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2006年5月31日 (水)

吾が仏尊し

 速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社新書、2006.2)という本を、本屋で見かけ、ぱらぱらめくって、そのまま本棚に戻した。世の中には読まなくても内容がわかる本があって、これもその本のたぐいだとひと目でわかったからである。
 帯には「自分以外はバカの時代」とあって、甲「オレは何かをやるね」、乙「何を」、甲「何かさ」というやりとり(台詞の記憶はやや曖昧)のある漫画が描いてある。
 根拠のない有能感を持ち、それに基づいて他人を理由なく蔑視するのが現代の若者だという論のようだが、おきまりの年寄りの繰り言とは違うのだろうか。
 『他人を見下す若者たち』で批判されているような若者は、いまに始まったことではなく、昭和文学の担い手などほとんどそうである。石川啄木や梶井基次郎は、理由もないのに、自分は凄い、他人はたいしたことがないと、言い続けた。こういった過剰な自意識は、現代特有の感情ではない。
 他人を見下したいという欲望は誰にでもある。人間の本性だと言ってよいのではないか。見るものあたりかまわず、あれはダメだこれはダメだというのは簡単である。芝居にかかわっていたころ、私の周りには見巧者がたくさんいた。多くの芝居を観て、その欠点をズバリ突いた。
 とはいえ、その多くが眼高手低であって、批評上手の作った芝居を観に行くと、役者なら大根、裏方なら芝居のイロハも知らない口先天狗、演出家ならヘボ、脚本家なら頭の配線を疑いたくなるものばかりと、ほんとうにお互いさまなのだった。
 私にもその傾向があって、いまも吾が仏尊しで生きている。このブログも、題名だけなら「いわでもの記」よりも、「あがほとけの記」が適当かもしれない。

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2006年5月30日 (火)

フォントの話

 高校二年生に教える現代国語の教材で、いかに人間が手書きの文字にその人間性を見いだしているかという文章を扱った(だれの文章だったか具体的に思い出せない)。
 筆者は「手書き=記号のみならず人間性をともなう」「活字=記号のみ」の対比で論理で展開していた。授業では、相田みつをの文字を書き真似て、説明の補強とした。
 とはいえ最後には、筆者の言うようにそう簡単に二項対立化はできないと述べ、その教材への解説プリントに、いろいろな印刷のフォントを載せてみた。
 文字は記号としての役割さえはたせば、最低限の役割をはたすのだが、それでも文字に人間性を求める人の心は、さまざまなフォントを作り出した。
 私の知っている人でも、手紙はかならず正楷書体をつかう人がいる。
 先日(2006.5.14)「殿・様 その二」にmasapfさんから、

現在のパソコンでは、なかなか気に入ったフォントに巡り会えないと思いませんか?
自分で気に入った字体を書ければそれが一番なんですけれど。

というコメントをもらった。
 私は、実を申せば、明朝体が好きである。とはいえ、世の人は、明朝体の活字は味気ないと思っている人が多いと感じており、この嗜好は人に言わない方がよいと思っていた。
 ところが、最近読んだ鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005.4)にタイトルロゴの書体の話があって(126-128頁)、それに共感できた。
 内容をところどころ引用すると、

 タイトルでもう一つ、僕がいつも言うのは、タイトルロゴです。ロゴの書体を明朝体かゴシック体にする。これが大基本です。最近では、書き文字もありますけど。(中略)自分が編集者として培ってきた仕事で、読みやすいのは明朝体とゴシック体だと思うんです。(中略)『魔女の宅急便』『おもひでぽろぽろ』も、基本はタイトルロゴが明朝なんです。こういう書体を使うのは、「これはお子様向け作品ではありませんよ」というアピールでもあります。(中略)また、明朝やゴシックにすると高級感が出るんですね。どこかで「安っぽい作品じゃないんだ」と言いたいんです。

鈴木敏夫が続けて述べているように、『もののけ姫』が宮崎駿の、『ハウルの動く城』が鈴木敏夫の書き文字で、それ以外はジブリの映画のタイトルロゴは、明朝体かゴシック体なのである。

 かつては親密な手紙もワープロで書いていたことを、2005.10.26の「手紙は手書きで」で述べた。私が明朝体が好きなのは、それが本と一緒だからである。ワープロが出たとき自分が書いたものが、本と同じ活字になることに大喜びした。私は活字信仰のある最後の世代である。なんどでもいう、私は明朝体が好きなのである。

補記:海外からのスパムコメントがなぜかつくのでコメント受付を停止しました。
 

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2006年5月29日 (月)

絵を描く技術

 子どもにさせたい習い事の筆頭は英語だろうが、英語は道具であって、その習得は最終目的ではない。英語+何かの技術ではじめて活躍できる。
 もし国際的な日本人として今後活躍するために、英語に足して、ぜひ身につけた方がよい技術といえば、絵を描く技能である。
 今昔、見渡して、日本文化が世界に強く影響を与えたのは、主に絵画の部門である。浮世絵が印象派に影響を与えたことは、いうも今更である。日本の文学部に来る留学生が、専門とする文学作品と同様、あるいはそれ以上に、日本のアニメや漫画を愛しているさまをみると、日本文学の実力ならびにその将来が透けて見える。
 悲観的な意見ながら、現代はもはや文学の時代ではなく、おそらく五十年後は、文学部の主流は漫画学になっていると予想する。漫画学は着実に進展しており、その様子は黎明期の国文学を思わせる。村上春樹などごく少数の作家の小説をのぞいて、いま直木賞・芥川賞をとっている小説は、五十年後の読者に、ほとんど相手にされないはずである。
 だが、売れっ子の漫画家になったり、著名なアニメーター・イラストレータになったりすることを目標として、すべての人が絵を描く技術を学ぶ必要はない。絵描きでも才能のあるのはほんの一握りである。絵を描く技術を身につけたからといって、それだけで食っていけるわけでもない。
 にもかかわらず、絵を描く技術を身につけた方がよいのは、何か視覚文化に関する分野、たとえば写真・映画(実写)・アニメ・漫画に関わる際に、制作の人員は誰でも、絵を描く技術を持っているに越したことはないからである。
 だから、絵コンテが切れる段階まで技術があれば、創造的な仕事がなんとかできるのではないか。。黒沢明が、あるいは富野由悠季や鈴木敏夫が絵コンテが切れなかったら、少なくともその立場は、別の人間がこなしていたはずである。
 私の絵は、からきしだめである。まず、デッサン力がない。ときおり、気が向いて、色鉛筆や画帳を買ったりするが、放置されている。音楽もダメ、絵画もダメの私が磨いてきたのは操觚の技である。
 ここまで言っておきながらなんだが、けっきょく自分の息子や娘に絵を習わせたいかというと、ほとんどその気はない。なるように人間はなるだけで、無理に勧めても身につかないと思うからである。裏をかえせば、個性と無縁の技術なので、語学を修めるのは、万人に流行るのかもしれない。

