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2005年5月12日 (木)

研究の意義

 「いったい何のための研究なのか。何の役に立つのか。どんな意義があるのか。そういったことが最近よく問われている」と、国語学のT先生が飲み会の席で私に言った。私は、そういうことを考えなければ駄目だとよく言われますという受け答えをした。私の反応を見たT先生は、話はそこで別の話題に変えてしまったようだが、私がかしこぶった受け答えをせず、T先生にそのまましゃべらせておけば面白い返事がもらえたのではないかと残念である。
 大に失礼なことを書く。T先生は、古訓点の研究をなさっているのだが、古訓点の研究など何の役に立つのか、どんな意義があるのか、私にとってよくわからないのだ。これはもちろん私に知識と見識がないためだが、一般大多数の人にとって、T先生の研究はそういった類のものであろう。もちろん、私の研究も他から見れば、T先生と五十歩百歩に違いない。
 些末主義に陥らないために、好事家の道楽とは一線を画するために、何かの意義を求めて研究するのは当然のことだというのは優等生の答えである。やりたいからやっていますというのは、バカの答えとみなされている。だが、最近、研究の意義が問われすぎていて窮屈に感じるときがある。何の役にも立たなくてよい、好きだから研究する、知りたいから研究するという心情こそ研究の原動力であろうし、研究の意義がそれに先立つ人は実のところ少ないのではないか。偉い人はとかく模範的な話をしがちだが、T先生が研究の意義以前にある、研究の意欲の重要性を語ってくれたとしたなら、ここのところ殺伐とした私の気持ちはかなり楽になったであろう。私のさかしらでそれを聞き逃したようで、かえすがえすも残念である。

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