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2006年6月30日 (金)

手帳終わり

 このブログのネタ帳となっていた、モールスキンのポケット手帳が一冊終わりました。
 最初は、気に入った詩を書き留めていたのですが、このブログを始めるにあたってネタ帳として使うことにしました。どう使っていたのか、余裕が出来たら、写真付きで公開します。
 一年と二ヶ月ほどで、一冊終わったので、ペースとしてはかなり遅いかもしれません。私にモールスキンスモールの手帳の魅力を教えてくれた片岡義男『文房具を買いに』(東京書籍、2003.08)では、一日に四・五頁使わないと意味がないと書いてあった気がします(もう手元にないのでうろおぼえ)。たしかモールスキンのポケット手帳は192頁なので、バリバリ使えば、ふた月のうちにはなくなります。
 無地(Plain)を使っていたのですが、次は罫線入り(Squared)を使うことにしました。もともと無地の手帳は好きでなくて、モールスキンの手帳も罫線入りを探したのですが、たまたま無地しかなかったので、無地を使い始めました。罫線入りは、そのあと見つけて買い置きしていたものです。今まで無地で調子よくやってきたので、罫線入りの手帳を使って、これまで通りにネタがどんどん書けるかやや心配でもあります。
 今までの手帳、お疲れさま。
 次の手帳にもよいネタが書けますように。

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2006年6月29日 (木)

中田(英)

 今回のワールドカップの日本代表では、中田英寿と中田浩二と、二人同姓の選手がいたので、中田(英)、中田(浩)と表記されることが多かった。
 しかし、手書きの頃はともかく、半角二文字で全角一文字と同じだと考えると、中田(英)も中田英寿も、同じ長さといってよい。ローマ字入力なら、打鍵の数に差が出るかもしれないが、シフトキーを使わないと()は打てず、かえって面倒だと私は感じている。
 もう十年ほど昔の話になるが、ある国語学の先生(仮に山田太郎としておく)が、自分が教えている大学院生が投稿論文に、自分のことを「山田(太)」と表記したことに大変腹を立てていた。
 失礼なのはもとよりだが、「山田(太)」と表記することのどこに利点を見いだしていたのか興味がある。

補記:7月3日に中田英寿突然の引退発表。それにまつわる記事で、「中田英」の表記が散見する。一字を惜しまず、中田英寿と書いた方が丁寧ではないか。それとも、書き手が「ナカタヒデ」と日頃読んでいて、それで「中田英」と書いてしまったのか。不思議。

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2006年6月28日 (水)

オシム代表監督就任の方向へ

 友人Aからオシムが代表監督になるよし、2006.06.24に連絡をうける。この時期に代表監督発表がなされるとは早すぎて、信じられなかったのだが、しばらくして、川渕三郎キャプテンが会見時に失言したためとわかった。それで嘘でないことはわかった。翌日夜になって、どうやら本当にオシムが依頼を受けそうだとわかった。
 そのあと二日ほど、やや気持ちが落ち着かなかった。喜びと不安が混じっていたからである。
 喜びは、オシムが代表監督になって、オシムのサッカーを全日本の選手で見られることである。それに強くなるのは間違いない。成績の面ではバラ色である。
 また、羽生や阿部といったオシムのサッカーが実践できる選手が代表に選ばれそうなのも楽しみである。
 不安は、オシムのことがよくわかっていない人に、私が尊敬しているオシムが筋の通らない批判をうけるだろうことである。代表好きは国民すべてといってよいので、それこそピンからキリまでである。自分の感情のおもむくままにしか、判断できない人は少なからずいる。
 オシム自身が高齢で、気候の悪いところも多い、代表の試合に耐えられるか、と考えると心配である。
 ジェフのゆくすえの不安もある。ここ三年ほどジェフを応援している。オシムがいなくなってしまえば、ジェフのリーグ戦制覇を見る機会はかなり少なくなるだろう。それどころか、また入れ替え戦の常連に戻ってしまうのではないか、不安である。
 このように、喜びと不安が入り交じって、今はなんともいえない複雑な気持ちである。
 選ばれし者は、そういった恍惚と不安をかかえて生きていくのであり、オシムにとってそれはユーゴで経験済みだろうが、見ている方はただの人なので、ハラハラする。

補記:川渕三郎の失言は、代表敗退の事実からマスコミの目をそらすためわざとだったという見方もある。私としては、あまりに間抜けすぎて、意図的に失言を作り出したとは思っていない。

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2006年6月26日 (月)

