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2006年2月18日 (土)

死んで惜しい2

 2006.1.30の記事「死んで惜しい」で、死んで惜しい人とはいないのだと書いた。もちろんこれは、マクロな見方であって、ミクロな見方をすれば、どの人だって惜しいのである。犯罪ばかり犯して「死んだ方がまし」という人間でも、更生して社会に役立つようにならないかという視点で、法律や制度はできている。
 家族などは、まさしくかけがえのない人である。難病の我が子に義捐金をつのって、海外で手術をうけさせたりする親の心情を、ばからしいとは思わない。

 もっとも、私自身は、自分が「特別なonly one」だと思うよりも、死んだってどうったことのない人間として生きている、と思う方が、生きていて楽である。また、天国・地獄、極楽・地獄があると思うより、死んだらゴミになってしまうと思う方が楽である。せっかく、死んだのに、生まれ変わったり、あの世で次の人生が待っていると思うと気が重い。
 結婚相手は、私が死んでもうろたえない感じの人がいいと思っていたのだが、そのぐらいは人生でかなえられたようである。まだ、妻もそう年ではないので、いま私が死んだら再婚して幸せに暮らすものと思っている。

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コメント

私もiwademoさんと同様、とるに足らない自分として生きていく方が楽だと感じます。死後についても、ゴミになってしまうと想像した方が気が楽です。
しかし、天国や地獄があるという考え方には、つらい現世を生き延びるための希望としての意味もあるという気がするので(今はつらくても死んだら天国で幸せになれる、だからがんばろう、みたいな)、今は「死んだらゴミ」を選択する自分ですが、心底人生がつらくなったときには天国を信じてみてもいいかも、と思ったりもします。

投稿: d-dozen | 2006年2月19日 (日) 18時13分

d-dozen様
天国を信じなくてもいい状況を考えると、私の現状は恵まれているのかもしれません。
天国や地獄があるのかないのか。こればっかりは死んでみないとわかりません。この謎が解けることを、死ぬときのたった一つ楽しみとしたいと思います。

投稿: Iwademo | 2006年2月19日 (日) 22時05分

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