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2006年2月14日 (火)

読み書き

 現代国語の授業で何を教えるかというと、極言すれば「読み書き」の技能である。書いてある文章の内容を読み取り、ある程度の字数に要約できる能力があれば、ほぼ目的は完了している。
 日本人に生まれれば、日本で生活すれば、ほっておいても日本語の文章は読めるようになると思っているかもしれないが、会話で使う言葉は文章で使われる言葉よりも種類が少なく、会話しかせずに生きていれば、まず文章の語彙についていけない。
 論理的な思考力は、文章の読み書きによって養われる。W・J・オングの『声の文化と文字の文化』には、無筆だと三段論法すら理解できないことがほとんどであることを調査したロシアの例が紹介されていた。
 また、読むものもそれなりに骨のある文章を読んでいかなければならない。いつまでもやさしい文章を読んでいても無駄である。次第に負荷を増やしていかねばならないのは、身体のトレーニングにかぎらない。
 単なる「読み書き」だけでなく、自分の意見をまとめ、文章のみならず、弁論にも文章で培った論理的な思考力を発揮できるようになれば最高である。ただし、現代国語の教師に与えられた時間はあまりに少ない。また、小論文や面接を入試に用いない、ふつうの現代国語の試験では、その能力ははかることはできない。
 今の高校一年生の教科書は「表現編」として、作文・手紙の書き方、討論の仕方まで書いてあるが、実際にやる時間はほとんどない。教員用の手引き書、いわゆる虎の巻に、指導の目安の時間が書いてあるのだが、全部足すと、90コマ(一コマ50分)ほどになる。一方、近年減らしに減らされた現代国語の授業は、現在一年で60コマほどである(私の高校時代は90コマはあった気が)。目安の時間でやった場合、授業はかなり早いものに感じられるだろう。従来の現代国語の授業を、かなり早い速度でやるだけで、時間切れである。
 「読む」能力と「書く」能力の両方を指導するのだが、注意しなければならないのは、「読む」能力は、本文を読む能力以外に、設問を読む能力が必要だということである。東大の問題でも、近年はかならずしも文章が難しいわけではない。試験問題の難しさは設問のつくり方による。設問の意図を正確にとらえて、どう答えればよいのか正しく判断して答案を作成するのは難しい。それなりの修練がいる。
 試験に使われた文章の原作者に試験を解かせてうまくいかないことを例に、現代国語の試験の存在意義をあげつらう言説をみるが、それは原作者に自分の文章をまとめる能力があっても、設問を読み取る能力がないだけの話である。
 「書く」能力だが、これの指導は簡単で、書けば書くほど文章力はあがる。ワープロで日頃文章をたくさん書く経験ができる現代の生徒の方が、昔の生徒よりも文章力はつけやすいかもしれない。
 生徒がうまく試験問題を解けない場合、「読み」の二段階、「書き」の段階のうち、どこに故障があるのか見定めて指導しなければならない。
 文章力も図抜けており、名随筆を多く著わしている理系の学者が、高校時代の現代国語の試験はさんざんだったことを述べている例は、割とよく見る。その場合、その人が自分の考えをまとめる文章力はあっても、他人の文章を客観的に把握する能力がないか、設問にあわせて解く訓練をしていないか、試験問題そのものが「読み書き」の能力をはかるものではなかったかのいずれかだと思われる。

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