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2006年5月28日 (日)

たとえ話

 2006.05.12「鈴木敏夫 プロフェッショナル その一」に関して、念のために書いておくが、たとえ話をするのがよくないと言うのではない。
 たとえ話にすることで、直接事実関係を説明するのよりも、深く理解できることは多い。でなければ、寓話というジャンルが生き残るはずがない。現代国語の教師として、説明にいろいろなたとえ話をつかうのはあたりまえである。なお、私はかわったたとえ話をする教師として塾では知られていた。
 よくないのはしっかり指導すべきところで、もったいぶって教えないことである。手取り足取りなんでもやれとはいわないが、要所要所はきちんと言ったとして悪くない。芝居の世界では、芸(技術)は盗め、といった雰囲気があるが、教えられるものを教えてしまって悪くないし、教わる方も説明してもらえることは教わった方が早道である。
 ここらへんの機微がうまく伝えられたか書いていて、自信がないが。

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2006年5月27日 (土)

メールは相談に不向き

 メールは便利だが向き不向きがある。報告・連絡には向いているが、相談には向いていない。私はメール好きで電話は嫌いである。電話はうけるのもかけるのも好きではない。
 しかし、相手に「ハイかイイエ」の二者択一で決められないことを聞く際には、こちらから電話するので、都合の良い時を教えてくださいとメールすることが多い。
 私の先生は電話好き(?)で連絡の多くが電話である。私は「ハイハイ、ハイ。わかりました」とすぐ電話を切ってしまうので、「そういえば言い忘れていたが」という電話がよくかかってくる。

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2006年5月26日 (金)

巻が残った

 Jリーグではジェフを応援しており、細切れながらも、BSやケーブルでジェフの試合は観るようにしているので、巻誠一郎選手がどんなサッカー選手なのかは、それなりに知っていた。
 精力的で献身的な巻選手は好きだったが、代表には選ばれないものと思っていた。ジーコ監督が選手の才能を重視していることを私はかつてブログに書いたことがある(2005.07.20)。調子を落していても、久保選手の才能は折り紙付きである。フォワードの選手としてかならず残るものと思っていた。
 選考の段階で、どの選手が何試合にでて何得点したかがテレビなどでよく引き合いに出されたが、それはさほど重要なことではない。
 現代国語の教師を引き合いにだせば、最初の期末試験が終わる頃には、だいたいの生徒の学力が把握できてくる。生徒の学力を知るのに一番良いのは、文章を書かせることである。
 試験は水物だからよかったりわるかったりである。学力以上にばたぐるって点をあげている生徒がいたり、きわめて優秀な文章を書くものの全体的なテストの成績はとびぬけてよいわけではない生徒もいる。
 もし私が、ひと学年から生徒を選抜してさらに何かの試験に臨ませるとしたら、過去の試験の結果だけで決めない。目の前の試験の結果よりも、本来の学力(素質・能力)を重視する。
 だから、巻選手が選ばれたのは驚きだった。
 とはいえ、才能はあるけれども学習を怠りがちな生徒と、素質はいまいちだが一生懸命やってきて成績を着実にあげてきた生徒と、どちらが可愛いかと言われれば、当然後者である。努力家を教師は好くのである。
 ほとんど望みがないと言われているにもかかわらず、全力でプレーした巻選手のことをジーコ監督が認めたのは、それはそれでわかる。
 オシム監督は、代表の試合から帰ってきた巻選手を翌日のナビスコカップですぐに使った。
 最初は、オシム監督は巻が代表に選ばれないと思っているのだなと考えた。ところが、巻選手が選ばれてみると、そこがオシム監督の深謀だったと気づいた。
 状態が不良の久保選手に比べて、巻選手が頑強であることは取り柄として主張できるところである。骨折から復帰した柳沢選手も選ばれるとなると、フォワードの選手の怪我が心配である。
 巻のよさをアピールするために、オシム監督はあえて巻選手を強行して使ったのであろう。

補記:ずいぶん前になりましたが、W杯選手選考をとりあげます。スポーツニュースはすぐに載せないと鮮度が落ちますね。試験の結果が学力という考え方もあるわけで、たとえ話としてわかりにくかったかもしれません。

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2006年5月25日 (木)

日記は人に見せるものじゃない

 題名を書いたら、もう言いたいことが尽きた(山本夏彦調)。SNS(ソーシャルネットワークサービス)やブログで日記が個人の日記が公開されているけれども、日記とは本来人に見せないことが前提ではないか。
 もちろん、日記文学というのがあるのは知っている。『広辞苑』(第五版)をひくと、

作者自身の体験・感想を年時順に記した文学。国文学史上、普通平安時代から鎌倉時代を中心に和文で書かれたものを指し、女性の手になったものも多い。「土佐日記」「蜻蛉日記」「紫式部日記」「十六夜日記」の類。

と、このとおり。
 こじつけを承知で言えば、日記文学はブログかSNSの文章である。「かな」という新しい表現手段が、日記文学を生んだように、ブログやSNSという手段の誕生が日記の公開をあたりまえのものとした。
 ブログに女性の書き手が多いのも、日記文学からの流れを汲む。また、ブログで日記を書く女性は、みな、なかなかの書き手である。
 私は「いわでもの記」を毎日更新しているが、これは日記ではない。日記として公開するなら、まず面倒で続けられない。中味もいまよりもっと面白くないだろう。日常は、とりたてて見るべきものがないから日常なのである。それを公開して、面白くできるのは感性だろうが、私にはそういったものがない。
 作家といえば、日記をつけている人がほとんどだが、多筆で有名のわりに日記をつけなかったのは太宰治。この人は筆まめで大量の手紙を残しているが、日記はつけていない。つけなかった理由ははっきりしないが、全身虚構の世界にはまっている人だから、日記を書くのは似合わない。

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2006年5月24日 (水)

半純血とは考えたね

***ネタバレ注意、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を読んでいない人は読まないように!!***

 J・K・ローリング作、松岡佑子訳『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(原題、"Harry Potter and Half-Blood Prince")が2006.5.17に静山社から刊行されました。

