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2005年10月31日 (月)

文字禍

 中島敦に『文字禍』という短編小説がある(最近ではネットの青空文庫でも読める)。小説の最後では、文字の霊の災いをしらべた学者が、地震により落ちてきた文字の書かれた粘土板によって圧死する。
 私にとって、この最期はなかなか洒落にならない。現在、私のすぐ左側は、六尺たけの本棚のさらに上に、カラーボックスと業者がよぶ小型の本箱が二つ積み重なって天井まで届いている。それらを固定するものはないので、大地震がくれば私の上に箱ごと降ってくることになる。『歌舞伎細見』・『日本随筆索引』正続・高木元『江戸読本の研究』などが頭の上に落下すれば、助かりそうにない。
 もし、助かったとしても、部屋の一番奥にある私の机から部屋の出口まで、本と本棚がひっくりかえるわけで、部屋の中央にも本棚が立っていることもあって、部屋から脱出できるとも思えない。家人には、地震があったら見捨てるようにいってある。ちなみに地震保険はもとより生命保険にも入っていない。

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2005年10月30日 (日)

極細万年筆

 極細字を書くときには、プラチナ万年筆のプレジデントのUEF(超極細)を使っている。同社のEFの万年筆とあまり変わらないようだが、それでも比べてみるとやはりUEFの方がわずかながら細い。もともと、ある翻刻の仕事で、ふりがなのみ手書きという条件があって、それまで三作品に普通のペンでふりがなを付けていたのだがやりにくかったので、極細万年筆を購入したのだった。
 けっきょく、その翻刻の企画はお流れとなり、さらにやるはずの三作品の翻刻もしなくてよくなった。古書蒐集家のFさんにその企画を話したときに、本当に出るんですかねと言われたのだが、そういった仕事をいくつもこなしたFさんからすれば、その企画は完成しないという勘が働いたのだろう。
 行き場を失った極細万年筆は、スクリューキャップで持って歩きにくいのと高いのとで、机の上に置かれて、このブログのネタ帳や超整理手帳に予定を書き込むのに使っている。
 細い字を書くためなら、最近各文房具社で競われている0.4㎜以下の極細字ボールペンで事足り、万年筆のインクよりも耐水性があり大変結構なのだが、ボールペンは極細字だとペン先が滑らず書きづらい。その点、万年筆だと極細字もなめらかに書ける。
 なお、私の極細字万年筆は、長崎のマツヤ万年筆病院が特別調整したもので書きやすくなっている。

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2005年10月29日 (土)

わが万年筆物語

 万年筆は、大学入学時に姉からセーラーのを一本もらった。細かい知識がなかったので覚えていないが、Fぐらい太さで、おそらく一万円ぐらいの品だったと思う。姉からもらった万年筆は、使ってみたところ、機嫌によってインクが出なくなったりと、いろいろと書きにくかったのでほとんど使っていない。
 しかし、卒業論文の百十枚ほどは、その万年筆で書いた(当時、国文学科の卒業論文は手書きという規則だった)。万年筆の使い方をよくわかっていなかったので、ペンを寝かせて使わず原稿用紙を削るように書いていたと思う。筆圧の高い私は万年筆を使うコツをつかめていなかったのである。
 そういった荒い使い方もあって、その後一年ほどしてインクが出なくなり、万年筆は使えなくなった。詰まりをとるため、水につけるなど試したのだが、全然ダメだった。
 代りに、実用的な感じのする一万円ほどの銀色の万年筆(メーカーはパイロットだったかと)を買って、ガシガシ使った。残念ながら、その万年筆は、一年ほどして、ある学会に行ったときに、懇親会でなくしてしまった。なくす可能性を考えると万年筆は携行に不向きと悟り、金欠もあって、万年筆を買うことはその後何年かなかった。
 使えなくなったセーラーの万年筆は、二三年ほど引出しに眠っていたが、あるとき修理を思い立って神保町の金ペン堂に持っていった。老店主は、私の万年筆を見て、うちで買った万年筆でないと修理は引き受けておりませんと言ったが、顔はすごく嬉しそうだった。
 けっきょく、姉からもらった万年筆は引出しに戻し、前々回の引っ越しの際に捨ててしまった。今となっては、書けなくても残しておけば良かったと思う。
 

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2005年10月28日 (金)

消せるボールペン

 消せるインクのボールペンはいくつかある。生徒の答案に添削が必要な塾で、これを使ってみたことがあるのだが、一回目でそのインクを使っていることを見破られて、以後使わないことにした。面白いのだが、使う場面が限られている。書き損じなら、脇に書き直してしまえば済む場合がほとんどである。そうでなくても、消しゴムを使うより、修正テープでなおしてしまったほうが楽なことも多い。
 各社が出しているということは、それなりに需要があるはずなのだが、どのように使いこなされているのか知りたい。

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2005年10月27日 (木)

うろおぼえで

 一昨日、千葉ロッテマリーンズと阪神タイガースの日本シリーズ対戦成績が三対〇になったとき、高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社、昭和63)から二つのエピソードを引用しようと思っていた。
 一つめは、タイガースルールといって、弱いタイガース(優勝した年以外の八十年代のことですよ)のために、外野フライでもヒットになるとか、などの救済ルールのこと。
 二つめは、大洋ホエールズの選手田代富雄(オバQだね)が、野球の神様に、「ロッテオリオンズ」「川崎球場を本拠地とするチーム」「水上善雄がいるチーム」に移ることを選べと言われること。
 さて、タイガースは一昨年(平成15)、そして今年(平成17)のセリーグの覇者である。
 九十年に水上善雄は広島へ移籍し、九十一年にロッテは千葉マリンスタジアムに移り、九十二年にチーム名が「マリーンズ」になった。
 この隔世の感から、先の引用を考えたのである。
 ところが、大学院の同級生だった巨人ファンMから四年ほど前にもらった河出文庫版『優雅で感傷的な日本野球』を読み直すと、そんな場面はどこにもないのである。うーん、高橋源一郎でも『ペンギン村に日は落ちて』(集英社、平成1)だったか、『さようなら、ギャングたち』(講談社、昭和57)だったか……。
 最近、論文を書いていて、複写は手元にないものの、「**は~~ということを言っている」として他者の本から言説を引用したのだが、注をつける段になって調べなおしたところ、私が記憶していたような内容は、その本には全くなかった。しょうがないので、言説の引用そのものを省いてしまった。
 このようなこともあって、うろおぼえが多いものだと、呆れている。

補記1、水上善雄さんは現在マスターリーグで活躍中のようです。さすがに現役時代の髪型ではないようです。なんと、ブログも書いていらっしゃって、少し読んだのですが、かなりいいことが書いてあります。

補記2、「マリーンズ」というのは、九十一年に週刊マガジンで連載が始まった「名門!第三野球部 飛翔篇」(要するにプロ篇です)の千葉の弱小球団「千葉マリンズ」(セリーグという設定でしたが)と、同じで(名称はロッテがあと決め)高校の同級生たちとおおいに受けたもんです。

補記3、昨日マリーンズがタイガースを破って日本一になりました。マリーンズおめでとう。ロッテファンで、もう十年以上も会っていない高校時代の同級生Eも喜んでいるでしょう。マリーンズの選手が三勝目の勝利インタビューで「阪神は近鉄より弱い」とか言っておけば、最終戦までもつれたかもしれません。

