« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005年8月31日 (水)

We Japanese

  英語で会話するときに”We Japanese”(われわれ日本人は)という言葉は絶対に使わないと、私が高校時代に英語を習っていたI先生は言った。日本人だって各個人はそれぞれバラバラの個性を持っているのに、それをひとからげにして、なおかつ自分がその代表のように喋る態度は許せないとのことだった。私は、その後英語で会話した時間を総計しても一時間に満たないこともあって、”We Japanese”などと生涯言ったことはないと、I先生に会ったら自信を持って言える。
 選挙公示前、民放のワイドショー番組の中で、候補者同士が討論したり、コメンテイターが候補者に質問したりすることが多かった。あるとき、コメンテイターが候補者に向って「われわれ有権者としてはね」と切り出して、自説を述べた。有権者といっても、その立場は千差万別である。背広を着て、ワイドショー番組に出て、自説を差し挟むことを職種とするのは、ひとにぎりの人間である。せめて「私は有権者なので、その立場からすると」と言えば良いものを。
 ばかばかしくなって、そのチャンネルを変えてしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月30日 (火)

ジュンク堂書店再び

 ジュンク堂書店に八月二十五日に行ってきました。四月から七月まで池袋東武の旭屋書店が工事による改装中であったこともあって、ジュンク堂書店には二度ほど足を運んでいたのですが、ちょっした買物しかしなかったので、ここで書くほどでもありませんでした。二十五日の買物は目的があって、しかも万単位の買物だったのでここに記します。
 欲しい本はだいたい揃ったものの、検索では一冊在庫ありだった文庫本が二冊見当たらなかったので、近くの棚で本を並べていた店員さんに聞いたところ、そこになければないとのこと。まあ、普通の対応でした。
 これは私の失敗ですが、井上ひさし『円生と志ん生』が、三階の文学ではなく九階の戯曲の棚にあることがわかって、三階からエスカレーターで戻ったものの、一階の新刊本の棚にあってギャフン。
 午前中に行ったせいか、店員さんの数は少なく、配架もしなければならずいそがしそうでした。いろいろ見て回っていると、店員さんがお客さんの質問に答えて、本を探してあげている場面を三ヶ所見ました。やっぱり探しにくいんでしょうね。
 レジにいた研修生のバッジをつけた店員さんたちは、動きが固く手順もぎこちないものの、となりにいた店員さんがうまく助けて、ほほえましい感じ。時間帯なのか、レジも人手がやや少なめでしたが、端を見ると「副店長福嶋」のバッジをつけた背広のおじさんがなんだか楽しそうレジ打ちをやっている。ある小劇場出身の中年演出家が本来なら打ち上げに行ってもいいのに、わざわざ残って後片づけを手伝っているのを中劇場で小屋つきのアルバイトをしていたときに見たのを思い出しました。
 本は頑張れば持って帰れない量ではなかったものの、台風が近づいていて雨が降っていて、なおかつその後古本屋も回る予定だったので、配送を頼むと、明後日午前に着くとのこと。今は午前中だし、埼玉までなら、翌日中に着くだろうにと思ったものの、文句のでないようにきっちり梱包するとして、それを当日の閉店間際にまとめてするとしたら、まあそんなものかと思っていました。実際には、翌日の午前中に着いて、大喜びしました。もちろん梱包もよく出来ていました。

補足 平成十七年五月八日に関連記事があります。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月29日 (月)

私の開示情報

 このブログは匿名でやっているものの、いちおう私を知っている人が見たら、まあこの人だろうと当てがつく内容になっています。批評系のブログではないので、実名でなくとも卑怯というわけでもなく、感傷的な思い出を多く書いているので、実名を検索にかけてこのブログが出てくるというのもこっぱずかしいので、今のままでよいと思っています。
 「プロフィール」として公開する情報を何にするかあれこれ思案しましたが、年齢はかならず入れるつもりでした。ある時代にどの世代の人間が考えたことなのかというのは、文章を考察する際に非常に重要だと思います。女性の著者で、著者紹介の欄に年齢を書かない人が稀にいます。本人が気にするからつけていないものを、気にする必要はないなどと言うつもりはありません。とはいえ、ブログはともかく出版物の場合はもったいないことだと私は感じます。
 なお、昨日で三十二になりました。特に感慨はありません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月27日 (土)

遊具の盛衰

 息子は現在二歳三ヶ月になるが、一人で歩き始める前から公園にはよく連れて行っていた。最近の公園で気がつくのは置いてある遊具の移りかわりである。「ジャングルジム登ろう。チャチャチャ」と唄われたジャングルジムは私の周りの公園にはない。鉄棒や雲梯がある公園はかなり古風である。シーソーもかなり稀であり、神社に付属している公園でしか見ていない。日本公園施設業協会が2002年に「箱型ブランコ、遊動木(引用者注、丸太棒が平行に動くやつです)、回旋塔は条件によっては使用を禁止し、撤去することが望まれる」と定めてしまったせいか、これらももう見ない。全体的に揺れる遊具がなくなったと言える。
 ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』で行った、有名な遊びの四分類は下記の通りである。
  1.アゴン(競争):運動や格闘技、子どものかけっこ
  2.アレア(偶然):くじ、ギャンブル
  3.ミミクリ(模倣):演劇、物真似。ままごと
  4.そしてイリンクス(めまい) :ブランコなど
遊具がなくなることで、このうちイリンクスの体験が減ってしまったことになる。
 現代では安全の二字こそ最優先なので、僅かでも危険性のある遊具がなくなるのは当然なのかもしれない。せめてもと思って、息子をかかえて時折ぐるぐるまわしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月26日 (金)

