« ブックオフ | トップページ | 綾瀬の犯罪 »

2005年6月25日 (土)

コタンの口笛

 小説の読み方は自由であって、かならずしも最初から読みはじめる必要はない。また、部分的にしか読まなくても、読者にとって読者独自の「物語」になりうるのである。こういったことを、小説の授業の最初の時に、生徒に言っている。この一例として、次の話をよくしていた。
 私が中学生の頃、読書課題に石森延男『コタンの口笛』が出た。アイヌの少年が主人公なのだが、シャモ(倭人)の少年に深い憤りを感じた主人公は、マキリ(短刀)を持って飛び出す。ここで上巻が終るのだが、下巻では、主人公は途中であった知り合いに説得されて、相手を刺すことはしないのである。ところが、友人Rによれば、同級生のQはあろうことにか上巻しか読まずに読書感想文を書き、なぜ主人公は相手を刺してしまったのだろうなどと書いてしまったため呼び出しを食らい、こっぴどく叱られたという。私の知る笑い話としては、いまだに人生の十傑に入るものである。
 その話をした上で、上巻まででもいいのだ。Qにとって、『コタンの口笛』は主人公がシャモの少年を刺した「物語」として理解されて、それでいいのだと言って話を締めくくっていた。
 ところが昨年、私がすっかり忘れていた事実を思い出したのである。あるときRがQは在日朝鮮人の何世かで、実家はS市でパチンコ店を経営し、クルーザーも二台所有する富豪なのだと言っていたのを思い出した。言われてみれば、Qはやや朝鮮系の顔立ちだった。だが、金持の家の出だという振るまいなど微塵も感じさせず、また在日朝鮮人ということにQはこだわりをもっていたようではないし、私も長い間忘れていたぐらいでまったく気にしていなかった。
 この事実を元に、Qが『コタンの口笛』のアイヌの少年に自分との類似性を感じてしまい下巻まで読み進めなかった。あるいは、アイヌの少年への共感のため、シャモを刺すという、実際に書かれていない「物語」をQが読み取るに至ったなどというのは簡単かもしれない。だが、Qのエピソードの真相として、そうしたこだわりがあると決めつけることは、同級生としてQを見ていただけに失礼すぎて私はできない。Qが上巻までしか読まなかった理由は怠惰によるものかほかの理由があるかは知りようがないし、Qは『コタンの口笛』をアイヌの少年がシャモの少年を刺した「物語」として読んだという事実だけが残る。これが私にとってのQの「物語」である。
 

|

« ブックオフ | トップページ | 綾瀬の犯罪 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/103175/4695138

この記事へのトラックバック一覧です: コタンの口笛:

« ブックオフ | トップページ | 綾瀬の犯罪 »