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2006年1月31日 (火)

タイ米

 1993年は米が不作で、タイ米が輸入された。当時、学生だった私は、貧乏だったことや、三食米の飯を炊いて食べていたわけではないこともあって、タイ米をけっこう喜んで食べていた。タイ米の輸入が止まり、在庫処分のような形になると、キロあたり二百円ぐらいで購入していた気がする。
 その後、貧乏な劇団員同士が集まると、またタイ米輸入してくれないかなぁという話題がよく出た。
 「三度炊く飯さへかたしやはらかし思ふままにはならぬ世の中」とは蜀山人の狂歌だとは言われている。いちいち薪で炊いていたころはごもっともと思うかもしれないが、炊飯器でも不思議なもので、毎回の炊きあがりは、その日の天気が影響するのか、それぞれ微妙に差が生じる。
 手打ちそば屋のレポートで、この店はその日の天気によって、水加減を変えているなどと仰々しく書かれているのを見ると、書き手は米すら炊いたことがないのかと思う。

補記:『狂歌人物誌』により、「三度炊く……」の狂歌は便々館湖鯉鮒の狂歌だと判明した。(2007.10.27)

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2006年1月30日 (月)

死んで惜しい

 死んで惜しい人というのはそうそういない。もちろん、家族や友人、会社の同僚など個人的に見知っている人たちは悲しむだろう。だが、その死が人類全体の発展の損失であり、かけがえのないものである人は、史上でも稀である。
 ニュートンやアインシュタインは掛け値なしの天才だが、科学的な発見ならば、何十年何百年おくれはしてもいずれは誰かが発見しただろう。
 社会のいちにんが欠けたとしても、巨視的にみれば、だれかがそれを補えるのであり、だからこそ人間はこんなに多いのである。
 もちろん、これは現在の人間が不要なまでに多いというわけではない。江戸時代と現代の人口の差は、進歩的な社会を生み出し、営むために必要な人員の差である。江戸時代には、生きていれば有為の仕事をしたはずの人たちが、歴史的には惜しまれることなく、大勢亡くなっているといえる。
 その観点で人口の増減を考えるべきだろう。老人の年金を支える人員が減るという危機感から、少子化問題が語られるのは、見るのも聞くのも嫌である。私にはふたりの子どもがいるが、年金を支えさせるために、生んだのでもなければ、育てているのでもない。そもそも自分の老後の面倒をみさせるためですらない。年金制度なんて、やめてしまってはどうだろう。死んで惜しい人なんてそうそういないのだから。

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2006年1月29日 (日)

小説好き

 文学部の大学院にいる(いた)からといって、小説が好きとは限らない。研究室の先輩Tさんから、「何か面白い本があったら教えて下さいよ。ただし、小説は抜かして下さいね」と言われたことがある。Tさんは私と専攻する時代がまったく違うものの、同じく古典を研究している。古典の研究者はえてして、現代小説を読まない。
 私もそうで、先日旭屋書店で文芸の新刊本棚をじっとみてみたが、町田康の『告白』が手元にあるだけで、まったく知らない作家、知らない本ばかりである。
 小説好きというのは、おそらく文芸の新刊本をたくさん読み、現在の小説の傾向と特徴を熟知し、良作を見分ける目を持った人のことだろう。その点で、私は小説好きではない。古典を読む楽しみは現代小説から得る興趣とは少し違う気がする。

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2006年1月28日 (土)

読んでない本

 おそまきながら家の中を大掃除し、あちこちにちらかっていた本を整理し、いらない本は売り払うことにした。読んでいない本は一箇所にあつめ、優先して読んでいくことにしたが、数えてみると文庫と新書だけで三十六冊読んでいない。
 それを読むのに回す時間がないうちに、読みたいという気持ちが失せてしまったのがもっぱらの理由である。以前に比べて、通勤時間がないのも「積んどく(読)」本が増えた一因だろう。とはいえ、通勤で読む本は、通勤で読めるだけの本になってしまって、いきおいいらない新書を買ってしまっていたので、通勤時間で実のある読書をしていたとは、一概にいえない。
 読み進められない本の筆頭は小説である。小説はあたまから順にじっくりと読んでいかなければ筋が追えないので、時間がかかる。テクストとわりきって、途中から読む手もあるが、一回目の読書から好き勝手な箇所を読む人は少ないだろう。小説は放置される傾向にあるので、あまり買わないことにしている。
 溜まった本を消化しないと次の本を買わないと心に決めたのだが、三日目でさっそく破ってしまった。今は続々買っている。その後、市立図書館からも、何冊か借りている。本に関しては、私は相当な浮気性である。

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2006年1月27日 (金)

仕事中に

 前日の話の余滴。
 前日の記事で述べた制作の若い男性と舞台監督Nさんは、そりがあわないのは確かだったようだ。制作の若い男性は、背が高くて、まあまあの色男だった。ある回、お芝居を知人が観にきたらしく、ロビーでちょっと話し込んでしまった。それを折り悪く、Nさんにが見ていたらしい。
 制作の男性が、終演後われわれ劇場スタッフのところにいたときに、Nさんがやってきた。制作の男性は、自分の名前と制作であることを記した名札を胸につけていたのだが、Nさんはその名札をひっつかんで、「客としゃべってんだったら、こんな名札捨てちまえ」と怒鳴りつけた。
 劇場責任者のTさんは大喜びで、そのフレーズもその後よく冗談で使った。
 劇場でアルバイトをしていると、ときおり思いがけなく知り合いに会うことがあった。Nさんの件が頭にあるので、無視するわけにもいかないが、話し込むわけにもいかないと、誰が見ているわけではない場合にも対応に困った。

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2006年1月26日 (木)

演劇のビデオ化2

 劇場のアルバイトをしたときに、かつて何度も一緒に仕事をしたことのある知り合いのNさんが舞台監督をしている小劇場のお芝居が入ったことがあった。Nさんは私よりも十歳ほど年上で、小柄だったが、仕事の出来る人だった。普通の舞台監督さんに比べると、格段にやさしいので私は仕事がやりやすかったが、それでも一本筋の通った人で、締めるべきところはきちんと締める人だった。
 そのお芝居は撮影用の日があって、撮影用の車がきて、撮影機材がきちんと入って、お芝居の撮影が行われた。ところが、持ってきた機材の電源系に問題がおきて、芝居の途中から撮影できなくなってしまった。
 そのときの制作は、若い男の人だったが、おろおろしながら、終演後に劇場の使用時間を延長して撮れなくなったところから続きを撮れないかと、本番中に劇場側に相談してきた。機材をもう一日調達するための費用、座席をつぶしてカメラを置いたことによる減収を考えると、撮影機材・スタッフの延長料金、劇場の延長使用料金と役者・スタッフへのギャラ(小劇場の場合かなり安い)の方がまだ安くつくとふんだのだろう。
 その日の責任者Tさんは、うちは別にかまいませんよと言ったので、延長がなされるもの、といった気分に私もなった。他の人はともかく、アルバイトの私は時給制なので、望むところであった。
 終演後、制作の男性が、舞台の片づけをまだしているNさんに、事情を説明して、撮れなくなったところから続きをやって貰えませんかね、と提案したところ。Nさんは、「バカヤロー、芝居ってもんはな、そういうもんじゃないんだ」と一喝した。その一声で撮影は別の日にやりなおされることになった。
 冷静に考えれば、その芝居は笑いの場面が少なかったものの、客席の反応がない部分をつなぐのは変だったろうし、トラブルは機材を持ってきた会社に責任があったようなので、無料で撮りなおしてもらえたはずである。
 しかし、Nさんの発言はそういったことを抜きにしてのものだったと思う。
 Tさんは、「バカヤロー、芝居ってもんはな、そういうもんじゃないんだ」という文句が気に入ったらしく、その後何度も冗談でつかっていた。