だんだん安くする商法

 サッカーのワールドカップ大会のように非常に人気の高いチケットを売りさばく場合に、次のような方式が考えられている。最初は値段をかなり高く設定する。それで売れ残った場合に、ある程度値段を下げる。それでも売れない場合はさらに値段を下げる。もし、試合当日まで券が残っている場合は、かなり格安で売ることになる。
 これは売り手本位のやりかたである。チケットが人気高で品薄になる場合、需要と供給で価格が釣り合っていないことになる。どんなに高くても、チケットを早めに確保しておきたいという人は、高くても手に入れることだろう。手が出ない人は、チケットの値段が安くなるまで待つことになる。売り手としては、チケットが最後の最後まで売れ残った場合に値段を下げることができ、高値ではいやだったが、安値なら観に行きましょうという人が買うかも知れない。チケットを全て売りさばくには好都合である。また、前売りチケットがネットオークションでさらに高値を呼ぶことも防げる。
 こういったことをなぜやらないのかと思う反面、このような段々安くする商法は、なじめない。何年か前に、中古車から新車へと買い換えた。新車選びは似たような性能の車を比較して、A社とB社を回った。最初に行ったA社が提示した額に比べて、B社の提示額がかなり安かった。使っていた中古車の買い取り価格もよかった。B社のセールスマンの方針は、最初からかなり低い価格にするかわりに、それ以上の値引きは考えていないというものだった。A社のセールスマンは、我々夫婦がB社に行って出された見積もりを聞いて、「それより安く売ります。中古車の買い取り価格も上げます」と言った。
 私は、そういった段々安くする商法が嫌いなので、A社にはあっさり断りを入れ、B社の車に乗ることにした。近畿では、値切って買うのが当たり前だと聞く。最近、行ってないのでよくわからないが、秋葉原でパソコンや白物家電を買う場合は値切るのが当たり前と言われていた。石丸電気が最初から低い値を付けて交渉では下げないというので、もう十三年程前のことになるが、秋葉原では石丸電気で買っていた気がする。
 相手が買わないとなると段々安くする商法というのは、売り手としてはごく自然なことで、実家が商売をやっている友人に聞いたところ、なにがおかしいの?という反応だったが、どうしても不誠実な対応の気がしてなじめない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月25日 (木)

エレベーターの位置

 九階建てマンションの四階に住んでいるが、マンションの造りが特殊なため、エレベーターは四階に止まらない。三階を利用して、階段を使って四階に上がっている。複数階にひとつしか止まらないようになっているのである。いちいち違う階のエレベーターを使わなくてはいけない構造は、現在主流のバリアフリー(日本語に言い換えようがないのか)の建築とは逆行するが、八十年代に流行ったそうで、移動の時間が増えるため泥棒が行動しにくく、防犯上の利点があると不動産屋には説明された。だが防犯上の理由より、乗れる階の数を少なくすることでエレベーター設置の数を減らそうという魂胆ではないかと、推測している。
 エレベーターは一台しかないので、頻繁に稼働しているのだが、私の住んでいるマンションでは、用のないエレベーターを一階に戻すという習慣がないのである。だから、外から戻ってきてみると、八階や六階だのに止まったエレベーターをしょちゅう見ることになる。上の階の住人としては、いつもエレベーターが下にあっては、外出時にはかならず待たされるわけだから、用の済んだエレベーターを降りるときは一階のボタンを押しておくなんてまっぴらだろう。とはいえ、もはや外出者より帰宅者が多いことがわかっている夜間ぐらいはエレベーターを一階に戻すといった考えはないのだろうか。
 エレベーターを使わない一二階を除いて、どの階の住人もエレベーターを待つ時間がほぼおなじになるようにするには、エレベーターを何階に置いておけばよいのだろうか。数学ができれば何階が負担を公平にするのかわかりそうなもので、もし私の利用階の三階がよいとわかれば、ありがたいのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月24日 (水)

チケットの予約

 人気のあるお芝居とはいえ、何ヶ月も前から予定を決めて予約をしなければならないのは苦しいとは、勘三郎襲名公演と蜷川の十二夜のチケットをとった後輩の弁である。ほぼ決まり切った日常を送るとはいえ、予約した日がその後の予定に塗りつぶされないか、あるいは共に行く約束をした相手に別の用事が入ることがないか、難しい読みが必要になる。休日はやや安全とはいえ、チケットはかなりとりにくくなる。韓国は、前売りを買うという習慣がほとんどなく、当日になって券買う場合が多いという。前売りがあまりに早く始まるのは、観客にとって不都合でもあるが、いたしかたないことか。
 私が二十歳そこそこの頃、なんとなくだが、生きているのがつらくなって、死にたくはないけれど、死んでしまえたらいいのになぁという、若者にありがちな衝動にとりつかれていた。不意に自殺したい衝動に負けては駄目なので、何ヶ月か先の芝居の券を購入し、これを観ることを楽しみにそこまで生きていこうと思っていた時期があった。具体的に非常に効果があった。チケット予約が早いことの功罪があるとして、意外なところで、私にはよいこともあったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月23日 (火)

黒ネクタイ

 通夜や告別式にする黒ネクタイをもっていなかったので、地下鉄のキオスクで買ったのは二十四の時である。葬儀のかえりの地下鉄で、そのころ倒産してしまった山一証券の話を知人としていたのを覚えている。地下鉄を降りて、飲みに行こうということになった。黒ネクタイをはずした際に、地下鉄のゴミ箱が目に入ったので、ネクタイを捨ててしまおうと思ったのだが、とうとう捨てずに持って帰った。その後、ネクタイは数回のお勤めを果たしている。軽率に捨てなくてよかったということになるが、素直には喜べない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月22日 (月)

落書きよけ

 学校をとりまく塀に、児童らの絵が描いてある小学校がある。汚くなったからという理由で、校長が勝手に絵を塗りつぶしてしまった小学校があった。先日見た都内のある小学校の塀には絵が描かれていたのだが、制作からかなり時が経ったようで随分汚いものだった。こういったものが消されても致し方ないかと思ったが、その反面壁画の利点に気づいた。うちに帰ってインターネットで調べたところ、小学校の壁画製作が落書きよけのためになされていることがはっきりした。壁に落書きする者の倫理観はよく知らないが、まだ小学生が描いた絵の上にスプレーするほど残忍ではないことは少なからずほっとする。