補記4、上記に関して。近鉄バファローズはもちろん平成十六年が最後です。「阪神は近鉄より弱い」は、平成元年の日本シリーズで、第三戦までに近鉄が三連勝した際、加藤哲郎投手が勝利インタビューで言った「巨人はロッテより弱い」(ロッテはその年パリーグ最下位でした)の洒落です。今、ネット検索にかけると加藤哲郎投手は、実際のところ、そのような発言をしておらず、インタビューを過激に意訳した新聞の見出しがそうだったため、暴言を吐いたと思われたそうです。いやぁマスコミって怖い。
 平成元年のシリーズをビデオに録って見ていた高校の同級生によれば(当時の日本シリーズは昼興行だったし、貧乏なうちにはビデオがなかった)、日本テレビのアナウンサーが加藤哲郎投手に無礼な質問をしたので、腹を立てた加藤投手がそういったとのこと。アンチ巨人ファンの同級生どうし、加藤投手の発言(とされたもの)には溜飲を下げたのですが……。

補記5、日本シリーズが昼興行だったころは、携帯ラジオをクラスのうちだれかが持ってきて、授業中こっそり経過を報告するのが(日本中?)当たり前だった。意気な先生がいて、授業をやめにして日本シリーズを一緒に聴いたこともあるが、今なら問題になるんだろうなぁ。

補記6、ケーブルテレビに加入しているので、プレーオフは第一戦から観てました。さすがに時間がないので、要所要所でテレビをつけて確認という形でしたが、ライオンズ戦、ホークス戦ともに熱戦ばかりで、久しぶりにプロ野球を堪能しました。埼玉に住んでいるのでライオンズを、長崎出身なのでホークスを応援していましたが、マリーンズの頑張りがまさったようです。
 日本シリーズは大差がついた試合もあったものの、有識者の解説によればちょっとしたことで、流れが変わってしまったことが何度もあったようです。点差は開いた試合でも、内容は接戦だったということでしょう。
 何にせよ、いいファンのいるチームが勝つことはいいことだと思います。

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2005年10月26日 (水)

手紙を手書きで

 手紙は万年筆で書くことが最近は多い。以前は、かなり親密な手紙もワープロで書いていた。悪筆で、自分の字が嫌いだったこともある。ところが、いまはちょっとした便箋や封筒を揃えて、手書きで書く方が楽しい。
 国文学に関しては、今の七十代以上のほとんどの学者が、パソコンを使いこなせない。パソコンを使う人は、ワープロ書きでも気にしないが、使わない人は気にすることが多いようだ。ワープロ書きでは返事が来ず、手書きだと返事が来ることも何度かあった。
 私が手紙を書くときは、手書きの場合でも、一度ワープロで作成してから、手紙にしている。推敲せずに書けるほど、頭は良くない。
 それに、ワープロで下書きをしておくのは、送った手紙の内容が残っていないのが困るからだ。上は徳川家から下は(?)本居宣長まで、近世期の人は手紙を送る際に写しを作ってから送っている。高島俊男のように、送る前にコピーしてスクラップブックに貼っておくのも手だが、手間がかかる。
 けっきょく、文字は記号としての役割さえ果たせればよいのだから、ワープロは失礼というのは誤った考えだろう。野口悠紀雄は『「超」文章法』で、ワープロで書くのが失礼なら、簡便な筆記道具である万年筆で書くのも失礼で、筆で書かねばならない、と皮肉を述べている。
 にもかかわらず、私がご高齢の研究者に手書きで手紙をしたためるのは、手書きがぬくもりがあってよいとかいう理由ではない。用事を書いた手紙などすぐに捨てられると思って書いている。手書きで書くのは、ワープロを使えばあまりに簡単にたくさんの文章がかけて、こちらだけが安易に情報(意見を含む)を長く伝えられるのは、不公平だと思うからである。
 

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2005年10月25日 (火)

玉木正之『プロ野球大事典』

 私の高校時代の愛読書に、スポーツライターの玉木正之の『プロ野球大事典』(新潮文庫、平成2・3)がある。事典であるが、文庫本である。「悪魔の辞典」調の皮肉がきいた内容で、ひょっとしたら私の皮肉屋の気質を助長させたかもしれない。
 高校卒業後も長い間大事にしていたのだが、五年ほど前にアメリカの大学院に留学する野球好きの後輩Mへの餞別に、ほりのぶゆきのマンガ『荒川道場』とともに渡したのだった。

 先日、ブックオフで『プロ野球大事典』を百円で買った。この本も初版だった。私は『プロ野球事典』を本の小口が黒ずむほどに読んだのだが、ブックオフで買った本は、ブックオフ名物の本削りのせいか、ほとんど読まれた形跡がない美本だった。

 平成二年の刊行であり、選手はすっかり世代交代しているが、内容は少しも古びていない。玉木調にいえば、プロ野球界の変わらなさを示していると同時に、プロ野球がどの時代にも通じる普遍的な面白さを持っているという証しであろう。この本の面白さを伝えるためにいくつか項目を紹介しておく。

 まず、「えいきゅう【永久】」から、

長嶋茂雄は、現役を引退するときの挨拶で、「わが巨人軍は永久に不滅です」といったのであり、「永遠に」とはいわなかった。ところが、この名セリフがあらためて紹介されるときは、なぜか必ずといっていいほど「永遠に」と誤って引用される。「永遠」という言葉は、ニーチェの「永遠(永劫回帰)」、ライプニッツの「永遠の心理(ママ)」、のように、形而上の問題を語るときに使われる場合が多く、一方、「永久」という言葉は、「永久機関」「永久気体」「永久選挙名簿」といった具合に、形而下の問題を語るときに用いられる。したがって、「永久に不滅」といった長嶋茂雄は、「たとえわたしがいなくなっても、巨人というチームは勝ち続けますよ」と、ジャイアンツに対して気配りをしたのだった。が、「永遠に不滅」と思いこんでいるファンは、「長嶋茂雄のいたジャイアンツは、われわれの心のなかで、いつまでも生き続けている」と解釈しているのである。

 「永久」を「永遠」として引用する間違いは『逆境ナイン』の初版にもあるが、よく目にし、耳にする。普通に考えれば、世人が耳慣れない「永久」ではなく「永遠」と混同しただけの話である。ところが、それを語義を追って鮮やかに分析するのは見事だ。

 次は、「オリンピック【Olympic】」から

一九九二年のバルセロナ大会から、ベースボールがオリンピックの正式種目になった。となると、サッカーやテニスと同様、早晩、プロの参加問題も話題にされるだろう。日本のプロ野球のレベルがはっきりと認識されるのは、そのときである。

 重ねて言う。この本は平成二年の出版である。この項目は、高校生の頃はほとんど意識していないものだったが、今となってはプロ野球界にとって切実な問題で、玉木の予言が当っている。

 『プロ野球大事典』は皮肉が利いた内容が多いが、そのうち短いものを紹介する。「鬼コーチ【鬼coach】」では、

野球に対する理念や、野球技術に対する理論を何も持ち合わせていないため、怒鳴ってばかりいるコーチのこと。

とある。体育会系の無意味な精神主義、根性主義は玉木の嫌うところである。

 また、平素より公共の娯楽であるはずの野球が企業のために奉仕させられることに玉木は不平をとらえており、球団名がよく話題になる。「きょじん【巨人】」から抜粋すると、

<阪神、大洋、中日、広島、ヤクルト>と呼ぶなかで、<読売>と呼ばずに<巨人>といっている。この呼称が、すでに巨人の地位を特別なものであるかのごとき幻想を、ファンに与えているといっていいだろう。マスコミが、ジャイアンツ、タイガース、ドラゴンズ……と、球団名をニックネームで呼び記すようにすれば、それだけでも印象はかなり変わるに違いない。

