持たせて、次からは自力で読み進めさせる」ということかと考えている。それができるのは、やっぱり達人になってしまうのだが。

**明日、お盆休みで更新をしません。あしからず**

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コメント

そう、そういう意味では古典落語もそうですね。
長いし、展開は遅いし、わかりにくい。
でも、あまりにも現代版にアレンジしているものは、わかりやすくて、
すぐに笑えて、単純だけれども、ひそかに”くすっ”とする場面がないんですよね。
「高み」ということがなかなか伝わらなくなっている世の中なんでしょうか。
そう言ってみることで自分を満足させているだけなのかもしれませんけどね。

投稿: masapf | 2006年8月15日 (火) 23時13分

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