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2006年1月25日 (水)

演劇のビデオ化

 現在、山手線の駅に出るのに小一時間かかるところに住み、ひごろ二歳児と零歳児の世話をして暮らしている。かつてのようにお芝居を月に何本も観ることは、ほとんど不可能である(半年に一本ですら)。よって、テレビ放送の演劇番組に気をつけて、それを録画している。
 アメリカにここ一年ちょっと仕事に赴いている友人Aと、新宿の紀伊國屋書店で待ち合わせしたのだが、友人AはすぐさまDVDのコーナーに行って、ほとんど中味を吟味することなく、あわただしく芝居のDVDを何本か購入した。むこうにいると日本の演劇に飢えてしまうらしい。
 最近、能に興味を持っているのだが、能のDVDやビデオは、ほとんどまったくといってよいほど売られていない。能に限らず、伝統芸能はそういったDVD・ビデオ化に消極的で、文楽も今売られているビデオは片手で数えられるのではないか。狂言や歌舞伎は、それらよりもだいぶんましであるが、演目の数からすれば、ビデオ化されたものはかなり少ない。ビデオは手に入れにくく、伝統芸能のCSチャンネルに入る余裕はないとすれば、NHKのテレビ放送に気をつけるの一手である。
 伝統芸能のビデオ化が進まないのは、多人数でやることもあって著作権管理が難しいことなどさまざまな要素が考えられるが、一番の理由は出しても売れないからだろう。
 金銭的な理由とは別に、能がビデオ化されない理由をあげるなら、それはビデオ化された能は能ではないと、能役者たちが思っているからではないか。私自身、小劇場芝居にかかわっていたのだが、演劇人は生であることに重きを置いていて、舞台を映像化したものを一段低く見る傾向があった。演劇の制作をしたときは、営業面で手を焼いたのだが、過去の公演をビデオにきちんと残しておけば、営業ももっとしやすかったかもしれない。

 この話、明日に続きます。

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2006年1月24日 (火)

悪者を決めて

 木村元彦『オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える』(集英社インターナショナル、2005・12)は、いろいろな面でとても印象深い本だった。考えさせるところ、勉強になるところが多いのだが、そのなかで、選手の中で悪者を決めていつもそれを叱ることはしない、とあったのは流石だと思った。
 私も教員だったころは、是非ともそうしたいと思っていたのだが、悪さをする生徒はだいたい決まっていて、なかなか言うことを聞かないものだから、いつの間にか、そういった生徒が悪者になって、授業を引き締めるために見せしめで叱られているということと、変わらなくなっていた。
 しまいには叱られている方は、慣れっこになって効果がなく、怒っている私を見ている他の生徒が居心地の悪い思いをするのでは、馬鹿らしい。

 叱られる側としては、芝居を始めた頃に、いつも叱られる奴になった経験がある。最初に入った学生劇団の舞台監督だったUさんは、立派な人で、それを見込んでその劇団に入ったのだが、舞台作業の直属の部下ということもあるのだが、なにせよく叱られた。私がちょっと遅刻してくると、大声で罵倒されたが、その後遅れてきた人がいてもちっとも怒られないのである。ずいぶんあとになって周りの人から聞いたが、Uさんも私を見せしめに使っていたところもあったという。
 剣道をしていたこともあって体育会気質は慣れているし、仕事を覚えようと熱心だったこともあって、私自身はさほどひどい扱いだとか、つらいとか思ったことはないのだが、最初の公演が終るまでにやめるに私が違いないと、周りの人たちはハラハラしていたらしい。そのころの私の口癖は「チクショウ」だったらしく、いつもそう言いながら作業をしていたそうだ(苦笑)。
 けっきょくUさんの下では一年ほど働き、その後私がその劇団の舞台監督になった。Uさんに対して、わだかまりはまったくないのだが、何年後かにUさんと同席する機会があったときに、周りの人から「今日は喧嘩しないで下さいよ」と言われたことがあった。最初に入った劇団の人たちは、私がUさんを恨んでいると信じて疑わないようだが、それが本当なのか、私自身はまったくわからない。
 

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2006年1月23日 (月)

でたらめ長唄鑑賞法

 伝統芸能としての邦楽は、ほとんどの日本人にとってすでに縁遠いものだろうが、外国人にとってはさらにどう鑑賞してよいのかわからないものだろう。過日、韓国・台湾からの留学生と一緒に長唄を聴く機会があったが、日本の古典文学を十分に理解する彼らでも、さすがにつらかったとの感想をもらった。彼らが長唄を聴くのは、私が韓国や台湾の昔の民謡を聴くようなものだろう。単に言葉だけでなく、メロディやリズムを込みで理解するのは難しい。
 しょうがないので、その日の演目のうち「黒髪」の歌詞を指し示し、「カーペーターズの『イエスタディ・ワンスモア』みたいなもんですよ」と、「イエスタディ・ワンスモア」の節を付けて歌ってみた。
 なお「黒髪」の歌詞はつぎの通り、

黒髪の、結ぼほれたる思ひをば、(合いの手)解けて寝た夜の枕こそ、独り寝る夜の仇枕、(合いの手)袖は片敷く夫(つま)ぢゃというて、
(合いの手)
愚痴な女の心を知らんで、しんと更けたる鐘の声、(合いの手)昨夜の夢の今朝覚めて、ゆかし懐かし遣瀬(やるせ)なさ、積もると知らで、積もる白雪。

 長唄だと三味線にあわせて歌って六分ほどかかる。「イエスタディ・ワンスモア」だとあっという間。節は三味線と「イエスタディ・ワンスモア」では全然異なるが、それを生み出した心情は案外似ているのではないかと思っている。
 もっとも、さらに不可解な顔をされて終ったんですけどね。

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2006年1月22日 (日)

名前の災い

 高校一年生の頃に、沖縄出身の同級生の苗字におもわず変な名前と言ってしまい、誇り高き沖縄人のT君を怒らせてしまったことがある。T君は、サッカー部のGKをしていたぐらいで、武蔵坊弁慶のようにいかつかったのだが、それから何かと嫌がらせをうけて困った。とはいえ、そこは男子校のことで、私があくらつな人間でないことは、T君にも伝わったらしく、三ヶ月ぐらいたつと自然と友人になった。私もじつは苗字と名前どちらも変わっているのだが、T君があるとき私の名前をいい名前だなと言ってくれたのは、本当に嬉しかった。
 そういうこともあって、他人が私の姓名を間違えること、あるいは姓名に低い評価を与えることに、きわめて寛容である。