 この本は原書(US版)で読んでいて、2005.07.29に読書記を載せました。次に、2006.03.8-11にかけて、「"Half-Blood Prince"名義考」として”Half-Blood Prince”の訳語について、差別語特集の一環として、考察を加えています。

 では、松岡佑子さんはどう訳したかとみると「半純血」の語をあてています。さすが、プロの翻訳者、考えたねが感想です。

 ”Half-Blood Prince”を「軽蔑を受けとめつつ自らの出自に誇りを込めた表現」ではないかと、かつての記事で述べました。「半純血」だと、「半分でも純血だ」ということになって、視線が逆向きなのですが、かつての彼を考えると、そうとるのが正しかったようです(邦訳版下巻483頁の見解もありますし)。

 頓智に敬服したこともあって、”Half-Blood”が「半純血」でもいいかなと思っています。

 原書を読んだこともあって、邦訳本を積極的に読む意欲がないのですが(時間もないし)、パラパラめくると、懐かしい感じ。英語を読んで感じる世界と、日本語を読んで感じる世界は違います。

 Horcruxesが分霊箱と訳されて、なるほど。あの人の最期の"Please"は「頼む」。
 やっぱりプロは上手いもんですね。

 あとがき「最終章へのラブレター」には、

第六巻で魔法界に吹き荒れるヴォルデモート旋風を映すかのように、この一年はマグル界の私の周辺にも闇の帝王の気配が感じられ、私自身が何度か吸魂鬼に襲われた。

とあるので、差別語の問題も含めて、いろいろ苦労なさったとお察しします。

 私のブログのことなど知らないとは思いますが、

本文中がもし「謎のプリンス」で押し通されていたら、我慢するつもりはない。手持ちの邦訳版はすべて叩き売って、いかに私の英語力が貧弱といえども、以後英語版しか読まないつもりである。静山社および翻訳者松岡祐子には、適当な態度をとることを切に望む。

なんて啖呵を切っている私も吸魂鬼の一人だったのかもしれません。
 おつきあいも、あと一冊。お体ご大切に、頑張って欲しいものです。

おまけ:あとがきに「○○○○(引用者伏せ字)は果たしてどちらの味方か」とあるので、まだ期待していいんですかね。

補記:海外からのスパムコメントがなぜかつくのでコメント受付を停止しました。

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2006年5月23日 (火)

書きたがる脳

 四ヶ月ほど前から、茂木健一郎の書いたものには興味があった。ここにきて(もはやひと月ほど前)、金銭的余裕、時間的な余裕が少々できたので、本を集めてみることにした。本人の著述ではないものの、アリス・W・フラハティ『書きたがる脳 -言語と創造性の科学-』(吉田利子訳、茂木健一郎解説、ランダムハウス講談社、2006.2)がアマゾンで「茂木健一郎」を検索した場合に目をひいた。

 書き出したら止まらない「ハイパーグラフィア」と、書きたいのに書けない「ライターズブロック」を中心に脳のしくみについて、産後うつ病に悩まされた経験がある神経科医が書いた本である。

 筆者がそういう病を患う気質のためか、飯田真・中井久夫『天才の精神病理』(岩波現代文庫、2001.7。初出は1972.3、中央公論社)で、ダーウィンを例に示したような、躁うつ病圏の科学者の特徴である、挿入句や注が多くて回りくどい文章が書かれている。また、ダーウィンの『種の起源』を思わせるような(私は東京書籍版を持っています)、考え得るかぎりあらゆる面から検証する、フラハティの手法も、科学的だが、読んでいるほうにとって、本命が見えないきらいがある。

 とはいえ、とても刺激になる本で、さいきん読んだ本の中ではかなり面白かった。
 ライターズブロックは修士論文執筆時にひと月ほどかかって、苦しんだことがある。この本を読んだことが、今後の予防接種になったと願いたい。

 茂木健一郎の本は、それから集めて読んだが、内容はまあまあ。というのは、わからないことがまだ多すぎるから。スターウォーズのエピソード1を観たときの状態で、お楽しみはこれからである。脳科学のますますの進歩を期待している。

 ほぼ毎日、ブログを更新していることからすれば、私をハイパーグラフィアだと思うかもしれない。しかし、このブログは毎日書いているのではなくて、二三週間に一度の割合で書きためている。野球のセットアッパーが投球数が少なくても毎日きっちりと肩をつくらねばならないように、毎日更新するのなら、頭の中身をつねに整理しておき、文章が書ける精神状態を作っておかなければならない。

 そうではなくて、ときおりやっているだけなので、ハイパーグラフィアに私はほど遠い。本当に毎日書けるならすごいことだが、それはまず無理である。

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2006年5月22日 (月)

ノンフィクション

 出久根達郎や山本夏彦の随筆に、あったような作り話がまじっていることは有名である。私もブログを書く際に、都合良く話を変えたり、作ったりすることもあるかと、ブログを始める前は思っていたが、今にいたるまで一度もやっていない。

 創作はないが、記憶違いはあると思う。とくに、時間の感覚が悪くて、昔のことは十年前ぐらいに考えがちだが、よくよく考えると、実際は十四五年前だというのがよくあって、うろおぼえで書くのは危険である。

 2006.02.09「たいこ合気道」は、よく考えると、年頃の女性から腕をつかまれる話で、もうちょっと色っぽいことを当時の私が感じていてもおかしくないが、どう思い返しても、そのような印象がない。これに手を加えて、「私」が「Sさん」に好意を持っているようにすれば、面白くなるかもしれない。

 だが、このブログは、何度か述べたように、実体験への感想を記すのが第一の目的である。フィクションを書いてしまっては元も子もないので、これからもおそらくあった話を書くだけである。

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2006年5月21日 (日)

酒を飲んでは

 ブログを始める前まではやるんじゃないかと思っていたが、今のところ一度もやっていないことが一つ。
 酔ってブログの記事を書いたことがない。
 これは私を知っている人が聞いたら意外に思うのではないか。
 というのは、かつては、論文書きにはもう頭は使えないものの、神経が昂ぶっているので、ちょっと飲みながら友人らに戯文をメールすることがたくさんあったからである。
 友人たちも三十路になって、私のメールにいちいちコメントを返していられなくなったのが、ブログをはじめたきっかけの一つである。
 今ではメールも、酔ったときに書くことは決してない。飲んで帰ってきて、メールを読んでも、返信は翌日に延ばす。
 2005年の6月ごろよりそうしている。
 知り合いで、飲んで論文を書いたりするのがいるが、私は信じられない。文章を作るのはかなりの神経をつかう。
 それでも、メールまではよいだろうと思っていたが、いまいちなブログを大量に書くにつれて、文章表現のおそろしさがわかってきたので、メールももはや酔っては書く気がしない。