 玉木の主張が通ったのか、ニュースステーションではある年から、ニックネームで球団名をいうようになった。私も、それにならってヤクルトと呼ばずにスワローズと呼んでいたのだが、最近はそれほど気をつけなくなった。名称に固執するほど、私を熱くさせるものがプロ野球になくなったのである。

 それでも、福岡ソフトバンクホークスには買収の際に、名称が福岡ホークスとなることをわずかながら期待していた。「東北」楽天ゴールデンイーグルスにもがっかりである。ホークスは、九州にあるので「福岡」とあっても長崎出身の私は自然に応援する。もし九州**ホークスとついていれば、かなりゲンナリする。東北のファン、特に仙台のファンを馬鹿にしすぎだと思う。それに広告費の名目の親会社の補填なしに、球団経営だけで黒字するつもりなら「楽天」や「ソフトバンク」はいらないだろう。
 最近、横浜ベイスターズがUSENに買収されるという話が出ているが、間違っても横浜USENベイスターズなんて名称になってほしくない。広島とて然り。松野大介が「笑芸人」のコラムで、ニューヨーク・ヤンキースがペプシコーラ・ヤンキースという名称だったら誰が応援するのだと書いているが、そういったことを球団関係者は考えて欲しい。
 
 閑話休題。平成二年三月が『プロ野球大事典』の刊行年であることは、少し惜しい。平成二年のシーズンより奪三振という魅力をもった野茂英雄があらわれた。野村ID野球と古田敦也の登場も平成二年である。これらはもちろん言及されていない。平成四年に入団したイチローが平成六年には大ブレイクするが、この不世出の名選手についてコメントがないのも時期からして当然とはいえ、何と評するか『プロ野球大事典』の論調で聞きたかった。

 実のところ、私は玉木正之がとても好きだというわけではない。コメンテイターとしてテレビに出ているときは、いやみたらしくて嫌いだ。著書の内容も、理想が先走ってしまうことが多い。『プロ野球大事典』の後、Jリーグにすりより、その後はラグビーの平尾にすりよったが、そのあたりはうまくいかなかったように感じる。

 『プロ野球大事典』では、記録の神様宇佐美徹也のデータ、沢木耕太郎の初期のスポーツノンフィクションが多く情報元になっている。また、のちのちはやらなくなってしまった(球団にけむたがられてできなくなってしまった)玉木自身のルポが多く使われている。そのため、理想論に傾きがちな玉木としては、きわめて絶妙なバランスで仕上がっている。『プロ野球大事典』は玉木正之の一番の著作だと思っている。

補記、長いので一行あけを多くしてみました。

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2005年10月24日 (月)

RHODIA NO.11

 RHODIAというフランス製のメモパッドがある。普段メモ関係は横6.9㎝縦7.4㎝の付箋を使っているので、特に欲しいとも思っていなかったのだが、近所にお洒落な文具店ができた際に、ご祝儀のつもりで、よくつかうMoleskine Plain NoteのポケットサイズとRHODIAのNo.11のメモパッドを買った。
 RHODIAでは、超整理手帳との相性がよいという情報を得て、横7.4㎝縦21.0㎝のNo.8を買ったことがあるが、メモをするには中途半端な大きさで、うまくつかいこなせなかった。
 RHODIAのNo.11は横7.4㎝縦10.5㎝と小さいこともあって、メモとしてきちんとつかえた。どぎつくて嫌だと当初は思っていた紫の方眼も、すぐに慣れて、むしろ字がうきでてくる感じになってよかった。
 最近は思いついたことは即座にメモしなければ、ほとんどといってよいほど忘れてしまうので(病気でしょうか)、ざくざくとメモをとっていたのだが、ふとこれがTO-DOリストの管理に役立っていることに気づいた。やらなくてはならないことをメモしておいて、済んだらちぎっていたのだが、やらなければならないことはいつまでも残る。それを減らすためにとなんとか頑張ろうと思うのである。
 並べ替えが利かないので、優先順位が変えられないという欠点があるが、ある小さな仕事に限定し、やることの難度がほぼ均一の場合、RHODIAのNo.11でやることの管理ができる。こう書いてみると、使用条件を選びそうだが、それでも使っているのは、案件が終った後に、メモをピッと破るのが気持ちがよいからである。

補記、その後、溜まったメモをクリップでとめる手段を考えつき、いろいろと使っています。

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2005年10月23日 (日)

変わらないことに意義がある

 生徒に読書を勧めると、角川スニーカー文庫のようなライトノベルではダメかと聞かれることがたまにある。大塚英志のように分析的に読む手もあるが、けっきょくはどれも基本構造がほとんど一緒だから数を読んでも意味がないよ、と答えていた。 だが、ライトノベルの読者にとって大事なところは、どれもさほど変わらないというところにあるのだと気づいた。コカコーラの味を知っているからといって、二度とコカコーラを飲むことがないかというと、そうではあるまい。よく知っているから、読むのではないか。ライトノベルの内容は、それほど変わらないことに意義がある。 日本に持ってくる韓流ドラマもようやくネタ切れで、ひといきついた感があるが、韓国の映画・テレビ関係者は、『四月の雪』のように今までと違った路線を打ち出すのではなく、くどく同じ路線を続けた方がよい。『天国の階段』は露骨なまでの『冬のソナタ』の「パクリ」だったが、それと同じように、第二・第三の『冬のソナタ』を作ればよいのである。物語構造が同じでも、好きな人は何度でもそれを味わえるし、またそれを期待している。 

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2005年10月22日 (土)

畢竟サムライ・フィクション

 『SF サムライ・フィクション』(中野裕之監督、1998)という映画がある。布袋寅泰の出演が話題になったが、その他風間杜夫、夏木マリ、吹越満、谷啓、緒川たまきらが出演しなかなか豪華である。私は三原橋の下にある銀座シネパトスで観ている。
 御家の宝刀の紛失をめぐる時代劇なのだが、内容以上にこの題名が秀逸である。時代劇はいくら考証をしっかりしても、史実に忠実にはできないからである。嘘だと思う人は、時代考証の大家三田村鳶魚の『大衆小説評判記』や『時代小説評判記』を読めばよい。この本は、江戸時代小説を書く人の必読書である。
 島崎藤村、吉川英治、直木三十五、菊池寛、大佛次郎、白井喬二、長谷川伸、林不忘、中里介山、子母澤寛ら時代小説の大家が、完膚無きまで叩きのめされている。この本を読んだ後では、疵のない時代小説を書くなど不可能ではないかと思うようになること間違いない。
 言葉づかい、職制、身分意識、当時の人たちの思想、生活様式など隅から隅までつつきまくっているのだが、鳶魚が気にしているのは、身分意識である。江戸時代は身分階級がはっきりしているので、下のものが上のものに不敬な振る舞いをしたり、不遜な言葉を使うのはもってのほかということになる。
 直木三十五『明暗三世相』について

三回のところで婆さんが、お紺のことを「奥様」といつてゐる。二回にも「奥様」はありますが、妾のことを奥様といふやうなことは、江戸時代には決して無い。それから又お紺の心持を書いたところに、「ほれた同志で一所に成るのが、何故、いけないんだい」とあるが昔の妾といふものは、惚れたの腫れたので妾になつたのではない。妾として抱へられた家来なのである。かういふことも江戸時代といふものを知らず、武家の生活を知らず、すべてが階級仕立であつたことを知らないから起るので、何程作者が無知であるかといふことを暴露するものであると思ふ。

