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2006年4月 6日 (木)

人生で大事なものは

 どういうわけか、サッカー記事を書く人は、学校教育の場でのサッカーが嫌いらしい。自主性に乏しい選手が育つという主張ぐらいならまだよいが、前の代表監督だったトルシエと同様に、ずるをしようがかまわない、狡猾さが必要だという主張になると、堂々とそんなことを言うなよと思う。
 かなり昔のことになるが、明治44年に東京朝日新聞が22回にわたって、「野球害毒論」を掲載したことがある。早慶戦の過熱ぶりに警鐘を鳴らしたものであった。当時一高の校長だった新渡戸稲造の「野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。」は、割と知られているのではないだろうか。
 だが、大正に入って、大阪朝日新聞が「全国中等学校野球大会」(中等学校は今の高校に相当)を開催するようになる。そのときに、先に文句をつけた手前、いろいろと教育的な意義を朝日新聞が言い立てた。
 もっとも、朝日新聞だけを悪者にはできない。野球という遊技が、学校教育の中を生き延びて、いろいろと支援を得るためには、そういった建前が必要だったのである。
 ずるをしてもサッカーに勝てばいいのか。ブラジル、イタリア、スペインなど、サッカーの強国が世界にとって何様の位置をしめているのか。経済レベル、治安レベルで自慢できるほどの国なのか。
 サッカーの害毒を説いて、サッカーをこの世からたたき出してやる、という戯文を書こうと思って、とりあえず、野球害毒論の資料を集めていた。戯文と書いたのは、私もサッカーが好きだし、この害毒論への適切な反論もよく知っているからである。ただ、サッカーで勝つためには、他のあらゆることが奉仕せよといわんばかりの言説に、ちょっとばかり皮肉が言いたかったのである。
 ところが、資料を集めているうちに、駒大苫小牧の不祥事があって、それがきっかけとなって、気分が乗らなくなってしまった。
 人権を守るためには、差別関係のみられる笑いを徹底的に排除せよ、といった主張に私は反対している。これは、笑いに存在意義をみとめているわけだが、世の中には、人権のためなら、差別的表現を含む笑いなんてなくなったっていいじゃありませんか、という人も少なくない。私とて、どこかのサッカーライターと変わらないのかも知れないと悩むようになったことも影響している。
 最近は、いったい人生に、人間に、人類にとって本当に必要なものは何かと、柄にもなく少々悩んでいる。人類の発展を考えれば、経済や科学技術の発展こそ有意義なのだろうが、それ以外のものがどのくらい存在意義を客観的に認められるものか、私にはよくわからない。

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