 他人の名前については、以後慎重にとりあつかってきたつもりである。だが、先日池田弥三郎『暮らしの日本語』(旺文社文庫、昭和55)「小さな不愉快」に、手紙の本文を逆さに入れて送ることへの批難が書いてあるのを読んで青くなった。手紙は年間何十通も書くが、本文の上が封筒の下を向いていないかどうかなど、今の今まで気にしたことがなかったのである。
 えっ、そんなの常識ですか。社会に出ていないっていやですね。

 T君とは高校卒業より一度も会ったことがないが、姓も名もかなり珍しいので、グーグルで検索してみるときちんとひっかかった。今では、沖縄で健康食品を取り扱う小さな会社の社長をやっているらしい。写真も載っているがまったく昔と変わっていない。通販もやっているので、今度気が向いたらウコンでも注文してみよう。
 

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2006年1月21日 (土)

冗談がお上手

 もう十年以上前の話になるが、何人かの芝居関係者との会話の中で「ロゼワインってどうやって作るの」という疑問をある女の子がもちだしたときに、すかさず「赤ワインと白ワインを混ぜて作るんだよ」と答えた。すると、脇にいた女の子が「あら、冗談がお上手」と言った。
 ロゼワインが赤ワインと白ワインを混ぜて作るという知識は、お酒のことに大変くわしいIさんから聞いたもので、私のIさんへの信頼もあって、そのことをゆめゆめ疑ったことがなかった。が、「冗談がお上手」からすれば、それは違うらしいと察した。
 しったかぶりをすることは、恥ずかしいので、内心冷や汗をかいたが、それ以上話は深くならずにすんだ。
 あとで、調べたところ、ロゼにはつくり方が三通りあって、赤と白をまぜるやり方の外に、普通のワインを作るのに近いやり方、セニエ法(赤ワインのつくり方に近い)と直接圧搾法(白ワインのつくり方に近い)があることがわかった。
 いちおう、嘘をいったのではないことがわかってほっとしたが、この「あら、冗談がお上手」というのはきつく印象づけられた。
 最近になって、生涯に一度は使ってやろうと、「『子供』と書くと、子どもの人権侵害」などとおっしゃる先生(いるとはよく聞くが見たことがないのは都市伝説か)でもあらわれないかと待ちかまえている。

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2006年1月20日 (金)

本当のいわでもの記

 前に書いたが、このブログでは、原稿を書いても使わないものが月に三四個出てくる。使わない理由のほとんどは、書いたはいいが、面白くなかったことによる。中には、書いたものの、私的な経験に感傷的な意見を述べていて、表に出すのはためらわれるものがある。そういったものに限って、けっこう長かったりする。
 使わない原稿の集積こそ、本当の「いわでもの記」なのかもしれない。
 少し前に、あるSNS(ソーシャルネットワークサービス)に誘われた。入ったものの、今のところ何をやろうというつもりもない。
 紙に書いたものを回覧するのと同じ感覚があるのだったら、SNSでお蔵入り原稿を披露してもよいのかもしれない。私の人柄をわかっていて、誤読なしに、ちょっとかわった文章を読んでくれるならば、それら本当の「いわでもの記」も成仏できるのかもしれない。だが、最初からSNSでの公開を狙って書くような気持ちはなく、このブログを「いわでもの記」と名付けて始めた気分ともそれは齟齬する。
 そういうわけで、お蔵入りの文章はこの先もずっとお蔵入りである。

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2006年1月19日 (木)

年賀状

 若い頃は、年賀状とは親交の深い人たちに出すものだと思っていた。日頃の付き合いが薄いのに、年賀状を出すなんてねぇという感覚だった。
 ここ何年の間に、埼玉に引っ越してきたり、学籍が切れたりと、いろいろな面で社会から遠ざかってくると、もう何年もあっていないのに、年賀状だけはやりとりするという相手が多くなった。
 夏目漱石の『道草』に疎遠な相手に対して、「ことによると、良人(うち)では年始状位まだ出してるかも知れないよ」という表現があったのだが、年賀状とはそういったものだとわかってきた。
 一年に一枚の年賀状でかろうじてつながっている縁というのも面白い。
 今年は、郵便局の都合か、三が日よりあとの年賀状は十日にまとめてきた。それまでの年賀状が少ないので、とうとうオレも見限られるようになったかと、かなり拗ねていた。幸い、心のこもった年賀状をいただいたので、気持ちはだいぶん落ち着いた。

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2006年1月18日 (水)

段落分けの現在

 高校生向きの現代国語の問題集で、もっとも初歩的なものを買ってくると、最初はたいてい段落分け問題ではじまっている。
 私が高校生だった頃は、こういった段落分け問題はいらないと思っていたが、教える側になってみると、けっして無駄ではないと感じた。ある長い文章の要約をさせてみるとよくわかるが、だいたい五%の生徒が文章を構造的に読むことができない。評論文やある種の随筆では、文章が展開してゆくことや、すべての文章が同じ重みを持つのではなく、英語でいうところのトピックセンテンスに相当する主題を示した文章(主題文と私は呼んでいましたが)がある、ことにまったく気づかない。要約をさせると最初から三分の一の本文だけで行ったりする。そういった生徒の存在を考慮すれば、段落分け問題は無駄ではない。
 ところで、この段落分け問題は、どこで切るかが難しい。古典の文章が段落分けや一字下げなどまったくなされないで書かれていたように、極端な話、段落分けなどしなくても意味はなんとか通じるのである。よって、段落分けは恣意的なものになりやすい。
 段落分けをして文章を読みやすくしましょうというのは、近代的な作文術による。段落分けをして読みやすくするという意識が反映された文章でしか、段落分け問題は作れない。
 現在、主流の作文術は、主題文をあたまに置くやりかたである。それぞれの段落の冒頭にある主題文をつなげて読めば大筋が理解できるように書くのである。私の記事では、2006年一月十四日「アクセス解析」がそれにあたる(あまり意識せずに書いたのですが)。
 ところが、古い作文術を教えられた生徒は、文章は起承転結と展開していくので、段落の最後に主題文がくると考えがちである。たしかに、段落のまとめとして、主題文がくることもあるが、それは冒頭に置かれた文のくりかえしになることが多い。ひとつの段落が漫然と問題提起からはじまり、言いたいことが最後にくる文章は、現在の基準では下手が書くものとされる。

 だが、ブログを書いていると、あえて現代的な作文術を無視したくなるときがある。
 次は2005年12月17日に書いた「私の剣道人生」の一節である。

 
 私は身長が169センチで、上半身の筋力もさほどなく、剣道にはお世辞にもむいているわけではないのだが、そういった元来の身体能力の低さに、自分の剣道の限界を作ってしまっているところもあった。
 それが誤りだと悟ったのである。もちろん筋力は大切なので、大学院に在籍し、綾瀬にいたころは週に一二回は東京武道館のジムに通っていた。それに加えて、区だけでなく、昔のサークルやある高校OBの稽古会などに赴き、週に二三度稽古をしていたこともある。
 かなりハマっていた時期があるのだ。高校時代に剣道を続けていたら、ここまでやりこまなかったかもしれない。

