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2005年6月22日 (水)

ちゅらさんの東京

 「ちゅらさん」というNHK朝の連続ドラマがあった。そのころ、二年半ぶりにテレビを手に入れたこともあってはじめのあたりはよく見ていた。沖縄育ちのちゅらさんは東京に出てきて一風館という下宿屋で暮らすようになるのだが、東京のどこなのかはっきりしない。護国寺から雑司ヶ谷のあたりだと感じるのだが、劇中で具体的な地名は明言されてはいなかったのではないだろうか。一風館での暮らしは、明らかに高橋留美子の『めぞん一刻』の一刻館を意識して描いたのだろう。無愛想・無関心な住民達とちゅらんさんがうちとけていく展開は面白かったが、いろいろと忙しくなったこともあって、その後は見る回数がぐんと減ってしまった。
 「ちゅらさん」がカルト的な人気を帯び始めたのは、私があまり見なくなった頃と一致している。後半は、現実感のなさが常に漂い、妊娠・出産の苦労は伝えられることがなく、ちゅらさんがかかる病気も具体的な病名は不明のままだった(知り合いの医療関係者は、男性医師(小橋賢児)が女医(小西真奈美)を振って看護婦(ちゅらさん)とくっつくところだけは現実的だと言っていた)。わずか一年で女の一生を描くという朝ドラは無理がつきまとうので、どのドラマもどこか非現実的な展開があるのだが、「ちゅらさん」の非現実さは、見ていて夢のようだと全体を感じるような現実感のなさなのである。「ちゅらさん」は、最初にちゅらさんの島にやってきた病気の男の子の夢だった、というオチがつくのではないかと、最後の最後まで疑っていた。
 このドラマがカルト的人気を博したことについて、大学生やフリーターなど自分の生活に現実感を得ない人たちが、理想郷としてちゅらさんの世界を愛したのではないかという分析が、当時ネットにあって、非常に納得した。その後、続編も制作されるが、非現実路線、理想郷路線が引き継がれたのは妥当であり、私も何回か見たが楽しませてもらった。
 もしちゅらさんの一風館が東京のどこにあるかがはっきりしていたら、たとえば浅草だから谷根千だから人情に包まれて生きていけたとするなら、あそこまで人々に共感されなかったと思う。わざとぼかして書いたのは卓見である。ちゅらさんはユートピアに生きているからだ。
 今期の朝ドラの「ファイト」は、逆境に挫けない女の子の姿を描いているようだが、視聴率が低迷し、「ファイト不発」などと揶揄されているのも、よく理解できるのである。
追記 沖縄では「ニライカナイ」、すなわち「奄美・沖縄地方で、海の彼方にあると信じられている楽土。そこから年ごとに神(赤また・黒また・まゆんがなし、など)が訪れ、豊穣をもたらすと考えられている。」(広辞苑第五版)という思想がある。ちゅらさんが、神であり、東京の人たちに「豊饒」をもたらしたとも、あるいはちゅらさんの島にやってきた男の子が神で、ちゅらさんに「豊饒」をもたらしたとも解釈できる。
 ドラマ内でおばあが東京に出る前のちゅらさんにニライカナイの話をする場面があるそうで、このドラマの構成はずいぶん考えられて作られたものだと思う。

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