というのが好例である。
 江戸時代は儒教思想に基づく身分社会なのだが、この儒教思想を誰もが守っていれば、何も事件は起らない。君主が暴虐をなさず、家臣が謀叛の心をもたず、娘は大奥に慫慂として向かい……とあれば、どこにも小説のタネは拾えない。
 このあたりは、鳶魚がいうほど厳格に適応しなくてもいいのではないかと思っている。
難しいのは言葉づかいで、吉川英治『宮本武蔵』の批評では、

一方農民などの言葉を見ると、「今こつちへやつて来るだぞ」といふ調子になつてゐる。言葉の姿をうつすなら慶長度の農民の言葉がどんなであつたか、といふことを考へて見なければなりますまい。江戸の半以後の、然も落語などによく用ゐられてゐる田舎言葉を、どこでも構はず用ゐるといふやり方は、一通りの吟味をしたものとは思ひにくい。

とある。慶長から慶応に至るまで267年だから、江戸時代といっても千差万別である。言葉づかいの批判は鳶魚がよくするのだが、ではどういう言葉づかいをすればいいのか書いていないのがきわめて惜しまれる。
  
 ほとんど不可知の領域はともかく、時代小説を書く人には、調べればわかることはちゃんとやってほしい。職制は「武鑑」を読めばよいし、地誌は「名所図会」や古地図を見ればよいし、さらにはそういったものを解説した本もたくさん出るようになった。ない職名、ない地名を書くのは、現在ではかなりの恥である。
 江戸時代の生活もかなり詳しく解説されるようになった。そういった本をたくさん読んでいれば、鳶魚が批判している、宮本武蔵がそばを食べていたり、お杉婆さんが提灯をもっていたりといった過ちや、自身番、辻番、木戸番を混同する危険性はかなり減るだろう。
 とはいえ、このあたりも味つけが難しいらしく、池波正太郎が、木戸があるので夜中にむやみに出歩けないことや武士が勝手に旅をすることはできないことは知っているが、守らせると小説にならないといった趣旨の文章を読んだことがある(出典なんだったかなぁ)。
 結局のところ、江戸時代のことを小説にしても、畢竟サムライ・フィクションにならざるをえないのである。作者が知ったかぶりをしている時代小説よりも、映画『SF サムライ・フィクション』や町田康『パンク侍、斬られて候』といった、虚構とわりきってわれわれに馴染みのある時代劇の味わいを追求した作品に、私は好感を持つ。

 先日、J・P・ホーガンの『星を継ぐ者』を探しに行った際に(なかった……)、早川文庫の宮本昌孝『もしかして時代劇』(1988)が復刊されていることに気がついた。内容を思い出すのにしばらく時間がかかった。読んだのは高校生になるやならずやといった頃だが、その融通無碍な時代小説のあり方に、酔うような心地よさを感じた気がする。江戸時代への好印象を与えた点で、今の私に影響を与えているのかもしれない。
 が、かつての読後感を壊すかもしれないのが怖くて頁を開くことができなかった。私はいらんことを知りすぎたのである。

補記
 私が読んだのは、『大衆文芸評判記』(汎文社、昭8)、『時代小説評判記』(梧桐書院、昭14)の、平成十年に出された沖積舎の復刻版である。ジュンク堂書店の自由価格本コーナーで、それぞれ定価5040円(税込)のところ、各1300円で買いました。

 『もしかして時代劇』は早川文庫にあるのが不遇である。タイムスリップがあるとしても、『もしかして時代劇』は現在の感覚ではSFよりも時代小説である。早川文庫は、時代小説が好きな人は、まず意識しない。それにしても、裏表紙の紹介文(アマゾンに載っている内容説明とほぼ同じもの)はもっと書きようがあったろうに。売り上げに貢献しているとは思えないのだが。
 

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2005年10月21日 (金)

読まれざる書物

 もう五年ほど前になるが、ある夜、ある大学の医学部附属図書館の書庫にいた。実験教室を改造したのか、ところどころに流し台がついていた。油断して出窓に座るとべったりと埃がついた。世間から隔絶された別世界だったが、窓から外を見ると、大学前の大通りには深夜にもかかわらず車がどんどん走っていた。
 実験教室の準備室になっていたのだろう、裏手の小さな部屋にも本棚がおいてあった。ふと、興味をもって、昭和ひとけたの年号がつけてある製本された雑誌を手にとった。中は独逸語で書かれていて、まったく理解できなかった。
 先日、ある文学史用語の発生がいつなのか気になって、明治二十年代に書かれた文学書から逐一ひもといていった。学問の進歩はあるとして、それでも昔の文学書には読まれる可能性が少しはある。だが、医学部附属図書館に取り残された、独逸語で書かれた医学雑誌が今後読まれる可能性は果たしてあるか。
 私はさびしさというと、医学部附属図書館でねむっているあの雑誌を思い出す。

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2005年10月20日 (木)

ダルタニャン物語

 私が中学三年生のころ(1988かな)に、長崎の好文堂書店の隣にある古本屋(名前を覚えておらず、『全国古本屋地図 ’96』では文録堂書店だが、いまネットで調べると見つからない。なくなったか)で、全十一巻のうち四巻と九巻がないアレクサンドル・デュマ「ダルタニャン物語」(鈴木力衛訳、講談社文庫)を見つけた。
 ちょうど、アニメ好き(今ならアニヲタか)の友人Oが入院していて、OはNHKでやっていた『アニメ三銃士』が好きだったので、これ幸いと、ビニール紐に縛ってあるままお見舞いの品とした。高いとは思ったが、お見舞いの品としては洒落になるし、今も昔も、そういったことに見栄をはりたい性格だったのでエイヤっと買った。とはいえ、私の持ち金で買えたので、四千円しないはずである。

 小説『ナインスゲート』(アルトゥーロ・ペレス・レベルテ、大熊栄訳、集英社文庫、2000)は映画と違って、「ナインスゲート」の事件だけでなく「デュマ倶楽部」の事件が入り交じっている。なにせ原題が”El Club Dumas”で、映画公開までは小説も『呪いのデュマクラブ』で売り出されていたほどだ。
 二年程前、小説『ナインスゲート』で扱われる「三銃士」の話題に興味を持って、「ダルタニャン物語」を探したが、とっくに絶版で古本屋でもお目にかかっていない。最近になって、復刊ドットコムで、復刊されたようだが一冊2100円で、これは買いきれない。
 かつてどの機会だったか忘れたが、最終巻だけ拾い読みした。多分、『アニメ三銃士』にあわせて講談社が文庫を再版したのを立ち読みしたのだろう。ポルトスが「ここはオレに任せろ!」的死に方(わかります?)していたとような気がする。そこで、小説の視点は逃げていった者たちに移り、その場を任せられたのちのポルトスがどういう最期を迎えたまでは書いていなかった気がする。この記憶は、復刊ドットコムの紹介「ポルトスはここで壮絶な最期を遂げ」という文言とも、『ナインスゲート』の中でけなされていた頭の悪い最期ともうまく結びつかない(『ナインスゲート』は売り払ってうろおぼえだが)。
 この夏は、近世小説ジャンルの読本を珍しく読んでいたのだが、冒険的活劇のありかたとして、三銃士にも興味をもっている。

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2005年10月19日 (水)

