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2005年4月29日 (金)

 昨日今日と夏日らしい。八重桜もようやく終りで桜の季節も終りである。正直に言うと、桜が嫌いである。毎年、この時期に鬱症が病気とは言わないまでも、身を覆ってくるためでもある。桜は押しつけがましい。ぱっと咲いてぱっと散るのはありがたいことで、あれが椿や山茶花のようにいつまでも咲いていては困る。桜の大木などをじっと眺めていると、ゴッホの絵を見ているような気分になる。

 萩原朔太郎に「桜」という詩がある。非常に共感するところがあるので、ここに引用する。
 

 桜のしたに人あまたつどひ居ぬ
 なにをして遊ぶならむ。
 われも桜の木の下に立ちてみたれども
 わがこころつめたくして
 花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ
 いとほしや
 いま春の日のまひるどき
 あながちに悲しきものをみつめたる
 私にもあらねど。

 町田康のエッセイ集『耳そぎ饅頭』に「樹下に狂へ、俺のこころよ。」という花見についての文章がある。町田康は、文学に通暁しており、その小説も石川淳や太宰治など先行する作家の文章をうまく換骨奪胎している。
「樹下に狂へ、俺のこころよ。」の末尾は、

 わたしは桜の古木の下に立ち、自宅からぶら下げてきたきた二合瓶に直に口をつけて日本酒を喇叭飲みに飲み、さあ、狂え、俺のこころよ、狂え、と念じた。
 にもかかわらずわたしのこころはいっこうに狂わなかった。冷え冷えとして正気であった。
 ざあ、と音がしたかとおもうと突風。桜の花弁が舞い、わたしはもうひとくち酒を飲み、狂った人々でじぐざぐするみちをとぼとぼ帰ったのである。うくく。

となっている。萩原朔太郎を町田康が模倣したとは言い切れないし、そもそも知りようがない。ただ、どちらも私の心を打つのである。

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