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2005年12月27日 (火)

西野朗の名誉回復

はじめに:補記にも記したように、この文章は「週刊アカシックレコードのような陰謀説を書いてみたいと思ってものした戯文」です。妄想を書いてみたいと思ったので、書きました。おしまいまで読めばはっきりと戯文とわかると思いますが、なんてでたらめなことを、と途中で怒りだす人がいるかもしれないので、冒頭に書いておくことにしました。(2008.07.13)

 2005年度のJリーグは、最終節にガンバ大阪が優勝を決めた。前に書いたように、私はジェフ市原千葉を応援しているが、ガンバ大阪の優勝には惜しみなく賞賛を送りたい。2000年度前期のシーズンで、セレッソ大阪が延長で敗れ、横浜Fマリノスの優勝が決まるのを、マリノスの試合が終った後の、国立競技場オーロラビジョンで見たことがある。今回最終節はは、テレビでセレッソ大阪の試合を観戦していたが、サッカーとは本当に下駄を履くまでわからない(古めかしい表現だが興行だしこれを使いたい)。

 さて、ガンバ大阪の西野朗監督は、これで憑きものがおちただろうか。憑きものとは、もう十年ほど前になる1996年のアトランタオリンピックを取材した金子達仁『28年目のハーフタイム』(文藝春秋、1997・9)によって着せられた汚名である。

 この本によって、アトランタオリンピックでブラジルから金星をあげ、予選リーグ突破寸前までの戦果を上げた名将という栄誉は失われ、ブラジル戦の前に大敗の悪夢をみる小心な人間、また才能溢れる若い選手たちを統率できない凡将であることが、あまねく宣伝されたのである。

 では、西野朗の実力はその後どう発揮されたかというと、柏レイソルの監督時(1998~2001)には、1999年、同クラブにナビスコカップをもたらした。2000年には年間最多勝ち点をあげ、総合3位となり、Jリーグ最優秀監督賞を受賞している。

 2001年の途中で解任されるが、2002年より監督を引き受けたガンバ大阪では2002・2004年に年間3位の成績を上げ、そして2005年に年間優勝を果たした。

 以上のように西野朗は決して無能な監督ではなかったが、『28年目のハーフタイム』が中田との不和を報じてしまったため、中田が代表を引退するまで、代表監督にはなれないといわれている。

 西野朗は善人で、どこの馬の骨とも知らないスポーツライターに、聞かれるがままを答えて、相手に都合よく利用されてしまった。のちに電波ライターの名を馳せる金子達仁にとって、西野朗の指導や采配によって勝ったということには絶対にさせない記事を書くことが目的であったにもかかわらず。

 日本の映像市場へ海外サッカーの試合番組(今ならコンテンツとかいうんでしょうが)を売り込む先兵の役割を、電波ライターたちは果たしていたからである(以前書いたが、電波ライターにはちゃんと電波の送り元があり、おかしな発言をするのは頭の問題ではない)。海外サッカーの番組が日本で放送され、日本の雑誌などで海外サッカーへの関心が高まることは、自らの仕事を増やすためにまず有益である。それ以外に、番組放送をもくろむ広告会社などが蔭で糸を引いていたのではないかと推測している。

 海外のサッカー番組が日本でもてはやされる為には、海外のリーグで、日本人選手の活躍が是非とも必要であった。中田たち以前に、カズがジェノアでセリエAに挑戦している。これについて、ヒモつき(資金つき)と金子達仁が批判しているのは、資金を出したのがフジテレビであり、海外サッカー番組を日本に売り込もうとしている会社とは別物だったためだろう。

 「実力」で移籍した日本人サッカー選手の存在が、番組を売り込むためには、不可欠であり、金子達仁ら電波ライターにとって、有望なオリンピック代表選手にとりいり、海外志向を植えつけることは重要な使命であった。

 なお、中田英寿は、カズとは違って、直接の資金援助なしで、セリエAのペルージャに移籍したと言われるが、実際のところはわからない。私は、直接の資金援助はなかったと思っているが、日本でレプリカユニホームを売る算段をペルージャがしていたことを考えると、ジャパンマネーの影響が皆無だったとはいえまい。

 中田英寿はかなりのマスコミ嫌いで知られる。日本のマスコミの低水準にあきれているからと思われているが、中田は決して高水準とも思えないイタリア現地のマスコミにはこころよく取材に応じている。セリエAを放送するチャンネルを持っているマスコミ(日本では新聞・雑誌とテレビの関係が密である)以外は、セリエAに視聴者が関心を持つことは好ましくない。結果として、それら日本のマスコミにとって、中田の取材の目的は、短期的にはその場の視聴率、長期的には中田をおとしめることにある。中田は、英明なのでそれに気がついたのかみしれないが、電波ライターたちが中田にそれをほのめかし、取材源として囲い込もうとしたのが正解ではないか。

