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2006年4月30日 (日)

坂口安吾の将棋随筆 その二

 将棋関係者で安吾の『散る日本』に言及する人はまったくいない。坂口安吾の『勝負師』が、将棋界の人間にはふれて欲しくない将棋史の暗黒面を描いているからだろう。安吾の将棋随筆など、将棋界の人間はなかったことにして欲しいのである。
 『散る日本』(昭和22)では

将棋界ではヒロポンが全然知られていないらしい。疲労見るのも無慙だから、こんな時ヒロポンのむのが、ヒロポンの最大の使い場所というところで、私は二人に教えてやろうかと思ったが、塚田八段は虚弱な体質で、私がすすめたばかりにヒロポンで命をちぢめたなどとなってはネザメが悪いと思ったから、やめた。

となっているが、これがほぼ二年後の『勝負師』(昭和24)になると、

 当年四十五才(引用者注、数え)の木村は、夜になると、疲れがひどい。午前二時の丑ミツ時が木村の魔の時刻と云はれて、十二分の勝ち将棋を、ダラシなく悪手で自滅してしまふのである。(中略)かうなると、肉体力は勝負の大きな要素である。
 私は一年半ほど前に、木村にゼドリン(引用者注、覚醒剤の銘柄。当時はまだ市販されていた)を飲ませて、勝たせたことがあつたのである。例の名古屋に於ける木村升田三番勝負である。木村の疲れが痛々しいので、夕食後にゼドリンを服用させた。そして、木村はこの対局に勝った。

と、安吾は木村にゼドリンを飲ませている。そして、大山(康晴、のちの十五世名人)にも、ゼドリンを見せて説明している。

「この薬はね。もう薬屋では販売できなくなつたから、お医者さんから貰ひなさい。名人戦だの、挑戦者決定戦だのと、大切な対局だけに使ふ限り害もなく、まるでその為にあるやうな薬だから」
 と、私は大山に智恵をつけておいた。

その後、大山が覚醒剤を使ったかどうかは不明だが、今から見ると安吾はとんでもないことを勧めている。
木村に対して、

私は彼に寄りそつて、
「この前、名古屋でのんだ薬、のみますか」
と、きくと、彼は急にニヤリとして、
「えゝ、ありがと。実はね。ボク、お医者から、クスリをもらつてきたんです」
さう答へて会釈して行き過ぎたが、ふりむいて、又、ニコニコ笑ひ顔をした。
「たぶん、坂口さんのと、同じクスリぢやないかしら」
 云はれてみると、階段を登つて道場へ去る彼の足どりはシッカリしてゐた。又、私に笑ひかけた彼の目は澄んでをり、たしかに彼の顔には疲労が現れてゐなかつた。

とやりとりをしている。この勝負は木村が塚田を破って名人に復位することとなる。
覚醒剤取締法は昭和26年の施行で、それまでは覚醒剤を合法に使うことができた。だから、木村を批判するにはあたらないかもしれない。
 その後、木村は大山に敗れて、名人を失う。昭和27年のことである。木村が「よき後継者を得た」と答えたら、引退のコメントととられて、引退に追い込まれたらしい。木村は引退の時点でまだ満四十七才だから、今からみればまだまだ指せると思うが、覚醒剤に頼って戦っていたことを考えるともう引退である。
 筋肉増強剤を使った選手によって、ホームラン記録が塗り替えられた、大リーグのように、見せ物として、おもしろければ、あるいは勝負として迫力があれば、その当時の薬物禁止ルールに違反していないこともあり、特に問題はないのかもしれない。だが、将棋の頂点に立つ棋士が、覚醒剤を使いながら将棋を指していたことは、将棋界は絶対にふれて欲しくない史実に間違いない。
 『勝負師』は、木村義雄が執念のすえ、名人に復位する話である。実質なく木村名人が敗れた『散る日本』と傾向が異なるが、勝負にかける木村の姿を描いた『勝負師』は、それはそれで、できのよい随筆である。
 しかし、先の状況で、もったいなくも、安吾の将棋随筆は、将棋界から黙殺されている。

補記:『勝負師』の引用は『坂口安吾全集』(筑摩書房、1998-2000)による。だから旧かな。
ゼドリンやヒロポンなどについて知りたい人は、ウィキペディアで「覚醒剤」を検索にかけてください。

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2006年4月29日 (土)

坂口安吾の将棋随筆 その一

 将棋小説・将棋随筆を読むのに凝っていた時期がある。囲碁には川端康成の『名人』という傑作小説がある。それに拮抗するほどの傑作小説、傑作随筆が将棋にはないのか、探し回り、ついに坂口安吾『散る日本』にたどりついた。
 坂口安吾の『散る日本』は、将棋界に長年君臨し、絶対的な地位を保っていた木村義雄名人が、塚田正夫八段に敗れて名人位を失う、その一戦を描いた随筆である。
 坂口安吾には木村義雄の名人復位に取材した『勝負師』など将棋随筆がいくつかある。私が読んだのはもう五六年まえのため、木村名人の失冠と復位までを描いたのが、『散る日本』だと思っていた。
 ここにきて読み返すと、以前とはだいぶん印象が違う。まず、文章がずいぶん荒い。ちゃんと字引をつかって、推敲しながら書いたのではない。ゼドリン(覚醒剤)を飲みながら書いた、やっつけ仕事だとすぐわかる。坂口安吾は、囲碁はかなりの打ち手である。しかし、将棋はさほど詳しくない。だから、将棋の観戦記として、成り立っているかもあやしい。
 『散る日本』は次のように結ばれる。

 亡ぶべきものが亡びる時代だ。形式が亡び、実質のみが、その実質の故に正しく評価されるために。新しい、まことの日本が生まれるために。
 実質だけが全部なのだ。

けっきょく、安吾の中で、戦後の日本に対するこの実感が先にあって、それと合致する例、それこそ「散る日本」を探し求めて将棋にいきついただけなのである。形を変えた『堕落論』が、『散る日本』である。

 かといって、『散る日本』がダメかというと、そうではない。かつて、うちによく飲みに来ていた悪友Nと、梶井基次郎『桜の樹の下には』と坂口安吾『桜の森の満開の下』を、ある夜私の家で、読み比べたことがある。よっぱらった頭で安吾全然ダメだね、散漫だ、とお互い最初は安吾をけなしていたのだが、「それは桜の森でした。」という一行をきっかけに、安吾なかなかいいじゃないかと評価が転じていった。
 『散る日本』には、