 さいきんになって、酔ってする自分の話がつまらないことに気づいた。最初は年のせいだと思った。
 しかし、前々から酒の場の自分の話はつまらなくて、近頃それに気づいたのが本当のようである。しらふですら面白い話をしている自信はないのに、酔って話をすればさらにつまらない。
 とくに、酒のせいでブログの文章が乱れるのを厭うように、酒のため自分の話の論理が乱れるのが我慢ならなくなってきた。
 酒は相変わらず好きである。だが、よく知らない人と研究会のあとの飲み会で飲んだりするのは、自分の話がつまらないのでつらい。たまに飲むにしても、うちで飲んでボーッとしているのがちかごろは楽である。

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2006年5月20日 (土)

敬語を身につけるには

 学部の頃に、国語学を習ったY先生からは、ほんとに基礎的なことから教わった。たいてい、私たち学生がなにかへまをやらかして、それを諭すかたちで教わるものだった。語調はおだやかだが、おっしゃる内容は厳しいもので、言われたことは今でもよく覚えている。
 その中で、とくに印象に残ったのは、敬語は尊敬する心が自然と生み出したものなので、尊敬する心がなければ、身につかない、逆に尊敬する心があれば自然としゃべれるようになる、ということだった。
 実際に、Y先生は、一見礼儀ただしくても、うわべばかりの敬意にはその真意を即座に見抜き、つたない表現でなされた敬意であっても、それがまごころからのものなら、こころよくうけとめてくれた。
 どれが尊敬語でどれが謙譲語で、どれをどの場面でつかうか、を丸暗記すれば、田夫野人でも即座に紳士、とはいかないものである。
 敬語の使用規則について、たとえ誤用であっても、敬意が感じられれば、目くじらを立てる必要はないと思っている。
 

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2006年5月19日 (金)

寄せ書き

 例年、誰かが研究室を出て行くときには、送別会で寄せ書きを贈ることになっている。だが、私が研究室を出る年には、寄せ書きがなかった。正直なところ、寄せ書きはもらえばうれしいものの、置き場に困ることもあって、それほど欲しいものではない。うちの研究室もそういった方針になったかと思っていたが、次の年の送別会では、寄せ書きが復活していて、私のときだけなんだったの?ということになった。
 私と同じ年に研究室を離れた、後輩の女性もその場に来ていたので、「あれ?私たちのときはなかったよね」と言うと、「ええ、欲しかったですぅ」と言われて、感覚はひとそれぞれだと思った。
 しかし、私でも生徒からもらう寄せ書きはうれしく思う。読み返すのが恥ずかしいので、奥にしまってあるが、大事にとってある。
 私が非常勤をしていた高校で、私が担当した学年を前の年に教えていた先生が、その学年からもらった寄せ書きを無造作に机の側面に逆さにして立てかけていた。職員室に用があって来た女子生徒が、「せっかく贈った寄せ書きをそんなにしておくなんてひどい」と私に愚痴をこぼした。
 私は、まったく逆で「机の上に、寄せ書きを飾っておくなんて、恥ずかしいし、今の担当の学年のこともあるからできない。でも、しまっておくと、もらったことも忘れてしまうから、どこか目につくところにおいて置きたいけれど、普通に置くとやはり恥ずかしいので、逆さにしている。その先生の性格もふくめて総合的に考えるとかなり大事にしているよ」と説明した。
 その女子生徒はまじめだったが、性格にきついところあって、いじめられるとまではいかないが、周囲とうまくいかないところがあった。私の説明には、どこか納得のいかないところはあるようだったが、人間の行動が一直線には解釈できないことを、少しでもわかってくれればいいなと思った。

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2006年5月18日 (木)

誤植ですよ

 研究会などで、プリントに翻字(くずし字をいまの字におなす)の間違いがあったときに、お年を召した先生など、「それは誤植ですよ」という場合が多い。
 現代では、ワープロ印刷でレジュメや資料が作られるので、間違いがあればすべて発表者の責任である。「誤植」となると、第三者の責任のようで、間違いの指摘が少し和らぎ、うまいやりかただと思った。
 しかし、自分が指摘するときに、何度か「誤植ですよ」といったことがあるが、われながら嘘くさかった。
 きっと、お年を召した先生たちは、活字の印刷の誤記は、すべて誤植と考えるのが自然だから、嫌みにならないのだろう。

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2006年5月17日 (水)

校正畏るべし

 たいへん使い古された地口に「校正畏るべし」がある。写植からフロッピー入稿にかわった現在でも、原稿が変な風に組まれることが、よくある。油断はできない。
 校正が出版の最後の砦である。
 最初の論文が掲載されたさいに、フロッピーを要求することなく、むこうがわざわざ原稿を入力してくれたようで、ゲラの時点で誤植が多かった。にもかかわらず、私もまだ校正のおそろしさをわかっていなかったので、いいかげんに校正を済ませたところ、印刷物になったあとに、残っているかずかずの誤記に気づいて青くなった。抜刷は修正して配ればよいが、雑誌でしか論文を読まない人へはどうしようもない。以後、校正は熱心にやっている。
 知人が初校のゲラに思いっきり手直しをしているのを見たことがあるが、私の場合、ゲラの時点で内容を変えることはまずない。植字工に迷惑をかけるというのもあるが、ゲラがきているときは、いったん内容から頭が離れてしまって、もう深く考えられないことが大きい。
 実を言うと、校正はたいへん苦手である。音読する、最後の頁から読んでいくなどがなかなか有効だと思うが、それでも完璧は難しい。

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2006年5月16日 (火)

メーリングリスト

 理系の研究グループで根付くが、文系の研究グループ(私の知るのは国文学に限るが)に根付かないのはメーリングリストである。
 どんどん情報を流して、それをグループで共有するという形態が、文系のグループでなぜ流行らないのかは一概にはいえないが、自分宛でないメールが届くことへの拒否反応が大きいと感じる。
 また、メンバーの参加の仕方もいろいろである。剣道のサークルでメーリングリストを作っていたころ、ある人が毎日のように、自分の日常を書いていた。私は別に気にもしなかったが、日記に書くようなことを読ませられるのはたまらない、という人も少なからずいた。
 自分は気にならなかったのは、よくいえば情報処理に長けているから。わるくいえば、情報を頭の中から捨てるのに慣れているからだろう。研究ではいらない情報を捨てることが必須なので、その技術がひょっとしたら生かされているのかもしれない。
 ま、性格だと思うんですがね。