 これを読み手の都合を重視して書くなら、、

 私は元来の身体能力の低さに自分の剣道の限界を作っていたが、それが誤りだと悟った。私は身長が169センチで、上半身の筋力もさほどないので、剣道にはお世辞にもむいていないと思っていた。
 もちろん筋力は大切で、その強化にかなりハマっていた時期があった。大学院に在籍し、綾瀬にいたころは週に一二回は東京武道館のジムに通っていた。それに加えて、区だけでなく、昔のサークルやある高校OBの稽古会などに赴き、週に二三度稽古をしていた。高校時代に剣道を続けていたら、ここまでやりこまなかったかもしれない。

とすべきだと思う。しかし、そうは書きたくないのである。

 塾で段落分け問題をすると、授業後に文句をいってくる生徒が毎回一人は出てくる。問題につかわれた文章が、段落分けで意味をはっきりさせるという意識に乏しいことは珍しくない。むしろ、国語の問題に使われる文章は、少しわかりにくい文章、いうならばちょっとした悪文から出題されるのが常なのである。
 卑怯ながらも、授業の最初に段落分けの解釈はいろいろだが、最近の文章術ではどう書くようになっているのか説明し、なおかつ段落分け問題は文章を構造的にとらえる訓練なので、正解と違ってもそういった考え方もあるぐらいに受けとめるように、と予防線を張っていた。

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2006年1月17日 (火)

主張の書き方

 市の広報誌に隣室の中学生が、市の弁論大会で入賞したことが記されていた。そこで今日は「主張」の書き方について述べる。
 高校の非常勤講師をしていたときに、夏休みの宿題に作文を課した。前年度の現代国語の担当者がベテランの先生だったこともあり、前任者のやったことを踏襲すれば安心と、書かせた作文をなにかのコンテストに応募するところまでそっくり真似たのだった。
 ちょうど授業で山崎正和の「水の東西」という評論文(教科書は評論文としているが、今の感覚だと随筆に近い)を扱ったこともあり、「水のエッセイコンテスト」に四百字詰め五枚で提出することを生徒には告げていた。
 内容は「『水』に関する題で自由に書いてください」と非常に緩いものだった。模範になるよう、私もひとつ書いてみるつもりだった。リストの「エステ荘の噴水」と三味線の「水調子」ならびに竹婦人作の河東節「傾城水調子」(今は弾く曲ではないが)を比較して、欧州と日本とで水を音で表現する際にどのような違いがあるかを論じるつもりだった。
 用意はしていたのだが、生徒たちが書いてきた作文をみてアッと思った。私が書こうとしていた文章ではダメで、生徒が書いてきた文章が「主張」向きなのである。
 コンテストの応募用紙には「水が私たちにもたらす恵みの大きさ、水の大切さを考えていただくことにより」うんぬんの文言が小さいながらも延々と書き連ねてあった。要するに水資源を大切にしましょうという主張を含んでいることが必要だったのである。。
 生徒の作文はすべて目を通したのだが、その良し悪しを見ている内に、書き方のコツがわかってきた。
 大きな主張として「水資源を大切にしましょう」というのは絶対あるのだが、その大きな主張をそのまま書いてもダメである。
 個人の体験があって、その結果大きな主張が身に沁みてわかったという書き方にしなければならない。たとえば、海外に行って、日本と比べて水が自由に使えず不便だったという経験をすれば、それが大きな主張と結びつけられる。個人的な体験と大きな主張との結びつけ方が目を引くものでかつ自然であればあるほど、「主張」の文章はよいのである。
 こうなると、変わった体験をした人が得というのは確かにあって、私の高校時代のように夏休みになればうちで寝ころんで本ばかり読んでいた生徒には勝ち目はない。大学の入試に作文が導入されることの不具合として、変わった体験ができる(だけの資力のある)者が有利になるという意見を目にしたことがあるが、よく実感できた。もっとも、資力がある者が受験に有利なのはあらゆる面であてはまるので、一概に作文入試だけを批判はできない。
 読んだ作文は誤字脱字があっても、手直しもさせずにそのまま段ボールに詰めて送った。これにはおおいに後悔している。
 ほとんどの作文が目を覆いたくなるような駄文だったが、何人かはなかなか良いことを書いていて、大きく手直しすれば、入賞もねらえると感じた。その者たちに、入賞をもっとねらってみる気はないか聞いて、意欲のある生徒の文章に指導を加えて書き直させればよかったのである。
 そして、他の生徒たちの作文は、半年かけてでもちゃんと朱筆をいれて、しっかり指導して返してやればタメになったはずである。せっかく、長い文章を書く経験をしたのに書きっぱなしでは、文章力の向上はのぞめない。
 作文を提出して一ヶ月後ぐらいにそれに気づいて、今からでもいいから、原稿を返して欲しいと思ったが後の祭りである。私が勤務していたのが公立高校ということもあって、生徒の差別化をしにくいため、横並びのなにもしない指導ですませてしまったのだが、教育とはすべからくみずからの熟慮のうえで行動すべきであると痛感した。

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2006年1月16日 (月)

ドルアーガの塔は

 ドルアーガの塔は、古代の建築技術では建てられないという小ネタがいまはなき雑誌「ゲーメスト」にあったような気がする。いやいいのだ、あれは魔法の塔だからと、高校時代の友人は言ったが、なるほど魔法でもかかっていないと、レンガ積みでは大したものは作れない。
 芝居で使うセットは、予算があって大物だと鉄骨になるが、高さ二間までなら木で作ることが多い。釘の打ち方ひとつから、つくり方にはちゃんとコツがあって、よほどのことがあっても壊れないように、かつバラしやすいようになっている。素人が作るタテ看板は材料も手間も省いてあるので、見るからに危なっかしい。学生劇団にいた頃は、大学の構内に何度もベニヤ六枚の看板を立てたが、劇団の作るタテ看板は壊れない、倒れないというのが、劇団の誇りであり、また大型看板を作るための学生課との約束だった。
 装置のための材料を減らしても、見た目はそうかわらない。もっとも、舞台の装置は裏からは構造が丸見えなので、もし手抜きの装置があれば、芝居をやっている身には恐ろしかろう。
 マンションの耐震構造偽造は、手を抜いても見えないからやったのだろう。東京に出てから、住んだところのうち、七十年代後半に建てられたという久我山の木造アパート(風呂なしでした)の二階、八十年代後半に建てられ見た目はいいものの狭い上に壁が薄くてとなりと会話できそうな池袋のマンションの一階、七十年代前半に建てられた水道を始めいろいろなところがボロボロだったマンションの四階については、今話題の耐震偽造マンションよりも、危険な気がする。
 古い木造住宅に住んでいる人など特にそうだが、危険を頭の上にかかえて暮らしており、耐震偽造の件に同情している場合ではない人も実際には多いはずである。
 

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2006年1月15日 (日)

