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2005年12月13日 (火)

映画評:『機動戦士ZガンダムⅡ -恋人たち-』

 12月1日にシネリーブル池袋で『機動戦士ZガンダムⅡ -恋人たち-』を観てきました。一作目は三人で観ましたが、今回は都合がつかず一人で観ました。映画の日だったそうで千円で観られて得しました。平日昼間の回ですが、映画の日のせいか、三十人ほど入っていました。埼玉でⅠを観たときは、男客かつ十代の若者ばかりでしたが、カップルあり、女の親子連れありと客種に富んでいました。

 最近になって、知り合いの美少女Kさん(二十代ですが)がビデオ百円の日を利用してZガンダムを観ていたことを知ってかなり驚いたのですが、ロボットアニメは男の観るものという固定観念は古いのかも知れません。でも、女性客にはGacktの曲を聴きに来た人もいるとは思います。

 さて、前回がテレビ版全五十話のうち第十四話までで、ちょっとペースが遅いと思っていたのですが、今回は第十五話から第三十二話まででした。ラスト一回で五十話まで終るか心配です。

 とはいえ、テレビ版十八話分を一時間半ほどの映画にするのも、結構大変だったようで今回の内容も大とばしで進んでいきました。テレビ版を観ている、予備知識があるの二点のおかげで、内容が追えたのかもしれませんが、よくまとまっているのではないでしょうか。変わったところとか、省略されたところが、上映途中にちらちらと頭に浮かんで、テレビ版を見直してみたいと思いました(ハッ、それが狙いか)。

 前作もそうでしたがテレビ版と書き下ろしの映像がごったになっているのが、つらかったです。ホンコンシティあたりは書き下ろしも多かったのですが、宇宙に戻ってくるとテレビ版の映像ばかり。もう、文句を言ってもしょうがないのかも知れませんが、もう少し頑張って欲しい。

 ホンコンシティから始まるフォウのエピソードは、心の中で「おぉ、ホンコンだよホンコン」と叫んでいました。実をいうと、Zガンダムはあまり好きではないのですが、やはりホンコン篇はいいです。ホンコン篇がZガンダムを名作にしているのは間違いないでしょう。書き直しのフォウはちょっと女らしくなったでしょうか(今時ならちょっとフェミニンになったぐらいいうのでしょうが)。

 フォウの声優が島津冴子さんでないのは、盆暗な私にもわかりました。サラの声が違うのも。今回のZガンダムではサラとフォウの二人の声優がオリジナルから変わっているのですが、このことについて、のちにまとめて書きます。

 今回の内容を観て思ったのですが、第三作では、ひょっとしたらロザミアのエピソードと、「キリマンジェロの嵐」「永遠のフォウ」が割愛されるかもしれません。

 書き直しですが、アニメ技術の向上は感じます。冒頭でクワトロたちが正面に滑り降りてきます。アニメで真っ正面に移動する人(物)を描くのは難しいと、宮崎駿が書いているのを読んだことがあります。コンピューターがそういったことを可能にするのでしょうか。戦艦の動きなどもそうでしたが、ところどころに、どうだこの技術を見てみろ!と言わんばかりの場面がありました。

 新訳をうたっていますし、テレビ版と切りはなして、映画版を評価したいのですが、それを妨げているのは、しつこいぐらいくりかえしますが、テレビ版の映像を使っていることです。それがなければ、今回の声優問題はなかったか、より小さなものだったと思います。

 島津冴子さんは、もう声優業をやめてしまったのかと、うちでネット検索して驚きました。島津さんが代理人を通して発表している内容などから判断すると、どうやら、
 1、音響監督が何らかの理由で島津さんを使いたくなかった。
 2、音響監督が何らかの理由で「ゆかな」さんを使いたかった。
 3、あるいはその両方。
によって、今回のフォウは島津さんからゆかなさんになったそうです。何らかの理由については、ネット検索しかできない私にはもうわかりません。

 それで、フォウを島津さんに戻して欲しいという運動が起きているのが声優問題です。
 常識的に考えれば、絶大な人気があったフォウの声優をかえてしまうのというのは、変です。しかし、一部で噂されるように、島津さんに大きな故障があったり、音響監督の藤野貞義氏が膝にのった女性を抜擢した、という極端な話ではないと思っています。
 