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2006年5月15日 (月)

審査期間

 文系の学術誌はのんびりしたところがあるらしく、人気のある学術誌に投稿した知人が、審査がはじまるまで半年、掲載が決まって雑誌になるまでさらに半年かかったことがあった。
 この話を、コンピューター関連の理系の学者にしたところ、理系では考えられないと言われた。たしかに、日進月歩のコンピューターの世界で、一年後しか世に問えないのでは、遅れをとること必定であろう。同じ研究に先を越されてしまうかもしれない。投稿受領時点で、優先権があると言われるが、載る雑誌があとになれば、発見も遅れたと世間では思われる。
 なかなか審査がはじまらないときには、投稿者から催促するのが理系では通例だと言われた。今のところ、審査が始まるまで半年待ちといった目にはあったことがないが、催促の手紙をかきたい気持ちはよくわかる。

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2006年5月14日 (日)

殿・様 その二

 「殿・様」(2006.05.08)についてmasapfさんから、

>私は初対面というか、初めてメールを書く上役の人に殿を使うことに違和感を
>感じていました。「様」でしょうと。
>肩書きの扱いにもつながることなのですが、私は「氏名+様」が自然だろうと
>思っていました。あまりそこに常識のずれはなかったようで、ほっとしました。

のコメントをもらったので、そのことについてもう少し。

 ここにきて、「殿 様」でグーグル検索をかけたところ、思ったとおり、結果は百花繚乱。ハテナのクエスチョン欄(http://q.hatena.ne.jp/1114132834)など、ほんと人それぞれです。

尚智庵さんのホームページで、紹介されている<芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」>の<上巻 「第十一講 手紙の礼法」より 「殿と樣」>(http://www.shochian.com/bunrei/tonosama.htm)に、

[殿と樣] 今日では官名、公名には殿を用ゐ、私名には樣を用ゐることになっている。此の殿と樣の書き方が昔は非常にやかましく、七通りも八通りもあったが、つまり上輩ほど楷書に近く書き、下輩ほど草書にし、最も卑(ひく)いところへは假名で書くのである。(章末に委しく延べる)こんな煩瑣(はんさ)な事は今日では行はれぬが、目上に対する時楷書に近く念入(ねんいり)に書くことだけは心得ておかねばならぬ。

(ページ作成者注: 現在でも年輩の方の中には、下が「永」の「樣」を「永様」、「水」の「様」を「水様」と呼んで使い分ける人がいる。)

と説明されているのが、おもしろかったです。単なる「殿」「様」の違いだけでなく、楷書、草書の違いで敬意が異なるとはなかなかのものです。もとのホームページには、「殿」「様」の字体の画像まで収められています。

  『書翰文講話及文範』は、芳賀矢一と杉谷虎蔵(代水)の共編で、富山房から大正2に刊行されています。芳賀矢一は明治末から大正にかけて活躍した(この世界では)有名な国文学者。こういった本は、文学博士の芳賀矢一は名義を貸しているだけで、おそらく執筆は杉谷虎蔵がほとんど担当したと思われます。

補記:リンクをつけているせいでしょうか。外国からのスパムがしょっちゅうつくので、この記事へのコメントの受付を停止します(2007.5.14)。

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2006年5月13日 (土)

鈴木敏夫 プロフェッショナル その二

 前日の続き。

 二点目は、企画がはじまる最初に、自分の考えを紙に書いてしまっておく。人と意見をまじえて、いろいろと迷ったときに、その紙を取り出して見るという点である。それに対して、女性キャスターが最初から答えが決まっているということですか、と言った。ちなみに、韓国からの留学生で日本のアニメや漫画が好きな人にこの話をしたところ、同じ反応をされた。
 違うのである。最初に自分が何を考えたか、何をやろうと思ったか、というのは、実際に仕事を進めていくと、わからなくなってくる。そのときに、最初に書いた紙を見れば、自分が何のつもりでその仕事を始めたのか思い出せる。
 論文をはじめ、少し長めの文章を書くときには、あらかじめ要約を作るように私はしている。論文のミニチュアを作って、それを大きくして肉付けする。そうすれば、書きやすい。資料を操作したり、新たに資料を読み進めるなどして、こまごまとした細部を書いていると、自分がいったい何をやりたいのか、何をやろうとしているのかを忘れてしまう。そこで、要約の出番である。
 もちろん、完成した論文は、要約を単に引き延ばしただけのものでない場合がほとんどである。何か付け足したり、修正したりしている。さらに、投稿のため、要約を付さねばならない場合、最初に作った要約はまったく使えず、新たに書き下ろさねばならない。論文完成後の要約は、まんべんなく内容をかいつまんでいるが、最初の要約は、重要なところだけが書かれているからである。
 鈴木敏夫がやろうとしていることは、かなり納得のいくことだった。

 余勢を駆って、鈴木敏夫の『映画道楽』を買う。第二部映画製作編が、『水滸伝』のようにおもしろい。その他、さらに感じるところもあったのだが、それはまた別の機会に。

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2006年5月12日 (金)

鈴木敏夫 プロフェッショナル その一

 NHKの「プロジェクトX」の後釜に「プロフェッショナル」という番組がある。ほとんど観ていないのだが、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫の回(2006.04.06)は興味を持ったので、録画し、つい最近になって、それを観た。
 いろいろと刺激を与えられる内容だったが、特に納得したのが二点。