名人タバコをすてて、大アクビ、左手をうしろに突いて、ぐったりもたれてしまう。

とか、

名人の姿態がぐらりとゆれて右に傾いた。骨のない軟骨だけのからだのようにグニャグニャとゆれて、
「それまで」
 グニャグニャのまま、コマをつかんでパラリと落した。

といった木村名人の苦悶の姿が執拗なまでに描かれる。読むのも息苦しいが、

転落の王者が、運命の悪魔との争い、勝つべくもないムダな争い、凄惨見るに堪えざるものであった。私は近親の臨終を見るよりも苦しかったのだ。

という安吾の実感を反映しているので当然である。
 将棋観戦記は、手の説明と棋士の描写という、相反するものを天秤にかけながら書かれている。棋理の追究をあえて措き、棋士の描写を徹底した、『散る日本』は、ありきたりの将棋観戦記ではない、まぎれもない安吾印の傑作である。

補記:『散る日本』の引用は『定本坂口安吾全集』(冬樹社、1967-1971)による。だから新かな。『坂口安吾全集』(筑摩書房、1998-2000)の収録巻は、将棋連盟の騒動のせいか、貸し出し中で読めず。
 この話、明日も続きます。将棋史の暗黒面へ話が行きます。

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2006年4月28日 (金)

将棋界の構造

 もし、学会のなかで、トップの実力をもつ研究者二十人ほどが、交代しながら、新聞に文章を連日載せる代わりに、学会に所属する他の研究者は、研究に専念して、年に何回か(ほとんど誰も読まない)紀要に発表するだけでよい、教育業に従事しなくてよいとなると、どう思うか。
 将棋界はこれであって、棋戦で一握りのトッププロの棋譜が新聞に掲載されるかわりに、他のプロは普及などややこしいことを考えずに、将棋に専念できる。ぎりぎりの生活費でよければ、月に三、四回の将棋を指して、だれが読むかわからない棋譜を残すだけでよい。
 今回の、名人戦移籍騒動の原因となった連盟の赤字に関連して、棋士ももっと普及につとめろという意見が大型掲示板には少なからず見られた。
 とはいえ、真理を追究するという立場からすれば、将棋界の構造はまったくうらやましいもので、国文学界でもそうならないかと思うだけである。
 国文学のプロの研究者というのは、大学の職につき、授業を学生に教えながら、その片手間に研究をやっている。教育の仕事が免除されれば、さぞかし学問は進展するだろう。
 将棋界が、ここまで普及を棋士の仕事とさせずに、食わせていられたのは、棋理の追求を第一とする立場からすれば、立派なものだといえよう。すぐれた新手はトッププロだけが生むわけではない。むしろ、名もない棋譜(研究)の下積みから、わずかな花がひらくことが多い。これは学問の世界と似ている。下支えの研究が数々あって、その上にトップの研究がある。
 某棋士は、まったく普及活動をしない。NHKの感想戦でもぼそぼそしゃべってファンサービスを全然考えていないという批判は大型掲示板でありがちなものである。しかし、給金体系が将棋に勝つことだけに依存している以上、イヤなやつと言われる棋士ほど勝つことに執着し、普及やファンサービスにそっぽを向いて当然なのである。今の将棋界の体系では、勝つことにしか、棋士の存在価値はないのだから。
 今の将棋界は、真理を追究する者からみると、一つの楽園である。この楽園がいつまで続くものか、現在その状況を見守っている。

補記:明日明後日と、坂口安吾の将棋随筆について載せます。将棋特集はそれが最後です。

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2006年4月27日 (木)

米長邦雄・内藤國雄『勝負師』 

 敵を知り己を知らば、というわけでもないが、渦中の米長邦雄現日本将棋連盟会長と関西将棋界の重鎮内藤國雄の対談集『勝負師』(朝日新書、2004.8)を読んでみる。内容は将棋関連の本のなかでは中の上ぐらい。
 勝負師というより学究肌の内藤國雄が、桂米朝のような上方文化の上品なところを代表してする、深みのある話がまずいろいろと考えさせる。その内藤の話をズブトクてちょっと下品な米長邦雄が横にずらしていくところがおもしろい。
 最近の米長邦雄は、怪文書まがいの文章を自分のホームページに掲載するなど、行動がおかしくなって、いよいよ梅毒でも脳にまわったかと思えるほどだが、本書はずいぶんまともである。
 それとも、現在の会長という地位が重荷になって、変なペルソナを演じているのだろうか。

 小見出し「名人位へのこだわり」で、米長邦雄は、

 晩年、癌でもって余命いくばくもない大山先生とお会いしたときに、先生は弱々しい手でぼくの手を握ってね、「米長さん、名人戦を頼む」と言われたんです。
 大山康晴が、俺にこんなことを頼むのか、と信じられない気持ちでね。でも、こんなふうに「お願い」されたら、その願いは守るしかない。(125・126頁)

と述べている。守ろうという意気込みはよいが、守り方を間違えている。大山康晴十五世名人の手の感触でも、思い出して欲しい。

 意外ながら、冷静に考えれば、もっともなのは、内藤國雄の名人位軽視で、米長の話に対して、

 その話(引用者注、米長大山の話のこと)にぼくは大きな感動を覚えるのと同時に「ぼくが名人になれなかったのもやむをえないなあ」とも思うんです。
 大山・升田両巨匠は、名人戦にものすごいこだわりを持っていた。主催紙を朝日にするか、毎日にするかで両巨匠のあいだには大きな対立があったんです。
 実は、ぼくは脇で聞いていて、言葉は悪いが「なんでこんなことにこだわるのか」という気がした。名人戦だってビッグタイトルの一つにすぎないじゃないか、と。(126頁)

と答えている。

もう一つ、注目しておきたいのは、内藤の次の発言。

 (師匠の藤内先生の言葉の影響もあって)だからいくら棋士の名前が新聞に出ても、どうも「スター」という意識がないんです。将棋ファンと接して生活する、というのが本来の棋士の姿であるという意識が強い。
 それなのに、いまは、空いた時間にみんな研究将棋をやっている。しかしこのままじゃ見通しが暗い。ファンは減るばかりだ、と思うんです。(中略)将棋を楽しんでもらうためには、ルールを覚えてもらって、その楽しさをわかってもらわないといかんわけです。
 ぼくは、将来的には、棋界はトーナメントプロを減らしてもよい、その代わりにレッスンプロを増やすべきではないか、という考えを持っています。(中略)
 だから、トーナメントプロはいまの三分の一でもよろしい。それよりも、一般の人に楽しんでもらうための普及が大切なんじゃないかと。(198・199頁)

