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2006年5月25日 (木)

日記は人に見せるものじゃない

 題名を書いたら、もう言いたいことが尽きた(山本夏彦調)。SNS(ソーシャルネットワークサービス)やブログで日記が個人の日記が公開されているけれども、日記とは本来人に見せないことが前提ではないか。
 もちろん、日記文学というのがあるのは知っている。『広辞苑』(第五版)をひくと、

作者自身の体験・感想を年時順に記した文学。国文学史上、普通平安時代から鎌倉時代を中心に和文で書かれたものを指し、女性の手になったものも多い。「土佐日記」「蜻蛉日記」「紫式部日記」「十六夜日記」の類。

と、このとおり。
 こじつけを承知で言えば、日記文学はブログかSNSの文章である。「かな」という新しい表現手段が、日記文学を生んだように、ブログやSNSという手段の誕生が日記の公開をあたりまえのものとした。
 ブログに女性の書き手が多いのも、日記文学からの流れを汲む。また、ブログで日記を書く女性は、みな、なかなかの書き手である。
 私は「いわでもの記」を毎日更新しているが、これは日記ではない。日記として公開するなら、まず面倒で続けられない。中味もいまよりもっと面白くないだろう。日常は、とりたてて見るべきものがないから日常なのである。それを公開して、面白くできるのは感性だろうが、私にはそういったものがない。
 作家といえば、日記をつけている人がほとんどだが、多筆で有名のわりに日記をつけなかったのは太宰治。この人は筆まめで大量の手紙を残しているが、日記はつけていない。つけなかった理由ははっきりしないが、全身虚構の世界にはまっている人だから、日記を書くのは似合わない。

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