 私は、役者の半数程度を毎回集めてくる形式の劇団にいたことがあります。ある公演で、お客さんにウケても、なんとなく一緒に仕事がやりづらい、同じタイプでもっとよい(と思われる)役者を使いたいといった理由で、演出家が次の公演にはその役者を使わないということが何度もありました。
 
 今回の藤野貞義氏の件は、サラを池脇千鶴さんにまかせたこともありますし、声優の面でなんらかの新機軸を打ち出そうとしていたのだと思います。

 しかし、大人だったら、少し探して連絡が取れなかったのでこれ幸いと知らないところで話を進めるのではなく、徹底的に連絡先を探して島津さんに断りを入れておくぐらいの仁義はきっておいてよかったのではないでしょうか。
 島津さんのフォウを楽しみにしていた人は憤懣やるかたないでしょうし、島津さんの心中は察するに余ります。

 それはそれとして、ゆかなさんのフォウですが、声質は島津さんよりやや細いですが、演技は島津さんの型にのっとったこともあって、しっかりしていて、きちんとフォウを演じきったと思います。山田康雄さんから栗田貫一さんに声優が変わった頃のルパン三世のように(今はかなりいいそうですが)、ちょっと気持ち悪くて受けつけないなぁということはありませんでした。
 
 こんなことを言って慰めになるかわかりませんが、Zガンダムが、百年、二百年と受け伝えられ、時には再アニメ化などをされていく際に、おそらく島津さんのフォウが、のちのフォウを演じる人たちの亀鑑になるのではないでしょうか。

 フォウの声優変更より、演出の違いという点で、検討しなければならないのはサラの声優変更だと思います。

 正直に言いますとテレビ版の時は、サラは見ていてどうでもよいキャラクターの一人でした。映画版では、サラのエピソードは多く取り上げられていて、サラというキャラクターを話の中心に据えようという意図が伝わります。声優ではなく、普通の役者の池脇千鶴さんをもってきたのも、サラを重視して、といって間違いありません。
 
 池脇千鶴さんのサラですが、上映中は誰がアテているんだ?、ジブリのアニメかい、と思いました。エンドロールで池脇さんだとわかったのですが、あえてプロの声優をつかわないジブリのアニメと同様の効果があったと思います。台詞が浮き立って、印象づけたという点では成功でしょう。

 しかし、映画版では「シロッコの眼」などパプテマス・シロッコがらみのエピソードが割愛されていることもあって、梟雄シロッコの凄さが伝わりません。結果として、シロッコに縛られているサラも、あやふやな感じがします。
 これは映画の尺にかかわるので、どうしようもないのかもしれません。第三作で、第二作でここまでサラをとりあげたことが無駄にならないことを祈ります。

 そういえば、バスク・オムもでてきません。視覚障害者への偏見を助長するとか非難をうけて、登場できなくなったとかでなければよいのですが(出てこなくてもいいけど)。

 声優の変更は、演出効果としてはともかく、営業面では失敗だったのではないかと思います。アニメファンは非常に保守的です。ノスタルヂアを求めてZガンダムの映画版を観る人も多いでしょう。その人たちへの切り札は、これは新訳なんだ、ということになりますが、テレビ版の映像が多く使われているようでは説得力がありません。
 かえすがえすも、予算不足が悔やまれます。

補記:2005年7月15日の記事が第一作の感想です。

補記2:『語ろうZガンダム!』(レッカ社著、カンゼン、2005・10)の「ゆかなさん」のインタビューを立ち読みしました。ゆかなさんはTV版を見ていないそうなので、ゆかなさんのフォウが島津さんのフォウに沿ったものという見方は間違いかもしれません。ただし、地声に近い声を出したら、富野監督に「アニメじゃないんだ!」と怒られたので、ロザミヤ・バダム対象のオーディションで使ったより低い声を出したそうですので、演出する側は島津さんのフォウを意識していたのではないかと思います。2005.1.02

補記3:そういえばバスク・オム劇場版第一作にでていました。誰も指摘がなかったというのは、その筋の人たちは私のブログなど読んでいないということか?2006.2.22

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