将棋界の改革案で、大型掲示板にあったものに、囲碁のようにプロを初段からにして、間口を広げる代わりに、勝ち上がらないとお金がほとんど手に入らないようにすべきというものがあった。
 内藤國雄の提案がどこかで受け入れられる日がくるのだろうか。

補記:昨日で名人戦第二局終了。森内名人連勝。谷川九段がゴキゲン中飛車を採用し、△5五歩を選ぶことを森内名人は読み切っていた観がある。明日は将棋界の構造について書きます。

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2006年4月26日 (水)

棋士とおやつ

 毎日インタラクティブが行っている、名人戦、ときには順位戦の中継では、対局者の摂る食事やおやつが、写真付きで詳細に報告される。名人戦が有料中継になったころ、応援掲示板で、「おやつなんてどうでもいいから、将棋の内容についてもっと詳しく説明してください」という投稿があったが、おやつの内容を知りたいという圧倒的な他の投稿にかき消されてしまった。
 棋理を追求するだけの将棋ファンにとっては、対局者のおやつなどどうでもいいだろう。しかし、将棋は人間がするのである。サバランの『美味礼賛』の巻頭言をもちだすまでもなく、食は人を教えてくれる。棋士の人柄、体調、精神状態を少しでも知りたいという気持ちがあれば、食事やおやつに関心がむくのは当然である。
 割合は少ないが、着物に関心が持たれるのも自然である。棋士の食事や服装に関心をもつ人を、米長邦雄は『勝負師』(朝日選書、2004.8)の中で、棋士のファンと呼んでいる。
 ゲームとしての将棋はプロ棋士がいようがいまいが指せるのであり、棋士のファンがいなくなることが、将棋界の危機であろう。

補足:今日で名人戦は二日目。これからしばらく将棋特集がつづきます。『勝負師』については、明日なかみを紹介します。

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2006年4月25日 (火)

形勢判断

 将棋では形勢判断が重要である。いま勝っているのか負けているのか。この局面をどうすすめれば、有利な形勢になるのか。
 プロ同士、展開を頭の中で想像するのは、だれでもできるのだろうが、その局面が有利であるのか、その判断が強い棋士と弱い棋士をわける。
 コンピューターの将棋ソフトは形勢判断がデジタルで、終局後にどの時点で形勢が悪くなったのか教えてくれるので勉強になる。とはいえ、コンピューターの形勢判断も絶対ではなく、トッププロの棋譜を入力しても正しく判断できない場合が多い。良い状態のようで実は負けていたり、負けているようで優勢だったりする。
 人生のいろいろな局面で形勢判断が必要とされる。たいていは対人関係である。その代表は恋愛だろう。相手が好いてくれているのかいないのか。むこうが好かれたいのかそうではないのか。この形勢判断にハラハラしながら青春を送ったことのない人は、つまらない人生を送っている。
 中原誠永世十段は、形勢判断が他人といちじるしく異なり、負けていると観戦者がみな思っていても、まだやれると考えている場合が多かったそうである。
 過度に悲観するより、悠然とまだやれると思う方が、形勢判断にはいいのかもしれない。

補記:名人戦移籍問題で現在揉めているところであり、私は毎日新聞に掲載して欲しいと思っているので、連盟副会長中原誠の名前を出しにくいところです。今回は、恋愛の形勢判断にまつわる内容なのですが、そうなると、さらに突入の中原の名前は出しにくい。でも、将棋のたとえとしては、悪くないと考えて、名前を出しました。

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2006年4月23日 (日)

長崎歴史文化博物館

 昨年十一月に、長崎歴史文化博物館に行った。建物のある立山の地はもともと長崎の奉行所があったところで、奉行所がなくなったあとは、知事公舎と県立美術館が建っていた。県立美術館の老朽化にともない、その地が再開発されて、黒川紀章の設計による、奉行所の復元を含んだ博物館ができた。
http://www.nmhc.jp/index.html
 前の県立美術館への愛惜は以前記事に書いた。新しくできた博物館を見てきたが、それはそれでよかったと思った。その割り切りのよさは、私もやはり長崎人ということなのかもしれない。
 よいところを先に述べると、奉行所が持っていた文書など貴重な資料が目につくところに置かれているのはかなりよい。今までは死蔵されていた資料を公開する場ができたわけでどんどん活用して欲しい。
 私にとって、これはいかがなものかと評価に悩むのは、長崎奉行の一年を描いた「長崎奉行所立体劇場」と、当時の御白洲を再現した寸劇である。
 私は史学が専門でないので、ひょっとしたら間違っているかもしれないが、「長崎奉行所立体劇場」で風間杜夫演じる遠山左衛門尉景晋がわずか一人の供を連れて赴任するのは、おかしい。長崎奉行とはかなりの役得があった人気職なのである。サンピン侍がなれるものではない。たくさんの供揃えがあったと思うのだがどうか。
 再現された御白洲は、それこそ時代劇である。江戸時代の裁判を説明した本で、手に入りやすいのは、山本博文『江戸時代を<探検>する』(新潮文庫、2005.2。初出は1995.12)である。「大岡越前の裁判 ー資料とテレビ・ドラマの間」が、裁判の実態をわかりやすく説明している。
 江戸町奉行と長崎奉行では、違いがあるのかもしれないが、演じられていた寸劇は、どうも時代劇としか言いようがないものだった。
 もっとも、見ていたおばちゃんたちは大喜びで、そういうのを見ていると、いまさら史実にできるだけそうように再現するのもよけいなことかもしれない。
 教養課程の頃、尊敬していた日本史の先生に、発見されたばかりの吉野ヶ里に行ったが単なるあなぼこだった話をしたところ、それがいいんですよと言われた。何事も至れり尽くせりでなければ、歴史を実感できないのは、想像力以前に探求心の貧困である。

補足:昨秋に書いたものの、満足している人がいるならいいかと、放置していました。ここにきて、なんとなく腹が立ってきて、改稿して載せることにしました。

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2006年4月22日 (土)

学者の足払い

 阿刀田高『コーランを知っていますか』(新潮文庫、2006.1。初出は2003.8)は単行本のときから興味があったので、新潮文庫に入ったさいには、迷わず買った。阿刀田高の「~を知っていますか」のシリーズは『ギリシャ神話を知っていますか』をはじめ、いくつか読んでいて、大変おもしろかったからである。
 解説を新進気鋭のイスラム研究者池内恵が書いているので、それから読んだ。充実した解説だったが、最後にいたって、阿刀田高の本文を読む気力をくじく毒が含まれていた。
 私はよく知らなかったが、コーランとは批判が許されない聖典なのである。よって、池内恵は末尾あたりに、次のように書いている。