七草がゆ

 例年七草がゆを食べる習慣はなかったのだが、今年は母が気まぐれに七草を買ってきて、私が調理することになった。鍋を使って、米から炊いたが、かゆなど別に難しいことはない。蓋をして中火~弱火で作ったが、蓋なしでもできる。米をきちんと炊きあげるのとは違って、たくさんの水に米を入れれば、どうやってもかゆにはなる。
 軽くゆでた七草をくだんの「唐土の鳥が……」を歌いながら切って、炊きあがったかゆにまぜれば最低限のできあがり。私は美味しく食べたいので、最後に塩をふって、鰹の出汁も適量加えたのだが、質素なものを食べるという意義に反するので、本当はやってはいけないのかもしれない。
 修士論文を書いていた頃、バイトもやめてしまったので、お金がなくなり、締め切りまぎわの一ヶ月間、炊飯器で一合の米を炊いたおかゆにフリカケで一日を暮らしていた。おかゆなのは、米を節約するためだが、見た目は多くても、おかゆはすぐに腹が減って難渋した。
 同時期に精神的にやや不調をきたしたが、ある人に言わせればタンパク質不足が原因らしい。
 おかゆというと、修士論文執筆の頃を思い出して、実はいい気がしない。

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2006年1月14日 (土)

アクセス解析

 アクセス解析はホームページあるいはブログ開設の楽しみの一つといわれる。このブログでもアクセス解析をすれば、いまどのくらいの人が私のブログを読んでいるのか、どの記事がよく読まれているのかなどわかって、愉しいだろうとは思う。
 しかし、今にいたるまで一度もアクセス解析はやっていない。アクセス解析のできない、無料のベーシックコースでブログを開設しているためである。税込み473円足してプラスコースに入ればそれができるようになる。金額のため手が出ないわけではまったくなく、いろいろと分析することで有意義な情報を得られることからすれば、むしろ安い。
 アクセス解析をしない理由は、アクセス解析をすれば、アクセス数の増減に一喜一憂するのが目に見えているからである。また、なんとかアクセス数を増やそうと、人気にある記事と同じ分野の記事を多く書くようになるのは間違いない。
 アクセス解析をして心が乱されるよりは、今のままでよい。もともと誰も読まない論文を書いているので、読者が少ないのは平気である。ブログも誰も読まなくても、一向につらくない。
 アクセス解析の楽しみは編集者の楽しみである。少なくとも私にとって、手を出してはいけないもののように感じる。

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2006年1月13日 (金)

パソコンの不調

 パソコンが不調である。五年ほど前に買ったVAIOのデスクトップパソコンで、OSをMeからXPにアップグレードして使っている。XPはそれまでのOSに比べて、システムダウンする確率が非常に減ったので満足していたのだが、一年ほど前から徐々に調子が悪くなってきた。
 たとえば、エクスプローラーを開いて新しいフォルダを作ろうとすると、エクスプローラーそのものが落ちてしまう。幸い「新しいフォルダ」を作った後に落ちているようで、いちいちフォルダを辿って、それの名前を変更して使っている。
 同時期よりファイルの検索もできなくなってしまった。システムのどこかがおかしくなっていたが、我慢して使えなくもないので、そのままにしていた。
 半年ほど前からワードが使えなくなった。去年の四月より一太郎を使っているのでこれは平気だったが、ここにきたエクセルが使えなくなった。また、インターネットエクスプローラーの動きが遅くなり、その他アプリケーションも動きが今ひとつになった。
 これは、ひょっとしてスパイウェアのせいかと、ノートンのAntiVirusやInternetSecurityを入れてみた。幸いスパイウェアやウィルスのせいではないことはわかったが、ノートンのソフトが常駐したことで今まで遅かった反応がさらに遅くなった。
 最後の手段は、もう一回、インストールをやり直せばよいのだが、ワードやエクセルのCDも含めてOSのCDがどこに行ったか見つからない。
 もう潮時と、新しいパソコンにすべきなのかもしれないが、ADSLのターミナルや無線LANの設定などをやりなおせるか心許ない。
 パソコンいじりは、苦労が多い割には、それ自体が目的であるため、いくら手間がかかっても何も生み出さない。
 新しいパソコンの購入に備えて、正月にパソコン雑誌二冊、月刊と週刊のアスキーを買って最近の傾向を勉強することにした。自作がどちらも特集してあった。自作は廃れていると聞いていたが、流行が復活しているのか。とはいえ、不器用なのと、パソコンの仕組みがよくわかっていないので、自作をする気はない。経緯はともかく、自分が道具の主人であればよい。DELLの直販で買おうかと思っている。
 なお、そういった状態なので、パソコンの不調によりブログの更新やコメントの追加をできなくなるかもしれないのであらかじめ了解されたし。

補記1:その後うち中をかき回して、OfficePersonalのCDを発見し、Officeソフトだけはなんとか回復。気分としてはずいぶん楽になった。

補記2:ところがIEが立ち上がらなくなったり、OUTLOOKが立ち上がらなくなったりと、そのつど再起動をしなければならない事態が最近は続いている。サービスパックの新しいのをあてるとATOKがうまくはたらかなくなったりと、ろくでもない。そういえば、CDドライブ開閉ボタンもすでに壊れているので(マイコンピューターから「取り出し」で開けられますが)、やっぱり買いかえどきなのか。ADSL用TAのインストールCDが見つからなかったのも痛い。インターネット環境の円滑な移行方法さえわかれば、新しいパソコンに買い換えるのに。

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2006年1月12日 (木)

寒い部屋

 私の書斎は北向きで、マンションでもあるため、夏場三十度をこす日でも、入った当初はひんやりとしている。これが冬になると、冷蔵庫のようになって、今年は例年より寒いせいか、室温計はここのところ五度から八度を指している。
 しっかりした暖房器具があればよいのだが、今使っているのはデロンギのオイルヒーターである。毎日使えば、月三千円ほどの電気代を食うわりに、暖かさといえば、輻射熱によるほのかな暖かさを感じるだけで、温度計の目盛は上がらない。火鉢とはこんなものではなかったかと思わせる程度である。
 私にとって、冬は一年のうちで、能率のもっとも高まる季節なのだが、もともと長崎育ちのため、寒さには強くない。例年は、Tシャツにトレーナーの重ね着でしのげたのだが、今年は無理で、羽毛のチョッキの上に外套を着てなんとかこの部屋にいる。部屋にいるのもパソコンを見るのも億劫になって、ブログも筆が進まない。
 芝居をやっていた頃は、Tシャツ・トレーナー・ウィンドブレーカーの三点で真冬の屋外でも平気だったのだが、代謝が落ちているのか、そんな時代があったことなど自分でも信じられない。デブは脂肪があるので、寒くないとか言われるが、脂肪の有無より、代謝能力が耐寒性には大きく関わると、私自身デブになって気づいた。
 かなり長い間、「いわでもの記」のレイアウトを灰色のもの(モノトーン)にしてきたが、見ていると寒さが増すようなので、もっと明るいものに変更することにした。今のは「山手線」というものである。目がちかちかするようなものに変えて申し訳ないが、感じはあたたかくなったと思う。

