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2005年8月10日 (水)

「である」の消長

 文章を書きながらなんとかしたいと思っているのは「である」である。「だ・である」体は、言文一致体のことばとして登場し、「なり」「けり」などといった古典文法の助動詞のかわりに日本語の文章の末尾に鎮座している。実際のところ、会話で「である」を使うことは滅多にないので、「である」は言文一致体というより、「候」のような文章末尾の決まり文句といえる。山本夏彦が『完本・文語文』などで指摘しているが、文章の末尾は、古典文法の助動詞で書いた方が種類に富む。「だ・である」体は極めて単調である。なんとか使用の頻度を減らし、文章にメリハリをつけようとするがなかなか難しい。「である」のついている文章なんて古くさくて読めないと、「である」がすっかり文語扱いされる日は遠くない気がする。

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コメント

「・・である」ですね・・あ、先だっては私の
つけたコメントにレス下さって有難うございました。

 で・「である・・」見たとたんに私、田原総一朗さんを思い出してしまいました。なんだか
あの方「である」多用しているような気がして。

 で手元にあった週刊朝日・田原総一朗の
「ギロン堂」(1ページ)見てみました・・・5箇所(過去形も含めて)・・で他の人は?と思って同じ週刊朝日から船橋洋一氏の世界ブリーフィングSpecial・・2ページちょっとの間に推定?形(・・であろう)を含めて5箇所。
 
 つまりは文意を強く表現したいと思うとき
使うのではないでしょうか・・まあ、文語的
表現と言うことになるのでしょうけれど。

 ついでに柔らかな文章では?と思って週刊
文春「ツチヤの口車」(1ページ)見てみました・・・無し・・まあ当たり前ですけど・・・

投稿: J.I | 2005年8月10日 (水) 02時50分

コメントありがとうございました。
 「である」が文意を強める。
 「である」が文意を強めるのである。
だと、下が強い表現ですね。おっしゃるとおりです。
 谷沢永一の本に、大隈重信は演説の文句にもったいをつけて「であるのである」を多用していたと書いてあった気がします(『雉も鳴かずば』だと思っていたのですが、具体的な箇所はぱっと見、見当たらず)。「であるのである」とは、一見違和感がありますが、選挙の演説で「であるのであります」などと多少形を変えて生き残っている気がします。
 街頭で選挙演説を聴く機会が、今夏は少なからずあると思いますので気をつけてみます。

 なお、今回「である」の消長を考えるに至ったのは、山田風太郎の戦中派日記シリーズを読んでのことです。「である」も使われているのですが、「なり」(をはじめとする文語)がよく使われていて、ブログの記事を考えました。

投稿: Iwademo | 2005年8月11日 (木) 21時23分

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