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2006年2月19日 (日)

百年たったら

 いま生きているすべての人間は、いずれはかならず死ぬのであるが、残された者にとって、たとえ大往生の死だったとしても、不慮の死ならなおさら、死についてどこかわりきれない気持ち、不可解な、理不尽な感情がついてまわる。死にそういった理不尽さを感じるときに、人は宗教を欲するのかもしれない。

 寺山修司の映画『さらば箱船』に「百年たったらその意味わかる。百年たったら帰っておいで」という台詞がある。これについて、あるときこう考えた。百年たったら、死んでしまっているだろう。つまり、「その意味」はわからない。だから、「その意味(が)わかる」とは、世の中にわからないことがあることがわかる、のだと。また、「帰っておいで」と言われても、帰る場所はもうないのだと。

補説:前半はありきたりすぎて没になっていた文章。なにか元になる言説があったか。最近、友人の家族が亡くなることがあって、それをきっかけに、かなり昔(十年以上前)『さらば箱船』について考えていたことを思い出したので、それをつけたして載せました。

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