 一点目は、組織の中で悪者を作らないこと。組織の中で、誰か悪者を作って、それに文句をいって追い出してしまえば、今度はまた次の悪者を作らねばならなくなると鈴木は述べていた。何かを制作するのは総力戦である。現場の人間としては、苦労のはけ口として誰かスケープゴートを作りたくなるが、現場の人間たちを監督する立場からすれば、一人の無駄もつくりたくないはずである。
 ブログ記事で『オシムの教え』を素材に、オシム監督も、誰かを決めて叱ることをしないと言っていたことを書いたが、鈴木敏夫とオシム監督とは共通する。
 もう二年ほど前だが、渋谷である人の結婚を内輪で祝う会をやって、二次会(三次会?)は、渋谷の中央街にある焼き鳥居酒屋に入った。土曜日だったが、私が座った真裏に、初日をすませた劇団の一行がきていた。演出家とおぼしき中年男性が、劇団員とおぼしき若者たちにむかって偉そうに、能書きをたれていた。特に一人の劇団員をネチネチとしめあげているようで、「オレが何を言っているかわかるか」「わかりません」「○○(伏せ字は劇場名。まったくたいしたことのない劇場だった)のプロセ(プロセニアムアーチ。舞台を額縁に見立てたときのフチ)の高さを考えてみろよ。ちっとは頭を使え」などと、もったいぶった言い方をしているのが聞こえた。芝居に関わっていた昔を思い出して、今までの楽しい気分が完全にぶちこわしになって、私一人テンションがさがってしまった。
 言いたいことなら、スバリと言ってやればいい。もってまわった言い方をすれば、より深く理解できると思うのは間違いである。ズバリ言ってわからない相手は、そもそも問題意識がないのだから、婉曲に絞り上げてもまったくの無駄である。

 二点目は明日載せます。

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2006年5月11日 (木)

落語の名盤

 クラッシックやジャズの名盤本はおきまりだが、ここのところの落語ブームに乗って、落語も名盤本が散見する。以前紹介した京須偕充『古典落語CDの名盤』(光文社新書、2005.4)がそうであり、続編として京須偕充『古典落語 これが名演だ!』(光文社新書、2005.12)が出ていることを考えるとそれなりに需要があるのだろう。さいきんになって矢野誠一・草柳俊一『落語CD&DVD名盤案内』(だいわ文庫、2006.3)が出版された。
 京須偕充『古典落語CDの名盤』については、以前とりあげて、あらすじでもおもしろいと書いた。
 だが、名盤をとりあげることは、落語ではクラッシックやジャズよりも難しいと感じる。音楽なら楽譜があって、それにそって演奏される。指揮者によって、一時間ほどの曲の長さが五六分も違うことがあるが、落語のように、一時間でもできる噺を十五分で終えることはない。
 落語は、台本があってやっているわけではない。話し手の裁量にまかされている。どこをはしょるか、どこまでで切り上げてしまうか、バラバラである。
 実を言うと、ある噺が好きで、いま手に入るCDはもとより、ラジオ録音を持っている人のテープを借りたりして、さまざま聴いている。私の聴くところ、その噺はどうやら演じ方、話の内容にAB二系統ある。明治期の速記本をみると、Aという内容だが、わかりにくいのでBに改変され、今ではBがほとんどである。Bにしたのは、Cという噺家あたりだが、Cは途中までAB両方の噺をしている。といったことがわかってきた。ちなみにその噺の原話は、××という噺本にあって、よく知られていないようだが△△という滑稽本にも似たような話がある。
 こういった噺の分析を、解説にきちんと書いてあるCDもある。しかし、ただ音源が残って、その位置づけには関心が払われていないCDがほとんどである。
 同じ噺といっても、その比較は音楽よりも難しいのである。名盤本も、いったい何を基準に、どの人のCDがすぐれているのか、納得がいくように書かれているかというと、まだもの足りない。
 私が好きだったある噺も、名盤本にとりあげられているが、名盤本がすすめる噺家がなぜよいのか、私にはわからない。

補記:これも放置していた文章。具体的なデータはもとより、詳しい見解も省いてある。そこらへんは物惜しみしている。

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2006年5月10日 (水)

高島俊男の「お言葉ですが……」

 高島俊男の「お言葉ですが……」の最新巻が本屋にひっそりと並んでいた。毎回楽しみにしているので、すぐさま買って読んだ。なんと売れ行きが悪いので、週刊誌への連載はつづくものの、今回の第十巻で単行本は終わりらしい。
 惜しむ声はあるようだが、ここらで幕引きかとも感じる。
 目が悪くなって本が満足に読めなくなったと書いてある。塙保己一ではあるまいし、目がやられれば、学者としては終わりである。新しく情報をとりいれにくくては、第一線に立っていられない。
 高島俊男のすぐれていたのは、安易なネット検索でしか知識を得ようとしない社会の風潮に反して、一次資料を深く捜索して、それをしっかりと読解することで、確かな見解をうちだしていたことである。うわべだけのうすっぺらな理解ではなく、学問を修めた者だけがもつ、確固とした体系にもとづいて、情報を整理する姿に、人々は賛嘆した。
 しかし、簡単にネットで手に入る情報に気がつかないで、何かを論じることも増えてきた。「老中阿部正弘の死因」「朽木三助の手紙」で論じた内容を、猪瀬直樹が『ピカレスク』ですでに書いていることを文藝春秋の校閲部は知って伝えたようだが、人がすでに論じたことをあらためて書くのは、売文の業として、ほめられたことではない。
 山口瞳がコラムの要諦は三打数一安打と述べたことは有名だが、高島俊男の「お言葉ですが……」はその打率をきってきたと感じる。
 「筆者は三流、読者は一流」と高島は自身のコラムを評している。たしかに、多くの人の目にとまる内容であり、その指摘はありがたいことだろうが、最初から心待ちにしてはダメである。最初から、他人の意見をもらうつもりのゼミ発表・学会発表はろくなものがないのと同じで、自分が一番わかっているつもりで取り組まないと良いものは書けない。
 何巻だが忘れたが、そう古くない巻で、論じた内容が、使われている資料や論の運び方まで、ある研究者の紀要(論文)とそっくりだと、当の本人から文藝春秋に連絡がきたことがあった。できた人で、偶合であることを前提に指摘をしていたが、高島が「あとからひとこと」で認めているように、盗作だと非難されても仕方がない出来事である。ぼろぼろになる前に、そこらへんで終わりを考えてもよかったのではと思う。

補記:外国からのスパムコメントがひどいので、この記事のコメント受付を停止します。(2007.4.16)

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2006年5月 9日 (火)

