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2005年9月27日 (火)

末尾の「じゃ」

 「箱を持ってくるのじゃ(ぢゃ)」と書いてあったら、老人の発語と思うだろう。末尾につく「じゃ」は、老人の言葉であることを伝える役割語だからである。現実の老人は「じゃ」などと言わないのだが、小説や漫画では、老人はそう言うものと決まっている。
 このような老人の役割語としての「じゃ(ぢゃ)」に文句を言い続けたのは時代考証の大家三田村鳶魚である。三田村鳶魚は『大衆文芸評判記』『時代小説評判記』の中で、「ぢゃ」をつけるのは九州方言であるとくりかえし主張している。「じゃ(ぢゃ)」が老人の役割語となったのがいつからかはよくわからないが、批判の対象からすると、大正期にはそうなっていたのではないかと思う。
 森銑三の『物言う小箱』でも、老人は「じゃ」を使っている。江戸のことにあれだけ詳しい森銑三が使うぐらいだから、他の人が守れなくて当たり前である。
 森本梢子『研修医なな子』(集英社)の最終巻である第七巻には、「なぜ、なな子は~~じゃとよく言うのですか」と読者からの質問が掲載されていたと思う。作者は、医者であるなな子は老人と接する時間が長いので老人の口調が移ってしまったといった説明をしていた。森本梢子は熊本人である。私はそれが理由なのだと推測している。熊本の方言で、末尾に「じゃ」をつける場合があるからである。森本梢子が、知らず知らずのうちに九州方言を使っていたのか、それともわかって使っていて、先のような答えを読者にしたのかはっきりしないが、私は前者ではないかと思っている。

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