前田吟似

 大学一年生の夏休みに、地元に戻った仲間たちと、ある者の家に集まって、かつてのごとく麻雀をした夜のことである。抜け番だったNが、暇だったのか、テレクラに電話をかけた。
 もうひとり抜け番だったYといっしょに、かわるがわるしゃべっていたようだが、女の子の関心は、話し手が誰に似ているかということになった。
 Yは、「あっ、オレ。前田吟」と言った。
 Yだが、眉が太くてキリッとひきしまった顔をしていて、頬骨が急だった。前田吟に似ていなくもなかったが、前田吟よりいい男だったし、自分を二枚目だと取り繕っても、あながち嘘ではなかったはずである(小学校からの知り合いなので誉めるのはこそばゆいが)。
 モテなくてはならないところを、あえて前田吟と下げたところが強く印象に残った。

 むこうも複数さんだったようで、松山の陸上競技場のあたりで会うと、なんとかNが話をまとめたあと、NとKの車に分乗して、現場に向かったが、みごとにすっぽかしを食った(まだ携帯電話を大学生が持つなど思いもよらぬ頃である)。そのあと、ちかくのボーリング場で朝までボーリングをして過ごした。

 Yは、私と同じ大学にすすんだが、学部が違うこともあって、ほとんど学内で会うことはなかった。最後に会ったときの思い出も書きたいのだが、それは時期尚早でよしておく。
 その後、Nと神保町のベルギービールの店に行ったときに(2005.4.29の記事を参照のこと)、Yが大手自動車メーカーに就職したがすぐにやめたと聞いたきりである。

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2006年6月24日 (土)

原文

 かつて、塾で扱った現代国語の問題文で、つながりが悪くて非常に気になった。高村光太郎の文章だった。原文にあたってみると、原文を切り刻んで問題文が作られたことが判明した。
 きりとりかたが、おかしかったので、読んでいて違和感を覚えてしまったのである。
 その件にかぎらず、よく私は、出典となった文章を探して読んだ。そして、程度はいろいろだが、もとの文章を省略している問題文がとても多いことに気づいた。
 もとの文章を切り刻んでしまえば、それはもとの作者の文章ではもうない。理想としては、原文のまま出題することだが、さすがに字数の関係でそれができないことが多いことはわかっている。
 だから、出典として、作者名と文章名をあげるならば、それが原文のままか、手を加えたものか、きちんと記しておくのが適当だろう。

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2006年6月23日 (金)

正々堂々の敗戦

 剣道が柔道よりもサッカーに似ているのは、守勢をとりながら試合をすすめてよい点である。柔道は教育的指導があるので常に攻勢をとらねばならないが、剣道はとりあえず一本取られないよう試合運びをしてかまわない。

 相手から一本取っていかなければ勝てないのは絶対だが、作戦として相手が動いたところを狙う(カウンター狙い)のが可能なのである。また、団体戦なら、相手と自分の実力差、それまでの勝ち負けと本数の数を考慮して、引き分けも含めて、次につなげていく戦いができる。

 剣士も、身長の高さを生かす人、速さを持ち味とする人、機先をできるだけ制して積極的に打突を仕掛ける人、出鼻を狙っている人とその持ち味はそれぞれである。

 理想としては、特定の試合運びをあらかじめ念頭におくこともなく、自然体で相手と向かいあい、きれいなでまっすぐな剣道をして、相手に勝つことが望ましい。

 ボクシングの上位者のスタイルが様々なのに対して、剣道の場合、全日本選手権に出場する選手となると、みなきれいな剣道である。

 さて、前置きが長くなった。今朝、日本がブラジルに一対四で大敗した。それを観ていて、ああ正々堂々の敗戦と感じた。まともにやっては、ブラジルに勝てるわけがない。にもかかわらず、正面からやりあって負けた。

 剣道なら、相面(面を打つであろう相手に面で勝負する)で勝てないような相手に、相面を挑んで、一本は取ったものの、立て続けに四本取られたような具合である。

 ジーコという世界屈指の選手が監督となって教えてくれたのは、正々堂々戦う方法だった。剣道で言えば、きれいな剣道。王者のやりかたである。王者の様式がとれるかが重要であって、その結果は問題ではない。

 今大会は、日本の試合を除けば開幕戦のドイツ対コスタリカしか観ていない。コスタリカは引いて引いて守って、FWワンチョペのカウンター一本のチームだったが、もしコスタリカの戦術を日本がとっていたら、いくらなんでも嫌だと思った。

 SAMURAI BLUEが今回の代表の愛称だったらしい。勝ち負けよりも美学に殉じたこと、規律・訓練・戦術に支えられた近代的な兵士ではないという点で、今回の代表はたしかにSAMURAIだった。

余滴:
途中出場の高原の負傷はお気の毒。高原が負傷しなければ、その後、中村俊輔にかえて、遠藤が入っていたかもしれない。中村がかなりへたばっていたのは間違いないが、それより全選手に出場の機会を作ってやろうとジーコがしたかもしれないと思うからである。