補記:スパムコメントがひどいのでコメント受付を停止します。2007.6.4

| | トラックバック (0)

2005年8月21日 (日)

整列乗車

 東武東上線の急行は、到着後片側の扉が降り口専用となって乗客が全て降りてから、反対側の扉が開いて、ホームに並んで待っていた乗客達が乗ることになっている。あらかじめ降車側ホームにいて、そこから乗り込めばかならず座れるだろうが、やっている横着者は見たことがない。また、乗車側は三列に並んで整列乗車するのだが、列に並ばず横から割り込んで乗ろうとする者もいない。
 時折、横から割り込んで乗ろうと企んでいるのではないかとおぼしき人を見る。もし、割り込みを図っていたら、どのように処置しなければいけないのかを考えると、どきどきする。最低でもそれを見すごしてはならないはずである。では、口で注意するべきなのか、うしろからひっつかんでとめるのか、座ったところをとっちめるのか、いずれにしても大変である。幸い割り込みをする人は、私が見る限り皆無で、疑わしき面々は、きわいどいところで次の便のために整列する動きをするので、助かっているが、そのような場合が生じないかと、不安になるときもある。
 なお、長崎人ができないことの一つが整列乗車である。市電の乗り込みなどみると出鱈目に行われている。戦中・戦後の配給制度が行列・整列という習慣を都市市民に植え付けたので、地方都市の住人が行列・整列に弱いのはあたりまえということか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月20日 (土)

某女子大での写真

 私の演劇への関わり方は、基本的に裏方であって、役者として舞台に立った経験は二公演しかない。裏方をしつつ出番になるとちょっとだけ出るというだけで、いずれも端役である。だが、舞台に立てるということは裏方にとっては嬉しいことだ。東京サンシャシンボーイズの『ショウ・マスト・ゴー・オン』で、図らずも舞台を横切ることになった舞台スタッフが、戻ってきたあとに「ねぇねぇ俺の歩き方見た。工夫したんだけど」などと言っているが、その気持ちはよくわかる。
 私の数少ない役者経験の内のひとつが、某女子大学での学園祭である。題名も『フリークキング』といい、ユビュ王と三島由紀夫の『現代能楽集』「弱法師」がかけあわったような変なアングラ芝居だった。私は、フリークキングを崇める踊りをする乞食の一人として呼ばれたのだが、実際のところ舞台装置の製作が間に合わず、芝居に出るなら只で手伝ってくれるというもくろみだったようだ。それはうすうすわかっていたのだが、とうとう公演前日まで、タタキ(舞台装置の製作)しかさせてもらえず、演出のIさんはいそがしくてとても私の面倒を見るつもりがないようなので、「司会」(という役の)のYさんをつかまえて、乞食踊を教えてもらったのであった。乞食の衣裳は、Iさんの彼女でもあったOさんが別の芝居で使った南島の土人の衣裳を当日もってきてくれるという話だったのだが、ごめん忘れたの一言で済まされ、私ひとりだけが衣裳のない乞食としてトランクス一枚で舞台に立つことになった。公演は二日にわたってあったので、翌日は、上半身裸に剣道の袴をボロくつけてなんとか恰好をつけた。
 芝居の最後に、フリークキングを讃える踊りがあって、最後に「フリークキング」の掛声とともにみんなでキメポーズになるのだが、なんと初日に、カメラマンがきて、入試の広報に学園祭の写真を使いたいので、撮らせてくれというのである。そういうわけで、トランクス一枚の私が写真に収まったしまったわけだが、はたしてあの写真は入試広報に使われたかどうか。おそらくボツになった思うが、あれが使われていたらと夢想もする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年8月19日 (金)

ベスト・キッドのヒロイン

 私がまだ学生演劇に携わっていたころ、ハムレットをもじった現代劇を作ったりしたこともある脚本家だった知り合いのNさんが、映画『ベスト・キッド』について語ったことがある。Nさんは私より四歳年上で、一度は芝居をやめたにもかかわらず、また芝居をはじめて、私が舞台スタッフをすることになったある芝居の端役をしていたので、話しをする機会があったのである。
 『ベスト・キッド』は男の主人公が3まで続くのだが、ヒロインは各作ごとに替わっている。2・3とも、冒頭は次のようになっているという。主人公が車を洗っていると、空手の師であるパット・モリタがあらわれ、彼女はどうしたと聞くが、主人公は別れたよの一言で済ませる。その一言で、前作のヒロインのことは清算されてしまって、新たなヒロインが心おきなく登場することになる。
 ヒロインのためにあれだけ大立ち回りをして愛を勝ち取ったことが、いとも簡単に無になってしまうことをNさんは言いたかったのだと思う。Nさんは私と同い年の女優のFさんのことを好きになって、役者として復帰したのだと公演中に噂を聞いた。FさんとNさんとは全く接近することなく、Fさんは同じくその芝居に参加していたS君という年若の役者と、公演終了後つきあい始めた。
 その後のNさんの胸中は知りようがないが、意外と達観していたのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月18日 (木)

警察の自転車

 警察の自転車は、ギア比が小さくしてあると、劇場アルバイトの時の上司Kさんから聞いたことがある。自転車に乗った逃亡犯を追いかけるのに、通常の自転車よりも最高速度がでるようにするためだという。ギア比が小さければ、発進に通常よりも大きい力が必要なはずだが、そこは警察官の体力で補うらしい。
 あやしまれない程度に警察用の白自転車を観察したが、ギア比がそのようになっているとはうかがえない。とはいえ、瞥見なので乗ってみるまではわからない。パトロールカーには迷子で乗ったことがあり、自発的に事件でも起こして逮捕されれば乗れる可能性はこれからもあるが、警察の自転車ばかりは今後の人生で乗る機会があるかどうかわからない。警察官に尋ねてみるとよいのかもしれないが、これも警察の秘密とやらで教えてもらえないのかも知れない。などとしらじらしいことをいうのはここまでとして、都市伝説としては、楽しい部類だと思うがいかが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月17日 (水)