 電波ライターの主な活躍の場であった「NUMBER」誌(文藝春秋)は、スカパー!のような衛星放送との事実上の提携誌に早くよりなっている。プロ野球ではわずかに阪神が特集されるだけだが、これも関西以外の阪神ファンは衛星放送を利用しないと阪神戦をすべては見られないためである。今後、巨人が独走態勢になる年があったとしても、巨人を特集する可能性はきわめて低いと思われる。

 閑話休題。金子達仁にとって、幸運だったのは中田英寿が、日本サッカー史上屈指の才能を持ち、環境の異なる異国の地で目覚ましい活躍を果たしたことだろう。金子達仁は、しだいに現場での取材を怠り、有名選手との関係をメシの種にする「おともだち」ライターに堕していったとはよくいわれる批判である。だが、金子達仁は苦労して、自分の駄文を売る市場を開拓したのである。栄華の夢にひたって、駄文でお金を稼いでも、それは年金をもらうようなもので、批判するのは酷であろう。

 金子達仁にとって、大事だったのは、海外賛美と日本批判であり、西野朗の次は、加茂周へと批判の矛先をむけた。金子にとって、さらに幸運なことに加茂周は優秀な監督でなかったために、批判が正鵠を得たのであるが、金子の立場上日本人なら誰でも批判したはずである。

 結局、金子はサッカーそのものへの尊敬の念を失い、日本サッカーへの自虐的な発言を何も考えずに行う習慣を身につけたため、2002年ワールドカップの日本初戦の試合を、不用意にポルノに喩えて、すでに減りつつあった声望を一気に失う。なお、金子ら「電波ライター」を多数起用した「NUMBER」は、ワールドカップ特集では「SPORTS Yeah!」(角川書店・サンケイスポーツ)に大きく市場を奪われる。電波ライターは海外サッカー番組を売り込むことが至上の使命であり、「海外リーグ>ワールドカップ」の評価なので、よい記事が書けるわけがないのである。

 山本昌邦は、2002年ワールドカップで日本代表コーチを務めたあとは、暴露本『山本昌邦備忘録』(講談社、2002・12)を出して、トルシエの名誉を奪い、手柄をおのれに帰した。監督をしたアテネオリンピックは、不十分な成績であったにもかかわらず(あるいは、あったため)、『山本昌邦指南録』(講談社、2005・1)で、自分の指導力を誇示している。

 これについて、西野朗が悲惨な目にあったため、日本サッカー協会が率先して手を講じたのか、山本昌邦が小心な策士なためかはわからないが、誰が書くにせよ、「ノンフィックション」で書かれたことを鵜呑みにしてはならないという教訓だと私は受けとめている。

 2006年ワールドカップのジーコ監督の後釜に、アーセナルのベンゲル監督の名が上がっているが、虚報だと推測している。協会としては、このあたりで日本人監督を登用したいのではないか。だとしたら、山本昌邦よりも西野朗が適任だと考えている。

補記:「週刊アカシックレコード」のような陰謀説を書いてみたいと思ってものした戯文です。次の代表監督ですが、イビチャ・オシムがジェフの監督を来年は引き受けないのなら(引き受けて欲しいのですが)、年齢が厳しいことは十分承知の上で、やって欲しいと思っています。

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コメント

正直、くわしくは書かれていますが、ひいきの引き倒しの文章だと思いました。
「西野朗の指導や采配によって勝ったということには絶対にさせない記事を書くことが目的であったにもかかわらず。」
ですが、彼の文章には西野監督がブラジル戦への対策を講じていたシーンが書かれているはずです。
自分の印象をくわしく書くより緻密な観察に基づいた文章を目指して下さい。

投稿: 提言 | 2008年7月13日 (日) 13時06分

提言さま

まったくおっしゃる通りです。

この文章は根拠のない(に等しい)妄想をつづった文章です。そういうものを書きたくなったから書いたのです。末尾に「戯文」と書いておいたので、真に受ける人はいないと思っていました。

結果として、提言さまのような真摯なサッカーファンに不愉快な思いをさせた(と思うので)謝ります。

Iwademo拝

投稿: Iwademo | 2008年7月13日 (日) 14時28分

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