午前一時半に寝て、午前三時五十五分に起きて、ものすごく眠かったものの巻のスタメンで目が覚めた。巻はよくやっていたけれども、その持ち味が生きる展開ではなかった。

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2006年6月22日 (木)

訛り

 さいきんは、電話のかけもと(コールセンターとかいうんですかね)を遠隔地におくことが多いという。ふとした、勧誘や押し売りの電話も、意外と遠くからかかってくることが珍しくないようである。
 昨日、子ども向け英語教材の押し売りの電話がかかってきた。話は適当にうけながしたが、販売員の女の声がどこの土地だかわからないがひどく訛っている。
 落語の聴きすぎのせいか「居酒屋」の酔客が小僧をからかうように、英語もいいけど、訛りを直す教材はないかと、いいたくていいたくてたまらなかった。
 私にも訛りはあって、アクセントなど東京弁とは違うところが多々あるが、東京弁など吾妻訛りと、ここだけは強気である。

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2006年6月21日 (水)

その後のiPod

 以前、言っていたカフェイン断ちですが、ひと月半ほど前にやめました。眠くって眠くって、コーヒーや紅茶を飲まなければやっていけません。睡眠時間がなかなか確保できません。集中力が足りないのでしょう。

 さて、前に欲しかったiPodですが、これもひと月半ほど前に買いました。また、すってんてんです。外で聴くことより、家の中で聴くことが多いです。主に、洗濯物を干すときと、茶碗を洗うときに、聴いています。それぞれ二十から三十分かかるので、落語を聴くには適しています。Podcastの「お台場寄席」と「ぽっどきゃすていんぐ落語」を聴けるのもよいです。若手が積極的に起用されていて、なかにはいまいちの録音もあるのですが、名人芸でない落語の方が、話芸の特徴を教えてくれる場合もあります。
 なにより、軽くて、首にかけても気にならないので重宝しています。買い物として、成功でした。

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2006年6月20日 (火)

集中力

 BIGGLOBEストリーム(http://broadband.biglobe.ne.jp/sitemap/index_shougi.html)に将棋ニュースプラスという番組がある。
 五月十九日から始まっており、週一回の割合で、さまざまな内容を流している。みるべきものは「レースクイーンに将棋を教えよう!」(苦笑)でも、「女流棋士リレー紹介」でもなく、「ザ・加藤一二三伝説」に尽きる。
 加藤一二三九段は、華々しい戦績だけでなく、数々の奇行(失礼!)で有名で、Wikipediaに「加藤一二三伝説」が編まれているぐらいである。
 その「加藤一二三伝説」について、その真偽と、どうしてそのような行動をとったかを本人!に取材したのが、「ザ・加藤一二三伝説」である。
 数々の伝説はネット検索にでもかけてもらうとして(加藤一二三伝説とかければ数々出ます)、「ザ・加藤一二三伝説」からひとつ話題をとりあげる。
 五月十九日号の「ザ・加藤一二三伝説」では、加藤九段が対局中に、対局場の旅館で流れている人工の滝をとめさせた話がとりあげられていた。なお、加藤九段によれば羽生善治四冠も二度ほど滝を止めさせたことがあるらしい。
 止めた理由は音が気になるからとまっとうなものである。海辺の旅館などに行くと、最初は潮騒の音で眠れるかと不安になるが、実際にはすぐに慣れてしまう。おそらく滝も天然のものならましだったろうが、人工の滝はどこか耳障りなのだろう。

 そこで思い出したのが、前期(第64期)A級順位戦最終局の三浦弘行八段対佐藤康光棋聖の対局である。三浦九段は勝てば自力残留だったが、もし敗れれば森下卓九段が羽生善治四冠に負けない限り、A級から降格となってしまうのだった。なんと、三浦対佐藤戦と森下対羽生戦は同じ部屋で行われた。私はそれをBS放送で観ていた。
 先に終わったのが森下対羽生戦で、その模様は天井カメラと部屋のカメラから、わかったのだが、三浦九段は森下対羽生戦が終わったにもかかわらず、そちらに一瞥もくれない。ひたすら、自分の局面に集中している。
 普通の人だったら、首を振ってどちらが勝ったか確認ぐらいするだろう。
 三浦九段には、ファンよりアンチファンの方がやや多いようだが、それも見せ方で、だいぶん変わるのではないか。少なくとも、自局に集中しきった三浦九段の姿は、プロ棋士として魅力があったと思う。
 
 三浦九段の件でまっさきに思い出したのは、Kさんのことだった。小学五年生と六年生で同じクラスだったKさんという女の子がいた。Kさんは黒目がおおきくぱっちりした美人で、なおかつ利発だった。私の初恋の相手である。テストをうけているときに、廊下で大きな物音がすると、小学生のことだから、みんな手を止めてそちらを見るのだが、Kさんはまったく気にすることなく、問題用紙だけを見ているのだった。
 小学生のことなので、Kさんの方が私より若干背が高かったが、そういったところも大人っぽくって、Kさんの魅力だった。