 阿刀田流の取り組み方は、非常にオトナである。納得がいかない部分についてまず、コーランの内側の論理や、イスラム教徒の側からのよくある解釈を示す。それをまず最大限理解しようとする。そのうえで、ぼそっと疑問をつぶやいてみる。
   「それにしてもかしづくのは乙女ばっかりで……」
   「ーー都合がよすぎるんじゃない?ーー」
   「ーーそりゃあんまりなーー」
   「ーーそれでいいのかなあーー」
   「ーー関係ないんじゃないのーーと考えたくなるけれど、」
   「あと追いの理屈のような気がして、少し釈然としないところもあるけれど」
 これらはいずれもそういった絶妙なつぶやきである。もちろんこういったイスラム教徒のカンに触りそうな記述をしてしまった後には、急いで「不敬かもしれないが」「……と思ったが、これは素人のあさはかさ」といった言葉を付すのを忘れない。場合によっては、
   「さすがマホメット。いや、ちがった。さすがアラーの慧眼」
   見通しのよさとして感服するべきだろう。
 とまで絶賛してバランスを取ってみたりする。聖典批判の許されていない世界と向き合う際に、踏んでしまいかねない危険な地点を嗅ぎ取るツボを、しっかりと心得ている。

 これは皮肉と解釈してよいのだろう。実際に、本文を読み始めたのだが、どれもイスラム教徒からの批判をおそれて、迂遠な表現をしているのではないかと、疑心暗鬼にとりつかれてしまった。結局、『コーランを知っていますか』は百頁あたりで、挫折してしまった。
 その後、デンマークの新聞がマホメットを題材に漫画を書いて、大騒動となる事件があったので、阿刀田の配慮もちゃんと理由があってのことだとは、理解できたが、なんとなく釈然としない。
 池内恵は解説で次のように述べている。

 本来なら専門研究者がこういう入門書を書いておくべきだったのに、まったく門外漢の流行作家に先を越されてしまったという、悔しさも感じている。正直に言ってしまえば、私自身がいつかこういう本を書いてみたかった。

池内恵は、いつか入門書を書くべきだろう。阿刀田高の『コーランを知っていますか』と比べて、やっぱり専門の学者だと思えるようなものを書いて欲しい。その日を私は楽しみにしている。

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2006年4月21日 (金)

決闘文学史観

 決闘文学史観と私が呼ぶものがある。曲亭馬琴と山東京伝とは、読本で覇を競い、ついに馬琴が勝利するに至った、といったように、文学史にライバル関係を見いだし、その競争によって文学が進展していったとみるのが、決闘文学史観である。江島其磧と八文字屋との抗争などは、決闘文学史観にきわめて合致する事態である。
 戦前の文学研究者には決闘文学史観を持つ人がわりあい多い。重友毅や山崎麓の書いたものをみると露骨にそうである。文学史において、角逐が行われ、一方が凱歌を上げるに至ったというのは、劇的で、それ自体がひとつの小説である。
 馬琴と京伝が読本の執筆で競争したとか、馬琴と式亭三馬が反目し合い、読本では勝負にならない三馬が滑稽本に活路を見いだしたといった、ライバル関係ですべてをとらえるのは、見てきたような話のたぐいだと思う。

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2006年4月20日 (木)

物語の過多

 新刊書店をめぐりめぐって驚くのは、世の中にはかくも多くの本が次から次へと出版されていることである。小説も硬いものから柔らかいものまで、さまざまなジャンルの本が棚に並んでいる。
 新刊本が大量に刊行されるカラクリについては、山本夏彦がくりかえし紹介している(『最後の波の音』「本が出すぎる」など)。
 出さないとつぶれるから出しているのなら、需要以上の、供給過多である。だが、採算にあわなければ、その分野の本は出なくなる。それなりに採算がとれているから、どんどん売りに出されているはずである。世の中の人がかくも作られた物語を求めていることには少々驚く。
 人文系の大学院を出ておきながら、現代小説をめったに読まないことは以前書いた。あまり読まないわけで、皆無ではないのだが、人はどういったときに、作られた物語を求めるのか、私にはよくわからない。
 映画やテレビと同様に単なる娯楽という見方もできるが、私の場合は、印刷されたもの(版本にも関心があるので活字とは書かないでおく)は他のメディアに比べて、別格である。
 橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』(ちくま文庫、2006.1)の世話物の解説に「人間はあまり自分のドラマを持たない」という言葉が出てきて、それが影響しているのかと最近では考えている。

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2006年4月18日 (火)

大人のための絵本

 大人のための絵本という分野が生まれつつあるようだが、好きではない。絵本を大人向け、子ども向けと分けるのが嫌いなのである。児童文学でも傑作なら、大人も十分に堪能できる。絵入り小説の可能性を開くために、大人向けの絵本に取り組むというのならまだましだが、書かれている内容が癒しだのに関わってくると、もう私には別の世界である。絵と文を組み合わせて、すばらしい内容を表現することは、マンガがすでにやっている。動きの表現が劣る点で、絵本はマンガよりも草双紙に近い。絵本で何か新しいことをしつつ、マンガにならず、かつおもしろいというのは難しい。

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2006年4月16日 (日)

鉄道マニア

 ひと月ほど前、寄居から蒸気機関車パレオエクスプレスに乗って、秩父の三峰口まで往復してきた。妻と娘(当時十ヶ月)も行くはずだったが、娘が発熱したので、息子(当時二歳十ヶ月)の息子と二人で行ってきた。息子と父親二人旅は、わけあり親子とでも思われたのか、行く先々で親切にしてもらえて、助かった。
 珍しい蒸気機関車のことなので、鉄道マニアもそれなりに乗っていた。鉄道マニアでもカメラを手にしているかそうではないかで、かなりの違いがあるようだ。
 カメラを手にしている鉄道マニアにはせかせかした雰囲気がある。私自身、カメラが趣味なのでよくわかるが、カメラ好きの人は偏屈でしかも撮影のためなら社会的なルールを守らないことが多い。
 カメラを持たない、すくなくとも振りかざさない鉄道マニアは、年上の人が多いようだ。旅を楽しむことに重きを置いていて、周囲がよく見えている感じがする。
 今回の旅では、カメラを持たない鉄道マニアの中年男性と話をする機会があり、さらにカメラを持たない鉄道マニアの還暦ほどの男性と相席したのだが、どちらも親切で、子どもにもやさしく、大いに助かった。
 それにしても、鉄道オタクや軍事オタクには独特の雰囲気がある。私も何か専門分野を持つ人間なので、ひょっとしたらそれがあるのかもしれないが、自分ではよくわからない。