小説のわかる年ごろ

 小説とはある年ごろになって、よくわかるということがある。三田誠広は、志賀直哉の『和解』を例に挙げて、子どもを持つ身とそうでない身とでは、理解に差が出来ると述べている。
 私と漱石作品の場合を例にあげると、『三四郎』のことがよくわかると思ったのは、三四郎と同じく二十三歳になってからである。『坊ちゃん』が面白いと思ったのは、教育実習に行った二十四歳の時である。『それから』がよくわかると思ったのは、結婚を考えていた二十八歳のころである。かつて全く面白くなかった『道草』を最近再読した。今年で三十二歳になる私にとって、とても面白い内容だった。
 日頃読書などしない父は、漱石だけは読んでいて、つまらぬ文学的権威への盲信から漱石でも読んでいるのだろうとかつては思っていたが、父として何かしら漱石に感じるところがあって、読んでいたのではないかと思う。
 漱石以外では、太宰治の作品は年を経て読む返すごとに、より深い鑑賞ができたと感じる。村上春樹の『ノルウェイの森』は、私が高校生の頃に、同級生の間で流行っていたが、軽佻浮薄なそのもてはやしぶりにどうも馴染めず(当時村上龍と並べて、ダブル浅野ならぬダブル村上という言葉があったような)、村上春樹作品を初めて読んだのは、二十二歳になってからで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だった。いろいろと考えさせられると同時に、高校生の頃に読んでも面白くなかっただろうと感じた。それ以降、村上春樹作品はほとんど読破している。
 このように、作品鑑賞の上で、ある年齢・境遇までいかなければ十全に理解できない作品は多いのだが、それでは、中学生や高校生のうちにそういった本を読むことあるいは読んだことが無駄かというとそうは思わない。
 良質な作品であれば、その時点の読者にはその時点なりのなにかを教えてくれるのである。その見解があとになって不足していたことがわかったとしても、何の問題もない。再読して見解が新たになったとしても、それは年を経て、さらに三読、四読するうちに変わっていく可能性があり、そのたびごとに違う見解が楽しめればいいのではないか。そういった変化を楽しめることは、若いうちに読んだ者だけの特典であるし、奥深い名作とつきあう喜びでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月16日 (火)

小説問題の原本

 現代国語の問題集やテスト問題で使われる小説は、ほとんどの場合、一部分だけが切り取られて出題される。その一部分に興味を持って、出題元の小説を探して読むこともある。私は田舎の高校生だったので、通うような国語の塾などなく、Z会の通信添削をうけていたのだが、Z会の添削課題は、小説選択の趣味がよくて、原本を読みたくなるものが多かった。高校時代に、島尾敏雄の『死の棘』など、自分の日頃の読書傾向では出会うことのない名作を知ることができたのは、有意義だった。
 高校で教えていたときに、塾に行く時間的余裕がないがお金にはまだ余裕がある人にはZ会を薦めていたが、実際にZ会の通信講座をとった男子生徒から、出題された小説の残り部分が読みたいので持っていないか聞かれたことがある。武田泰淳の『蝮のすゑ』だった。私は持っておらず、新刊本では手に入らない状態となっていたものの、学校の図書館にもなかった。その生徒には読ませたかったが、高いお金を払って『蝮のすゑ』が収められている本をあらためて探すのは、時給の安さを考えるとつらかった。ふと、思いついて、ブックオフに行ったところ、『蝮のすゑ』を収録している、講談社の日本現代文学全集『武田泰淳集・中村眞一郎集』が百円で売られていて、ことなきを得た。私自身読了の上、その生徒にはその本をやった。その生徒がいうには出題されたのは冒頭のあたりだったそうだが、たしかに続きを読みたくなる内容だった。
 武田泰淳・丹羽文雄・舟橋聖一などかつて文壇を席巻していた作者たちの小説も、時代を経てほとんど相手にされなくなった。最近私は、舟橋聖一が書いた江戸時代小説に興味を持っているのだが、集めるのはなかなか手間がかかりそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月15日 (月)

奥にあるレジ

 四年程前、某温泉地の市街にある八百屋でプラムを買った。いまどきのお店は入り口にレジがあるが、その店は典型的な八百屋なので、店の一番奥にレジがあった。ちょうど旬だったので、店頭にはさまざまな種類のプラムが並んでおり、妻と私といろいろ悩んだ上で品を決めて、店員に購入の意志を告げると、店員はお金と商品を受け取って奥のレジまで入金しに行った。
 そのお店から、宿までてくてく歩いて、さあ食べようと紙袋を開けて驚いた。見たところ、選んだプラムではなかったからである。痛んでいるうえに、数もあっていないようだった。店の奥に飾ってあった別のプラムを包んだとしか思えなかった。その店から私たちの宿まで十五分程歩かねばならず、なおかつ勾配がきつい道だったので、苦情を言う気にもならず、あきらめて一個は食べてみたものの、結局残りは捨ててしまった。海外旅行ならともかく国内旅行でそういう目にあったのは驚きだった。

 あれから、それは八百屋の親切ではないかと考えてみた。見てくれはいいもののあまり熟れていないプラムを選んだのでは、宿に帰って食べるのには不便であろう。じゅくじゅくに熟れたプラムと取っ替えて、数も少しおまけしておいてやろうではないか……。
 ふう。何かしらの悪意を受け止めるということは、体力を使うことで、できれば避けたいのだが、ここではやむを得ないようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月14日 (日)

水戸学者の言葉では

 女性天皇の議論が、「皇室典範に関する有識者会議」でなされている。こういった会議は出席者が選ばれた時点で、官僚の意志が反映されており、検討したという既成事実づくりでしかないとよく言われるがはたしてどうか。出席者をみるかぎり、容認でおちつきそうである。
 まともな議論はその人たちに任せておくとして、青山延于という水戸学の儒者の意見を『皇朝史略』(原文漢文)から引用してみる。