紙という媒体

 長く保存できる媒体は紙である。CDが半永久でないことがわかったように、デジタルものは案外もろい。デジタルのよさは保存の良さではなく、複製の速さにある。紙は保存状態がよければ千年以上もつ。昔の紙は虫損が大敵で、それに気をつけれてあれば、よく残っている。今の紙は酸性紙で百年経てばぼろぼろになるというが、中性紙を使えば問題ない。私が使っているノートには中性紙を使っているので「1000年ペーパー」と豪語してある。
 機会があって、明治期の大学講義が記録してあるノートブックを見た。万年筆を使ったらしく、細字で几帳面に書かれていたが、もともと青色とおぼしきインクはすべて黄色に変色していた。黄表紙がもともと青色の表紙だったように、青が褪色すると黄色になるのか。
 「趣味の文具箱」という雑誌が、インクの耐久テストをしていたが、一週間天日に晒しただけで、ほとんどのインクは色褪せしてしまう。耐久力が高いと言われるブルーブラックでも、無理である。
 私は今、「1000年ペーパー」のノートに、LAMYかPLATIUMのブルーブラックで書いている。よって、百年後は読めなくなっている可能性が高い。とはいえ、惜しまれるような内容は書いていないので、それで平気である。
 紙と墨でかなりもつのだが、草紙洗い小町ではないが、墨は水に万全ではない。水に強いのは、えんぴつである。こすれたり、消せたりと一見弱そうだが、褪色もしないし、劣化もしない。
 この間の米国の大台風でニューオーリンズの町が水浸しになっていたが、水の引いたジャズクラブで、店の持ち主が水に濡れた五線譜ノートをとり出した。そして、鉛筆で書かれていたから、大丈夫だったと言った。なお、水でやられた紙じたいは、現在の古文書修復技術なら水に浸ったとわからないように修復できる。
 

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2005年10月18日 (火)

展覧会図録

 手に入れにくい本に展覧会図録がある。いったん品切れになると、本なら増刷されることがあるが、図録はそれで終りである。いずれ観に行くからと油断していると、会期中になくなることもある。絶対数が少ないので、古本屋に出回ることも少ない。また、古本屋の目録にある図録が出た場合に、題名で興味を持ってもそれが立派な図録なのか、単なる小冊子なのかわからない(そういうときは電話して聞くんですよと古書蒐集家のFさんは言っていたが)。
 たばこと塩の博物館「寛政の出版界と山東京伝」などは欲しいのだが、古本屋で見たことがない。逆に千葉市美術館の「歌川国芳展」の図録は持っていていい気分である。

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2005年10月17日 (月)

あえてテンションを下げる

 文章を書くことに取りかかるとき、昔はテンションをあげてから始めていた(テンションをあげるは外来語が入るがむかし使っていた芝居の用語でどうしても言い換えられない)。気持ちを上向きにするために、コーヒーを飲んだりすることもあった。
 しかし、今はテンションの下がったところで書いた方が、いい文章が書けると思っている。気持ちが落ち着いたところで、冷静に書き始めたほうがよい。テンションをあげて書くと、自動車の速度の出し過ぎみたいで危ない。大事なことを見逃しかねない。表現も同じ言葉が何度も出たり、「ということなのである」といった冗漫な表現を使いかねない。「筆」がすべりすぎるのである。
 今は紅茶に戻ったが、一時期は白湯を湯飲みに一杯飲みつつ、他人の書いた、私と全く専門分野が違う論文を読み、その一言一言がしっかり頭に入るようになってから、書くことにとりかかっていた。

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2005年10月16日 (日)

とにかくやる

 脳研究者の池谷裕二と糸井重里の対談『海馬 脳は疲れない』(ほぼ日ブックス、平成14)が最近文庫になった。単行本は前の引っ越しの手伝いに来た人にやってしまったが、面白かったので、文庫本を買うか迷っている。
 いちばん、ためになったのは、「やる気はやらないとおきない」ということである。気が乗らなくてもやっているうちに、やる気が出てくるのだそうで、実行してみて本当にそうだとわかった。
 それまで、気乗りがしないと仕事にとりかからなかったり、気合いが満ちてくるのを待っていたりした。体調や精神状態がよい方が立派な仕事が出来るので、不調の際は仕事をするのを見送ったりしていた。
 今では、自分の状態がどうであれ、とにかくはじめて、なんとかしている。育児のため、使える時間が少なくなったのでえり好みを言ってられなくなったこともある。「やる気はやらないとおきない」は、他に書いてあった「脳は疲れない」とあわせて、現在の心の支えとなっている。
 『海馬』を読んだのは二十代の終りで、おかげさまでか、三十代のいまがいちばん頭の働きがよいようなきがする。

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2005年10月15日 (土)

川瀬一馬『柚の木』より

 書誌学の大学者であった川瀬一馬に『柚の木』という随筆がある。初版は世界社刊、昭和二十三年五月。私が読んだのは、平成元年八月に収められた中公文庫。一年ほど前に買ったのだが、本棚の整理の際に見つけて再読した。その中から「研究の苦心談」の一部を紹介する。以下冒頭より引用。

時たま大衆雑誌などに、学者の研究苦心談と称するものが載っているのを見受けることもあるが、そういうものの多くは、少しばかり研究に苦しんだ経験を持つ者の目から見れば、まことにつまらぬ内容しか語られていないのが普通である。後進の学者が、研究上に有益な暗示を与えられるような話は殆ど見当らないと言ってよい。

それは、一つには語る人が世間的に名声があって、ジャーナリストなどに大家だと思われていても、実際研究上には大した辛苦の持主でもないために、本人にとってはその程度のことが苦心なのだろうが、真の学者には物の数にも入らない事柄を、苦心談として得々然としてしゃべっている故であろう。

元来、世人に研究の苦心を知らせるのは、学問というものの尊さを悟らせるがためである。学問の尊さを悟らせようと思えば、真にすぐれた学業を成就した篤学者の口から親しく苦心談を聞くのでなければなるまい。研究に従事する後進が感心しないような浅薄な苦心談(実は苦心談とも言えない程度のもの)が、一般の人々に深い感銘など与えようはずがない。(以下略)

かなり耳が痛い。文章だからいいものの、面と向って言われたら(専門分野と世代が違うので面識はないが)、「ごめんなさい。ブログなんてやめます。」と答えてしまうかも知れない。時折、われながら偉そうなことをこのブログに書いている。滑稽に感じている人ももちろんいるだろう。川瀬一馬の「研究の苦心談」は、いろいろ続いたあとに、次のように締めくくられている。

しかしながら、学者が研究の苦心を語って、一般世人に学問の尊重すべき所以を知らせることは、頗る大切なことでもあり、且つまた、研究と日常生活とをいかに調和させて、研究の能率を上げているかというようなことまで聞かせて貰えれば、後進の学者にとっても甚だ有益であって、学術研究の進歩を促進することにもなるのであるから、一般世人にも興味が持てるように工夫をこらして、出来るだけ判りやすい形にまとめて、真の研究の苦心談を発表されることが切に望ましいと思う。(了)

なんとか執行猶予がついた。見ぬ世の人の金言をありがたくおしいただくつもりである。

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2005年10月14日 (金)

小学生向けの電子辞書

 英語教師が辞書を授業に持っていくのは当然だが、国語教師も国語(古語)辞書を持っていくべきである。この点、電子辞書ができたのは画期的である。ゆくゆくは小学館『日本国語大辞典』(第二版)や『角川古語大辞典』が収録されるようになって欲しいが、いま現在、広辞苑程度のものが簡単に持ち運べるようになったことは大きい。
 生徒にとっても、簡単に辞書を引けることは学習の大きな助けになる。塾では持ってきている生徒は多い。高校でも私が使っていたときは、その影響か、年度の途中で電子辞書を使う生徒が増えた気がする。ただ、心配なのは、電子辞書が学校に持ってくるにしては高価な品だということだ。うっかり、なくせば何万の損である。
 シャープが小学生向けに五万円ほどする(オープン価格になっている)電子辞書を開発したそうだが、学校に持ってこいとは、すこし言いづらい値段である。