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2006年4月15日 (土)

将棋の未来

 将棋の名人戦について、日本将棋連盟は毎日新聞との契約を打ち切り、朝日新聞へ乗り換える予定のようだ。理由は、契約金の多寡による。毎日よりも、朝日が多額のお金を出すので、長年の関係を断ち切ることに決めたらしい。

 前に述べたように、私は新聞を取らない。そのため、新聞の主催する棋戦が収入源という、今の将棋連盟の経営手法には、以前も以後も貢献しない。とはいえ、毎日の有料番組の「名人戦速報」には入っており、また実家が私が幼少時より毎日新聞だったため、毎日でなくなってしまうことには、かなり感傷的である。

 連盟が赤字のため、収入増を計る必要があるわけだが、通常なら支出を抑える方向に行く。棋士全体の給金を減額し、年寄りの棋士を引退させ、職員の数も減らすのが、普通の企業の態度であろう。

 だが、将棋連盟は社団法人であって、通常の会社ではない。ひどい見方をすれば、棋士が職業となる過程で、将棋の普及を名目に作られた親睦団体である。だから、既得権益が非常に保護される。とにかく改革のしにくい団体である。極端な話、今いる棋士の人数整理よりも、もはや一人のプロ棋士も増やさないという選択が起こり得る。棋士を職業にできるよう、日本将棋連盟は長年の努力をしてきたのである。若手は先人の開いた道を歩いているにすぎない。思いしれと。

 私が将棋連盟の職員なら、朝日への乗り換えは有力な選択肢と考える。現在の将棋連盟の体制・体系を変えないまま増収がはかれるなら万々歳である。とりあえずは、痛みを知らずに済む。

 最悪の可能性は、毎日が棋戦および棋書の出版から撤退し、朝日へは裁判を起こし、空白の一年が繰り返されることである。しかし、その可能性は低いだろう。毎日は将棋記者を育成してきた。単に棋戦をやめれば、その者たちも行き場を失う。名人戦が奪われたら、新たな棋戦を創設するか、他の新聞から棋戦を譲り受ける(スポニチと共催している王将戦を単独開催の可能性が大)だろう。将棋へ愛がある毎日だからこそ、腹いせに一社だけ棋戦から撤退するとは考えにくい。もっとも、裁判だけは起こすだろうが。

 そしてダメならダメで、そこで将棋連盟の改革に乗り出せばよい。増収の手段がないと全棋士が思いしれば、減棒を含めた改革を進めやすい。むしろ、これが若手理事らの狙いなのではと勘ぐっている。

 長い目で見れば、新聞棋戦を主な収入源とする経営体制は、大幅な支出減を行わない限り、いずれ破綻すると思われる。新聞棋戦は全体から見てほんのわずかな対局を細切れにして載せることしかできない。もはや、将棋ファンに訴えかける内容を持っていない。

 日本の社会は、百年かけて明治に戻るのだと、私は考えている。百年後も将棋はなくならないだろう。しかし、百年後も将棋がいまほど普及しているか、今ほどの数のプロ棋士がいるかはかなり怪しい。将棋もいずれ関根・阪田の時代に戻る。そしてこの問題は、新聞同士を競争させ、契約金をつりあげるだけでは、解決しない。

 将棋の分水嶺は、将棋の名人がコンピューターに勝てなくなるときだろう。名人戦のネット中継を眺めつつ、同時にコンピューターを走らせ、おやおや名人悪手を指しましたねと言われるようになっては、将棋が訴えかけるものは少ない。この恐ろしい可能性について論じたのは、保坂和志『羽生 21世紀の将棋』(朝日出版社、1997.5)だったか。

 そのとき、ただ強いだけのコンピューター将棋にはない、人間同士が生み出す将棋の魅力が、将棋愛好者にとって残る宝物である。それを不義理・不人情な行為で損ねていることからすれば、今回の将棋連盟のとった行為は悪手かもしれない。将棋は、指した手が悪手になる可能性が高いゲームであるとは、どの棋士が言ったか忘れた(羽生だったか)が含蓄の深い言葉といえよう。

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2006年4月14日 (金)

困難は人を

 テレビや舞台のスタッフは、過酷な現場を切り抜けてきたことに誇りを持っている。さまざまな困難が一流のスタッフを鍛え上げるのは間違いない。
 だが、困難は人を作らないと思う。時間・金・人材の余裕がある現場でこそ、有益なことが学べ、また優れた作品ができる。かつかつの状況でよい仕事ができたのはすばらしいが、余裕があればもっとよい仕事が出来る。
 小劇場芝居にかかわっていたときは、いろんなものが不足した状況で仕事をこなし、しかもそれが将来の蓄積になると思っていた。だが、もっと資本のあるところ、しっかりした人員のいるところで、仕事をした方が多く学べたはずである。
 さいきん、富野由悠季『だから僕は…―ガンダムへの道』(角川スニーカー文庫、2002.11)を読んだ。アニメ制作にかかわって、どのような道を歩んできたかが記されている。過酷な現場で結果を出してきたことからすれば富野は一流の制作者だが、それでも余裕があればもっともっとよい仕事ができたはずである。この人の仕事はほとんどがやっつけ仕事としてなされた。困難は人を作らないとあらためて感じる。

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2006年4月13日 (木)

蒲柳の質

 私の悪い癖に、文章に難しい言葉や漢字をつかいたがることがある。先生からは、できるだけわかりやすい表現をするように指導されてきた。「にて」でなく「で」を使うように言われたこともある。にもかかわらず、難解な表現をしたがるのは、自分の文章に自信がないことのあらわれだろうか。
 私のブログのコメントに、もっと歳を召した人かと思ったとあった気がするが、文章も若々しいにこしたことはない。高島俊男や山本夏彦の文章を読んだときに、筆者は四十代かと思った。高島俊男はやまとことばはひらがなで書くと決めており、山本夏彦は耳で聞いてわからない言葉は使わないとしていた。
 最近になって、珍しいことに、難しい表現を使うことが適していた場面があった。知り合いの女性Aさんの子どもがゆえあって、入院することになった。それについて「Aも蒲柳の質でしょうから、体調にはお気をつけください」と書いた。
 Aさんは、英米科を出た才媛だが、たまたま「蒲柳の質」という表現を知らず、わざわざ辞書をひいたらしい。
 「蒲柳」を『広辞苑』第五版でひくと、