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2006年1月11日 (水)

二日酔いと寝不足

 二日酔いの苦しみは胃によるものと、頭痛によるものと二つに大別される。
 ウィスキーなど濃いままで飲んでいると胃は簡単にやられる。胃がやられる苦しみは、大便器に顔をつっこんで嘔吐したことがある人ならよくおわかりだろう。ここで胃薬を飲んではいけない。かえって吐いてしまう。消化用ではなく、ガスター10のようなH2ブロッカーの胃薬(胃酸が出なくなる薬)を飲めばよいという人もいるが、私はそれほどの効果はないと思っている。適度にスポーツドリンクを飲んでおくのが最善手である。
 頭がやられる二日酔いも、とにかくスポーツドリンクを飲んでしのいでいたが、ここ何年かのうちに頭痛薬がきくことを知った。誰かが飲んでいたのを見て、真似しておぼえたのだが、それが誰だか記憶にない。
 二日酔いによる具合の悪さが、実は睡眠薬で軽減することを知った。一錠だけ、睡眠薬のハルシオンをもらったことがあり、酒を飲んだときに一緒に飲んでみたのである。翌日はじつに爽快で、二日酔いの苦しみと思っていたものの一部は、睡眠不足の苦しみが原因だと知った。お酒は、眠さを吹き飛ばすところがある。飲んでいると通常なら寝ているはずの時間でも平気でお話しなどできるわけだが、飲み過ぎると、眠りが浅くなってしまう。結果として、飲んで寝ると寝不足になる。
 じゃあ、なにか機会を見つけて、睡眠薬を手に入れて、飲んで寝るときには、服用したいかというと、それは御免蒙りたい。江利チエミの窒息死ではないが、吐瀉物がつまりそうになっても起きられないことを考えると、お酒と睡眠薬をともに用いるのはかなり危険である。それに快楽をむさぼれば、そのぶん、痛い目も見るということが人間には必要なのではないかと思うからである。

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2006年1月10日 (火)

買物はナンバー2に

 買物は非常に難しい。芝居の仕込みの現場から急遽なにかを調達しなければならない場合に、使える部下(あるいは仲間)のうち二番目の腕利きを派遣することに私は決めていた。一番の腕利きは現場に残しておきたいが、必要な品が現場のどこにつかわれて、どんな品であるべきで、どれほどの分量が必要かをきちんと理解できる人間でないと買物はつとまらないので、結果としてナンバー2を送ることになる。
 友人Nが舞台監督をやっている仕込みに、私がいた劇団の演出家Dさんと私とで顔を出したときに、買物を任された劇団の若い役者が、ふてくされたように「**は売っていませんでした」とNに報告した。Nはああそうと言っただけだったが、Dさんは(知り合いの舞台監督の)Hさんだったら怒鳴っているぞとあとで私に言った。私は、つかえない奴を買物に出すNが悪いと思っていたので、黙っていた。
 そういえばNが劇団に入りたての頃に、その恐いHさんにビニールテープを買ってくるように頼まれて、ラインテープみたいなのを買って、「これだから素人は」とだけ言われた話を思い出した。

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2006年1月 9日 (月)

たった一度の出演

 かつて、AV女優の失踪から始まるSFとミステリーがごったになった芝居にかかわったことがある。裏方をやっていたのだが、ADの役があって、わずかながらそれにかりだされているのが、裏方尽しだった私にとって、唯一まともな芝居への出演である。
 芝居の冒頭は、AV女優の、カラミでないインタビュー映像から始まる。芝居の本編に出る連中ではダメなので、役者Fさんの友人に出てもらった。その人は芝居の訓練を積んでいる人ではなく、本当の素人さんだった。
 インタビュー映像は素人くさくてはまったくかまわないのだが、その人がもう十年以上経って、私は若い頃AV女優をやったことがあります、という冗談が言えるかどうか。自分がその人の名前すら覚えていないせいもあるのだが、その人もそういった芝居にかかわったことをすっかり忘れているのではないかと思っている。

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2006年1月 8日 (日)

裁判員制度

 平成21年5月28日までに裁判員制度がはじまる。人を殺したり、女性に暴行したり凶悪の限りを尽したにもかかわらず、無期懲役で済んで、軽いもんだねとニュースを聞きながら思っていると、被告は上告しているとアナウンサーが続けて読んで、すごく腹が立つことが最近多い。裁判をオレにやらせろ、必ず死刑にしてやると、この裁判員制度に私はやる気満々である。
 ただ、殺人事件などは簡単に審理できそうだが、今回の耐震偽造事件などでは、責任の所在が難しく、どう判決を下せばよいのか、頼まれもしないのに裁判員になったつもりで、早くも頭を悩ましていた。
 今回の記事を書くにあたって裁判員制度に関するホームページを見たのだが、対象となる刑事事件は、
http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/event.html
によると、凶悪犯罪ばかりである。その頁の下位分類の「罪名別の事件数」でも凶悪犯罪ばかり。そうか、難しいことは考えずにすむのだなと、ひと安心し、よしやるぞと気合いを入れ直す。
 その一方で、裁判員制度とは、凶悪犯罪への懲罰を重くし、かつ判決が早く出るようにしたいのだけど、自分たち裁判官はやりきれないので、「民意」にまかせましょという制度の気がしないでもない。

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2006年1月 7日 (土)

読書の空間

 前日の続き。雑誌「男の隠れ家」(あいであ・らいふ)2006年2月号の質問のうち「気に入っている読書の空間」は、これを答えることが自己表出につながることを考えると難しい質問である。
 寝床・書斎・移動の乗物・山荘があげられるのはよくわかるが、とりたてて面白くはない。回答にトイレが意外と少ないのは、みんな気取ってのことか。
 そんななかで、山本一力(時代小説作家)が、

硬い椅子に座り、うまいコーヒーが手元にあれば、空間は問わない。柔らかい椅子だと身体が沈み、落ち着かない。

と答えているのは上手い。読むだけでなく、書くのも硬い椅子だろう。作風・外見からして、柔らかい椅子ではあわない。
 もっとも、この人の書いたものは雑誌のエッセイしか読んでいない。あとはテレビにコメンテイターとして出演していたのを見たぐらい。売れているようなので面白いのだろうが、『深川黄表紙掛取り帖』(講談社文庫、2005・11)なる小説が「元禄バブルの厄介事を若い四人がスカッと解決」という帯で売られているのをみると、考証面にはかなりの不安を感じる。

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2006年1月 6日 (金)