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2005年10月13日 (木)

PSPとDS

 ヤマダ電機に行く機会が、あれやこれやで月に一度はあるのだが、そのたび本来の用事の外に、ゲームコーナーで携帯ゲーム機を見ていく。
 五月ごろに、プレイステーションポータブル(以下PSP)が手に入りやすくなったことがわかって、欲しくなった。店頭で、手にとってみて、気づいたのだが、なんと遊びたいソフトがない。ゴルフは興味がないし、レースゲームをはじめアクションは苦手と……。それに、うちにはPSP用の映像を用意できるだけのパソコンがなかった。
 すぐそばにあった、「ニンテンドーDS」(以前は「任天堂ドリームステーション」だと思いこんでいました。コメントに従い訂正。以下DS)を見ると、犬のゲームが入っていて、これがとても可愛らしい。音のゲームやパズルゲームなど、遊んでみたいと思うのは、DSである。
 とはいえ、ぐっと我慢してPSPもDSも買わずに今日まできている。実は、ゲームボーイアドバンス(以下GBA)を持っている。昨年の秋に買って、指輪物語を題材としたゲームをやった。ところが、こいつは目にすこぶる悪いので、すぐに疲れてしまう。しかも時間がないので、まだ中盤にも(たぶん)行かないところでほったらかしにしてある。
 加えて言うなら、人生のやりたいことで、ゲームをするというのは、かなり下の順番にある。積み上げれば身長の二倍以上にもなる買ったはいいが読んでない本が私には控えており、時間があればまずそれを読みたい。このブログも書きたい。もちろん、論文も書きたい。運動もしたい。買ったまま観ていないDVDを観たい。録画したまま観ていないビデオを観たい。映画館にも行きたい。酒を飲んでボーっとしたい。ゆっくり寝たい。といったことの最後にゲーム機で遊ぶことがくる。
 じゃあなんで、ヤマダ電機に行くたびにゲームコーナーに寄ってしまうのかというと、DSやPSPが機械として魅力があるのも大きいが、時間が余りに余って、もうあまりやることがないから携帯ゲーム機を使って悠々と遊んでいる自分、その自由を感じたいからではないかと思っている。億万長者で仕事が忙しい人が、行きもしない別荘を買うのと同じであろう。って、こればっかりはわかりませんね。

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2005年10月12日 (水)

使い続けることに

 もともと人に教えるのは苦手だった。塾でいきなり高校三年生を任されたのだが、下手だったので、最初の頃はずいぶんと私のクラスから生徒が転出した。最初の年は、けっきょく生徒に助けられる感じで最後までやりとげた。今でも、あのクラスの生徒は全員思い出せる(少なくなったしなぁ)。
 最初の年で馘首かと思ったが、聞くところによれば社長は「Yはよく頑張っている」と言っていたそうで、なんとか翌年度以降も雇ってもらえた。自分でまずまずと思えるようになったのは、四年目が終ってからである。
 「頑張っている」といえばよい評価のようだが、つきあいで観に行ったがつまらない芝居だったときに、相手にかける言葉が「頑張っているね」である。どんなにひどくても、頑張らないでできる芝居はないからだ。逆を言えば頑張ってもひどくなることがあるので怖いのだが。
 九十七敗した楽天の田尾監督が解任された。九十七敗とは、評論家が百敗するとした予想に近く、楽天の戦力から言うと妥当な結果である。一概に田尾に責任があるとは言えまい。野球やサッカーでは複数年契約しておきながら、途中解任されることが多いが、あれはなんなのだろう。福岡ダイエー・ホークスが1989年に出来てから、初優勝まで十年かかった。1995年に就任した王監督だって、巨人からダイエーに移ってきたとき、名監督というふれこみできたのではなかった。
 すぐに結果を出したい気持ちはわかるが使い続けることに意義ある。東北「楽天」ゴールデンイーグルスは意外と早くなくなるのではないかと思っている。

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2005年10月11日 (火)

ショートソックス

 踝までしかないショートソックスを誰が考えついたのか知らないが、非常に便利なものである。流行っているのは、何年か前から気づいていたが、下品だと思っていた。靴下とは、毛脛が見えないように長めのものを履いておくのが、フォーマルな着こなしだからである。
 だが、今年の夏は暑さに耐えかねて、ショートソックスを試しに買ってみた。涼しくて非常に快適であった。一度ショートソックスに慣れると、もう長い靴下を履くのは御免だという気になる。もともと靴下に脛がかぶれやすかったので、助かった。
 考えてみれば、足袋もそれほど長いものではなく、日本の気候に合っているのだと思う。

補記:以前書いて、あまりに平凡すぎてボツにしていたのですが、ショートソックスも今年はお役御免となると、名残惜しくて、ブログに載せることにしました。

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2005年10月10日 (月)

Come in or Enter

 英語にも待遇表現(よく知らない人は敬語だと思ってください)が存在するのは知っているが、英語を使う機会がないので詳しくない。なにせ、二度しか行ったことがない海外旅行のうち、一度は「I would like to」を知らずに「I want to」をずっと使っていたほどである。どのくらい横柄なのか、知りたいような知りたくないような。
 ニール・サイモン脚本の映画『サンシャイン・ボーイズ』では、喧嘩別れした往年のコントコンビが久しぶりにコントをする。片方が医者役で、片方が患者役なのだが、かつては医者役が患者役に「Come in.」と言っていたのに、今度は医者役が勝手に「Enter.」にしてしまう。患者役はむかし通りに「Come in.」にしてくれと言うのだが、けっきょく医者役は本番では「Enter.」を言う。
 これが記憶にあって、”Harry Potter and The Half-Blood Prince”では、ダンブルドアがハリーに対し、状況によって「Come in.」と「Enter.」とを使い分けていることがわかって面白かった。私が、もっと英語に詳しければ、そういったことがたくさんわかって、いっそう楽しめるのだろうが。

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2005年10月 9日 (日)

敬語を使えない人

 日本語は敬語によって、人間関係がわかると、桂枝雀が『桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間』(ちくま文庫)でいささか興奮気味に述べている。
 今の世、広く見ると敬語がつかえない人は少なくない。あるいは平等をきどってか先輩などに使わない人間を何人か見たことがある。敬語を使っても、慇懃無礼に相手をなじることはできる。敬語を知らなかったからといって、性根がまがっているとは限らない。仕事の同僚として、全て「タメ」語でも意志は伝わるだろうし、ひょっとしたら敬語を使って会話をするよりも効率のよい関係を築けるのかもしれない。にもかかわらず、敬語を使えない人間に本能的な不愉快を感じるのは、敬語を使えないことは、枝雀がいうような事細かな人間の機微がわからない人間であることのしるしだからではないか。

補記:反語使ってしまった。だが、それ以外では書きにくい。

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2005年10月 8日 (土)