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2006年6月19日 (月)

カーテンコールの練習

 学園祭などで、素人のあつまりが芝居を打つのを、小屋付きとして眺めた経験が何度もある。素人のことなので、舞台稽古や演出などうまくいかず、とくにきっかけ合わせが進まないことが多い。
 面白いのは、いろいろと煮詰まってくると、カーテンコールの練習をしようという人間がかなり高い確率で出てくることである。
 小屋を借りて稽古やきっかけ合わせができる時間は限られている。やらなくてもいいカーテンコールの練習をすることで、本番に間に合わなくなるかもしれない。いっしょに小屋付きをしていて照明担当だったNさんは、そういうのを見ていつも優先順位を間違っているとぼやいていたし、実際にカーテンコールよりもきっかけ合わせをつめたらという忠告をしたこともあった。
 が、無駄は無駄とはいえ、気分として、カーテンコールの練習をしたくなる心情は以前よりわかる。この困難が切り抜けられて、すべてが無事終わるという気分が味わいたいのである。やりくちとしては愚かでも、素人のあつまりでやっている急造劇団なら、結束を再び強める効果はあっただろう。
 私も、書くべきもの、やるべきことが終わらないのに、送り状を先に書いたりすることが多い。ひとのことは笑えない。

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2006年6月17日 (土)

カタシ

 私の知っている芝居関係者は、大道具をバラしたり、最後の片づけをすることをカタシということが多かった。
 学生劇団にいたころ、このカタシにこないのを、芝居の仲間だとは思っていなかった。公演の準備や本番のために、劇団員の誰だってかなり授業の出席日数を減らしていたのは事実である。本番が終われば、すぐに授業に出たい気持ちはよくわかる。
 しかし、芝居を打てば、かならずそのあと片づけをしなければならない。ものを食べたらかならずクソが出るように、カタシなしの芝居はない。芝居のいいところだけ、味わって、面倒なことは人任せとは都合の良い話である。
 また、芝居のできが悪かったとかで、ぐじぐじ泣き言をいって、バラシ(劇場からの撤収作業)を手伝わなかったり、カタシをさぼったりするのも言語道断である。すべてが終わるまでは、歯を食いしばってやるべきだろう。
 今は芝居と関わりがないが、カタシに類することはある。もう、他人のことはどうでもいいが、最低限の責任が果たせる人間でありたい。

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2006年6月16日 (金)

アセロラドリンク

 このまえ、子どもにせがまれてアセロラドリンクを買った。息子はべつに味を知っているのではなくて、ペットボトルのラベルの色で選んでいる。だから、アセロラドリンクを買ったのはたまたまだった。
 ペットボトルのラベルによれば、アセロラドリンクは発売二十周年らしい。変わった味だが、消えずに定着しているので、それなりに人気があるのだろう。
 でも、今日はどうしてもアセロラドリンクが飲みたいという気分になる人はいるのだろうか。
 アセロラドリンクの思いでといえば、私が十二年前に観た知り合いの小劇場芝居の小道具として使われていたことである。もちろん、アセロラドリンクとして舞台に上がっていたのではなく、飲むと記憶をなくすクスリとして、透明なグラスにつがれて出ていた。
 未来世界で、ある密閉された空間に生きる四人の男たちが、一日の最後に飲むのがそのクスリという設定だった。一人だけ、そのクスリを飲んでいない男がいて、Nさんという役者が演じていたが、知り合いの舞台スタッフTによれば、Nさんはアセロラドリンクがとても嫌いだったという。芝居の後半で、クスリを手に持って「おれは、飲めない」という台詞があるのだが、真に迫っていたのはNさんの演技力だけではなかったらしい。
 息子だが、変わった味にもかかわらず、アセロラドリンクを平気で飲んでいた。こういう息子が大きくなって、今日はアセロラドリンクがどうしても飲みたいと思うようになるのかもしれない。

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2006年6月15日 (木)

