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2006年5月31日 (水)

吾が仏尊し

 速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社新書、2006.2)という本を、本屋で見かけ、ぱらぱらめくって、そのまま本棚に戻した。世の中には読まなくても内容がわかる本があって、これもその本のたぐいだとひと目でわかったからである。
 帯には「自分以外はバカの時代」とあって、甲「オレは何かをやるね」、乙「何を」、甲「何かさ」というやりとり(台詞の記憶はやや曖昧)のある漫画が描いてある。
 根拠のない有能感を持ち、それに基づいて他人を理由なく蔑視するのが現代の若者だという論のようだが、おきまりの年寄りの繰り言とは違うのだろうか。
 『他人を見下す若者たち』で批判されているような若者は、いまに始まったことではなく、昭和文学の担い手などほとんどそうである。石川啄木や梶井基次郎は、理由もないのに、自分は凄い、他人はたいしたことがないと、言い続けた。こういった過剰な自意識は、現代特有の感情ではない。
 他人を見下したいという欲望は誰にでもある。人間の本性だと言ってよいのではないか。見るものあたりかまわず、あれはダメだこれはダメだというのは簡単である。芝居にかかわっていたころ、私の周りには見巧者がたくさんいた。多くの芝居を観て、その欠点をズバリ突いた。
 とはいえ、その多くが眼高手低であって、批評上手の作った芝居を観に行くと、役者なら大根、裏方なら芝居のイロハも知らない口先天狗、演出家ならヘボ、脚本家なら頭の配線を疑いたくなるものばかりと、ほんとうにお互いさまなのだった。
 私にもその傾向があって、いまも吾が仏尊しで生きている。このブログも、題名だけなら「いわでもの記」よりも、「あがほとけの記」が適当かもしれない。

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