今までで最も面白かった本

 正月のつれづれに肩のこらないものでも読もうかと雑誌「男の隠れ家」(あいであ・らいふ)2006年2月号を買ってきた。特集は「156人の384冊」として、「2005年、最も印象的だった本」「今までで最も面白かった本」「気に入っている読書の空間」の三つを知識人を中心にきいたものである。
 こういった企画をやると、かならずそういったものは決められないと答える人が出てくる。最も面白かった本あるいはベスト**など決められないものをあえて決めるところに、お遊びとしての面白さがあるのであって、答えられないなら引き受けなければよいといった憤りを、唐沢俊一のホームページ裏モノ日記で読んだことがある(新聞書評の評者に対してだった)。
 唐沢俊一の怒りはもっともだが、そういった「困ったちゃん」がでてくることは編集者にとっておりこみずみのことなのだろう。答えられないというのなら、編集者の判断で外してしまえばよいのだから。むしろ、カラオケボックスに行きながら、いや私は絶対歌いませんといった不粋な人間を許容しないとかえって場がしらけてしまうように、読んだ本の最善を決められない人間をも含めてやるのが企画として幅が広くなる。
 ちなみに決められないと答えているのは田中優子(法政大教授)・四方田犬彦(明治学院大教授)・大森一樹(映画監督)。利口ぶった受けこたえをしている自分たちが実は晒し者だと理解できているか。その点、塩田丸男は「『一番面白い』なんて注文はムリですよ。」といいつつ、「強いていうなら三好達治『諷詠十二月』(新潮社)」ときっちり答えている。答える答えないは、売文が生活を占めている割合の違いによるのだろう。
 「今までで最も面白かった本」への回答は、純粋に娯楽としての絶対値が大きいことではなくて、回答者の個性をふまえて、いかにも影響をいそうな本が選ばれることが好ましい。
 紀田順一郎の「今までで最も面白かった本」が永井荷風『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫)なのは、さすがに読書家だけあって、この手の質問への回答は手慣れた感じ。わざわざ岩波文庫を選んでいるのも、啓蒙家としての自分のニンを知っている。書誌学者林望が「今までで最も面白かった本」に『源氏物語』をえらび、「ただし面白いのは原文のみ」としているのも、いかにもである。
 テリー伊藤の「今までで最も面白かった本」が堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』であることや、乙武洋匡の「今までで最も面白かった本」が沢木耕太郎『彼らの流儀』であるのは、聞けば納得で、こういったちょっとしたことでも、自己表出に長けた人たちは違うのだと感じる。
 ついでに書いておくと、「今までで最も面白かった本」の回答をそのようにうがってみているので、他人があげているからといって、自分も買ってみようという気にはほとんどならない。今回でいえば、雑誌にあげられた384冊の内、持っている本読んだことがある本を除いて、長尾みのる(イラストレーター)が「2005年、最も印象的だった本」に選んだ礫川全次編『左右の民俗学』(歴史民俗学資料叢書、批評社、2004・10)だけが興味をひいた。
 中学生が「今までで最も面白かった本」ときかれて、ハリポタだよ答えてしまうように、娯楽として面白い本をあげているひともいる。夏目房之介の『指輪物語』や林文子(ダイエー代表取締役会長兼CEO)の吉川英治『宮本武蔵』がそうである。こういった回答ができるひとは、かえって心の直ぐな人だと感じる。
 『東大教師が新入生にすすめる本』(文春新書、2004・3)では、小説をあげている人が理系に多く、文系とくに文学系では小説はすくなかったと思う。小説への感動を素直にいうのは勇気がいって、なまじ文学系にいると、「ええっ、あんな本で喜んでいるの!?」といった他人の批判がこわくて、娯楽性の強い小説はあげられない。なお、『東大教師が新入生にすすめる本』だが、理系の先生の選んだ本には、かつては名著だったけれども、文系ではもうダメと烙印がおされている本が多くあって、真に受けては危険である。
 さて、他人を批判するばかりでなく、私もこの遊技に乗じてみよう。「今までで最も面白かった本」だが、性格に影響をあたえたという点で玉木正之『プロ野球大事典』(新潮文庫)をあげておく。「気に入っている読書の空間」は簡単で、これは寝床。「2005年、最も印象的だった本」がちょっと難しい。縛りはないが、自分としては2005年に出された本を選びたい。岩波書店「落語の世界」三部作をあげたいが、これは2003年の出版。面識のあった中込重明の絶筆『落語の種あかし』(岩波書店)も出版は2004年(もうそんな昔か)。洋書のハリポタをあげて、洋書も読めるぞと自分を誇示したいが(実は生涯で読んだ二冊目の洋書)、「面白い」ではなくて「印象深い」なので、小説本でないほうがよいか。大先生(師匠の師匠)にもらった本(2005年12月31日の記事参照)はいろいろな面で印象深いが、私の素性をふれてまわるようなものなので、書名が出せない。うーん、でもしょうがない。大先生の本としておこう。

補記:2006年1月22日の産経新聞(センター試験国語のため買いました)の「この本と出会った」で夏目房之助はカスタネダ『未知の次元』をあげている。現在では文化人類学者カスタネダの著述は創作だとの評価が固定されているが、それは承知らしく「フィクションに過ぎないといわれた。僕もそう思う。が、フィクションにしてもよくできていて、そこに出てくる挿話と『教え』には三十代の頃ずいぶん影響をうけた」とあげている。「男の隠れ家」の「最も面白かった本」が『指輪物語』で、『未知の次元』を温存しているのは、欄がせまくて誤解のない説明できないのもあるだろうが、したたかさを感じる。いや、それでも『未知の次元』をあげたところは、心が直ぐなことのあかしなのか。
 

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2006年1月 5日 (木)

『ハリーポッターと炎のゴブレット』(字幕版)

 『ハリーポッターと炎のゴブレット』(字幕版)を観てきました。映画版『ハリーポッターとアズカバンの囚人』を観たときは、原作および翻訳本を一切読んでいなかったのですが、今回は翻訳本はもとより「HalfBloodPrince」(謎のプリンスの邦題はやむを得ないか)まで読んでの観劇です。
 「炎のゴブレット」は翻訳本で二冊組と従来の倍の分量があります。上映時間もほぼ三時間ととても長かったのですが、なんとか時間内にうまくまとめられています。私は十分楽しんだのですが、一緒に観に行った妻はさわりだけのダイジェストという印象で、底が浅い感じと言っていました。
 なんと、三歳ぐらいの女の子を連れてきているおかあさんがいました。どうなることかと心配したのですが、一回退場しただけで、女の子は最後までおとなしくしていました。もっとも、女の子はずっとおかあさんにしがみついたままで、スクリーンを観ておらず、せめて吹き替え版に連れていってやれよと心より思いました。

 以下、ちょっとネタバレですが、気になったことを一点だけ。
 最後の試練の迷宮(『シャイニング』のジャック・ニコルソンが出てくるかと)で、セドリック・ゴドリーが樹木に襲われた際に「Harry! Harry!」とハリーの名前を呼びます。字幕では「助けて」になっていたと思います(間違っていたら教えて下さい)。
 字幕の戸田奈津子さんは、誤訳で有名で、『指輪物語』の映画版では直訳すればいい箇所を意訳したことからおかしくなってしまったのですが(なおDVDでは修正されている)、ここも直訳でよかったのでは。
 セドリック・ゴドリーはホグワーツ校の正統な代表であり、ハリーよりも年上です。ゴドリーにも矜持というものがあるでしょう。ここで「Help me !」と言ってしまっては、ぶちこわしです。助けてといいたいけれど言えないから「Harry! Harry!」と言うにとどまったところに、機微があるのだと思います。

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2006年1月 4日 (水)

