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2005年7月15日 (金)

映画評:『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』

  「Yさん(私のイニシャルです)ってZガンダムに出てくるジェリド・メサにキャラが似てますよね」と心外なことをガンダマーの後輩諸子に言われたことがあって、ようしそれなら映画観に行ってやろうじゃないのということで、後輩たちと映画『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』を観に行ったのである。
 Zガンダムが放映されていたのは、私が小学六年生の時で記憶がかなり曖昧なので、予習を兼ねて別冊宝島『僕たちの好きなZガンダム』を見て、一応の流れを確認しておくことにした。初代ガンダムにはやや思い入れがあり、その内容も鮮明に記憶にしているにもかかわらず、Zガンダムの場合、各話の内容がほとんど思い出せず、『僕たちの好きなZガンダム』を読んでも、そんな場面見たっけという程度なのである。実を言えば、Zガンダムは内容が陰惨かつ複雑に入り組んでおり、主人公は支離滅裂な性格をしていたため感情移入もできず、当時からあんまり面白いとは思っておらず、無理して見ようとも思っていなかったため見すごした回も多く(そのころビデオの普及率はかなり低かった)、それが輪をかけて内容をわからなくしていたのである。おそらくクラスの中で、ティターンズとエゥーゴがなぜ戦っているのか理解できていたのは、アニメ雑誌を購入していたT君一人だったろう。
 さて、映画の感想になるが、テレビ版のフィルムと新たに描き足したフィルムをつなぎあわせているのが著しく興を削ぐ。もっと気合いを見せて、今の作画技術で全編描き直すべきだ。四百十八席もある大劇場で見たので、テレビ版のフィルムは見るにたえない。パンフによれば、新しく書き直したところは劣化処理をほどこしてテレビ版と違和感がないようにしたそうだが、そんなことよりもっとすべきことがあるだろう。今の作画技術なら、昔は滑稽としか思えなかった円盤型可変MSアッシマーが非常に恰好よく描けるほどであり、全編それでやってくれよと大変惜しまれる。
 よい点は内容が整理されて筋がわかりやすくなったことである。テレビ放映時は、イデオロギー闘争であるにもかかららず、各陣営の主張がちゃんちゃらおかしくひたすら変だと思っていたが(なんで地球に住んではいけないのかわけがわかりません)、映画版では地球人対スペースノイドの人種間抗争として整理された(と感じた)ので、パレスチナ問題のようなものかとそれなりに腑に落ちた。
 主人公カミーユが名前にケチを付けられたからといっていきなり人を殴る場面は省かれて、その他カミーユの奇矯さが控えめに描かれるにとどまったのはよいことである。
 後輩によれば、台詞が変わったり、声優が昔と交替した役があったそうだが、私には全くわからなかった。
 主題歌は観る前までは昔のままでやってほしいと思っていたのだが、Gacktの曲はオープニングもエンディングもアニメに合って非常によく、申し分なかった。もっと聴かせてほしいと思ったほどである。
 観て損をしたとは言わないが、今更昔のフィルムの使い回しとあっては、「今のSEEDファンやスーパーロボット大戦などから入ってきたファンはZガンダムの内容などわからないので、ここらで要約版を作って、そいつらに見せて、また模型売ったれ」ということなんだろうと揶揄されても文句は言えまい。
 次作よりフォウが登場するが、服装はいかにも時代遅れとなってしまった(未来の話なんですがね)こともあるので、なんとか手をうってほしい。なにせフォウあってのZガンダムだから(ベルトーチカはどうでもいいです)。

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