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2006年3月 5日 (日)

頭に余裕のある人

 今、テレビドラマや映画の再放送の際に消されてしまう差別語は、たとえ差別意識を反映した表現でも、放送に耐えうる範囲とみなされて、かつては使用されていたわけである。この段でいくと、現在許容範囲内でも将来的に差別語として、放送で使われない言葉が多数生まれることになる。
 未来の差別語候補の筆頭は、「はげ・ハゲ・禿」であろう。これほどまであからさまな身体的欠損が対象であるにもかかわらず、差別語になっていないのが不思議なほどである。
 綾小路きみまろが2006年正月のNHKのお笑い番組で、漫談とは誰かが犠牲にならなければならないと述べていた。笑いが起こるにはいくつか要因がある。他人の失敗・欠点を笑うというのは、もっとも単純なものの一つである(いとうせいこうがバナナの皮理論と「笑芸人」で呼んでいた)が、同時に有力なものの一つである。
 ハゲやカツラを使ったネタは、最後のフロンティアというか砦となりつつある。綾小路きみまろの新CDは自らのカツラネタを多く使ったものである。『トリック』の生瀬勝久はヅラキャラで好評を博した。『白い巨塔』でも西田敏行がヅラキャラを演じたらしい。さだまさしもトークでの自虐ハゲネタを得意とする。『古畑任三郎』の西村雅彦もハゲを売りにしている。
 ハゲを笑いのネタにするのは、伝統的かつ広範囲に行われているが、この安泰はいつまで続くか。
 世の中には、血友病などの治療で、不本意に髪を失っている人がいる。病気で髪を失う人がいるというのに、それでいいのか。という反論は容易に生み出せる。病気により髪を失った女の子の母親とかが抗議行動などをおこして、ハゲ・ヅラネタも将来的にできなくなってしまうに違いない。
 ハゲ・ヅラネタができなくなってしまえば、私としては、いよいよ何かの終わりを感じるだろう。
 

補足:禿が差別語にならない理由として、社会的な強者である男性に多いから、かなりの人がなるので身体的欠損とはそもそもみなされていないからでしょうか。関係ありませんが、私は「禿」という字をみると、「はげ」ではなく「かむろ」とまず読みます。

 なお、この記事の題名は……、まあそういうことにかけてあります。

追記:径書房編集部編『ちびくろサンボ絶版を考える』(径書房、1990.8)に収められた井上ひさしの文章に(立ち読みだったので章題は失念)、放送作家時代に「禿山ははげの人に気の毒なので使わないでください」という注文があったと書いてありました。

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