【書き下し文】(原本の返り点に従った)
青山延于曰く、神武以後、相伝ること二十餘世、未だ女主朝に臨む者有らず。神功制を称すと雖も、終に真に即かず。而して女主真に即くは、推古より始れりなり。厥の後、皇極、持統相継で位に即く。甚だしきは、聖武孝謙を以て儲貳と為るに至る。蓋し帝の俑を作るに由るなり。是の時に当て、蘇我の馬子権を専にし、其の制し易きを欲す。故に己が出を立て、以て寵を固くし位を保つの計を成す。卒に蝦夷親子僭逆の端を馴致す。ああ、神功朝に臨みて、懸象光を失ふ。推古位に在て、盛夏雪を飛ばす。陰気の盛ん、其の應此の如し。孰れか天道悠遠人事に関らずと謂ふか。

【現代語訳】
青山延于が言うには、神武天皇以後、帝の位が代々受け継がれること二十余世であるが、まだ女性で政治をとりおこなった者はいなかった。神功皇后が帝の位をとなえたが、とうとう本当には帝の位につかなかった。それから女性で本当に帝の位についたのは、推古天皇から始ったのである。その後、皇極天皇、持統天皇が相次いで位についた。ひどくなると、聖武天皇は(皇女でのちの)孝謙天皇を皇太子にするに至った。まさしく、(推古の例が)帝の位によくない前例を開いたことが原因なのである。ちょうど推古の時代に、蘇我馬子が権力をほしいままにして、自分の思うように操りやすい帝を位につけようとした。そのため、自分の一族から帝を立てることで、帝の寵愛を堅固にして自分の地位を維持する計略を実行した。とどのつまりは、蝦夷親子の僭逆の端を次第に用意したのだ。ああ、神功皇后がまつりごとを行って、日月星辰が光りを失い、推古天皇が位に在ると、盛夏に雪が飛んだ。陰気が盛んになり、そのむくいはこのようなものである。だれが天道は悠遠であって人間の事には関係しないというのか(いや関係するのである)。

 私も女性天皇容認派で、こんな時代錯誤はだれも言わないとは知りつつ、湯島聖堂の壁の割れ目からひょっこり昔の儒者が現れて言ったりしないかなどと思ったりする。なお、本記事の題名は藤原正彦『数学者の言葉では』のもじり。

 話は全くずれてしまうが、篠山紀信『作家の仕事場』の「新田次郎」の項を見てビックリ。子息藤原正彦と瓜二つである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年8月13日 (土)

茶髪に意味はあるのかね

 私の住んでいる埼玉の小都市では、公園に子どもをつれてくるおかあさんのほぼ十割が髪を染めている。誰もが髪を染めるのならば、特に個性的はいえまい。テレビに出る芸能人は、美容室できちんと染めてもらっているので、染め上がりも綺麗だが、そこらへんのおかあさんは安物の髪染め剤をつかっているのか、綺麗に染まらず、色もひどく安っぽい。
 「ダイエットなんかしたって、太ったブスから痩せたブスになるだけなんです」というのは小朝がやっていたネタだが、これをもじれば「髪を染めたって、……」。
 それにしても、おかあさんは茶髪にすべしとの条例でもあるのか。そこまでして、茶髪にしたい動機は全く理解できない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月12日 (金)

文章のメリハリ

 妻のいとこが現在ドイツに住んでいて、とある旅行会社のホームページに間借りして滞在記を載せている。おばさんからURLを教えてもらってちょっと覗いてみたのだが、これがなんとなく面白くない。ドイツの習俗、文化、流行などを事細かに伝えていて、勉強になるのだが、読み進めたい気にはあまりならなかった。これは、ドイツへの関心があまりないためだとその時点で思っていた。
 が、最近その文章にメリハリがなかったからではないかと思うようになった。Aという十何年来の友人はここ一年ばかりボストンに滞在し、ちょっとした日記を書いているが、これがなかなか面白い。日常生活がただ書いてあっても飽きさせない。ブログの女王と呼ばれる眞鍋かをりのブログを一度覗いてみたのだが、メリハリが利いて、読者に読み進めさせる気になる文章だった。
 とはいえ、どの文章にメリハリがあって、その程度は相互に比べることが出来るのか。あるいは、どのようにすればちょっとした文章でもメリハリをつけることが出来るのか。といったことは、私自身よくわかっていない。幸いこのブログのように小文を書く機会があるので、おいおい考えてみることにしたい。
 ちなみに「めりはり」とはもともと邦楽の用語で音の抑揚をつけること。「める」が「滅る」で音を下げること、で「はる」は「張る」で音を上げることか。「めりはり」と同じ意味で「めりかり」という言葉がある。「かる」は「甲る」で調子を上げること。「めりはり」は生き残ったが「めりかり」は使われなくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月11日 (木)

近所の新刊書店

 近所の中型書店には夏休みの課題図書の平積みができていたが、すべてビニールがかけてあった。立ち読みで済ませようというクチも少なくないのだろう。
 中型書店は、昨年出来たのだが、それまでに近所にあった小型書店三つをつぶしてしまった(一駅先の本屋がなくなったのも含めると四つ)。機械的に日販・東販が本を書店に送り込む今の配本制度を考えると、中型書店に配本されていない本を、小型書店で見つけることはほぼありえないのであり、絶対的に大は小を兼ねる、新刊書店の世界では、凡百の小型書店は対抗できない。よほど気の利いた書店員がいるか、あるいはエロに特化するかしないと生き残りは難しい。
 私の実家のある長崎県の郡部にある人口四万人程度の町では、二軒の小型書店があったが、1989年に中型書店ができたことで、翌年には二軒とも店をたたんでしまった。ところが、その中型書店も景気がわるかったのか、何年後かに撤退してしまった(1998年だと思う)。それ以降、私の住んでいた町には新刊書店がないのである。古本屋はもとよりない。
 私が小学生の頃(1980年代前半)は、しょっちゅう小型書店に出かけて立ち読みしていた。漫画のビニールがけがほとんどされていなかったころで、かなり大量の漫画を読ませてもらった。また、今では考えにくいことだが、暇と体力に任せて文庫本一冊を立ち読みすることもよくあった。夏場は、当時一般家庭にはほとんどなかった(んでしょうね。すくなくとも実家には1997年までなかった)クーラーが利いていたのも、繁く足を運んだ理由だった。店を訪れる割には、買わなかったことがその書店の寿命を縮めてしまっただろうから、後悔はするが、子どもだった当時はいかんともしがたいことだったと思う。
 今は大人であるから、故郷に戻っても、アマゾンで本を買ったり、車に乗って都市部の大きな書店に本を買いに行くことは簡単にできる。だが、私が小学生の頃に、町に一軒の新刊書店もなかったら、今の私とは多少違った自分になっているだろう。。
 息子も絵本を見るのを楽しみにしているようであり、近所の中型書店がつぶれないようできるだけそこで買うようにしている。