何時間寝ればいいのか

 高校時代に西武の堤義明が一日六時間の睡眠をとるようにしていると知って、理想の睡眠時間を六時間に設定していた。四当五落とか、よく言われるが、家で五時間の睡眠時間を一時間切るにつき、学校で二時間居眠りをするので、私には関係ない話だった。家で四時間しか寝なければ、学校で二つの授業を居眠りするのである。
 私は、学校の授業で無駄な授業を見つけて、内職だとか居眠りをすることは、ほとんどなかった。どうせ、あとから勉強し直さなければならないなら、きちんと聞いておいたほうがましだからである。
 大学に入ってからは、生活が乱れて、徹夜の日もたくさんあれば、一日十時間ほど寝ていることもあった。
 ことしの一月ぐらいから、妙に忙しくて、一日四~五時間しか寝ていない。年をとって睡眠時間が少なくてもよくなったのかもしれないが、やっぱり苦痛である。とはいえ、たまに時間があって、七八時間続けて寝られる場合でも、五時間ほどで起きてしまうようになった。あまり寝られない。
 軽眠傾向は苦痛なのだが、妻に言わせれば睡眠時無呼吸症らしい。娘に乳をやるために起きた妻が私を見ていると、息がよく止まっているという。
 いずれにしても、日々睡眠不足で過ごすのは、疲れる。

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2006年6月14日 (水)

ジーコ采配の謎

 火曜日に妻が職場に行くと、サッカーの話題がもちきりで、なぜ小野を投入したのかといろいろ意見が出たらしいが、もっともである。

 守備的にやるのなら、スピードのある玉田か大黒を入れて、オーストラリアのDFに前線からプレッシャーをかけさせロングボールを蹴らせないようにするか、ボランチの選手(遠藤か中田浩二)を引き気味に入れて4-5-1っぽく守らせるのが、普通だろう。

 ジーコは試合後の会見で小野投入の理由を問われると「小野に関しては中村、中田英と中盤でトライアングルを作ることを期待して投入した」(引用元記事はスポナビによる)と答えている。結局、中盤の支配はあまり関係がなかった。端的な采配ミスである。

 だが、小野の交代はそもそも戦術的な交代とはいえない。アジアカップやワールドカップ予選を観てきて思うのだが、ジーコは戦術的な選手交代をまったくしない。私は「ジーコ監督の評価」(2005.07.20)で、ジーコは選手の才能を重視していて、体調が悪かろうが、怪我していようが、疲れようが、控えの選手よりもともとの才能が優れた選手を使い続けると見た。

 だから、アジアカップと同じようにやるなら、リードしている局面で小野と柳沢をかえることはなかったはずである。

 小野の投入は、小野という才能のある選手をワールドカップの舞台でプレーさせたかった、あるいは状況の如何に関わらず、ひかえでいちばん才能のある小野がもっとも事態を有利に進めさせると思ったからであろう。

 状況を見て、それに適した能力の選手の働きに賭けるよりも、サッカーが純粋に上手い選手を無条件に信頼したのだとしか思えない。

 理にかなった戦術的な交代でないのだから、常識のもとでは理解不能である。妻の職場で、素人でもわかるような采配をなぜジーコはできないのかと言われていたらしいが、発想の原点が違うのである。

 オーストラリア戦の敗北の後でも、私はジーコを支持している。それは、ジーコがその能力でなにかを成し遂げてくれるという期待のためではまったくなく、ジーコというかつての名選手(嗚呼、名監督ならず!)が代表監督をひきうけている以上、どんな結果にも甘んじる覚悟ができているからである。

 もっとも、そういった覚悟は今大会だけにさせてほしい。次の監督はワールドカップで結果を残した名将にして欲しい。オーストラリア戦の日本代表と同様にハイボールや3トップ戦術によくさらされるジェフの試合を思い出すと、少なくとも、オシムが監督をしていればなぁと、ため息が出る。

補記:「巻が残った」(2006.05.26)で、ジーコは巻のがんばりを認めたのだと思っていた。しかし、巻が残った一番の理由は、紅白戦要員ではなかったか(われながらいやな想像だが)。センターに立って、ビドゥカの役をする選手として呼ばれたのではないか。オシムも、背の高い選手のいるチームと対戦する前は、巻に仮想敵の役割を紅白戦でさせることもある。だが、練習は練習で、いくらやっても相手(バレーだった気がする)をつれてくるわけにはいかないと、オシムは述べていたと思う。宮本や中澤のがんばりは認めるものの、練習は練習だったということか。

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2006年6月13日 (火)