文章の長さ

 このブログの字が小さいのはわざとである。一行空けもこまめにできるのに、しないのも訳がある。斜め読みできないように、ある程度腰を落ち着けて見ないといけないようにしている。
 とはいえ、パソコンの画面ではそう長い文章は読めない。自分で意図してはいないが、400~420字ほどの文章が私のブログには多い(ちなみにこの記事は920字ほど)。紙にすると文庫本半ページちょっとぐらいで大変短いが、パソコンで見るのならそのぐらいの長さが一番読みやすいと思っている。
 スティーブン・キングが『小説作法』で、手直しは縮めることだと述べていた。キングぐらいの人気作家になれば、どれほどの長編でも売れるのだろうが、それでも冗長な部分を切り取っておかないと、読者は小説に「乗って」いけない。
 ハリー・ポッターシリーズは、第四作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』第五作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』と、それぞれ訳書で二冊組だったが、私の感覚では長すぎる。ハリー・ポッターシリーズでは『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』が一番好きだが、展開にスピード感があるからだ。『Harry Potter and the Half-Blood Prince 』が前の二作より短くなったのはよいことだと思う。
 書きたいだけ書けば良くなるとは限らないのが論文にもあてはまる。四百字詰原稿用紙で四十枚程度の論文は、資料をたくさん使って詳しく書けば、百枚はこす。五十枚をこすと、書く方も読む方もダレてくる。百枚でもいいところを四十枚で説明するので、内容が引き締まる。また、初稿から最終稿に至るまで、原稿が一割減になるのが普通ではないか。
 高校生に作文をやらせると、読めたものではないが、書くことがないのを無理に引き延ばしている場合が多いためである。書きたいことがたくさんあるのに、用意された字数が少ないときに、文章は引き締まる。

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2005年10月 7日 (金)

安静

 友人Aのホームページ9月26日付の日記に、宮下奈都『新しい星』から、風邪の時は熱がいったん引いたときの安静が大事であることが紹介されていた。
 実は九月の上旬に軽井沢に家族旅行をした。その三日ほど前から、息子がアデノウィルスにやられて熱をだしていた。三泊四日の旅行を二泊三日に縮めて、出発を一日延し、やっと熱が下がった息子を連れて行った。ところが、体調が不十分だったのか、連れて行ったその晩に熱がぶりかえしてしまった。
 風邪のあいだ、ヤクルトしか飲んでいなかったので、深夜の三時頃にヤクルトが飲みたいと騒ぎだし、私が車に乗ってヤクルトを買いに行くことにした。インター近くのコンビニエンスストアに行くと、営業しておらず、店主夫婦が掃除をしていた。事情を話してヤクルトを売ってくれるように頼んだが、時間外だとレジが動かないのでダメだと言われた。
 ちょうど、そのころ『水滸伝』を読み直していたこともあって、「オレガ水滸伝ノ好漢ナラ、コンナ店叩キ壊シテヤルノニ」と思ったがそこはぐっと我慢して、軽井沢には夜通しやっているコンビニエンスストアはないというので、教えられたとおり隣り町のコンビニエンスストアまで買いに行った。
 なんと不便な町、軽井沢と思ったものの、翌日の夜にコンビニエンスストアに買物に行った際にたむろっている若者たちを見て、こういった観光地で深夜営業がないのもそれはそれでよいことかと思った。現金なものである。
 ちなみに、息子が引いていた風邪は、妻、娘、私の順番にうつっていき、皆高熱を出したうえ、息子と娘に至ってはぜんそくっぽくなってしまって、完治にはほぼ九月一杯かかった。友人Aがもっと早く紹介してくれていればよかったのだが。嗚呼。

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2005年10月 6日 (木)

手帳

 お芝居の制作を一度だけやったことがあるが、そのときスケジュール管理に大学入学時に買ったB6版程度の小さなルーズリーフ式手帳を私は使っていた。劇団主宰者で演出のDさんに、「そんなんじゃいけない。大きな劇団の制作さんはノートぐらいのもっと大きな手帳を使っている」と言われたものの、とうとう大きな手帳は使わなかった。舞台監督だったころは、先人を真似て「舞監ノート」を作っていたが、制作のときにそういったことに気が回らなかった、というより必要性を感じていなかったのは、やはりよい制作ではなかったのだろう。
 ルーズリーフ式手帳は2001年7月まで使ったが、その後PDAを導入した。WINDOWS CEを搭載したカシオのE-700で2004年9月まで使った。音楽を転送したり、ちょっとしたゲームを入れたり、人の発表を録音したり、PHSにつないでネットブラウズしたり、やや大きめの研究データを持ち歩いたりして、それなりに使いこなした。ただ、いろんなことに中途半端という評価を他人からうけたことがあるが、確かにそれが当てはまる。だが、こまめに充電の世話をしなければならないなど、手間がかかることが、かえってスケジュールに気が配れてよかった。
 使わなくなった理由は、データが大きくなりすぎたのか、反応が非常に遅くなったことである。何か入力するのに、二三秒待たされるようでは使い物にならない。そこで、SONYのCLIEのPDAで辞書つきのTH-55DKを見て、購入を検討したが、結局やめた。PDAが持っていた機能を、別々の品が果たしているためである。録音ならICレコーダー、メールやインターネットならPHS、写真ならデジタルカメラ、辞書も電子辞書を持っているので、それを使えば問題ない。それでもPDAの長所としては、TO-DOリストの管理がよく出来ている、予定の繰り返し入力がしやすい、大きなデータが持ち歩けるということがある。
 しかし、金欠でPDAにかけるお金がなかったことと、超整理手帳の2003年版をちょっとした興味があって買っていたこともあって、2004年度版の用紙を買ってしのぐことにした。超整理手帳はほぼ一年使ったことになるが、心配していた「やること」の管理も付箋でうまくいっている。規則的な生活を送っている人なら、一つの項目が小さい超整理手帳で問題ないと思う。また、PDAの予定表と違って、修正のあとが目に見えるのもよい。予定が変更されていった経過が教えてくれることも多い。
 超整理手帳の売りである、長期の視認性のよさは確かに感じる。とはいえ、超整理手帳も用紙の裏表が水平線効果を生んでいることもあって、万能ではない。折を見て、二ヶ月表示カレンダーでもじっくり眺める方が、仕事への危機感がわくかもしれない。
 不便なのは、手に持った状態では書きづらいことである。もともと、単なる入れ物に、用紙の紙をつっこんだだけであって、開いた際に左右の頁がぐらぐらしている。よく知らない人は、二つ折りの長財布を想像してもらえばよい。安定していないので、立ったままでは書きにくい。携行してちょっとしたメモをとるには不便である。最近は、胸ポケットに入る縦15㎝横7.5㎝ほどのミニ手帳を持ち歩いて、とっさの時はそれに記録している。
 それに、超整理手帳の縦21.5横8.5㎝のA4四つ折りという大きさは、ジャケットを着ているときはよいのだが、そうでないときは持ち歩きにくい。不便なところは多いのだが、PDAのときもそうだが、不便を愛するところが私にはあるので、なんだかんだいって来年も使うつもりである。
 
 10月2日日曜日になってアウトルックが6日が友人Mの命日であることを表示した。恥ずかしいことながら、10月6日がMの祥月命日であったことを今年はすっかり忘れていた。PDAと連動して、アウトルックにもデータが入っている。設定してあるので、私の誕生日、妻の誕生日、Mの命日など、電子機器は半永久に表示し続ける。その事実は私をどこか動揺させるのだが、八年経って私がMの死を本当に消化できていないことを示すばかりで、うまく言葉にならない。

追記、祈るのみ。Mの永遠の命と復活を信じるのみ。そういう境地になりました。2009.12.17
 

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2005年10月 5日 (水)