 町立図書館についてはまた別の機会に書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月10日 (水)

「である」の消長

 文章を書きながらなんとかしたいと思っているのは「である」である。「だ・である」体は、言文一致体のことばとして登場し、「なり」「けり」などといった古典文法の助動詞のかわりに日本語の文章の末尾に鎮座している。実際のところ、会話で「である」を使うことは滅多にないので、「である」は言文一致体というより、「候」のような文章末尾の決まり文句といえる。山本夏彦が『完本・文語文』などで指摘しているが、文章の末尾は、古典文法の助動詞で書いた方が種類に富む。「だ・である」体は極めて単調である。なんとか使用の頻度を減らし、文章にメリハリをつけようとするがなかなか難しい。「である」のついている文章なんて古くさくて読めないと、「である」がすっかり文語扱いされる日は遠くない気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月 9日 (火)

映画『800』のことなど

 『800』という八百メートル走を題材にした映画が平成六年に作られている。私は平成七年ごろにレンタルビデオでみている。川島誠の小説が原作なのだが、もとがマガジンハウスから出版されていたこともあり、今年の六月に角川文庫に収められるまで、原作があることに気づいていなかった。小説は八月現在も近所の書店に平積みされており、買う予定はないが、気になってはいる。
 私は剣道部に所属していたものの、足を見込まれ、中体連の八百メートル走の選手に学校代表として選ばれた経験がある。八百メートル走は陸上の中でそれほど人気のある種目とは思えないので、それが映画になったとは驚きであった。
 映画では、がむしゃらな肉体派と頭脳派と二人の男子高校生の走者が主人公であり、同じく陸上選手の女の子や亡くなった男の先輩などと、三角・四角関係が描かれている。映画そのものはだいたいよく出来ていたと思う。
 ただ、二人が高校総体の県大会の場で雌雄を決する最後の場面がいただけなかった。高校総体の県大会なので、よい競技場が使われているのだが、エキストラを集める予算がなかったのか、観客席がガラガラである。
 そのくらいはまあ目をつぶるとして、致命傷だったのは、二人の役者に八百メートルをそのまま走らせてしまったことである。力走しているのだが、いかんせん遅いのだ。二人だけで走らせるわけにはいかないので、おそらく大学の陸上部から人を呼んできて、エキストラとしてうしろを走らせているのだが、これがあきらかに流しているとわかる走り方なのである。意地の悪い私は、ビデオを巻き戻して、いったいどのくらいで走っているのか、ストップウォッチで計ってみた。昔のことなので記憶が曖昧だが、二分半を優にこえていたと思う。私の最高記録が二分二十一秒だった(気がする。これはかなりうろおぼえ)こともあって、すっかり興ざめしてしまった。
 八百メートルを全部走らせるのを流しで撮るのではなくて、四百メートル走ぐらいの迫力で走らせてそれを編集すればよかったのである。それに比べると映画『ピンポン』は、編集に特殊効果を重ねることで、うまく卓球の場面を描いて、卓球好きも満足できたのではないかと思う。
 なお、八百メートル走のことを「走る格闘技」と、ビデオの箱および小説裏表紙解説は紹介している。百メートルの選手が、腕が当るというので、私とトラックを走るのをかなり嫌がっていたことを思い出した。私自身、剣道をしていたこともあって、少しも格闘技とは思っていなかったが。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 8日 (月)

香具師のよみ

 香具師の読みは、本来「やし」ではなく、「こうぐし」である。江戸時代の文献では『浮世床』二編に「口から先ヘ生れたとは、これが事た、香具師(かうぐし)のいひぐさをよく覚えたぜ」とルビが振ってある。念のために、書いておくが「かうぐし」は旧仮名遣い(正仮名遣い)なので、現代では「コーグシ」と発音する。「香具」(香を聞く道具)を行商する者を「香具師」(こうぐし)と言ったのが、口上や藝で人を集めてものを売る人にも使われるようになったのだろう。
 CD「円生百席」の「がまの油」のマクラで、「店を出す人のことを『やし』だなんていいますが、そういうことをいうとと怒られますが、『こうぐし』というんだそうです。もっとも『こうぐし』なんてぇのはそのお仲間だけなんでしょうが、一般には『てきや』といって通っておりまして、おれたちはやくざとはわけが違うんだとえばっています」と三遊亭円生は述べている。「やし」が蔑称、「こうぐし」が正式だが仲間内でしか使われなくなり、「てきや」が通称となっていることがうかがえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 7日 (日)

