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2005年9月 5日 (月)

作文べからず集

 高校生に教えている、作文でやってはいけない基本事項のいくつかを紹介する。
 推測以外で「思う」を使わない。たとえば、「私たちは水環境をもっと大事にしなければならないと思う。」は意見の陳述なので、「私たちは水環境をもっと大事にしなければならない。」でよい。作文に慣れていないため、全ての語尾に「思う」をつけている生徒を見たこともある。「思う」をなくして、自分の意見をはっきりさせると文章は引き締まる。ただし、「私が小学五年生の頃だったと思うが」など、断定できない憶測を述べる場合は「思う」を使って問題ない。
 曖昧に接続する助詞「が」を使わない。日本語は「が」を使っていくと、なんとなく文章をつなげることができる。逆接でもないのに「が」が使われて文章をつないでる例をあげると、「学校をとりまく塀に、児童らの絵が描いてある小学校があるが、汚くなったからという理由で、校長が勝手に絵を塗りつぶしてしまった小学校があった。」の「が」がそうである。「学校をとりまく塀に、児童らの絵が描いてある小学校がある。汚くなったからという理由で、校長が勝手に絵を塗りつぶしてしまった小学校があった。」で何も悪くない。曖昧な「が」を使って無駄に長くつながっている文章を柳田國男の文章と私は呼んでいる。柳田國男の文章は、切ればよいところで切られておらずだらだらと長い。試験に出た文章をぱっと見て、もしやと思って著者を調べると柳田國男だったということが何度かある。
 最後を「~ではないだろうか」と反語で終らせない。「われわれはもっと環境を大切にすべきではないだろうか」などと書くのは天声人語の文と言って、できるかぎりやらないように指導している。「われわれはもっと環境を大切にすべきだ」と書けばよいものを、わざわざ相手に念を押すのがくどくて、私は嫌いなのである。
 以上のようなことは、文章の基本であり、文章の書き方の本を何冊か読めばかならず出てくる事柄であり、さほど珍しくないかもしれない。だが、正直にいうとこれらの「反則」を使ってみたくなるときがある。ブログに文章を書いていると、誘惑に駆られる。このブログにはところどころそういった「反則」で書かれた文章がある。川上哲治と王貞治はバットスイングの基本をダウンスイングと説くが、必ずしもダウンスイングを実践していたわけではないことと一脈通ずるのではないだろうか。などと書きたくなるのだが、これや如何。

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