美しい日曜日

 ワールドカップドイツ大会にちなんで、ドイツ語にまつわる話を一つ。

 大学で選択した語学はドイツ語だった。大学に入って、英語をほとんど勉強しなくなり、かつドイツ語を一生懸命に勉強したので、教養課程の頃は会話なら英語よりもドイツ語の方がしゃべれそうだと思っていた。
 しかし、いまに至るまでに抜け落ちて、ドイツ語のことはほぼ何も覚えていない。
 唯一、覚えているのは、次の出来事だけである。
 一年生の一学期のなか頃、ある休みどき、Oさんという女の子がドイツ語問題集の日本語訳をしていた。ドイツ語のことは、からっきしダメになったので原文がどうだったか思い出せないが、Oさんが「『宿題もできていないのに、美しい日曜日だ』ってへんなの」といった。
 近くに座っていたUが、「schönとschonを間違えているだろう」と即座にいった。「schön」は形容詞で「美しい。晴れた。すばらしい」という意味だが、「schon」は副詞で「すでに。もう」という意味である。Uは、ジャニーズに行っても通用しそうな美男子にもかかわらず、実はすごーく頭がよく、かつ日頃から勉強が趣味だった。
 私はかすかな好意をOさんにいだいていたのだが、勉強は今も昔も急場にならないとやらないたちだったので、何も言えずに、そのあとUがOさんに勉強を教えているのを、べつに興味もなさそうなふりをして見ていた。
 Oさんとは、九年前に井の頭線でたまたま乗り合わせていらい、Uとは専門課程の大学構内でタバコをふかしているのを、おなじく九年ほど前に見ていらい、会っていない。
 その後、なまけものの私は、数々の「美しい日曜日」を迎え、その無情な「美しさ」にため息をつきつき、今日まで生きている。

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2006年6月10日 (土)

本物と偽物の間

 洋画家和田義彦が、イタリア人画家アルベルト・スギの絵に酷似した絵を描いたことがさいきんの話題になっている。
 二つの絵を並べるとあきらかに盗作なのだが、和田義彦はテレビに出演して、絵の具の質感や色彩が、スギの絵とは違って、別の作品だとわかるはずだと述べていた。
 つまらない意見だが、聞くべきところはある。よく出来た贋作は、真作と見分けるのがほとんど困難なほど似ているにもかかわらず、本物とは別の作品だと判断される。
 和田の絵とスギの絵とが似ている度合いよりも、さらに似ている絵同士が別物なら、和田の絵も、スギの絵とは別物といえなくないか。
 和田義彦は、おそらく盗作だとは本当に思っていないのだと感じた。でなければ、あれだけ多くの作品を真似てなおかつ公開するはずはない。
 だが、和田の言うとおりスギの絵に似ているにもかかわらずそれらが盗作ではなく違う作品だ、とは私も認めない。贋作の絵は、本物とは別物であるだけでなく、もとより盗作なのである。絵を構成する決定的な要素を真似ていれば、他の細かいところをいくらいじっても、その絵は盗作である。

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2006年6月 9日 (金)

大谷晃一『大阪学』

 大谷晃一『大阪学』(新潮文庫、1997.1。初出は経営書院、1994.1)はたしかに面白いが、一人で広い範囲をうけもっているので、ところどころに無理がある。

落語では、与太郎などという少し頭の弱い人物を作って、そのしくじりのお話を落語家が第三者の目で見たように語る。演者は、だから高度な洗練された話芸を持っていなければならない。いや、聞き手の方もある程度の教養知識を持っている必要がある。通でなければならない。(36頁)

など、このひと本当にいちどでも落語(上方落語も含めて)を見たことがあるのかと思うようなむちゃくちゃな文章である。桂米朝師の名著『落語と私』(文春文庫、1986.3)ぐらい目を通していないのか。

大塩平八郎について、

大塩一党の放火で、天満と北船場の一万二千五百戸が焼けた。が、人びとは大塩に同情を寄せる。それは幕府の政治権力への大坂の批判であった。幕府の軍事力が案外にもろいのが暴露され、倒幕運動の口火となった。(178頁)

と支持されていたとするが、当時の瓦版や記録をみれば、大塩の行動は町人にとって、自分勝手な大迷惑で、まったく支持されていなかったことが明白である。自己陶酔的な武装蜂起にも民衆はついてきてくれるといった左翼青年的な心情をもって、勝手に歴史を解釈してはいけない。

それと、大阪人の性格描写が、東京人が一般的に考えるような大阪人に限られていて、一面的ではないか。木津川計『上方芸能と文化 -都市と笑いと語りと愛-』(NHKライブラリー、2006.3)は大阪の文化を、都市的華麗の宝塚型、土着的庶民性の河内型、伝統的大阪らしさの船場型、学術研究機能性の千里型と分類し、それが相互に浸透し混在して全体文化を形成しているとする。『大阪学』が扱う大阪人は、木津川がいう河内型に偏っている。
 なお、木津川計『上方芸能と文化 -都市と笑いと語りと愛-』は好著でお薦めである。
 かつて、大阪の劇団の人に、こっちにきて公演を手伝ってくれないかと誘われたことがある。まだ、学生でちょうど試験期間にあたっていたので行かなかったが、若いうちに大阪のことを知っておけばよかったと後悔している。

 閑話休題。いろいろと細かいキズはあるが、さまざまな切り口から大阪の社会・文化を考察した『大阪学』は大変な力作である。筆者が専門とする、文学史、とくに近代文学に関する章を楽しませてもらった。続編もいろいろ出ているが、きっと面白いのだろう。
 筆者は高齢で、大阪学はいずれ誰かが継承、発展させていくのだろう。私は近世文学研究が専門なので、弘文堂の『江戸学事典』の上方版のようなものが、今後編まれることを期待している。

