« 子宝 | トップページ | 農家の思い出 »

2005年5月15日 (日)

長崎でのヤクルトの試合

 プロ野球にはフランチャイズという興行権が各地域に設定されているが、長崎ではヤクルト・スワローズがフランチャイズを持っていた。ヤクルト・スワローズのオーナーだった松薗氏が五島出身だったためらしい。松薗氏が、巨人が優勝してヤクルト・スワローズは二位でよいという主張をしていたこともあってか、80年代後半のヤクルト・スワローズは大変弱かった。
 また、長崎にあった大橋球場は、温水シャワーすらないという選手にとって人気のない球場だった。また非常に狭かったため、ホーナーが一試合三本のホームランを打ち、「センターフライがホームランになる」などとコメントしていたと思う。今ではビックNという立派なスタジアムが出来て、隔世の感がある。そんなこともあってか、長崎には、巨人は決して来ず、広島との試合が多かった気がする。
 また、試合があるのも、ちょうど五月の中間テストのあたりと決まっていて、中高生にはほとんど観に行く機会がもてないものだった。
 私は土橋監督時代からのヤクルト・スワローズファンだが、関根監督時代が一番面白かったと思う。池山・広沢・外国人のクリーンナップに、若松・杉浦・八重樫・角といったベテランがおり、栗山・苫篠・荒井といった若手が控え、一茂だって花を添えていた。弱投のチームだったが、尾花・高野などが力投していた。確か、最高成績は三位止まりだったと思うが、観ていて楽しい野球だった。
 野村監督になって、ID野球となり強くなったのは嬉しかったが、贅沢ながら面白みはやや薄れたと思う。92年に東京に出て、ヤクルト・スワローズの試合を観られるようになったのはよかったのだが、球場で観る試合は、投手交代の間が長くて眠ってしまうことが多く、またチケットもそう安くないこともあって、足が遠のいてしまった。終りの時間が決まっていないスポーツは観に行きにくいのも確かである。
 ここのところ交流試合が行われている。昨年まで、今時分に交流試合が行われることはおとぎ話だった。ヤクルト・スワローズが90年代を代表する強豪チームになることも、松薗オーナーの時代には夢のまた夢であった。感慨を込めて記す。
 

|

« 子宝 | トップページ | 農家の思い出 »

コメント

はじめまして。
私も同年代のヤクルトファンです。
弱いなりに頑張る姿が好きでしたね。

投稿: トナーマン | 2005年7月25日 (月) 02時21分

ホームページ拝見しました。
同感できることがたくさん書いてあって、非常に楽しませていただきました。
「若松勉はスワローズにおける長島茂雄なのです。」のお言葉は全くその通りです。

投稿: Iwademo | 2005年7月26日 (火) 00時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/103175/4127490

この記事へのトラックバック一覧です: 長崎でのヤクルトの試合:

« 子宝 | トップページ | 農家の思い出 »