映画評:『逆境ナイン』

 きわめて不足している時間をやりくりして、七月中旬に島本和彦原作の映画『逆境ナイン』を観てきた。私はここ三年程島本漫画に関心を持っている。『逆境ナイン』はおととしネットオークションで手に入れた。長らく絶版だった漫画が復刊されることは知っていたが待てなかったのである。
 最初の五分ほどは後悔していた。あきらかに安い予算と余裕のない日程で撮られたこと。漫画的表現を再現するために用いられた特殊効果の貧弱なこと。日本映画にありがちな、メジャー映画のどうでもいいパロディがあること。その前に観た映画が『スターウォーズ・エピソード3』だったこともあって、様々な面でその落差にがっかりしてしまったのである。
 だが、劇場を去るときには、私は『逆境ナイン』に満足していた。最大の要因は、主演の玉山鉄二の熱演である。不屈闘志というほぼありえないような人物を、気迫のこもった演技でやりとげた玉山鉄二に満足したのである。私が入ったのが夜十時からの回で、私を含めて男性二人(知り合いではないです)、玉山鉄二ファンとおぼしき女性二人、最後列で観ていた非番の劇場バイトとおぼしき女性二人が観客の全てだったのだが、おそらく玉山鉄二ファンの女性二人はかなり満足できたのではないか。女子マネージャーを演じた堀北真希も魅力を存分に発散させていたので、私以外の男性客が、島本和彦好きではなく、堀北真希のファンでも満足しただろう。
 先に述べたように、映画としては荒い出来だと言わざるを得ない。しかし、それでいいのだ。原作は島本和彦の漫画だが、島本和彦という漫画家は決して絵がうまいわけではない。『燃えよペン』『吼えろペン』に描かれるような、厳しい締め切りをくぐりぬけながら、作者自身の持つ激しい情熱のため、時には破綻しかねない物語を、名編集者ササキバラゴウと一緒になんとかまとめあげた作品が『逆境ナイン』である。そのように荒削りながらも、どうしても読む者に訴えかける魂が鎮座しているのが、島本和彦作品の魅力である。今回の映画も荒いところはあるが、玉山鉄二の演技をはじめ、観る者がどうしても感じいってしまうものがあった。その点で、映画は原作の魅力をうまく再現できていたと言えよう。入れてほしかった台詞が削られていたり、ナインの特訓がなくなっていたり、監督サカキバラゴウが単なる道化になっていたりと不満はあるが、二時間に収めるために、脚本・編集はかなりがんばったのではないか。原作好きなら、映画もきっと楽しめるだろう。
 なお、エンディングロールは岡村孝子の「夢をあきらめないで」が流れる。これを最後まで聴かずに出て行った女性二人は損をしたと思うぞ。

(「TV TARO」E難度チェック風に)TV雑誌「TV TARO」の玉山鉄二インタビューによれば、初日に指を脱臼してしまったのこと。確かに、試合前日にもかかわらず、玉山鉄二が右人差し指にギブスをしている場面がある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年8月 6日 (土)

高校野球改革案

 高校野球の改革案を述べる。現在は甲子園ですべての試合が行われる。それを、会場を分散させ、日程も間隔をあけて行うことにする。なにも甲子園だけではなくても、グリーンスタジアム神戸や大阪ドームなど立派な球場が関西にはある(岡山マスカットスタジアムも候補にできよう)。過密スケジュールが緩和されれば選手にはよいはずである。あこがれの甲子園がと思うのかも知れないが、サッカーだって開会式直後の一試合を除けば、サッカーの聖地国立競技場は準決勝からである。死のロードを強いられる阪神の負担を減らせるので、トラキチにも朗報ではないか。
 とはいうものの、たかだが高校総体の一競技にもかかわらず、高野連は観客の増減にかなり神経質であり、後援の新聞社は高校野球を販売促進の材料としているので、こういった観客を減らしたり視聴率の低下(ひいては野球人気の低下)につながる案が実現しないことは、よくわかっている。
 しかし、無理とはわかっていても、時折そういったことを言いたく気持ちもわかってもらえるだろうか。ちょっと歳をとったので、炎天下高校生を連投させて当然とは思えなくなってきたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 5日 (金)

円楽の副鼻腔炎

 私には副鼻腔炎という宿痾があって、体調が悪くなるとまっさきにそれがひどくなる。知らない人のために説明すると、副鼻腔というほほのあたりの骨の下にある空洞が炎症を起こす病気で、そこに膿がたまると虫歯のような痛みがするのである。
 私の場合、このたまった膿は鼻からではなく、咽にまわってたらーりたらーりと落ちるという後鼻漏によって排出される。よって、咽に痰がたまるので、ときおり痰を切る咳をしたりしなければならない。
 笑点の司会として知られる三遊亭円楽は最近まで長いこと落語をほとんどしていなかった。一番の理由は、副鼻腔炎が原因だと聞く。長い咄をしていると、どうしても咳をしてしまうのでやめていたらしい。やめている理由は、仮病のようになかば思われていたようだが、私自身わずらっているので、できないという気持ちはよくわかる。教壇に立っていた頃、最前列に座っていた生徒は私の咳をしばしば浴びてたいへん迷惑そうだった。
 円楽は、今年の五月三十一日には末広亭の余一会で、「中村仲蔵」の大ネタをかけたらしい。円生の落語協会脱退とともに、寄席の高座に出られなくなってから、なんと二十七年ぶりの寄席の高座らしい(念のため書いておくと、寄席以外でも落語はできるが、あの円楽が寄席に戻れたというのが重要)。円楽がはたして副鼻腔炎を完治させたのか、興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 4日 (木)