①カワヤナギの異称。
②[晋書顧悦之伝「松柏之姿、経霜猶茂、蒲柳常質、望秋先零」]体質の弱いこと。「―の質」

とある。
 馬鹿正直に、「Aも体が弱いから」とか「虚弱体質だから」と書いては、相手の機嫌を損ねたはずである。

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2006年4月12日 (水)

新聞宅配制度

 永田寿康衆議院議員のお詫び広告が載るので、この前代未聞の珍事を確認したく、去る三月十五日はコンビニまで行き産経新聞を買った。広告はさておき、新聞の特殊指定見直しに、新聞が反対しているのが目にとまった。
 新聞の販売拡張員がとても嫌いなので、私は新聞を定期購読していない。新聞など、ないならないで困りはしない。時間が余っている人ならともかく、私は時間がかつかつなので、ときおり新聞を買うと、読むのがもどかしい。
 山本夏彦『最後の波の音』(新潮文庫、2006.3)の「老人語」(「諸君!」平成12・5初出)をこう締めくくっている。

新聞には前途がない。宅配するからとっているだけである。三千何百円は金じゃない。宅配を死守するのはこんなわけで、読者のためでなく自分のためである。その宅配が近くできなくなる、そのとき新聞は誰も読んでないことに気がつく、倒産した大会社の社員がつぶれる日まで知らないで、寝耳に水だと狼狽していると新聞は常に書くが、今度は自分が言う番である。

 三月十五日付の産経新聞二十八面では、

日本新聞協会が昨年六月に行った調査では、宅配制度について、「ぜひ続けてほしい」と答えた人が72.6%、「できれば続けてほしい」と答えた人が14.2%で、宅配制度に対する国民の支持は圧倒的といってよい。

と宅配制度が支持されているとする。何%が無回答かは書いていないが、裏を返せば、13%の人は、宅配便制度がなければ惰性で新聞を読むのをやめると言っている。「できれば続けてほしい」は、なくなったらそれでかまわないのだから、潜在的に、三割の人は新聞がいらない。
 実際に宅配制度がなくなった場合に、反対していたけれど、なくても平気だったということも十分ありうる。こういった事前アンケートが現実の結果に必ずしも則さないことは、統計学では常識なのに、新聞がそれをふりかざしているのは欺瞞である。
 新聞が活字文化をささえてきた、新聞が日本人の教養を高めているという自負はあるのだろうが、それは傲慢である。もっとためになる本は世の中にいっぱいある。ニュースなら共同通信社配信だけで、困らない。今の新聞について、少なくとも、嘘を書くのをやめたらと思う。

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2006年4月11日 (火)

鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』

 鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』(洋泉社、新書y、2006.2)は、本能寺の変に明智光秀をあやつる黒幕がいたという謀略説を徹底して論破した本である。
 この本が教えてくれるのは、歴史を検証するためには一次資料にあたらねばならないこと。さらに、正しい知識を用いて、一字一句正確な語釈をしていなければならず、一次資料を恣意的に解釈するのは決して許されないことである。これは国文学にも通じる。
 教養課程のころは史学に興味があって、そちらの本ばかり読んでいた。しかし、どうも史学には才能がないとあきらめて、好きな文学を専門に選んだ(もっとも国文学にも適性はなかった)。その点で、史学への畏敬の念があるのだが、玉石混淆は国文学とは比べものにならないほど甚だしいようだ。デタラメを書く人々がアカデミズムのポストについていて、本書の執筆者鈴木眞哉・藤本正行が、いわゆるアマチュア(教職に就いていないとアマチュアとするのは日本の悪い慣習)であるのには、一書生として励まされる。
 作家が狂言綺語を弄するのはあたりまえなので、作家は何を言ってもいいのかも知れないが、自分たちこそ真実を描いているという作家がなかにはいるのは、かなりどうかしている。
 また、『その時歴史は動いた』のようなでたらめな番組を作り、虚説をかついで、全国津々浦々に垂れ流しているNHKも許しがたい。もっと深く私の専門にかかわることで、このようないいかげんなことがあったら、受信料を払わなくなるかもしれない。
 

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2006年4月10日 (月)

書皮

 塩野七生が「ローマ人の物語」の文庫版で、表紙にカバーをかけずに持ち歩いてくれと、お願いしている。そのせいかは知らないが、実際、池袋のそば屋で通人めいた中年男性が、もとの表紙のままで文庫版「ローマ人の物語」を読むのを見たことがある。
 かつて友人の家でマンガを読んで、ページを開いたまま下に置くと、本が傷むと怒られた。そのくらい本を大事にしない私でも、文庫本・新書をもって出るときはたいていカバーをかける。私が「ローマ人の物語」を文庫本で読んでいたころも、カバーをかけていた。
 カバーは紙が一番である。皮は手触りはいいかもしれないが、頁が開きにくい。紙のカバーを愛用するのは、なにか思いついたときに、メモをカバーにかけるからである。電車で胸ポケットに油性ペンをさし、気になることや意見があったら、カバーに書き込んでしまう。
 書き込まれたカバーは、余白があればまた別の本にも使われる。先日、変な書き込みをしたカバーをつけた本を、そのまま人に貸そうとして、あわててそれをはずして渡した。

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2006年4月 9日 (日)

受け口

 フィギュアスケートの荒川静香選手はもともと受け口だが、本人は気にして、テレビの前などでは、わざと下あごをひっこめているように見受けられる。
 受け口をグーグル検索にかけると、矯正歯科のページがあたる。反対咬合とか下顎前突とかいって病気扱いである。見た目の問題だけでなく。うまく噛めない、発音が汚くなるなどの不利があるらしい。志村けんのアイーンも、実際のところ、受け口をからかっているのだろう。現代では受け口は不遇である。
 江戸時代では受け口は非難の対象ではなかった。どちらかといえば色っぽいとうけとられていた。五代目瀬川菊之丞は受け口が有名で、歌川国貞画「八犬伝犬のさうし」の五代目瀬川菊之丞「毒婦船虫」や「尼妙椿」などは、妖艶である。たしか、川柳では受け口の女は淫蕩なのが定型だった気がする。
 いつぐらいから、受け口が悪者になってしまったのか。中勘助『銀の匙』(明治45)に「すこしうけ口な愛くるしい脣」とあるので、まだ大丈夫らしい。芥川龍之介『芋粥』(大正5)に「彼が五六年前に別れたうけ唇(くち)の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡(しばしば)彼等の話題になつた。」とあるのは、受け口の女は淫乱であるとの迷信を引きずったものだろう。
 受け口の評価の変容には、おそらく西洋的な美人観が影響していると思われるが、それがいつごろなのか、わたしにはわからない。
 荒川静香が受け口だといって、色っぽいとほめる人もなければ、淫乱の証しとけなすひとももはや出てこない。私の知る限り、受け口の女性が性的に奔放だという傾向はない。美人不美人も、口だけの問題より、顔全体の作りで判断したほうがよい。受け口の美人もいれば、不美人もいる。荒川選手はもちろん前者である。