先生気質

 昨年十一月にハウステンボスで写真を撮って下さいと、団体さんの代表とおぼしき若い女性に声をかけられ、カメラを手渡されたはいいが、団体そのものはまだバラバラで、背景としたいらしい風車の前には集まっていない。
 若い女性は、てんでバラバラに写真を撮ったりビデオを回しているおっさんたちに声をかけるが、おっさんたちはいっこうに気にかけるでもない。私とて四人連れで移動の最中だったので、それらがまとめて足止めを食っている。
 カメラを返して、ほかにあたんなよと言ってやろうかと思った矢先、若い女性が「先生先生、早く早く」と言っているのが聞えて合点がいった。
 経験上、先生と呼ばれる人種は、よく見ているし、私もなったことがある。この先生なる人々ほど気が利かないものはない。なにせ、おのれが偉くて他に注意するもののない職場にいる。管理職は少なく、仕事も一般企業に比べると厳しい評価を受けることがない。他人への気配りができないことでは群を抜いている。
 待たせた私には、元気印の若い女先生だけが侘びを言ったが、私を待たせる原因となったおっさんたちは私の存在などハナからないような振る舞いである。デジカメでない頃なら太宰治の『富嶽百景』ではないが、あさっての方向を撮ってやるのだが。
 とっても明るい若い女先生に、人のことを意に介しないおっさん先生に、ああよくあるね、学校の先生ってと心の中でつぶやきつつ、先生という人々の集団には戻りたくないと思った次第。

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2006年1月 3日 (火)

カタカナの印象

 ひらがなが漢字をくずして作られ、女房たちに使われたのに対し、カタカナは漢字の一部をとって作られ、僧侶が仏典の注釈をする補助に使われた。先の大戦まで、公文書はカタカナという決まりがあったように、カタカナとは固い文章に使われるのが通例であった。
 くずし字の含まれた江戸時代の文章を、現代の文字の置き換えることを翻字というが、カタカナで書かれた文章は、カタカナで書かれた意を汲んでカタカナのままにすべきだと主張している先生もいる。少し古い例だが、岩波古典文学大系(いわゆる旧大系です)の『太平記』(後藤丹治ほか校注、1960)はカタカナのまま翻字されている。
 今となっては、カタカナは外来語に使われるのが圧倒的に多い。カタカナで書かれた文章が多少エキゾチックというか軽いという印象があるのはそのせいだろうか。
 私は時代遅れなので、カタカナで「アイタイ」とか「ドウシテル」と書いてあれば、むしろ堅苦しく感じてしまうのである。

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2006年1月 2日 (月)

上方落語

 ここ一年ほど上方落語に凝っている。何より、今まで知らない咄を知ることが出来るのが大きい。落語の活字本は買いはしていてもほとんど読まないのが常だったが、上方落語の本は読んでいる。ちくま文庫の桂米朝コレクション、同じくちくま文庫の『桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間』や『らくごDE枝雀』が面白い。枝雀コレクションも2005年末より始まった。CD・DVDは米朝や枝雀からはじまって、今は笑福亭松鶴(六代・七代)・桂文枝・桂文我にも手を伸ばしている。特に好きなのは米朝師匠で、本では『落語と私』『私の履歴書』『桂米朝集成』『対談 笑いの世界』も集めた。実は一回だけ、米朝師匠の「天神山」の裏についたことがあるのだが(道具として障子をたてる必要があるのです)、その話はまた別に機会に。
 『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、米朝が復活させた上方の大ネタである。ちなみに田島征彦『じごくのそうべえ』というダイジェスト版絵本もあって、息子のお気に入りである。長くやると一時間以上かかる話だが、最後は閻魔大王によって、軽業師和屋竹の野良一らが地獄をめぐらされる展開になる。これを初めてCDで聴いたとき、突然そのあたりの筋をはっきりと思い出した。どこかで聴いているのである。
 私は小学生や中学生の頃、AMやFMラジオでよく落語を聴いていた。狙って聴いていたのではなくて、ただラジオをつけていたときに、落語番組がくることが多かった。漫然と聴いていたので、ほとんどその内容は忘れているが、『地獄八景亡者戯』もそうしたラジオ番組で聴いたのではなかったか。ラジオでの落語体験が、私の落語好きの基礎を作っている。
 

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2006年1月 1日 (日)

無礼と残心

 マイラインでKDDIを利用しているのだが、KDDIに委託を受けたエクスポートなる会社から、基本料金がNTTよりも月々600円安くなるので、その手続きをしないかと電話を受けた。パソコンの設定など変更しなくて大丈夫かと繰返し尋ねたが、なにもしなくていいのでと向こうが言うので、じゃあお願いするというと、折り返しさらに委託の会社から電話するという。アソウなるオバサンは一分で電話すると言って電話は切られたが、折り返しの電話がかかってきたのは七分ほど後。
 新しい電話の若い男性が言うには、プロバイダーを含めてKDDIに変更しなければならないとのこと。かつて電話やダイレクトメールをもらっていたので、ああメタルプラスのことだったのねと理解して、じゃあいりませんと言うと、レイコンマ三秒ほどの早業で何も言わずに電話を切られた。
 これもKDDIのマイラインなど利用しているためなので、マイラインを変更する予定である。変更手数料は840円だが、時間と精神衛生にはかえられない。

 2005年12月31日の記事で、大先生(師匠の師匠)の随筆を紹介したが、そのなかに「客を送る」と題した文章があったことをこの無礼な電話で思い出した。その文章では『徒然草』三十二段から、女性が相手を送り出した際にすぐ扉を閉めて掛金をかけるのではなく、相手を送り出したまま妻戸を少し開けて月を眺めていることを、兼好が余韻のある振る舞いとなつかしんだと紹介している。そして、「私は来客が送って出る度に、門の扉の前でいつもこの話を思い出してしまいます。電話がすんで受話器を置く、その時の呼吸にもやや似たところがあるでしょうか。」と結んでいる(筆者と書名を紹介できないのがまことに残念)。
 
 先の無礼な電話で、大先生の本を思い出したのだが、もうひとつ思い当たることがあった。
 私はかつてジュンク堂書店の店員の態度が好ましくないことがあるとこの記事に書いた。そのあと、何度か店員に声をかける機会があって、まあ普通の対応をしてもらったのだが、一度だけあまりいい気がしないことがあった。それがどうしていい気がしないのか、そのとき原因が自分でもはっきりしなかった。しかし、それが何だかわかった。
 ジュンク堂の店員にどこかの棚に案内してもらった際に、なんとなく嫌な態度と思ったときは、店員が身を翻す速度が非常に速かったのである。そのため、つまんない本を探すのに仕事中に呼び止めて悪かったかなぁという気になる。もちろん、ちゃんと案内してくれているわけなので、悪印象はお門違いなのだが、ふるまいに心を残すか、剣道でいうところの残心ひとつで印象が変わってしまうのでは、その店員は損をしている。
 私の接客業の経験といえば、劇場のアルバイトだが、かくいう私も、案内のあとの身のひるがえし方が素早かった気がしてならない。ため息が出るが、後悔は先にたたない。

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