寄席での飲食

 鈴本演芸場のホームページはつぎのような文句がトップページに掲げられている。

お弁当食べてもいいんです
お菓子を食べてもいいんです
ビールを飲んでもいいんです
そして腹の底から大笑い
鈴本ってこんな寄席です

 鈴本に限らず、寄席は客席で食事を取ってもかまわないことになっているようだ。これは、歌舞伎の観劇にかべす(菓子・弁当・すし)が許されているように、日本の観劇慣習にそっているのだろう。
 だが、実際に目の前で食べられる噺家はたまったものではないだろう。私が教壇に立っていたころ、授業中は、食べ物はもちろんのこと、水筒やペットボトルといった飲み物も机上からしまわせ、ガムを噛むのも絶対に許さなかった。学生だった頃、演習で私が発表している際に、だれかがペットボトルの水を呑むのも内心腹立たしかった。林家たい平がCD「たい平よくできました2」収録の「幾代餅」のマクラで、客席で飲み食いしたあげく途中退席するおばちゃんにいかに悩まされているかを述べている。飲食する観客を嘆くたい平のマクラを、私は生で聞いたこともあるので、よく喋っているのだろう。
 私は寄席で飲み食いしないかというと、実はする。ただ、がさごそ音がするようなものは食べないようにしている。しかし、まだ寄席に通い始めたころ、池袋演芸場にケンタッキーのフライドチキンを持ち込んで、狭い客席を唐揚げの匂いでいっぱいにしてしまったことがある。そのとき、高座に上がっていたのは、柳家さん喬師だったが、つまらなそうに小ネタ(気の長短だったか)をやって降りてしまった。当然のことながら、それ以後フライドチキンは客席に持ち込んでいないし、いまだにさん喬師にはすまなかったと思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月 3日 (水)

寄席の追い出し

 劇場でアルバイトの経験がある。観客が帰ったのちにあとかたづけをして劇場を閉めるところまでが仕事だった。当然のことながら、観客が帰らない限り、芝居のスタッフも帰れないし、小屋の人間も帰ることはできない。観客にはさっさと帰ってほしいと思うのだが、アンケートを延々書いている人もいるし、終演後も芝居の感動がわすれられないのかえらく長く座席に座っている人もいる。いつまでも待ってはいられないので、補助席の出ている芝居では終演後にかかっている曲が二回りすれば、補助席だけは片づけてしまうことにしていた。本当に、放っておけば一晩中でも居そうな人も稀にはいるもので、そういう人には仕方なく声をかける。
 『笑芸人』第十五号の附録CDは三谷幸喜による『オケピ!』の場内アナウンスを収めるが、その一つに終演ナレーションがあって、「これ以上残っていてもなにもいいことがございません。……もう帰ってくれ。帰ってくれ頼む」とあるのは笑った。最後まで残って聞きたがる人が出てくるような気もしないでもないが。
 劇場側の以上のような行為は芝居の余韻をぶちこわしにするとお嫌いになる方も多いだろう。私の終演後の過ごし方だが、以前は、アンケートがある場合は書いていたことが多かったのだが、最近では全く書かなくなった。終演後、すぐに席を立つことにしている。カーテンコールがある芝居は、そこまで観ることにしているが、強者はいるもので、SF作家光瀬龍は『百億の昼と千億の夜』のあとがきでオセロがただの若者(の役者)に戻ってしまうのがいやでカーテンコールも観ないで暗い中席を立つと書いている。
 カーテンコールはともかく、小劇場にありがちだが、終演後出入り口に先回りした役者に、ありがとうございましたと挨拶されるのは勘弁である。「俺は熱演したった」と観客よりもカタルシスに浸った役者がお見送りしてくれる芝居が面白かった試しはない。下手に客席を出遅れて、花束を持った役者と知り合いの客がべらべら喋っている混み合ったロビーや狭い玄関口をすり抜けて帰るのは最悪である。
 自分が舞台スタッフで関わった芝居で、上記のようなものも少なからずあったが、役者や演出家や制作に文句を言ったことはない。雇われている場合は、文句を言うのは出過ぎたことだし、そうでなくても役者へのひがみと思われるのが嫌だった。
 客の追い出しが早いのは落語の寄席である。終演後、緞帳が下げはじめと同時に、追い出し太鼓がなりだし、ありがとーございましたーと楽屋・劇場の人間達が裏で声を出して追い出しにかかる。お客を帰すぞという気合いが伝わるのか、あっという間に客席から人がいなくなる。その手際なかなか見事だと思う。これは、今の昼夜二回公演以上に、小屋を回していた頃の名残だろう。いつまでも、残られていると、次の準備ができないからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 1日 (月)

落語の間口

 『笑芸人』第十五号の附録CDに「中島らもとモロ師岡 演劇と笑いを語る」という対談が収められている。2004年7月11日に収録されたので、7月26日に亡くなった中島らもの最期の取材対談となった。その中で中島らもは「今の若手の吉本の漫才、みれたものではない。」「ダウンタウン以降ひとつもいいもんが出てきていない。」といった発言をしている。こういった物言いは、志ん朝が亡くなったらこれで江戸落語を咄せる最後の人がいなくなったとかしたり顔にいう手合いと同じで、嫌いである。中島らもは最近の吉本の漫才師をどれだけ観てから言っているのか。中島らもにしては軽率な発言だと思った。モロ師岡も中島らもの発言には同感できなかったようだが、声高に自己主張する人ではないので、寄席の営業に行ったときに、自信のあるネタが観客の年寄りに受けなかった話をしている。モロ師岡は暗に世代の相違と言いたいのだろう。
 漫才師になろうという手合いは、もともとクラスの人気者だったりして、人を笑わせることなら自信がある連中だろうが、その中から本当に面白い者だけがプロになれるのである。クラスの人気者でも、笑ってくれていたのは自分のことを知っている友達だからであり、赤の他人に聴かせて面白いことを言うのは難しいと誰でも悟ることになる。客層の違いというのは確かにあって、かつて中川家が受けていたインタビューで、吉本の小さな小屋では、自分のファンの女の子達がいっぱいいてその子たちには受けていたのに、大きな小屋に移ってからしばらくのあいだ全然受けずにかなり苦労したという趣旨の話をしていた。
 じゃあ、中島らもが言っていることは、世代の相違で受け入れられなくなっていることを人のせいにしているだけなのかというと、そうとも決めつけられない。最近、川端誠の落語絵本のシリーズを二歳二ヶ月の息子に読み聞かせているのだが、息子も十分堪能しており、落語絵本は息子のお気に入りとなっている。落語のネタは廓噺のように大人向けのものもあるが、基本的に広い世代にウケる間口の広い内容になっている。最近のお笑いが、自分が対象とする狭い世代の観客にだけウケるネタや藝をやることにとどまっていて、がらが小さいのは確かである。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »