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2005年5月16日 (月)

農家の思い出

 私の住む埼玉県S市は農業を主産業にするだけあって市街地から十分程車を走らせるともう田園地帯である。なかなかの規模の農家が今でも相当数残っている。正確に計ったわけではないが田圃よりも畑の割合の方が大きいようだ。私が育った長崎県のN町というところは、現在長崎市のベッドタウンとなっているが、私が移り住んだ二十五年程前は、今も盛んであるみかん栽培だけでなく、稲作もまだ多く行われていた。
 小学校一二年のころ、名前順が近いこともあって親しかったY君のうちは、お父さんが会社勤めをして、じいさんばあさんおかあさんが農業をするという、社会科で言うところの第二種兼業農家だった。とはいえ、家の造りはいかにも農家らしくて大きくて、家の近くはY君の田圃が結構な広さであった。そこにY君とY君のお兄さん、Y君の祖父母、Y君のご両親にY君の叔母さんが住んでいた。幼かったので叔母さんというものがわからず、私はお手伝いさんだとずっと思っていた。
 Y君は小遣いに不自由していなかったようで、当時流行りのガンダムプラモデルの新製品を必ず予約して購入し、私はY君の買物について行き、その組み立てを眺めるというのが常だった。今でもブックオフの片隅などに積まれている昔のプラモデルは、今でこそ他愛のない代物だが、子どもの私にとってはまばゆい品であった。
 同じ校区とはいえ、私のうちとY君のうちは、ほぼはじとはじに位置しており、子どもの足では相当の距離があった。最初の内は遅くなるときは、私の家に電話を掛けさせてもらってから帰っていたが、電話も只ではないとY君のおばあさんがいうものだから、そののち家との連絡など特に気にせず暗いときでもそのまま帰っていた。今と比べて誘拐などの心配に全くといってよいほど頓着しなかった。
 Y君のうちは部屋が多かった。入り口近くにあった来客用の部屋、代々の天皇とY君の先祖の写真が飾ってある部屋、台所の上にあるY君がおばけが出るといっていた部屋、建て増しをした新しい部屋などとにかく部屋だらけであった。それらの部屋のうち、外に面していない部屋は谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』に出てくる日本家屋のごとく昼なお暗かった。庭には農作業の機械を入れる納屋があった。農家の暮らしは季節感に富んでいて、たけのこを煮る匂いや障子のはり替えの糊の匂いなどが季節によってしたが、基本的には古い家独特の匂いがした。展示されているものではなく、人の住んでいる農家をじっくりと見物するという経験は、Y君の家を除けば、島原の千々石にあるまたいとこの家で何度かある程度で、今思えば貴重な体験であった。
 Y君とは三年生のクラス替え以降疎遠となり、以後の人生で三分も喋っていないと思う。十五年程前に、Y君の家のあたりは区画整理があり、Y君の家は古びた農家からこぢんまりとした何の代わり映えもない家にかわっていた。Y君の家族構成がどうなったのかはもちろんのこと、農家を続けているのかも、もうわからない。
 今、地方を歩いて農家を見た際に、いささかなりともその内部の作りや、そこでの暮らしが想像できるのはY君のおかげである。感謝している。
 昨日息子を連れて農村地帯を散策したゆえ記す。

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