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2006年1月18日 (水)

段落分けの現在

 高校生向きの現代国語の問題集で、もっとも初歩的なものを買ってくると、最初はたいてい段落分け問題ではじまっている。
 私が高校生だった頃は、こういった段落分け問題はいらないと思っていたが、教える側になってみると、けっして無駄ではないと感じた。ある長い文章の要約をさせてみるとよくわかるが、だいたい五%の生徒が文章を構造的に読むことができない。評論文やある種の随筆では、文章が展開してゆくことや、すべての文章が同じ重みを持つのではなく、英語でいうところのトピックセンテンスに相当する主題を示した文章(主題文と私は呼んでいましたが)がある、ことにまったく気づかない。要約をさせると最初から三分の一の本文だけで行ったりする。そういった生徒の存在を考慮すれば、段落分け問題は無駄ではない。
 ところで、この段落分け問題は、どこで切るかが難しい。古典の文章が段落分けや一字下げなどまったくなされないで書かれていたように、極端な話、段落分けなどしなくても意味はなんとか通じるのである。よって、段落分けは恣意的なものになりやすい。
 段落分けをして文章を読みやすくしましょうというのは、近代的な作文術による。段落分けをして読みやすくするという意識が反映された文章でしか、段落分け問題は作れない。
 現在、主流の作文術は、主題文をあたまに置くやりかたである。それぞれの段落の冒頭にある主題文をつなげて読めば大筋が理解できるように書くのである。私の記事では、2006年一月十四日「アクセス解析」がそれにあたる(あまり意識せずに書いたのですが)。
 ところが、古い作文術を教えられた生徒は、文章は起承転結と展開していくので、段落の最後に主題文がくると考えがちである。たしかに、段落のまとめとして、主題文がくることもあるが、それは冒頭に置かれた文のくりかえしになることが多い。ひとつの段落が漫然と問題提起からはじまり、言いたいことが最後にくる文章は、現在の基準では下手が書くものとされる。

 だが、ブログを書いていると、あえて現代的な作文術を無視したくなるときがある。
 次は2005年12月17日に書いた「私の剣道人生」の一節である。

 
 私は身長が169センチで、上半身の筋力もさほどなく、剣道にはお世辞にもむいているわけではないのだが、そういった元来の身体能力の低さに、自分の剣道の限界を作ってしまっているところもあった。
 それが誤りだと悟ったのである。もちろん筋力は大切なので、大学院に在籍し、綾瀬にいたころは週に一二回は東京武道館のジムに通っていた。それに加えて、区だけでなく、昔のサークルやある高校OBの稽古会などに赴き、週に二三度稽古をしていたこともある。
 かなりハマっていた時期があるのだ。高校時代に剣道を続けていたら、ここまでやりこまなかったかもしれない。

 これを読み手の都合を重視して書くなら、、

 私は元来の身体能力の低さに自分の剣道の限界を作っていたが、それが誤りだと悟った。私は身長が169センチで、上半身の筋力もさほどないので、剣道にはお世辞にもむいていないと思っていた。
 もちろん筋力は大切で、その強化にかなりハマっていた時期があった。大学院に在籍し、綾瀬にいたころは週に一二回は東京武道館のジムに通っていた。それに加えて、区だけでなく、昔のサークルやある高校OBの稽古会などに赴き、週に二三度稽古をしていた。高校時代に剣道を続けていたら、ここまでやりこまなかったかもしれない。

とすべきだと思う。しかし、そうは書きたくないのである。

 塾で段落分け問題をすると、授業後に文句をいってくる生徒が毎回一人は出てくる。問題につかわれた文章が、段落分けで意味をはっきりさせるという意識に乏しいことは珍しくない。むしろ、国語の問題に使われる文章は、少しわかりにくい文章、いうならばちょっとした悪文から出題されるのが常なのである。
 卑怯ながらも、授業の最初に段落分けの解釈はいろいろだが、最近の文章術ではどう書くようになっているのか説明し、なおかつ段落分け問題は文章を構造的にとらえる訓練なので、正解と違ってもそういった考え方もあるぐらいに受けとめるように、と予防線を張っていた。

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