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2006年6月 8日 (木)

路上駐車

 さいきん、大阪に興味をもっている。ちょうど、大谷晃一『大阪学』(新潮文庫、1997.1。初出は経営書院、1994.1)という本があったので、手にとった。手元にある本は、2003年で29刷を数えているので、よく売れている部類だろう。
 全十二章のうち、冒頭の一章が「不法駐車」である。大谷は駐車違反は善悪ではなく、罰金との損得の問題とする。15頁で、駐車違反の摘発を商業化するしかないと大谷は述べるが、それに対してみないい案だと感心するが、実現の可能性があるという人はひとりもいないとする。
 ところが、今年の六月一日から、不法駐車取り締まりが民間委託されて、大谷の案が現実のものとなった。もっとも、英国や韓国など海外で民間委託がされているのに、習ったのだろうが、画期的である。
 私は公務員の家に育ったせいか、法を守ることと罰金を天秤にかけるような真似には我慢できない。「悪法も法なり」である。大阪経済の地盤沈下は、長期にわたって続いているが、あんな路上駐車をしている連中のいるところが発展するわけがないと思っていた。
 とはいえ、今回の道路交通法の改正が、郵政公社の車両を除く、貨物運搬用の車両も同様の規制なので、やや厳しいとは思う。だが、抜け穴がでないようにやるとそうなるのだろう。
 そのうち、お目こぼしもあるようになって、商業活動に支障がない程度の取り締まりになるのではないかと思っている。
 なお、私の今住んでいるところは田舎だが、駅に近いので、民間監視員の取り締まり重点地域に入っている。民間監視員がまわっているのを一度だけ見たことがあるが、ちゃんと仕事をしているのか、六月一日より路上駐車が激減している。私にとっては、気持ちのいい出来事である。

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2006年6月 7日 (水)

しなくなったネット検索

 ブログをはじめたころに、記事を書く前にやっていたが、いまではまったくやらなくなったことがある。
 当初は、同じネタを書かないように、ネット検索で似たような話がないか確認してから書いていた。
 やらなくなったのは、ネット検索すら面倒になったのと、けっきょく自分が書きたいから書いているのであって、話題がかぶってもかまわないと開き直ったからである。
 論文なら、書く前に同じことを書かないか、発見上の優先権を侵害することがないか事前調査を念入りにしなければならない。学問として誠実な態度をとるなら、ブログでもそうすべきだろうが、ブログはブログである。
 もし、他人と同想のものがあっても、それはたまたまである。
 また、もし他人が私の書いたのと、極めて似たような文章を書いていても、それもたまたまと思う。

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2006年6月 6日 (火)

サッカー雑誌は買わない

 ワールドカップのためのサッカー雑誌の増刊号・特集号が書店の平棚をしめているが、買いたいという気はほとんどしない。フランス大会、日韓大会ではけっこう買っていたのだが、買ってもむだだと悟った。
 当日の朝刊を読めばじゅうぶんである。試合を観ながら情報を仕入れていっても、そうそう困らない。
 試合のレポートで楽しみにしているのはスポーツナビ(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)の宇都宮徹壱の記事。前回大会のレポートが、雑誌の記事に比べて速報性があり、かつ公正かつ冷静で、一番楽しめたからである。

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2006年6月 5日 (月)

なくなった将棋道場

 さいきん、将棋についてブログに書くことがあったので、それにまつわることを検索していると、むかし通っていた将棋道場がなくなっていることがわかった。
 私が通っていたのが1998~2000年ごろだが、2003年に閉まったようである。席主のEさんには、しょっちゅう飲みに誘われたがとうとう一度も行かなかった。私はお酒は大好きだが、Eさんたちが行くような飲み屋に行くほどの金がなかったことが理由である。また将棋以外のことはほうっておいてもらいたかったためでもある。しかし、いま思えば、一度ぐらいは飲んでみればよかったかもしれない。
 将棋道場にくる人々は、どちらかといえばつきあいにくい人たちだった。知らない人たちが入りにくい雰囲気がある。そういう人たちと将棋をするのはややもすれば苦痛だった。実業団の猛者で、三十代独身で将棋にうちこんでいるKさんは、私にしょっちゅう嫌みを言っていた。ほとんどの場合、きちんと読み切ってから指すように、といった至極まっとうな意見だったが、実際は読み切れていないのではなくて、読み損なっていたので、往生した。
 埼玉に移る一年ほどまえから、将棋道場には行かなくなったのだが、埼玉に移ってからしばらくたって、Kさんに会うのがいやだから、将棋道場に行かなくなったのだと、おのれの潜在意識を推測した。
 いまは、インターネットをつかえば、自宅でいつでも無料で将棋が指せる。しかし、一度もインターネットで将棋を指したことがない。かちゃかちゃキーボードを叩いて会話をしながら将棋をするのが、面と向かって指すよりも、私にとっては億劫なのである。
 私にとって将棋は、他人が指したのを鑑賞する。あるいは「次の一手」を考える遊びである。
 将棋道場にはいろんな人がたまっていた。悪く言えばよどんでいた。あの将棋道場がなくなって、みんなはどこに行ったのだろうか。

