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2006年1月 3日 (火)

カタカナの印象

 ひらがなが漢字をくずして作られ、女房たちに使われたのに対し、カタカナは漢字の一部をとって作られ、僧侶が仏典の注釈をする補助に使われた。先の大戦まで、公文書はカタカナという決まりがあったように、カタカナとは固い文章に使われるのが通例であった。
 くずし字の含まれた江戸時代の文章を、現代の文字の置き換えることを翻字というが、カタカナで書かれた文章は、カタカナで書かれた意を汲んでカタカナのままにすべきだと主張している先生もいる。少し古い例だが、岩波古典文学大系(いわゆる旧大系です)の『太平記』(後藤丹治ほか校注、1960)はカタカナのまま翻字されている。
 今となっては、カタカナは外来語に使われるのが圧倒的に多い。カタカナで書かれた文章が多少エキゾチックというか軽いという印象があるのはそのせいだろうか。
 私は時代遅れなので、カタカナで「アイタイ」とか「ドウシテル」と書いてあれば、むしろ堅苦しく感じてしまうのである。

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