くりかえしの文章

 山本夏彦の晩年の著述は、かつて述べた内容のくりかえしがほとんどである。山本夏彦のエッセイが好きでよく買っていたのだが、同じ本を買いはしないかといつもひやひやしていた。遺稿集となった『最後の波の音』(文春文庫、2006.03。単行本は2003.3)も、すでに読んだ本ではないか確認するのに、二三分かかった。
 芝居の知り合いだったJDNさんは、同じ話を何度もし続けるのでまわりの人間はへきえきしていた。私は、前にしたのと同じことをしゃべるのを嫌う。今思えば、JDNさんは自分がしゃべるという行為が楽しいのであって、聞いている人のことなどなんとも思っていなかったのだろう。
 世の中で、これぞ真実・真理といえるものは、数少なく、また短い内容である。そうそう文章にしていくつも発表できはしない。
 岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫、1992)はたいへんよい本だが、雑誌に書いたものを集めて本にしたせいか、内容に重複が多い。学術誌に掲載したのではないとしても、同じことをここまでくりかえして、よく原稿の二重売りと言われなかったなと思う。
 単行本から文庫本にする際に、単行本の読者のために、文庫本にあらたな付加価値をつけることはしない述べ、改稿や新稿の追加を行わなかった岩井克人だが、効率的だという点では、さすがに経済学者といえよう。

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2006年5月 8日 (月)

殿・様

masapfさんから「取り急ぎ用件まで」(2006.05.05)にトラックバックをいただいたので、それについて、急遽書くことにします。

masapfさんの2006.05.08の記事(http://masapf.exblog.jp/)には

自分の中では、上司や年上の方には”様”を使い、後輩や同僚には”殿”を使う、
という区別をしていたのですが、これまで、”○○ 肩書き+殿”みたいな使い方
をされているメールがとても多く、悩んでしまいますね。(きちんと調べれば良い
のですが。)

とありました。

これはおそらく、「長山健次郎課長殿」といったメールをもらったものの、「課長 長山健次郎殿」が正しいのではないか、とお考えになったのでしょう。

私の感覚ですが、「様」と「殿」では、「様」の方が敬意は上。会社関係など、組織間のやりとりでは、「殿」をとりあえず使って、親しくなると場合によっては「様」にするというものでした。
先の問題について、「長山健次郎課長殿」よりも「課長 長山健次郎殿」が正しいと感じていました。
「殿」を私信に書くことはほとんどありません。貰う場合ですが、あきらかに見下しての「殿」がわずかながらにあって、その他は親しい友人からです。どちらにせよ、腹は立ちません。

さて、実際はどうなのか確認するため、手っ取り早く、辞書を引いてみました。

『角川古語大辞典』「どの【殿】」に

姓名・称号・官職などに付けて、その人の尊称とするもの。手紙などのあて名の下に付けることを殿書(とのがき)という。(太字は引用者)

とあって、用例は、

「正清しのびこゑにたそととへば、佐殿{すけとの}聞きしり給ひ、頼朝爰に有りとこたへ給」〔金毘羅本平治・中〕
「祇王こそ入道殿よりいとま給はつて出たんなれ」〔平家・一・祇王〕

などが引いてありました。
 姓名・称号・官職につけられるので、私も不審に思っていた「姓名 肩書き+殿」は、原則正しいことになります。そういえば、「細川越中守様」とか「吉良上野介様」とかいいますもんね。

おもしろかったのは、『角川古語大辞典』「とのがき【殿書】」にあった用例。

まず言葉の説明を引いておくと、

手紙などのあて名の下に「殿」という敬称を付けること。また、その手紙。「様書」よりは敬意が低くなる。

で、これはよいとして、

「我あふ女郎へ遣す状の上がきの事、位の高下によらず、其身大身なりといふとも、なれぬ内は、をしなべて様書{さまがき}たるべし。月を重ね知音となり、度々の式日をつとむる程の人よりは、殿書{がき}たるべし。其中に、高名の太夫職へは、すこし延慮{ゑんりよ}もあるべきか。附物には、猶以殿書{がき}たるべし」〔色道大鏡・二〕

『色道大鏡』を簡単に説明すると、元禄初年まで(江戸時代ではまだ前の方)に書かれた遊里百科事典で、一種の手引き書。該当箇所の面白さがわからない人のために、無理して現代語訳を試みると次の通り。

自分がつきあう女郎へ遣わす手紙の表に書くあて名について、女郎の地位の高い低いに関係なく、たとえ自分が身分が高くて金持ちでも、仲が深くならない間は、すべて様書にすべきである。月日が経ってなじみの間柄になって、しばしばあるお祝いの日(物日のことだろう。五節句にある祝日や月に二度ほど決めてあった特別の日。遊興費が高く設定されるので来にくい)をこなせるほどの人となってから、殿書とすべきである。(とはいうものの)そのなかでも、名高い太夫職(最上級の女郎)へは、少しは遠慮した方がよいか。従者(附物はよくわからないがそう解釈しておく。贈り物のことかもしれない)へはなおさら殿書にすること。

こういう気のつかい方、今も昔も変わらないなぁという感じです。

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2006年5月 7日 (日)

鬼のように

 国文学者同士の会話では使われないが、芝居をしていたころは、ものごとの程度が甚だしいことを示すために、「鬼のように」という表現をよく使った。「今度の搬入は鬼のように大変だったよ」といった具合である。
 この「鬼のように」の語源について、おおむかし日芸でやった芝居に「鬼」というのがあって、それがものすごく大変だったから、「鬼のように」という形容が使われるようになったとは、知り合いの照明家Iさんの話だった。
 Iさんから聞いた話をもうひとつ。灯体のシューティング(向きや大きさをあわせる)が行われる際に、シーリング(天井のうち灯体が並べて設置できるところ)にいたある人にむかって、舞台にいた照明チーフが、「(灯体の)尻をふって(向きを変えてということ)」と言ったが、いっこうに変わる気配がない。逆光で目をこらしながらチーフがシーリングを覗いたところ、灯体をもった作業員が、自分の尻を振っていたそうである。

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2006年5月 6日 (土)

なになに的

 私の高校時代の現代国語の先生は、「~的」という言葉を使うなと、戒めていた。「的」とは中国語で「の」の意味でしかなく、入れるなというわけである。
 文章で「~的」といれると堅苦しくなって、もっともらしくなる。
 「相対的に判断する」は「あれこれ見比べて判断する」だし、「段階的になしとげていく」は「一歩一歩なしとげていく」か「順々になしとげていく」と書けばよい。ちょっと文章力のある生徒の文章に「~的」が多い。何を言っているのかわからなくなっている場合が多く、できるだけ使わないように私も指導している。
 私の文章にも「~的」はあって、排除できない。だが、自分の文章に「~的」が増えてくると、自分でもよくわかっていないのだと気づく。「~的」という言葉は、ひとつの指標となっている。

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2006年5月 5日 (金)