オーディション

 先日『SHINOBI』で黒谷友香が妖艶な女性の役をしているのを観て、第三舞台や遊眠社のようにメジャー化することを目指していた小劇場の劇団に私がいた頃に、かつて一緒に芝居をしたHさんのことを思い出した。HさんはTという同じく小劇場のとある劇団の看板女優だったが、私のいる劇団の芝居に参加してくれたのだった。Hさんが何歳だったか正確には知らないが、私より五つぐらい上だったのではないかと思う。女優の小松千春をちょっと肉感的にした感じの綺麗な女優さんだった。いつも鼻にかかったような声をしていて、色っぽい人だった。黒谷友香が着ていたようなぞろっとした着物をつけた娼婦の役をしていたので、Hさんのことを思い出したのである。
 黒谷友香が決して演技上手でないように、Hさんも細かい演技は得意でなかった。劇団の主宰者で演出家のDさんは、そこが気に入らなかったようで、その公演では頼みこんで出てもらったにもかかわらず、次の芝居では使うつもりはなかった。次の公演は、劇団の規模からすれば生意気にもオーディションを行った。Hさんはオーディションにも来てくれたのだが、本人は出る気も受かる気も満々だったらしくて、選ばれなかったことにかなり憤慨したことを、Hさんと私の共通の知り合いであるMからのちに聞いた。
 選ばないのに、オーディションに来てもらっていたのは、オーディションに人が集まるかどうか不安だったこともある。しかし、最初から選ばないつもりなら、Hさんにはその旨を伝えておくべきだった。なぜ、そういったことに気づいてDさんに進言できなかったのか、今となっては大変恥ずかしく思う。芝居に関わっていたころは、自分の傲慢さ生意気さでいろんな人を傷つけてきたが、このこともその一例である。
 Hさんとは、オーディションのすぐあとあたりに、ぐうぜん山手線で乗り合わせたことがある。夏だったのでHさんが白地に花柄の入ったワンピースを着ていたのと、Hさんが前と変わらず私に親切だったのを覚えている。私の方は、深いことはまったく考えずに話しかけていたと思う。もうオーディションの結果は出ていたはずである。
 Hさんはその後普通の会社員の人と結婚して、すぐ子どもを産んだと、それから一年ほどしてMから聞いた。芝居をしていたHさんも素敵だったが、子どもを抱いているHさんも綺麗だっただろうと思う。

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2005年10月 4日 (火)

傾向

 人に好かれる好かれないというのは確かにあるが、教師としては、できる男の子と、あまり成績のよくない女の子に好かれる傾向があった。
 ところが最近になって気づいたのは、これは私の友人の傾向と同じなのである。もちろん、生徒と友人とではまったく性質が違う。別の存在である。しかし、私の友人は、男だったら優等生、女だったら、まあ知性は売りものにしていないひとたちである。
 発見は発見だが、妻はもとより女性の友人には言えない内容である。

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2005年10月 3日 (月)

新聞の読者投稿欄

 選挙の影響もあって、先月は新聞を割と買っていた。新聞の中で私が日頃読まないのは、囲碁の欄と読者投稿の欄である。久しぶりに新聞を買うものだから、油断して目に入った読者投稿の記事をいくつか読んでしまう。
 思うに、このブログもなんと読者投稿と似ていることか。文句あり思い出ありと、書かれていることには大して差がない。かつて忌み嫌っていた新聞の読者投稿欄と、本ブログが似ているとは変な気持ちがする。

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2005年10月 2日 (日)

本棚準拠目録

 出久根達郎が三島由紀夫の蔵書目録について、三島の関心がわかるので、本棚にならんでいた順に目録化して欲しかった旨を述べている(『いつのまにやら本の虫』か『本のお口よごしですが』かのどちらか)。もし、私が本棚順で目録を作ってくれと頼まれても、決して決して受け入れない。内容別とアイウエオ順を組み合わせて作る。
 少し本を持っている人ならよくわかるはずだが、本棚の本が所蔵者の関心に沿ってきちんと分類されているとは限らない。購入の順序や、そのときの本棚の都合に左右される。私の先生は、引っ越ししたときに引っ越し業者がデタラメに本を配架したまま十年以上過ごしている。われわれ教え子を使えば、きちんと並べ直せるのだろうが、それをさせたくないのは、自分の本棚を見せたくないのもあるのだろう。とにかく、よほど注意深く自分の棚を管理していた人物の蔵書でなければ、本棚準拠目録はほとんど意味を持たない。江戸川乱歩は分類魔なので、きちんと本を分類して棚に収めていたが、それでも目録は内容別とアイウエオ順で作り、棚の写真でもつけておけば済む話である。
 出久根達郎が本棚順の目録に着目したのは、出久根達郎が古本屋で常に棚に気を配っていたからである。また、出久根達郎にとって目録が引くものではなく、読むものだったからである。
 私についていえば、またぞろ本の置き場がなくなってきた。本の置き場に困っていない人はそうそういないと思うがいかが。

追記:国書刊行会が澁澤龍彦(彦は旧字だがパソコンで出ない)蔵書目録を本棚準拠目録で刊行(2006.10)。蔵書家は死ぬ前に本棚の整理をしてから死なねばならないようだ。(2006.10.17)

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2005年10月 1日 (土)

乱歩の土蔵

 池袋に住んでいた時期がある。池袋西口の立教学院のグラウンドの近くだった。池袋駅から歩いていく途中、すこし寄り道をすれば江戸川乱歩邸が見えた。江戸川乱歩邸には土蔵があった。子どもの頃に読んだ本には、江戸川乱歩は土蔵にロウソクを灯して執筆していると書いてあり、あれが乱歩の土蔵かと思いながら、四年ほど池袋で暮らした。
 実際のところ、土蔵は書庫であり、執筆は書斎で行ったとは、「サライ」か何かの雑誌で、江戸川乱歩特集が組まれたときに知った。乱歩が気球の綱をつかんだ写真が表紙になっているその雑誌はまだ家にあるはずだが、どこに行ったかわからない。
 乱歩作品は子どもの頃少年探偵団ものをポプラ社の本で読んで、映画『RAMPO』が上映された頃に角川文庫の古本をいくつか読んでいるはずだが、内容はあまり覚えていないし、乱歩が特に好きだというわけではない。だが、乱歩の蔵がうちに近いということで、蔵には関心を持っていた。
 その後、新保博久と山前譲によって『幻影の蔵―江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』(東京書籍、平成14)が刊行された。付属CD-ROMによって、乱歩邸と乱歩の蔵の内部がわかるというすぐれものだったが、興味があった古典籍の目録がないので、見送っていた(その後、蔵書を移譲された立教大学によって古典籍も目録化される)。しかし、喜国雅彦『本棚探偵の冒険』『本棚探偵の回想』を買うにいたって(ハードカバー版を買いました)、ついに『幻影の蔵』にも手を出してしまった。知ることのできなかった乱歩邸とその蔵について知ることができて満足だった。
 平成十七年の夏に、乱歩邸に入り、庭から書斎を眺め、土蔵も入り口から見学する機会を得た。急なことで写真機を携帯していなかったのはつくづく無念である。現在は、乱歩邸の裏にはマンションが立って外から土蔵はよく見えないが、私が見ていた頃の乱歩の蔵は白かった。案内の人によれば、建設時は黒だったので、修復の際に黒く塗り直したのだそうだ。入り口はガラス張りになっていて、そこから見るしかなかったのだが、CD-ROMで見たのと同じであった。しかし、CD-ROMではかなり広いように感じたのだが、目の当たりにした蔵は思ったよりこぢんまりとしていた。
 案内の人は、乱歩もこうして自分の蔵書が持っていたままの状態で公開されるとは思ってもみなかったでしょうと言った。
 ちなみに乱歩については
http://www.rikkyo.ne.jp/~koho/ranpo/index.html
のサイトからいろいろ見てまわれるようである。インターネットさまさまの時代である。

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