補足:五代目瀬川菊之丞の画像が見たい人は、
早稲田演劇博物館のデータベース
http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html
の画像の部に入って、「毒婦船虫」や「尼妙椿」で配役検索にかけてみてください。
 

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2006年4月 8日 (土)

紅茶にブランデー

 カフェイン断ちは3月10日から始めて、4月8日現在まで続いている。かわりにローズヒップティーとミントティーを飲んでいる。妻が妊娠中にカフェインの入った飲み物をとれなかったときに、一緒にハーブティーを飲んでいたのだが、ミントティーはそのころ飲まなかった。最近になって、ハーブティー詰め合わせを飲んでみたときに、以前よりもミントティーがおいしく感じられて、ミントティーを愛飲するようになった。
 ミントには気分を落ち着かせる効果があって、フリスクが煙のでないタバコと呼ばれているのは有名である。口に入れたときの感じはフリスクが強烈であるが、体に入れるミントティーの方が、効く気がする。
 うちでは、全くコーヒーや紅茶を飲まなくなったのだが、先月池袋で人に会う機会があって、そのとき入った喫茶店でアイスティーを注文したのが、カフェイン断ち唯一の例外である。オレンジジュースを頼んでもよかったのだが、甘いものを頼むのも、みっともないという見栄がはたらいてしまった。
 手元にきたアイスティーには、二つのガラスの小瓶がついていた。ひとつは透明なのでガムシロップである。もうひとつは、茶色で、ぱっと見、なにかわからない。手にとって、においを嗅ぐと、どうやらブランデーらしい。分量でいえば、親指の体積ぐらいで、においの感じでは、薄まっているのは間違いないが、どのくらい入れたらいいものか。
 もったいないという気持ちがはたらいたというのは口実で、お酒が好きなこともあって、全部入れてしまった。
 紅茶にブランデーの組み合わせがあることは知っていた。飲んでみると、香りが良くて、かなりイケる。
 とはいえ、カフェイン断ちをやめたとしても、うちでやらないほうが無難だろう。一さじのブランデーでとどまらず、ウーロンハイみたいになることが目に見えるからである。

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2006年4月 7日 (金)

愛猫家

 漠然とした印象だが、ブログを開いている人は、愛犬家よりも愛猫家が多いようである。愛猫家の数が多いのか、愛犬家よりもマメなのか、猫は犬よりもその愛らしさをみんなに教えたいと思わせる何かがあるのかはわからない。私が犬しか飼ったことがないからかもしれない。
 1996年か1997年ごろに、富士通パソコンのコマーシャルで、「私のネコ日記」のホームページを作っているところを見せるのがあったと思う。そのころはホームページ作りが盛んになり始めた頃である。
 そのころから、愛猫家とWebの相性はよかったのだろうか。本質的に、Webは愛猫家をひきつける要素があるのかもしれない。
 日本独自のOS作りの中心人物であるS氏の講演を、そのころ聞いたことがある。S氏は「私は別に『私のネコ日記』に恨みがあるわけではないが」と前置きしつつ、「ホームページとは『私のネコ日記』のためにあるわけではない」とくりかえし述べていた。
 確かにIT革命の「革命」はダテではなく、ネット環境の整備によりいろいろなことができるようになった。今や、Web2.0の時代になりつつあって、インターネット環境がもたらす利便性はますます向上している。
 つまらない情報を載せたブログが、検索語の関係で、検索ページの上位にくるなど、庶民的なブログは目の敵にされている面もある。とはいえ、「私のネコ日記」めいたことを紹介するのは趣味として許容されるべきであろう。なにごとも、趣味のレベルにならないと広まらない。
 このブログだって、毒にも薬にもならない、趣味の産物である。

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2006年4月 6日 (木)

人生で大事なものは

 どういうわけか、サッカー記事を書く人は、学校教育の場でのサッカーが嫌いらしい。自主性に乏しい選手が育つという主張ぐらいならまだよいが、前の代表監督だったトルシエと同様に、ずるをしようがかまわない、狡猾さが必要だという主張になると、堂々とそんなことを言うなよと思う。
 かなり昔のことになるが、明治44年に東京朝日新聞が22回にわたって、「野球害毒論」を掲載したことがある。早慶戦の過熱ぶりに警鐘を鳴らしたものであった。当時一高の校長だった新渡戸稲造の「野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。」は、割と知られているのではないだろうか。
 だが、大正に入って、大阪朝日新聞が「全国中等学校野球大会」(中等学校は今の高校に相当)を開催するようになる。そのときに、先に文句をつけた手前、いろいろと教育的な意義を朝日新聞が言い立てた。
 もっとも、朝日新聞だけを悪者にはできない。野球という遊技が、学校教育の中を生き延びて、いろいろと支援を得るためには、そういった建前が必要だったのである。
 ずるをしてもサッカーに勝てばいいのか。ブラジル、イタリア、スペインなど、サッカーの強国が世界にとって何様の位置をしめているのか。経済レベル、治安レベルで自慢できるほどの国なのか。
 サッカーの害毒を説いて、サッカーをこの世からたたき出してやる、という戯文を書こうと思って、とりあえず、野球害毒論の資料を集めていた。戯文と書いたのは、私もサッカーが好きだし、この害毒論への適切な反論もよく知っているからである。ただ、サッカーで勝つためには、他のあらゆることが奉仕せよといわんばかりの言説に、ちょっとばかり皮肉が言いたかったのである。
 ところが、資料を集めているうちに、駒大苫小牧の不祥事があって、それがきっかけとなって、気分が乗らなくなってしまった。
 人権を守るためには、差別関係のみられる笑いを徹底的に排除せよ、といった主張に私は反対している。これは、笑いに存在意義をみとめているわけだが、世の中には、人権のためなら、差別的表現を含む笑いなんてなくなったっていいじゃありませんか、という人も少なくない。私とて、どこかのサッカーライターと変わらないのかも知れないと悩むようになったことも影響している。
 最近は、いったい人生に、人間に、人類にとって本当に必要なものは何かと、柄にもなく少々悩んでいる。人類の発展を考えれば、経済や科学技術の発展こそ有意義なのだろうが、それ以外のものがどのくらい存在意義を客観的に認められるものか、私にはよくわからない。