取り急ぎ用件まで

 手紙やメールの末尾はなかなか難しいもので、一時期は「取り急ぎ用件まで申し上げます」をよく使っていた。最近、使わなくなったのは、他人からのメールにそう書いてあって、あまりいい気がしなかったからである。
 「学兄」「貴兄」を相手に使う場合、一人称に「小生」を用いる場合は、相手が年下に限ることはよく知られている。「学兄」「貴兄」と呼ばれる手紙やメールをもらっても、まったく気にならない。だが、自分から年下の人にそれを使う気はさらさらない。じじむさいし、恥ずかしいからである。
 相手が「山田太郎」なら「山田様」でとどめて、下の名前を書かない尊敬の仕方は確かにある。だが、ちょっとした後輩ていどの関係で、「○○様」と名字だけが書かれたメールや手紙をもらうと、なんだか気まずい。もっと尊敬する対象があるだろう。
 気になるのは、差出人が「山田」とか、名字だけで署名している場合である。あるゼミの若い人たちから、名字のみの署名のメールを続けざまに貰い、最近は名字だけが尊敬なのと、気安い関係なこともあって、聞いたが、やっぱりこれはいやみである。言いたくなる自分に未熟さを感じる。

 私のブログは書きためてから、一日一記事ずつ載せています。これを書いた一週間ほどあとに、いろいろ事情があって、「取り急ぎ用件まで」も「貴兄」も「小生」も使ったメールを書くことがあって、さらには名字のみのメールも貰うことがありました。
 別に不愉快な体験ではなかったのですが、人生そんなもんです。

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2006年5月 4日 (木)

ルービック・キューブ

 先日、池袋の旭屋書店で本を物色していると、男子高校生三人がエレベーター前を、ルービックキューブを六面できる人はIQ120あるってさと、話ながら歩いていった。
 IQが知能指数と呼ばれて、知能の目安になることは知っている。120の数値がどのくらい価値があるのかしらないが、おそらく高いのだろう。
 しかし、知能とはさまざまな要素で構成されているのであり、IQというただひとつの数値が、知能を正確に測れるとは、まったく思えない。私がルービックキューブを完成できないこともあるが、できようができまいがたいして興味をひかない。
 ルービックキューブは、小学校二年生のときに買ってもらって、どういうわけだが知らないが、まだ持っている。綾瀬に住んでいたころ、いまの妻が遊びに来て、うちに転がっていたルービックキューブをみて、六面完成できるんだねと驚いた。
 驚いたのは私の方で、うちにルービックキューブがあるのは知っていたが、私の知っているのはバラバラの状態だったからである。
 一人暮らしの頃、剣道の同輩・後輩、研究室の同級生などが頻繁に遊びに来ていた。たいていは、飲んでいくところがなくなって、私の部屋ということになる。私は酒好きで飲み過ぎるので、うちに帰ってくるとひっくりかえっていることが多い。残された連中は、酒を飲んだり、置いてある本や漫画を読んだりして過ごしたのだろうが、そのうち誰かが私のルービックキューブを完成させたのだろう。
 もとに戻せないので、ルービックキューブは、六面のままとってある。

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2006年5月 3日 (水)

見た中で一番

 私とて最近は時間がないので、つまらない文章は途中で読むのをやめる。
 落語評で、「Aというネタで噺家Bの高座を見たが、私の見たAの中で最高なのは噺家Cの高座である」といったことが書いてあれば、もう少し読みすすんで終わりになる可能性が高い。
 落語も含めて、人間がする芝居はその日の出来不出来のばらつきがきわめて大きい。自分たちでやった芝居はもちろんのこと、劇場アルバイトで数多くの劇団が芝居を打つのを何日も観てきたが、良かった日と悪かった日の差は、とても同じ芝居とは思えないほどである。
 名人がする噺なら、毎回ストップウォッチで計ってくるいのないほど、同じものだからいいのだと思うかもしれない。だが、笑いの芝居は観客の反応に左右されやすい。アマキン、セコキンの前で話すのと、よくわかっている客の前で話すのとでは、全然違う。それに、究極的には、噺を聴いている自分の状態は、どんなときでも同一ではない。心に響く、ツボにはまるときもあれば、そうでもないときもある。
 立川談志が、落語がもっとも上手いのは春風亭柳好というときには、談志が柳好の高座を何度も聴いているという前提がまずある。そして、柳好が唄うようにリズミカルに話すという判断条件もかならず付け加わる。
 わけのわからない落語評にある「見た中で一番」話は、君らもまあいい高座を観たと思っているかもしれんが、オレはかつての名人の高座を聴いているのだよと自慢したいだけと感じる。
 ブログでたとえば「志ん朝の○○こそ一番」などと書いてあれば、「いや文楽こそ一番でした」。もし「文楽こそ一番」と書いてあれば、「私の聴いた中では、三代目の小さんですよ」などと書き込んでやりたくなる。
 自分の感性を絶対視している人の書くものなど、私は信じない。

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2006年5月 2日 (火)

キシリトールガム

 三年ほど前より、机に向かっているときには、ガムを噛むことが多くなった。ハーブティーは気持ちが落ち着くと以前書いたが、ミントのガムは気分が静まる。粒ガムは噛みごたえがないので選択肢からはずれ、板ガムのうち刺激の強いのがはずれ、甘すぎるのがはずれ、その結果、ロッテのキシリトールガム<クールハーブ>味を選ぶようになった。
 鞄の中にも忍ばせ、携行しているのだが、不満な点は一つ。まだ、甘い。嗜好品として、噛んでいるのより、眠気覚ましや気を紛らわすために噛んでいる。味よりも、噛む行為に意味がある。だから、甘くなくてよい。甘すぎると、歯ぐきが気持ち悪くなってくるのもよくない。噛み始めて五分ほどの味に、最初からなっていればいうことがない。

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2006年5月 1日 (月)

一年やって

 この「いわでもの記」を始めてほぼ一年がたった。一年やって、文章の質が落ちたと思う。誰一人点検してくれる人なく、ひとりで勝手にやっているうちに、フォームが崩れてしまうことは、野球のピッチングや剣道の素振りなどスポーツによくあることだが、このブログにもいえる。
 最近の内容はかなり散漫である。私の見解など、たいしたことがない。だいたい同じことを誰かが思いつく。
 書きたかったのは、「M店での思い出」や「T子ちゃんの思い出」など、私が消えてしまえば、すべて消えてしまう私の体験である。とはいえ、色気づいてきたのか、個人的な感傷を最近では書きたくない。
 目的は消失気味だが、なんとなくやっている。幕引きもそのうち必要だが、あと一年ぐらいはやる気が持つかと思っている。

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