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2006年6月 4日 (日)

先崎学八段 その二

 週刊文春『浮いたり沈んだり』の連載がはじまったころ、佐藤康光棋聖の泣く話をたまたま最初に読んで、いい気がしなかった。そのため、「浮いたり沈んだり」を読める機会があっても、目を通すことがなかった。もう連載もかなりつづいて、文庫本(文春文庫、2004.10)があるので、前日の記事にかこつけて読んだところ、それなりに面白い。
 余勢を駆って『先崎学の実況!盤外戦』(講談社文庫、2006.5)も読む。週刊連載の『浮いたり沈んだり』が、回によって出来不出来の差が大きいのに比べて、書き下ろしだけあって粒がそろっている。
 こういった書き下ろしのエッセイを出すのは、エッセイストとして食っていきたいという願望があるのかもしれない。だが、それは将棋の戦績次第である。
 書店に行って、エッセイの棚を覗いてみればよくわかるが、エッセイとは、有名人が書いたものしか売れない。逆に言えば、有名だったら、内容に関係なく売れる。有名な人がなにを考えているか、どう感じているかを知りたいから読むのである。
 今期のB2は、渡辺明竜王と山崎隆之六段がいて、たいへんだろうが、好局を期待している。

補記:渡辺竜王をより応援しているので、勝てとは書けなかったのですが、私と年も近いですし、老け込むにはまだ早い思っています。

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2006年6月 3日 (土)

先崎学八段 その一

 先崎学八段は、連載をもっていないときの方が戦績がよいので、「浮いたり沈んだり」をはじめたときに、心配していた。前期、B2に陥落し、悪い予感が当って、がっかりしている。
 誰かが(河口俊彦か)、先崎八段は無頼派としてその記事を売っているので、生活を荒らしてタネを作っているのがよくないと指摘していた。
 「将棋ビジネス」考察ノート(http://blog.livedoor.jp/sbc2005com/)の2006.05.09「続・将棋のイメージ」に、「団塊世代の女性の持っている将棋へのイメージ」が「博打」だとあった。ノートのいうとおり、団塊世代の女性が、将棋道場での親の真剣将棋(賭将棋)を見ているのか、私はよくわからない。
 文才はもとより、先崎八段に『小博打のススメ』(新潮新書、2003.10)の著書があるように、世間的な将棋指しのイメージに先崎八段が合致するので、好かれているのは確かである。
 だが、幅広く将棋ファンを増やすためには、先崎八段のような無頼派型の棋士だけでなく、別の魅力を持った棋士も文才を発揮することが必要だと感じる。

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2006年6月 2日 (金)

一歩一歩、一冊一冊

 碩学の研究者に何か尋ねた際に、次から次へと本の名前が出てきて驚くことがある。それを聞く度に、自分は全然本を読んでいない、と劣等感をいだくことしきりだった。
 ここさいきんになって、自分にある程度の蓄積ができてくると、碩学が答えてくれる本も、その学者が学問の進歩にあわせて、一歩一歩、一冊一冊、覚えていったのだと気づいた。その学者と同じ問題意識、研究態度がなければ、教えてもらった本に行き着かないのは当然である。
 それを悟ったので、碩学の話を焦らず聞けるようになった。

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2006年6月 1日 (木)

対象と手法

 研究者は研究対象と手法を自分で見いだすことで一人前となる。何を研究の課題とするか、またどうやってその課題に答えを出すのか、人に教わってどうにかなるものではない。
 さいきん、ちょっとかわったあることについて論文を書こうとしたさいに、偉い先生二人に論文になるか成算をうかがったところ、お二人がそれぞれ違った切り口で、解決の糸口を示してくださった。
 けっきょく、できあがった論文は、お二人の切り口とはまったく違う方向から取り組んだものだった。失礼ながら、私は私であって、ある手法が示されても、私の実質と違えば、それを実行することはできない。
 かつて、偉い先生からなにか意見をうかがい、それに従って行動し、そして袋小路につきあたったことがあった。自分の身の丈に合わない手法は使えないのである。
 いま、私が書くもの、書けるものは、みな学問的に拙い手法で取り組まれている。そのみすぼらしさに悲しくなるが、それが自分なのだとあきらめている。

 

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