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2006年4月 5日 (水)

テレビなしの生活

 かつて三年半ほどテレビなしで生活していた。壊れたが金がないのでとりあえずテレビなしで生活したら、何の問題もないので、そのままにしていた。妻と暮らすようになって、妻が退屈してはいけないと、テレビを買ったのだが、私の方がしょっちゅう見ているので、テレビなしで生活していたとは思えないと言われた。
 冬季五輪のレークプラシッド大会(1980)のとき、私はアニメを見たかったのだが(『ニルスのふしぎな旅』だった気がする)、五輪はとても重要なのだからといって、泣く泣くジャンプ競技にチャンネルを変えられた。
 その後、トリノを含めて、冬季五輪は七回行われたが、今となってみて、母にとってあれは本当に大事なことだったのかと疑問に思う。世の中には重要そうに見えて、当人にとって実は違うことがたくさんあって、大きなスポーツイベントなど特にそうである。

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2006年4月 4日 (火)

教える量

 十教えれば七しか理解しないので、最初から教えるのを七にすれば同じとみるのがゆとり教育である。実際に、七しか教えなければ、さらにその七割しか、生徒は理解しない。七の理解が、四.九になる。
 若いうちは、なんでも教わる、なんでも学ぶにこしたことはない。

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2006年4月 3日 (月)

ハンドルネームの由来

 HNの由来バトンという遊びで masapfさん(http://masapf.exblog.jp/3355016)からまわってきたものです。私は基本的にブログを書きためてから小出しに載せているので、ふられてから、遅くなりました。

【Q1.貴方のハンドルネームの由来は?】
 本名が岩出茂だから(大嘘)。
 ブログをはじめたときに、コメントのやりとりがあることすら、頭になかったので、ハンドルネームも決めるどころか、意識もしていませんでした。ブログを開設して、最初にコメントをくださった(「グランドホステス?グラウンドホステス?」<2005.05.25>)、「カタカナ語のゴタク」の筆者の方が、「gotaku」の名で書き込んでいたので、お返しのコメントをつけるときに、あまり考えずに「Iwademo」にしただけです。

【Q2.他に別のハンドルネームを名乗っていたことはありますか?】

 友人Aのホームページにコメントを書き込むときに「無用の人」を使ったぐらいです。

【Q3.他の方にどのように呼ばれていますか?】

 本名を知っている人は、たいてい名字です。私の名字が珍しいからでしょう。妻や親は下の名前で呼びます(あたりまえだって)。

【Q4.全く同じハンドルを使っている人を見つけた。さてどうする?】

 まずいないと思いますが。まあ、いるという仮定なので考えてみますが、偶然の一致ならほっておきます。騙りなら、さすがに注意します。

【Q5.ぶっちゃけ、改名しちゃいたかったりしますか?】

 ブログの看板と関係していますから、そう変えられるものでもないですし、今のところ、「Iwademo」で満足しています。

【Q6.ハンドルの由来が気になる人にバトンを渡してください。】

 ぴぐもんさん(http://pigmon1038.cocolog-nifty.com/diary/)でしょうか。ウルトラマンのピグモンを最初に連想しますが、本当のところはどうなのでしょうか。もし、ごらんになっているならば、気が向いたらでいいのでお願いします。

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2006年4月 2日 (日)

デフォルメ

 草双紙の挿絵や浮世絵を見ていると、文化年間(1804~1818)以前のものと、文政(1818~1830)なかごろ以降のものとでは、ずいぶん絵柄が違うことに気づく。
 初代歌川豊国や喜多川歌麿の描く人物は、スラッとした八頭身なのに対し、三代歌川豊国や歌川国芳の描く人物は、顔が大きくなって、手足も丸々とした五頭身である。
 五頭身の頭でっかちで、手足がずんぐりむっくりした描き方を、私は好いておらず、見るたびに、なんでこんな描き方になってしまったのだろうと、不思議に思っていた。
 もう二年ほど前だが、ある古書籍の展覧会に行ったところ、私と同じく、江戸後期の文芸を研究している知り合いの女性研究者と遇った。私がどちらかといえば、文政以前に関心を持っているのに対し、その女性は文政よりあとを得意領域としていた。
 一緒に、浮世絵と和本の挿絵を見てまわったのだが、その女性が、天保(1830~1844)の合巻(絵の余白に地の文があるマンガのような小説)の登場人物を指さしながら、「私、この丸っこいのが、大好きで、とってもかわいいって思ってしまうんですよ」と言った。
 丸っこく人を描く手法は、幕末までつづく。受け入れられなければ廃れてしまうわけで、その女性の感覚の方がまともなのだと悟った。
 今、萌え産業が殷賑をきわめている。アニメやマンガで、頭が大きく、目は顔の半分ほどあって、跳ね上がったような髪型をし、リボンや帽子などがひっついている萌えキャラが一派をなしている。そういうのをみるたびに、可愛いかぁ?と思うのだが、大多数に受け入れられなければ、消えているわけで、私の好みがマイナーだといえる。
 今の萌えキャラをみると、知り合いの女性研究者の言葉を思い出す。

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2006年4月 1日 (土)

プロフィール

 四月一日で身分が無職から、大学の非常勤講師になりました。プロフィールもそれに従って、あらためました。

以前に、

国文学の大学院を出て、現在無職です。

と書いていたのは、世の中への怨嗟や卑下慢がこもっている感じで、結構好きでした。最近は、あまり文句を書かないようにしているのですが、鬱屈した人間の、鬱々とした繰り言としてこのブログをはじめたつもりです。

国文学の大学院を出て、現在大学の非常勤講師です。

となると、平凡というかおりこうさんすぎておもしろくありません。大学の先生なの、しっかりしたご身分ねと感じるかも知れませんが、金額の面でも、天下の英才を集めて教育している点でも、塾講師のころが上でした。

 無職で、家事と育児と研究をしながら暮らしていることに、劣等感はあまりなかったのですが、一年その身分で過ごしていると、肩身の狭い思いをすることがそれなりにあって、ちょっとした身分でも得られてよかったと思っています。
 自分の専門に近いことが教えられるので、それも楽しみにしています。

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